剣術学園(7)
ライドゥス・ヴェラは死んだ。
治癒師が待機している闘技会において、死者が出たのは初めてだった。上級蘇生魔法が必要になったとき、それを提供するはずの司教が席を外していて、時間制限を過ぎてしまったのだ。
ライドゥスは伯爵家の嫡男である。さらに、父親が早くに亡くなっているので、伯爵家の当主となっている。剣術学園ではもっとも身分が高い生徒である。
それが死んだ。
剣術学園の歴史の中でも大きな不祥事である。
学園長と、闘技会の実行責任者である事務長は王城に辞表を提出した。この件への対処が終わり次第、職を退くことになる。
職員室は悲しみに包まれた。
ライドゥスは学生の中でも、ジェン・シシアスと並んで最強の剣士だった。学科でも優秀であり、また身分が高いにもかかわらず謙虚で素直な人柄で、教員としては自慢の生徒であった。
彼を失った悲しみは大きかった。
中でも、指導教官であったゴウキ先生の嘆きは深かった。周りを憚らずに男泣きに泣いて、涙が白い髭を濡らした。
「ううっ……! ライドよ……。ライドよ……! なぜだ……なぜおまえが死ななければならなかったのだ……!」
誰にも答えられない愚痴を言わずにはいられなかった。周囲の教員は下を向くほかなかった。
「ゴウキ先生……悲しみはごもっともです。明後日、お別れの会を開きますので、全員で見送りましょう」
「会など開いたってライドは戻って来ぬ! そもそも、席を外した司教が原因ではないか! 学園として抗議すべきだ!」
「司教様はすでに責任を認めておられ、王国の公職をすべて辞するとのご意向です。それに、無理を言ってご臨席をお願いしている立場なので、あまり追求するなと王城から言われてます」
「くっ……」
教員の一人が聞いた。
「……ところで、ジェン・シシアスはどうなってますか?」
ジェン・シシアスはライドゥス・ヴェラと同じ寮室に入っていた親友である。そして、闘技会でライドゥスを死なせた本人だった。
「寮室に戻して、職員三人をつけています。無理もないことですが、危うい状態らしくて……」
「おまえは悪くない」
ジェン・シシアスは自室のベッドに座っていた。
向かい側のベッドには、学園の教官が座っていた。本来ならライドゥスが使っているベッドである。
ジェンは闘技会以来、こわばった顔をしているばかりで、動こうとも話そうともしなかった。泣くこともなかった。
教官はジェンに向かって語り続けた。
「おまえはまったく悪くないんだ。……悪いのは我々だ。このようなことが起こるのは予期すべきだった。対策を怠っていた我々に責任がある……」
「……はあ……」
何を言われても、ジェンはこわばった表情のままだった。
部屋の中には教官の他に、入口側に一人、窓側に一人の職員がいた。職員がいる理由は、何よりも自殺防止である。端から見てもジェンの様子は危うかった。ライドゥスの上にジェンまで失っては、学園としても大きな損失になる。
ジェンは、あれ以来ほとんど食事をしていない。
テーブルの上には配膳された食事があった。
「食べなさい」
教官が命じた。
「……食べたくありません」
「軍人は、食べられるときに食べて、体調を保っておくのも重要な仕事だ。これは命令だ。食べなさい」
「……」
ジェンはテーブルに着き、ぼそぼそと食べ始めた。
パンをかじり、スープをいくらか流し込んだ。
「うっ!」
急に口を押さえた。部屋の隅の流しに走り、食べたものを吐き出した。
「うえっ! えっ! おえーっ!!」
「……」
教官たちは悲しげな目でジェンを見た。
ジェンは霧の中にいた。
「……ここは……?」
それがどこなのかわからなかった。
霧の中、とぼとぼと歩いている。
誰もいない。
だが、向こうから誰か歩いてくる。
「あれは……!?」
知っている人のように見えた。
鎧を着ている、若い武人。
「ライド!!」
ジェンは走った。それは間違いなくライドだった。
「やあ」
ライドは笑顔でジェンを迎えた。
「ライド! ライド! 生きていたのか!」
「ははは。そんな簡単に死んでたまるか」
「よかった! よかったなあ!!」
ジェンはライドを抱きしめた。
「ははは……。……うっ!」
「?」
ライドは崩れ落ちた。
ライドの体に大剣が刺さっていた。それを持っていたのはジェンだった。ライドを抱きしめていたはずの腕はいつのまにか大剣を握っていて、それがライドの体を貫いていた。
ライドは死に、体が霧のように消えた。
「あ……あ……」
「うわああああ!」
ジェンはベッドから起き上がった。
深夜になっていた。
部屋にいた職員たちも驚いて目が覚めた。
ジェンはしばらく呆然としていた。
「夢……」
冷や汗が出て、ベッドの上に半身を起こしている。
「いや……」
ジェンは部屋の中を見回した。いるべきはずのライドはいなかった。夢は覚めても、現実は変わっていなかった。
「ああ……」
精神は限界に近づいていた。
ジェンはずっと布団をかぶっていた。
今が何時なのかもわからない。
眠れるわけでもない。眠れば夢を見てしまう。
どうすればいい……?
