魔鳥の山(1)
宿屋で出会った女魔法使い、フレイ。
ウィリアたちと同様に、修行の旅を続けているらしい。
目的地は同じなようだ。二人の少し後ろに、一定の距離を持って歩いている。
あきらかにこちらを意識している。また、知り合いであったジェンも彼女が気になるらしい。
ジェンの表情はぎこちない。
ウィリアは不安だった。彼女はもしかしたら、ジェンの昔の交際相手かもしれない。
もし、よりを戻すようなことがあれば、ジェンはウィリアから離れて彼女の旅について行くかもしれない。それは困る。嫉妬とかそういうことではないが、彼女の存在が気になって仕方がなかった。
魔鳥で溢れる山、パゼール山。
もともとは自然豊かで、野鳥の多い山として親しまれていた。だが二年ほど前、山の一角から魔素が吹き出した。
魔素は山に棲む生物を魔物に変えた。特に多かった野鳥は凶暴な魔鳥となって、周辺の村や町を苦しめるほどになった。
二人はその噂を聞きつけ、魔物退治の修行に来たのだ。
山の領域に近づく。
ジェンが言った。
「……魔素を感じる。そろそろ出るかも……」
相手は空から来る。ウィリアも周囲に注意を払った。
空には雲がかかっている。
しばらく歩く。
ウィリアは殺気を感じた。空に何かいる。
前方の上空に点のようなものが見える。それは近づいてきている。
ウィリアは剣を構えた。ジェンも腰を下げて接近に備えた。
しかし、その角度から、目標は二人ではないようだ。後方を狙っている。後方にはフレイがいる。
二人は振り返り、フレイを見た。
普通に歩いている。襲ってくるものには気がついているようだ。上方を見ている。
杖を持ち上げた。
杖から波動が放たれる。それはウィリアとジェンの頭上を越えて、飛んでくるものに命中した。命中した時点でそれは炎となった。
飛んできたものの体が焼かれた。
「あ……」
ウィリアはあっけにとられた。
上空のものは落ちてくる。道のかなり前方に落ちた。
二人はふたたび歩みだし、落ちたもののところまで着いた。ウィリアはそれを見てみた。
焼け焦げた死体。やはり魔鳥だった。人間くらいの大きさのキツツキの魔物。本来ならおとなしい鳥なのだろうが、この鋭いクチバシで刺されたらひとたまりもないだろう。
ウィリアは固唾を飲んだ。
「……このくらいのが、たくさんいるのですね」
上方から襲ってくる。神経を研ぎ澄まさないとやられてしまうだろう。
ウィリアがそれを見ている間、フレイが歩いてきた。二人には微笑みながら会釈をした。ウィリアも思わず会釈を返した。彼女はそのまま通り過ぎた。
彼女が倒した魔物なのに、一瞥を与えただけだった。なんでもないことですよ、とでも言うように彼女は先に進んだ。
今度は魔法使いフレイが先に歩いていて、その後ろにウィリアとジェンが続くことになった。
ジェンはあいかわらずぎこちない表情をしている。
彼女に対して気まずいのなら、歩みを止めて、彼女がずっと先へ行くまで待つという方法もあると思うのだが、そうもしたくないらしかった。ウィリアはジェンの歩みに従った。
山道を進む。勾配が険しくなる。
彼女は小柄だ。しかし足取りはしっかりしている。険しい道や石の多い道も苦にせず進んでいる。修行の旅をかなり続けてきたのだろう。
森に入った。もう確実にパゼール山の中だ。
ウィリアの背後から気配があった。
振り向き、斬る。
やはり魔鳥だった。それは斬られて死んだ。
横の茂みから飛び出す魔鳥がいた。ジェンが風魔法を使った。魔鳥は風の刃に斬られた。
前を行くフレイも、先程から何回も炎魔法を放って、魔鳥を倒している。
歩く三人それぞれに、何回も魔鳥が襲ってくる。
「噂通り、かなり密度が濃いですね」
山中の森を過ぎて、少し平坦で開けたところに来た。深い草原になっている。
フレイが草をかき分け進んでいる。少し後ろにウィリアとジェンも続いた。
このまま進むと、次の森に入る。
しかし、目の前の森から、大量に飛び立つものがあった。
鳥の大群。
すべて魔鳥のようだ。それが数え切れないくらい、一斉に森から飛び立った。こちらに向かってくる。
