放棄された基地(2)
ウィリア、ゲント、女の子は落ちた。
ゲントは風魔法を発した。
下から風が巻き上がる。それは落ちる三人の体を受け止めた。
ウィリアとゲントの体は、ふわりと浮き上がって、すとん、と足が地面に着いた。
女の子だけちょっと高く浮き上がった。落ちてくるところを、ウィリアが抱きとめた。
「あーん!」
女の子はまた泣き出した。
「も、もう大丈夫ですよ。怖くありませんよ」
ウィリアは女の子を抱いてあやしながら、周囲の様子を見た。
三方が塗り壁で固められていて、一方が鉄格子になっている。
「ここは……?」
ゲントが言った。
「軍事基地地下の、牢屋のようだ」
ウィリアは上を見た。廊下の床材が、四角形にはずれて落ちている。
「さっき落ちたのは、何だったんでしょうか?」
「たぶん、敵襲に備えた落とし穴だと思う」
「あり得なくはないですが、あんなところに落とし穴があっては、使う隊員が不便なのでは?」
「おそらく普段は落ちない仕掛けなんだろう。古びたので構造材が朽ちて、落ちてしまったんじゃないかな」
それはともかく、脱出しないといけない。
「ゲントさん、風魔法で助けてくれましたよね。風で我々を上まで持ち上げられませんか?」
「さすがにそこまでの精度はない。ちょっと無理……」
鉄格子から出るしかない。
鍵はかかっていたが、さいわいゲントが外すことができた。
ゲントが出る。ウィリアも女の子を抱きながら牢屋の外に出る。
捕虜などを閉じ込めるための地下牢屋らしい。同じような牢屋が左右に並んでいた。
ゲントと、女の子を抱いたウィリアは進んだ。
女の子はウィリアにしっかりと抱きついている。
ウィリアが聞いた。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
「……ナナちゃん」
「お姉ちゃんはウィリアって言うの。ナナちゃん、いま出るから我慢してね」
ナナちゃんは涙で汚れた顔で、頷いた。
ウィリアとゲントは牢屋の区画を出た。
足が止まった。
「……」
魔素を感じる。
ウィリアはゲントを見た。
「ゲントさん……」
ゲントは難しい顔をしながら頷いた。
「……うん」
ゲントも魔素を感じ取っているようだ。
ウィリアもいままでの経験から、魔素の感じからそれが何か、ある程度見当が付くようになっている。いま感じている魔素は、魔法使いなどの魔素ではなく、魔物の魔素だ。さらに、獣の魔物やスライムのそれとはちょっと違う。近い感覚を以前にも感じたような気はする。
「ナナちゃん、歩ける?」
女の子は頷いた。
ナナちゃんを地面に降ろし、右側にウィリア、左側にゲントが挟んで歩く。
ウィリアは剣を抜いた。魔物の襲撃に備える。
天井の木材が朽ち、ところどころ落ちていて、そこからわずかな光が入ってくる。
地下は、牢屋以外の空間は倉庫になっているようだった。いくつかの部屋に分かれている。がらくたが放置されていた。また、古ぼけた剣がいくつか転がっていた。
暗闇から、何かが動いた。犬くらいの大きさのもの。ウィリアに飛びかかってきた。
ウィリアはそれを斬った。
手応えがあった。二つに斬られて落ちた。
ウィリアは死体を観察した。落ちたものをよく見てみる。
獣ではない。硬い殻に覆われている。
長い六本の足、長い触覚、短い胴体。昆虫の魔物だ。カマドウマが巨大化したもののようだ。
「ひっ……!」
確認したウィリアが後ずさりした。
ゲントがウィリアの顔を見た。
「あ、これ、嫌い?」
「好きな人はあまりいないと思います……」
俗に便所コオロギなどとも言う。家の中にたまに出るので、実害はあまりないわりに嫌われている虫の一つである。
「で……でも、好きとか嫌いとか言ってられませんね!」
ウィリアは気を取り直して剣を構えた。
女の子は不安な顔でいる。この子を無事に届けるまではがんばらないといけない。
三人で気をつけながら歩いた。
そんなに広い建物ではないようだが、暗くて注意しながら歩かないといけない。間取りもよくわからない。脱出するまで、気を抜くことはできない。
ゲントは女の子の左側を守っている。
左側の暗闇になにかいた。飛びかかってきた。やはりカマドウマの魔物であった。ゲントはとっさに風魔法を発した。
しかし風魔法は油光りした殻に跳ね飛ばされた。
魔物はゲントの頭部に飛びついてきた。
「わっ!」
ゲントは必死でそれを引き剥がした。床にたたきつける。すかさずウィリアが斬った。
「わーん!! いやー!!」
女の子が泣き出した。座り込んだ。
ウィリアは困ってしまった。さすがに、抱っこしながら剣を振るうのは難しいし、あぶない。女の子には歩いてもらわなければならないが、この状況では恐怖を感じるのもしかたがなかった。
「な、ナナちゃん、もう少しで出られるから、お姉ちゃんと一緒にちょっと歩いて?」
「いやあー!」
しばらく泣いていた。ウィリアは少しの間困って見ていたが、しゃがみこんで、目線を同じにした。そして女の子を抱きしめた。
「ナナちゃん、お姉さんが守ってあげるから、こわくないですよ。だから、もう少し、がんばって……」
「うう……」
少しして女の子は泣き止んで、立ち上がった。
ウィリアはゲントの方を見た。
ゲントは困った顔をしていた。さっき、風魔法が跳ね返された。あの魔物にはそういう能力があるようだ。
