銀狼村(1)
村の中はひっそりしていた。
規模の大きな村。普通であれば人の気配もあるのだろう。しかし、外に出ている者はほとんどいない。
農作業をやっている人がたまにいた。だが、近寄ろうとすると逃げて、小屋の中に隠れてしまう。
建物も多かったが、それらからは活気が感じられない。ところどころ破壊されてもいた。
畑の間の道で、ウィリアとゲントは周囲を見渡した。
「ひどい状況ですね……」
「そうだな……」
ウィリアとゲントは旅をしている。伯爵の娘ウィリアは、襲撃者の「黒水晶」に父を殺され、自らは犯された。仇をとるため、修行の旅を続けている。同行者のゲントは治癒師であり、表向きは旅の薬屋を名乗っている。
二人は村にやってきた。村の名は「銀狼村」という。銀狼伝説からつけられた名前だという。
人気は少なく、寂しい。
村の中心部へ歩く。民家や商店がある。商店はどれも閉まっていた。
中でも大きい建物がある。教会のようだ。
誰かいるだろうと、二人は中に入った。扉は新しかったが、粗末な材木で作られていた。
「ごめんください……」
中には神父らしい人がいて掃除をしていた。入ってきた二人を見て、恐怖の表情を浮かべた。
二人に向かって、聖像が彫られているメダルを突き出した。表情は硬く、突き出した手が震えている。
ウィリアが声をかけた。
「我々は魔物ではありません。旅の剣士と、薬屋です」
神父は大きく息を吐いた。メダルを持った手を引っ込めた。しかしまだ表情は硬い。
「……旅の方、こんな村に、何しに来ました……」
ウィリアが言った。
「前の村で聞きました。この村は銀狼に襲われ、何人も犠牲になっている。また周囲が魔物に囲われて、脱出するのも難しくなっていると……」
「その通りです。しかし、それを聞きながら、わざわざ来たのですか?」
「わたしたちは修行の旅の途中で、倒すべき相手を探しています。人々を苦しめる魔物がいたら、戦いたいのです」
神父は難しい顔になった。
「……魔物退治ですか……。前にも、二組ほどそういう人たちが来ました。みんな期待したものです。だが、どちらも全員、やられてしまいました……」
「わたしたちも、絶対に勝てると言うつもりはありません」
「おやめなさい。やつは強い……」
「人が苦しんでいる村まで来て、やめることはできません。覚悟はできています。詳しいことを聞かせてください。銀狼が現れたのは、どのくらい前ですか?」
神父は長椅子のひとつに腰かけた。二人にも座るように促した。そしていきさつを話し始めた。
「ご存じのように、この村は銀狼村と呼ばれています。昔、銀狼が現れて人々を襲ったが、勇者がそれを封印したという伝説からです。
封印されるとき銀狼は『かならず復活してやる』と言ったと伝えられています。しかし昔の話であり、だれも本当に復活するとは考えていませんでした。ところが……一年と少し前、銀狼が現れました。
やつは村に入り込みました。村戦士が数人いたので戦いましたが、あっという間にやられてしまいました。銀狼は死体をくわえ、去って行きました。
それから数日に一回、やってくるようになりました。そのたびに、人が殺され、死体をくわえて去って行きます。やつにとって人間は、単なる食料のようです。
村から逃げようとする者もいました。だが銀狼の出現以来、村の周囲は魔物で囲われました。銀狼の眷属ではないかと言われています。出て行った者の消息はわからないのですが、出て行こうとして途中で逃げ戻ったのが何人かいて、その話では魔物の密度は尋常ではないようです……。あなた方が来たときも、かなりの魔物がいたのではありませんか?」
ウィリアは頷いた。
「ええ。かなりの数の魔物がいました」
「それを突破してきたのですか? お強いですね。まあ、普通の者ではとてもたちうちできません。わずかに突破した者もいるようですが、ほとんどは魔物にやられてしまいます。あれ以来、訪れる者も、出ていく者もほとんどいません。死を待つのみです。以前、村には数百人ほどいましたが、食われたり、逃げて魔物に殺されたりで、もう半分に減ってしまいました……」
普通なら、このような哀れな村には、王国の軍隊や魔法部隊が来て魔物退治をするのだろう。しかし「黒水晶」のためか、王国も各領国も防衛で手がいっぱいで、辺境の村を救う余裕はないようだ。
「その銀狼はどのような者か、詳しく教えてください」
「まず、大きいです。普通の狼の数倍はあるのではないでしょうか。名前の通り銀色に光る毛皮に覆われています。そしてなにより、動きが速い。巨大な体が風のように駆けてきます。狙われたら、もう逃げられません。戦っても、ほとんどの場合勝負は一瞬でついてしまいます」
「弱点とか、耐性はわかりませんか? たとえば火に弱いとか、逆に効かないとか」
「どうでしょうねえ……。なにしろ一瞬でやられてしまうので、何が効くか効かないかもわからないのです。
まあ、魔物ですので、聖なる雰囲気……たとえばこの教会などにはあまり近寄りたがらないようです。ただそれも絶対ではないです。村中の者がここに避難してきた時は、扉を破って、近くの者をさらっていきました」
「そうですか……。それで、次はいつごろ来るでしょうか」