自問自答した。
剣術学園で過ごした年月は、武人になるためであった。
武人にはなれない。
もう、人を殺したくない。剣に触りたくもない。
死が頭に浮かんだ。
死ぬことができれば、どんなに楽だろうか。
しかし、自殺は卑怯である。そう教えられてきた。
卑怯者として死にたくはない。
どうすればいい。
ジェンに罪はないが、本人としては罪としか思えなかった。
どうすればこの罪を贖えるだろうか。
人を殺した罪は、どうすれば赦されるのか。
……殺した罪を贖うためには、人を生かすしかないのでは。
ジェンは、あのときの光景を思い出していた。
ライドが倒れていた。
あのとき、上級蘇生魔法が使える治癒師がいれば、彼は助かったはずだ。
治癒師であれば、人を生かすことができる。
治癒師であれば。
治癒師。
ライドのお別れの会の日になった。
ジェンも出席することになる。
寮室にいた教官が言った。
「……辛いだろうが、送ってやれ」
「……はい」
わずかな食物をつめこんだだけの、ジェンが答えた。
外から事務員が入ってきて、寮室にいた教官に尋ねた。
「あの、先生。来賓の方の席を設置するのですが、配置をどうしたらいいかと問題になりまして、先生が詳しいと……」
「配置は……えー……口では説明しにくいな」
ジェンが言った。
「先生、先に行っててください。僕は二人と一緒に行きます」
「そうか。では先に行くが、ちゃんと来るんだぞ」
教官は会場に向かった。
お別れの会が始まった。
公堂の中に、剣術学園の生徒と教員全員が集まっている。ライドと交流があった他の学園の生徒も来ていた。王都にいたディネア領国の関係者もいる。
公堂の中央にライドの棺が横たわっている。
学園付きの司祭が棺にお祈りを捧げた。
ジェンに付き添っていた教官は、席の配置や、こまごまとした作業を一通り終えた。
ジェンを探す。
見当たらない。
あの状態のジェンにお別れの言葉などを言わせるわけにはいかないが、いなくてはおかしい。
「まだ来てないのか……?」
会場を見渡した。
すると、寮室でジェンを見張っていた職員二人が来ていた。
「おまえたち、ジェンはどうした?」
「え? 先生と一緒に行くと言って、先に出ましたが……?」
「なに……? しまった!」
教官は寮室まで走った。
部屋に入る。誰もいない。
ジェンのベッドには、大剣が置かれていた。
傍らに書き置きがあった。
〈大剣はお返しします。僕は武人になることはできません。別の道を行きます。どうかお許しください〉
王都から離れた土地に、森がある。
森の中、若者がいた。
ジェンである。
鎧も着ていない軽装。手にはナイフを一つ持っただけ。
魔物も出る森である。あまりにも無謀な装いであった。
スライムの魔物が彼に飛びかかった。
ジェンはナイフで倒した。
剣は持ちたくない。本当はナイフも持ちたくないが、なにも無しで森に入るのは不可能である。
彼は何日もかけて森に到着した。
目的は、ここに住まうと言われる「森の魔女」の弟子になるためである。
「森の魔女」は伝説的存在である。何百年も生きていて、森の隠れた場所で魔法の研究を続けている。様々な魔法を使いこなし、また治癒師としても比類無い実力を持っているという。その弟子になれば、一流の魔法使いになれると言われていた。
しかし「森の魔女」はきまぐれで、弟子を取るかどうかは気分で決めているらしい。魔法学園の生徒が何人も弟子入りを希望したが、ほとんどは声もかけてもらえず無視されるだけだという。ごくまれに弟子入りを果たした者がいて、それらは実際に魔法使いや治癒師として大成しているそうだ。
「森の魔女さま……!」
ジェンは声を張り上げた。
「……どうか、弟子にお加えください。僕を治癒師にしてください……!」
すでに何日もさまよっている。
あまり食事を取っていない。野苺をつまむぐらいだった。若く屈強な肉体であっても、それは弱ってきていた。
「魔女さま……!」
声を上げながら歩き回る。
体はふらついてきている。
足が石につまずいた。
ジェンの体が前に倒れた。
「……」
もう、立ち上がる体力はない。
意識が薄れてきた。
気を失えば、魔物か野獣の餌食になる。
それでいいと思った。
「ライド……」
親友の顔を思い浮かべた。
あの世で、一目でも会って、詫びをしたい。
ジェンは気を失った。
森の中でジェンが気を失っている。
その前に、二人立っている。
一人は、ローブを着て帽子をかぶっている女性。
もう一人は、身長はかなり低いが、体はがっしりしている髭の生えた男。
女性が言った。
「何日か前から弟子にしてくれって言ってたのはこいつかい? 治癒師になりたいって言ってたけど、いまは治癒師でも魔法使いでもないようだ。うちは初心者教室じゃないんだけどね。でも治癒師の骨はあるみたいだね」
男の方が言った。
「しかし魔法も使えないのに、この森へナイフ一丁で来るとは。こいつ、よほどのバカですかね?」
「ふむ……。あたしは、バカな奴ってのは嫌いじゃない。こいつを館まで運んでおくれ」
「ははっ」
そんなことがあった日から数年が経った。
森の中。
女剣士ウィリアと、治癒師ジェンが野宿をしている。
焚火を挟んで、向かい合わせに座っていた。
数日前から、ジェンは自分に起きたことを語っていた。
その話はもうすぐ終わる。
ジェンは、薪を火にくべながら言った。
「……気を失った僕を哀れんだのか、森の魔女さまが館に運んでくれた。気がついた僕は弟子入りを願った。魔女さまは受け入れて、僕を治癒師に育ててくれた……」
「……」
二人は火を見ている。
ジェンが言った。
「……これが、僕が治癒師になった理由です」
ウィリアは膝を抱いて座っていた。
「……教えてくれて、ありがとう……」