効かないだけならまだいいが、跳ね返されるとなると、女の子に向かってくる可能性もある。危険である。
ウィリアは部屋の隅に落ちていた古い剣を拾って、ゲントに差し出した。
「ゲントさん、魔法は効かないようです。剣を使ってください」
「僕は、武器は……」
「使えますよね?」
「いや、使えない……」
「ゴジュア教会では、メイスを使ってましたよね?」
「あれは、見よう見まねで……」
「見よう見まねにしては、かなり使えていたようですが? とにかく、身を守るものが必要です。魔法が使えないようでは、ゲントさんはただの肉の塊ですよ!」
ゲントは悲しい表情になった。
「あのね、ウィリア、言い方ってものが……」
「あ……すみません。危険性が高いということを言いたかったので、罵倒する意図ではなくて……」
「まあいいよ。でも、剣はなんか怖いし……」
「ザムエン子爵じゃないですけど、単なる鉄の棒として使っても有効ですから、とりあえず持っていてください」
ゲントはしぶしぶ古い剣を受け取った。古びてはいるが錆びてはいないようだ。
女の子を真ん中に挟んで、登りの階段を探す。
何回か、カマドウマの魔物が襲ってきた。それはウィリアが斬った。
薄暗い中、注意して歩きながら、地下階の角のあたりまで来た。
正面に階段があった。
階段は上の方が明るくなっていた。
一方、右側には別の廊下があった。廊下から何かが出るかもしれない。ウィリアは一歩進んで、そちらを確認した。
廊下の先に注意する。特に何もいないようだ。
そのとき、ナナちゃんが走り出した。上の方が明るくなっている階段を見て我慢できなくなったようだ。
「あっ! 待って!」
ウィリアが振り返った。
ナナちゃんが階段を上る。しかし途中に、カマドウマの魔物がいた。三匹ほどが固まっていた。
「わーっ!」
ナナちゃんが悲鳴を上げた。
三匹が一度に飛びかかってきた。ナナちゃんを襲う。
ウィリアは駆け寄るが、間に合わない。
ビュッ。
鋭い音がした。
魔物は三匹が一度に斬られ、落ちた。
ナナちゃんの前にはゲントがいた。咄嗟に踏み込んで、魔物を斬っていた。
「わーん!」
ナナちゃんが泣いたので、ウィリアが抱きしめてなだめた。
ウィリアはゲントを見た。
剣を持ちながら、硬い表情で立ちつくしている。
ウィリアは言った。
「……使えるじゃないですか」
「……」
ゲントは無言のままだった。
ウィリアは魔物の死体を見て、その切れ口をじっくりと観察した。
「……」
三人は注意しながら階段を上り、地下階を脱出した。
雨は止んでいた。
基地を出る。出るときゲントは、剣を部屋の隅に置いた。
ウィリアが女の子を抱き上げた。
森の道を歩く。
しばらく歩く。村結界の中に入る。村門を通った。いくつも建物があり、平和な村のようだ。ここまで来ればもう安心である。
ウィリアに抱かれているナナちゃんは体を乗り出して、降りたそうだった。
ウィリアはナナちゃんを下に降ろしてやった。
「ママー!」
ナナちゃんは民家がある方向へ走り出して行った。
ウィリアはナナちゃんの後ろ姿に手を振った。
「……よかった。怖い思いもさせてしまったけど」
女の子を無事に村まで帰すことができ、肩の荷を降ろしてほっとした。
「うん……よかったね」
ゲントもそう言った。
しかし、声に元気がなかった。
ウィリアはゲントの方を見た。表情が硬かった。悪い予感がした。
ウィリアとゲントは村の宿屋についた。いくつか建物がある大きめの宿屋だった。
「いらっしゃい。どの部屋にしましょう」
ウィリアが受付に言った。
「二人部屋で……あの、離れの部屋がありますよね。あそこは空いてますか?」
「離れだと少しお高くなりますが、いいですか? ならご用意できます」
二人は離れの部屋に入り、休んだ。
夕方、ナナちゃんとそのお母さんが宿屋までやってきた。何が起こったのかを聞いて、わざわざお礼に来てくれたのだ。
「本当に……なんとお礼を言っていいか……ありがとうございます。ほらナナちゃん、ありがとう言いなさい」
ナナちゃんはお母さんに隠れてはずかしそうにしていたが、促されて前に出て、お礼を言った。
「おねえちゃん、おにいちゃん、ありがと……」
ウィリアはナナちゃんを抱きしめた。
「怖い思いさせてごめんね。元気でね」
その夜、ウィリアとゲントはそれぞれのベッドで寝た。
深夜。
「うわああああ!!」
悲鳴が上がった。ウィリアは目を覚ました。
ゲントがベッドの上で半身を起こしていた。かすかに震えていた。
悪い予感が当たった。離れを取っていてよかった。近いと他のお客さんの迷惑になるところだった。
「……」
ゲントは上体を起こしたまま、しばらく動かなかった。
ウィリアも起きた。スリッパを履き、ゲントのベッドまで歩いた。
ゲントは上体を起こして、硬直している。
ウィリアはゲントの横に腰掛けた。そしてゲントを抱きしめた。
「!」
ウィリアが語りかけた。
「ゲントさん、あなたはわたしが守ります。なにも怖くありません」
「……」
ゲントもまた、手を彼女の背中に回し、抱きしめた。
やがてゲントはその手をゆるめた。
「……ウィリア、ありがとう。もう大丈夫だ。戻って眠ってくれ」
「……いいんですか?」
「ああ、いいんだ。起こして悪かった。おやすみ」
ゲントは横になり、頭まで布団をかぶった。
ウィリアも自分のベッドに戻って、もう一度眠りについた。