「はっきりとはわかりませんが、前回来たのが二日前……。その時の犠牲者は子供でした。そろそろ腹を空かしていると思います。今日中に来るかもしれません」
「……」
ウィリアは立ち上がった。腰の剣を握りしめた。
「戦うのですか」
「戦います」
「……もう、改めて絶望するのはこりごりです。期待はしません。こちらからは、村を抜けられるのなら抜けた方がいい、と忠告しておきます」
「ありがとうございます」
ウィリアとゲントは立ち上がり、教会を出ようとした。
神父が後ろから声をかけてきた。
「あ、ですが、あの……」
二人は振り返った。
「幸運があらんことを……」
神父はおいのりをしてくれた。ウィリアとゲントは神父に頭を下げて礼を返した。
その時、外から声がした。
「出たーっ!!」
ウィリアは真顔になり、教会から駆けだした。ゲントも荷物を置いてそれに続いた。
来た方向を戻る。
畑の中に、大きなものがいた。
牛より大きな狼。毛皮は銀色に光っている。銀狼。
鼻先に、血を流して倒れた農夫が見える。すでに死んでいるようだ。
ウィリアは銀狼に向かって駆けだした。
突進する。剣を掲げて踏み込む。
銀狼は横に跳び、ウィリアの剣をかわした。
銀狼はウィリアを見た。
〈何者だ? おまえは〉
人語が喋れるようだ。
ウィリアは銀狼を睨んだ。
「……人を屠る獣よ。あなたを倒す!」
銀狼は口元をゆがめた。苦笑いらしい。
爪を振り立て、ウィリアに飛びかかってきた。
速い。
しかしウィリアはその攻撃をよけた。
銀狼は着地し、向き直った。
ウィリアは斬りつける。
銀狼は避ける。
〈人の身で生意気な……〉
ウィリアと銀狼は、畑の上で戦った。
銀狼は速い。しかしウィリアも速さには自信がある。急速に位置取りを変えながら、お互い攻撃するチャンスをうかがう。
〈この……〉
速さにおいて匹敵する相手と遭った経験はあまりないのだろう。銀狼がいらだってきた。
そのとき、横から風の刃が銀狼を襲った。
〈うっ!〉
毛皮をかすめ、わずかだが傷をつけることができた。
銀狼は風の起こった方向を見た。ゲントがいた。
〈こやつ!〉
銀狼はゲントに駆け寄った。大きな口を開けて牙を向ける。かみつこうとした。しかしゲントも直前でよけていた。
「あなたの相手はこっちだ!」
ウィリアが剣を持って踏み込んできた。
斬る。
手応えがあった。銀狼の足を、深く斬っていた。
銀狼は高く吠えた。
ウィリアはいったん離れ、構えをとった。
「……勝てる!」
しかし、銀狼は落ち着いていた。体に力を込めたようだ。すると、みるみる足の傷がふさがっていった。
「……!!」
再度、ウィリアと銀狼は飛び回って戦った。間にゲントの風魔法の攻撃も放たれる。風の刃が通るとき、銀狼の動きがわずかに止まった。
「とどめだ!」
ウィリアは渾身の力を払って剣を振るった。
銀狼の喉をとらえる。
首を斬った。巨大な銀狼の頭は落ちた。
「やった……!!」
ウィリアの顔が明るくなった。
だが、銀狼の体は倒れなかった。胴体が震えたかと思うと、頭部が首に引き寄せられ、それはくっついた。
銀狼は不敵な笑みを浮かべた。
「……!!」
ウィリアとゲントは蒼白になった。
銀狼は息を吐いた。氷の息だった。それはウィリアに届き、体を凍らせた。
「ううっ!」
氷で動きが鈍くなったウィリアに銀狼が襲いかかってきた。鋭い爪を振り下ろし、ウィリアを傷つけた。ウィリアの頭から胴体まで、三本の爪で深い傷がつけられた。
ウィリアは死んだ。体が、仰向けに倒れた。
銀狼はウィリアの死体をくわえようとした。
しかし直後に、ゲントの蘇生魔法が放たれた。ウィリアは生き返った。咄嗟に、近づいてくる銀狼の鼻先を斬った。
〈うっ……〉
銀狼は後ろに跳び、離れた。
鼻の傷はたちまちふさがる。
銀狼とウィリア、ゲントは距離を保って対峙した。
「……」
〈……〉
銀狼は、さきほど殺した農夫の死体を見た。
〈人間よ。決着はあとだ〉
そう言って、農夫の死体をくわえ、去って行った。
ウィリアは追ったが、直線に走る速度では四つ足の獣にかなわない。たちまち銀狼の姿は見えなくなった。
「……」
「……」
ウィリアとゲントは立ちつくした。
斬ることはできた。
だが、再生されてしまう。
再生能力がある魔物でも、大抵は首を斬ればなんとかなるものだ。しかしそれも効かなかった。そうなると、ダメージを与える方法が無い。
「空腹に耐えられなかったようですが……あのまま戦ったら、おそらく、負けていました……」
ウィリアが悔しそうに言った。
横でゲントも頷いた。
「どうすればいいんだ……」
後ろから声がした。
「もし……」
振り返ると、先ほどの神父がいた。
「あ、神父さま、いらっしゃったのですか?」
「物陰から見ていました。……お見事です。あの銀狼にあそこまで戦ったのは、あなたたちが初めてです」
ウィリアはかぶりを振った。
「いえ、だめです。結局、何ひとつ傷をつけることができませんでした。剣は無力なようです。どうしたらいいか、わかりません」
ウィリアとゲントは途方に暮れた顔をした。
神父が言った。
「とりあえず、教会にお戻りください」