目標はフレイのようだ。
「あっ! あぶない!」
ウィリアはフレイに加勢しようとした。だが、ジェンが腕をつかんで止めた。
「あれは、彼女に任せよう」
「え?」
大群が迫ってくる。
フレイは構えている。
それぞれの魔鳥が見えるくらいまで近づいた。
「〈業火〉」
フレイは杖を持ち、それを横に振った。
杖から扇状に光が放たれ、魔鳥の大群に向かった。
空が一瞬で激しい炎に覆われた。
炎は魔鳥の大群を燃やし尽くした。フレイは一息ついて杖を降ろした。
ウィリアは後ろで見ていた。
「……すごい」
あれほどの魔法を見たのは初めてである。あっけにとられてしまった。
ジェンは冷静な目で見ていた。
「優れた魔法使いは兵士千人を凌駕すると言われるが、彼女がそれだ。それに比べたら僕の風魔法なんか児戯みたいなものだ」
森の中に、樹がまばらで平坦な場所があった。
ジェンが言った。
「ここで野宿をしよう」
魔物の密度が高いので、結界石を四方に置いて結界を張る。焚火の場所を確保した。寝る地面を整える。
ウィリアはフレイさんの方を見た。
あちらも野宿の用意をしていた。近くはないが、ぎりぎり視界は届く場所。
気になる。
まちがいなく、ジェンと彼女はお互いを意識している。その意識はなんなのか。単に気まずい関係なのか。それとも未練があるのか。
聞いてもたぶん答えてはくれないし、聞くことで変な結果になる可能性もある。ウィリアのもやもやは収まらなかった。
野宿の準備ができた。焚火用の芝も集めた。
焚火をする場所の下にジェンが穴を掘って、油紙に包んだ荷物を埋めた。
「それは?」
「炎攻撃用の呪符で、魔素の多いところで熱を加えると威力が増す」
その他にも数種類の呪符を近くに広げた。魔素の多い場所で晒すとやはり威力が増すということだった。
まだ明るいので、近場でもう少し狩りをしようと、ウィリアは周囲を見回した。
そのとき声が聞こえた。
「たすけて……!」
人の声が、かすかに聞こえる。
「ん?」
「?」
どこからの声かわからなかった。遠い。
ウィリアははっと思って、上空を見た。
「あっ! あれ!!」
「!」
はるか上空に魔鳥が飛んでいた。それは人間をくわえている。
「たすけてくれ……!」
魔鳥にくわえられた男は叫んでいる。
しかし、はるか上空であり、ウィリアが何をしても届きそうにない。
「ジェンさん、魔法を!」
「いや、だめだ。遠すぎる……」
二人にもどうしようもなかった。
そのとき、少し離れたところから鋭い波動が発せられ、魔鳥を貫いた。魔法使いフレイが発したものだった。
魔鳥は体を貫かれて死んだ。くわえられた男は落ちてきた。
「わーっ!!」
二人の近くに落ちそうだった。
男が落ちる直前、ジェンは風魔法を発した。突風が巻き起こり、落ちてきた男の体を受け止めた。怪我をさせずに地面に降ろすことができた。
二人はそこに駆けつけた。
「大丈夫ですか!?」
「うう……」
男は軍服を着ていた。兵士のようだ。苦しそうにしている。
「何箇所か骨折してるな……」
ジェンが魔法で治癒した。
「はあ、はあ……。ああ……痛みがなくなりました。死ぬところでした……ありがとうございます」
兵士を落ち着かせて、話を聞いてみた。近くの駐屯所にいたという。そこにまで魔鳥が襲ってきて、撃退できず彼がさらわれたらしい。
他に怪我人も出ているようだ。ジェンは彼に付き添って行くことにした。しかし、呪符を晒しているので荷物をまとめるのは難しい。
「わたしが留守番してますので、ジェンさんは治療に行ってください」
「頼む。暗くなるまでは戻ってくる」
ウィリアは結界の中で待っていた。ジェンがいない間は、あまり動き回らない方がよさそうだ。魔鳥以外の魔物もいるかもしれないし、呪符も見張る必要がある。座って焚火の用意をする。
近づいてくる人がいた。
魔法使いの女性、フレイだった。彼女は帽子を手に取って、ウィリアにお辞儀をした。
「ジェンさんのお連れの方ですね? 始めまして。魔法使いのフレイ・カルノと申します」
