ヴァレオスの町(2)
剣士ウィリア、治癒師ジェンは街中の宿をとった。
食事は外の料理屋でとる。二人で適当な店に入った。
「ここは羊肉が名物なんですね。それにします」
「僕もそうしよう。ワインも名物なんだよね。一本ください」
少しして、料理とワインが運ばれてきた。
「ジェンさん、お酒がお好きなんですか?」
「好きというほどではないけど、ときどき飲みたくなる。君も飲んでみる?」
「お酒は、あまり飲んだことがないです」
「もう飲める年じゃない? それに、王都やこの街は、十五歳から飲んでいい決まりだから大丈夫だよ」
「どうしましょう……。あんまりいい思い出がないんです。実は子供の頃飲んでみた事があるんです。お酒を飲んでいるお父さまに『お酒ってどんな味なの?』と聞いたら『飲んでみるか?』と言われて」
「どうなったの?」
「なにかの果汁が入ったものだったと思うのですが、甘くて、わりと口当たりがよかったので、何杯かいただきました。そしたら記憶がなくなって……。翌日、頭がガンガンして」
「ありゃ……」
「お父さまはお母さまに叱られてました」
「まあ、そうなるよな。だけどもう大きくなったし、一回飲んでみたら? これは甘口で飲みやすいやつだ」
「そうですね。何事も試してみなきゃいけませんね」
ウィリアは一杯もらって、ワインを飲んでみた。
「甘口ということですが、それほど甘くはないですね」
「ワインの甘口はこのくらいなんだ」
「でも、華やかな香りがして、おいしいです」
料理も運ばれてきた。地元の料理はワインによく合った。
ウィリアは飲み、食べていた。
ふと、話し始めた。
「あのですね、ジェンさん……」
「ん?」
「先日のことなのですが……アールゴの街で戦った相手」
「うん」
「あれはたしかに、銀狼の同族でした。再生能力も同じくらい。聖剣でなくても、魔法剣は有効でした。おそらく、切断したあとの傷に、魔法でダメージを与えることが肝心なのかと思います」
「ふむ」
「そして、あの狼、蒼狼のギネオンと言っていましたが、銀狼について話すと『人間界に出て行った同族がいたらしい』ということを言いました。ということは、彼らはこの世界の存在ではありません。おそらく、魔界から来た者、『真魔』です」
「……」
「そして、彼は黒水晶の配下として戦っている……。黒水晶自体も『真魔』なのではないでしょうか」
「なるほど……」
「『真魔』についてわかっていることはあまりないらしいのですが、歴史上何度も現れて人々を苦しめた『魔王』は、いずれも真魔ということです。黒水晶も『魔王』の一人という可能性はあります」
「そうかもしれない。しかし過去の魔王は、人間を支配し搾取するものだった。黒水晶がやっているのは、ただの破壊と殺戮だ。なぜだろう」
「それはわかりません。ですが、彼が魔王だとしたら、最終的な目的は局所的な破壊などではなく、もっと大きいものだと思います。今はまだ月の波動を遮る方法を見いだしていないだけで、それが可能になれば、たいへんなことになりかねません」
「……」
「なんとしても、奴を倒す方法を見つけなければなりません。そのためにはなんでもやるつもりです。魔法剣が有効かもしれないので、それも怠りなく練習しなければなりません。ジェンさん、協力をおねがいします……」
「ああ」
ウィリアの眼は真剣だった。
ふとワインの瓶を見ると、半分以上空いていた。ウィリアがけっこう飲んだらしい。わりと強いんだなと思った。
ウィリアはまた、無言で飲み、食べた。
少し経って、またウィリアが口を開いた。
「このワイン、おいしいですね」
「ああ、高級ではないけど、けっこういいね」
「あ、もう無いですね。すみませーん、もう一本ください」
給仕が追加の瓶を持ってきた。
「大丈夫? 飲み過ぎてない?」
「これくらいだいじょうぶですよー。大人なんだから」
「でも、あんまり飲んだことがないって言ってたし」
「飲んだことはないけど、わたし強いんですよ? 真魔も倒したし」
「いや、その強いと酒に強いは違う……」
「だいじょーぶだって。あはは。心配性ですね」
さっきの冷静な口調と違う。
「もうやめた方が……」
「なんですか? 人に飲むなと? 学生のときすでに夜遊びしていたあなたが?」
「それ言われると弱いけど、体に悪いから」
「ジェンさん、親切ですねえ」
「親切とかじゃないけど……」
「その親切で、多くの女性を毒牙にかけたんでしょ」
「なんだよ。毒牙にかけたって。そんなむやみに手を出さないよ」
「知ってますよー。あなたがエッチだって。あははははは」
ウィリアは高笑いした。
そのあと、真顔に戻った。
「わたしもね……」
「ウン」
「別に、エッチな女じゃなかったんですよ?」
「あ、うん、そうだよ」
「なくしたくて、処女をなくしたわけじゃないんです……」
「ああ……。まあ、そのことは……」
「こんなに汚れた体になっちゃって……」
「だから、自分のことを汚れたとか言わないの!」
「わたしのせいじゃないのに……。変態だ淫乱だとののしられ、蔑まれ……」
「だれも蔑んでいません! 君の被害妄想です!」
「結婚もできないし……。領国にも帰れないし……」
「帰れなくないってば!」
「わたし、なに不自由なく暮らしていたんですよ。養育係のマイアがやさしくしてくれて……。お父さまも優しくて……。みんな、よくしてくれて……。う……うう……城に、帰りたい……」
なんだか涙を流している。
「帰りなよ。君が帰れば、城のみんなが喜ぶよ?」
「いやー!! 帰らない!!」
「なんなんだよ。もう。しょうがないな。宿に戻ろう」
「宿に戻って、エッチなことするつもりでしょ」
「しないってば」
「だいたい、ジェンさんが悪いんですよ。わたしが汚れたのって、回数的には」
「ああ、僕が悪かった。エッチなことはしないから、もう出よう」
フラフラしているウィリアをつれて、店を出た。
勝手に知らない道に入っていこうとするので、腕をつかんで一緒に歩いた。
「ほら、宿だよ。階段のぼって」
「うーん……。だっこ」
「いや、階段だから、あぶないから! ほら、足出して、のぼって」
なんとかウィリアの部屋についた。
「おやすみなさい……」
「鎧くらい脱ぎなよ。外してあげるから」
鎧を外しベッドに寝かせた。
「ほら、おやすみ」
横になったウィリアがジェンを見上げた。
「おやすみのキスは?」
「そんなのしないよ」
「う……お父さまはしてくれたのに……。やっぱりあなたも処女がいいんだ!」
「そんなことないって! ああ、キスね……」
ジェンはウィリアにキスをした。
「ちがーう! おやすみのキスだから、ほっぺ!」
「あ、はいはい、ほっぺね」
ほっぺにキスをすると、ウィリアは満足げな表情になって、眠りに落ちた。
「……」
ジェンはしばらく、その寝顔を見つめた。
「なんでそんなに無理するの……」
ここまで頑なでなければ、本人も、周囲も、幸せなのに……。
ジェンは部屋を出ようとした。
「……」
出ようとしたが、ベッドの上に横たわるウィリアがどうしても気になる。
つい、その体に目が行く。
寝ているウィリアは無防備だ。どんなことでも、できるだろう。
「やっちゃえよ」
自分の中の悪魔がささやいた。
「……」
自分の中の天使が反論する。
「いや、だめだ。彼女はそれを望んでいない」
悪魔がさらに言う。
「こんなに酔っ払ってるんだ。何も覚えてないって。別に覚えてたってかまわない。本人がしてもいいって言ってんだ。こんなに世話させたんだから、お駄賃としていただいてもバチは当たらないさ」
「……」
ふらふらと、ベッドに近づいた。
ウィリアの寝顔が見える。
化粧っ気のない顔に、さきほどの涙の跡がついている。
「……」
悪魔がささやく。
「どうした。やっちゃえよ」
「うるせー!」
ジェンは想像の中で、自分の中の天使と一緒に、自分の中の悪魔をぶちのめした。
「守るんだ……」
ジェンはウィリアの部屋を出た。鍵も閉めてあげた。
翌朝。
ジェンが廊下に出る。
ウィリアの部屋のドアを見る。
「起きられるかな……」
心配していたが、ドアが開いて、ウィリアが出てきた。
「……おはようございます」
「あ、おはよう」
ちゃんと服と鎧を着込んでいる。
「どう? 具合は?」
「特になんともありません」
「そうか。よかった。じゃ、朝食に行こう」
「はい。……あのですね、ジェンさん」
「ん?」
「……わたし、酔って変なことを言いませんでしたか?」
大いに言ったが。
「いや、別に」
「本当ですか?」
「故郷が恋しい、ということは言ったけどね。故郷ってだいたい恋しいもんだ。別に変じゃないよ」
「そうですか……」
「まあ、お酒も、徐々に慣れていけば……」
「いやもう、しばらくお酒はいいです。では行きましょう」