口調や動作は丁寧だった。ウィリアはとまどったが、とりあえず立ち上がってお辞儀を返した。
「始めまして。剣士の……リリアと言います」
偽名を名乗った。
フレイは、大きな目でウィリアの全身をじっと見た。
「……リリアさんとおっしゃいましたが、その鎧はかなりのもの……。伯爵家の人が着るような格とお見受けします。もしやあなたは、ゼナガルドから出奔した、ウィリア・フォルティス様ではありませんか?」
その目はウィリアを見通すように鋭かった。図星を突かれてあわてた。
「そ、その……。その通りです」
「お父さまのことは、残念でした……。お悔やみを申し上げます」
フレイは胸に手を当てて弔意を表した。
「……ありがとうございます。……あの、身分を隠しての旅です。どうか、口外しないでください。お願いします」
「わかっております。覚悟の上の行動と存じます。邪魔をするようなことはしません」
ウィリアはほっとした。
「ありがとうございます。それから、先程は、魔鳥を倒してくれてありがとうございます。軍人さんを助けることができました。ジェンさんは彼を送りに行きました。少ししたら帰ってくるそうです」
「助かったならよかったです」
彼女は安心した微笑を浮かべた。
ウィリアは彼女をよく見た。
きれいな人である。顔が綺麗というだけではなくて、所作が美しい。貴族ではないようだが、しっかりした育ちのようだ。
ジェンさんはこういうタイプが好きなのか……と思うと、嫉妬ではないが、なぜかやりきれない気持ちが沸き起こってきた。
ウィリアはどうしても気になって、聞いてみた。
「……フレイさん、ジェンさんと学生時代にお付き合いがあったのですよね?」
フレイは遠い目をした。
「……そうですね。もう六年か七年前になります」
やはり二人は付き合っていたのだ。
ジェンが言うには、交際していた女性とは、デートをすっぽかして振られたそうだ。
「ジェンさん、時間にルーズで大変だったんじゃないんですか?」
するとフレイは意外そうな表情をした。
「そうなんですか? 当時のジェンさんは、しっかりしていましたよ? 紳士でしたし」
「あ、そうですか?」
どうも話が違う。デートをすっぽかされて振ったなら、肯定的な返事が返ってくるはずだ。
そういうことがあったのはもう一人の彼女のときだけかもしれない。では、フレイさんとはなぜ別れたのだろう。聞きたいけど、さりげなく聞き出す方法を思いつかなかった。
彼女はウィリアに尋ねた。
「ジェンさんは……お元気ですか?」
「え?」
どう答えたらいいのだろう。
「え……ええ。元気ですよ」
「そうですか……。それならいいのです」
フレイはまたお辞儀をした。
「では失礼いたします。ご縁があったら、またお会いしましょう」
「あの、もう少し経つとジェンさんは戻ってくると思います。待っては?」
「わたくしはジェンさんに避けられてるようです。実は一年ほど前にも旅の途中で会いましたが、あまり話もできないまま去られてしまいました。無理に会うつもりはありません」
フレイは後ろを向いて去ろうとした。しかし、足を留めて、ウィリアに振り返った。
「ウィリアさん、ジェンさんを……」
「はい?」
「……いえ。なんでもありません。それでは」
フレイは自分の寝場所に帰っていった。
ウィリアは焚火を焚いてジェンを待っていた。
夜になる直前にジェンが帰ってきた。その顔は暗かった。
「おかえりなさい。どんな様子でしたか?」
「……」
ジェンは焚火の横に腰を下ろした。
「兵士の怪我は治せたんだけど、ひとり死んでいて、助からなかった……」
「そう……」
「撤退は決まっていたらしいが、前倒しして明日にでも引き払うそうだ」
助けられなかった者がいることが無念なようだった。
ウィリアは、さっきフレイさんが来たことを話そうかどうしようか迷った。内緒にしてくれと言われたわけではないので、話すべきかもしれない。しかし、告げ口するみたいで、気が進まなかった。結局、そのことは言わなかった。