宿屋の夜
「やあーっ!!」
ウィリアは剣を振った。
相手は、人ほどもある巨大な鼬。それは剣を避けて、後ろに跳ねた。
「くっ……」
森の中。
この森では、旅人が切り刻まれて無惨に死んでいる事件が度々起こっていた。魔物のためと思われていた。
ウィリアは魔物を倒しに来た。森の奥へ進んで、出てくるのを待つ。表れたのは巨大な鼬。もちろん魔物化した獣である。
それは巨大で鋭い爪を持っていた。ウィリアを襲った。だがウィリアは素早く避けた。
次に、同行者のゲントを襲ってきた。ゲントは荷物を背負っていたので素早くは動けなかったが、体を開いて爪の襲撃を逃れた。
攻撃が外れたところにウィリアが踏み込む。獣はその剣をかわし、飛び退いた。
獣も、ウィリアも、動作は素早い。同じくらいのスピードを持っていた。
ウィリアは剣で、鼬は爪で相手を斬ろうとする。相手の攻撃を避ける。
決定打は出せない。
鼬は飛び退いて、ウィリアを見た。そして、風を起こし、風の刃でウィリアを攻撃しようとした。
風魔法がウィリアを遅う。ウィリアは以前にも風魔法を使う相手と戦っていた。黒水晶の配下とみられる魔人タイガは、やはり爪の攻撃と風魔法を武器にしていた。
風の刃が迫ってくる。ウィリアは剣で風の刃を叩く。致命傷になる攻撃をはねのけることができた。しかし、いくつかの風の刃がウィリアに当たり、それは顔や手足を傷つけた。
「う……」
激痛が走る。
背後にゲントがいた。荷物を置いて身軽になっている。ウィリアが傷ついた次の瞬間、治癒魔法を発動させてそれを治療した。
「……ありがとうございます!」
ウィリアは再度、鼬に向かった。
鼬はまた、風魔法を飛ばしてきた。
今度はゲントも風魔法を発動させた。鼬の風魔法とゲントの風魔法がぶつかり合って、風の刃は途中で力を失った。
ウィリアが踏み込む。
剣を振るった。
鼬は、二つに切られて絶命した。
「ふう……」
ウィリアは一息ついた。
しかし、森の木々が動いた。枝をかきわけて何かが出てきた。
鼬であった。しかも二体いる。
「一体ではなかったのか……!」
二体のうちの片方は、爪でウィリアに襲いかかってきた。それは避けたが、同時にもう一方は風魔法を放っていた。
ウィリアとゲントの体に、多くの傷が付いた。
ゲントは治癒魔法を使って、傷を癒やす。ウィリアは鼬に向かって踏み込む。
片方を斬ろうとしたが、もう片方が攻撃してきた。爪で攻撃してくる。爪はウィリアの顔に当たり、頬を切り裂いた。
激痛。
斬られても、ゲントが治癒魔法を使う。傷は治された。
次は二体がゲントに向かってきた。ゲントは強力な風魔法を放ち、二体の鼬を空中にふきとばした。
体勢の崩れた一体を、ウィリアが斬った。
残された一体。興奮して、背後からウィリアに飛びかかってきた。
だが、ウィリアは背後にも隙を作っていなかった。鼬の位置を気配で把握し、振り向きながらそれを斬った。
「はあ、はあ……」
ウィリアは息をついた。
ゲントも疲れていた。
「強敵だった……」
「ええ……」
ゲントはウィリアの前に立って、残っている小さな傷を治癒魔法で治した。
「ゲントさん、ありがとうございます。……一人では勝てませんでした」
「お礼はいい。君と一緒に戦うことが、僕の修行にもなっている」
二人は周囲を見回した。
「魔素の感じが薄れています……。他に大物はいないようですね」
森の隙間から空が見える。空の色は灰色になってきていた。
「次の宿に急ごう。雨になりそうだ」
二人が次の村について、宿に入ったのは夜になってからだった。
宿に入った直後に雨が降りだし、それは激しくなってきた。
二人は一室に泊まった。トイレと洗面所つきの部屋で、ベッドがひとつある。
ウィリアが言った。
「ゲントさん、かなり魔力を使ったでしょう。今夜は手をつないで寝ましょう」
一晩手を握りながら眠ると、ゲントの魔力が回復する。
「う、うん……」
ゲントは窓を見た。
「薬草を採ってきたいが……」
「え? さすがにこんな雨ではやめた方がいいですよ。風邪をひくかもしれません。それに方向を見失う恐れもありますよ」
「……うん、そうだな……」
ゲントはベッドの右側で寝ていた。。
ウィリアも寝巻に着替えた。ランプの火を消す。
季節は夏に入っている。掛ける毛布は薄い。ウィリアは左側からゲントがかけていた毛布をめくり、中に入った。そしてゲントの左手を握った。
以前は、ゲントの魔力回復のためにセックスをしていた。ある日、ゲントが毒に冒され苦しんだので、ウィリアは心配して一晩手を握った。すると朝には魔力が回復していた。そのことから、セックスをしなくても手を握るだけで回復することがわかった。以来、この方法をとっている。
ウィリアも、男性に性欲があるということは理解している。手をつないでいる間、ゲントはセックスしたいけど我慢しているのだろう。
もしかしたら気が変わって、襲ってくるかもしれない。そうなったらそうなったで、しょうがないと思っていた。
しかし、手をつないで何度も寝たが、ゲントが襲ってくることはなかった。ありがたかった。
いまは、一緒のベッドに入っても、安心して眠ることができる。
ウィリアは子供の頃を思い出した。普段は一人部屋で寝ていたが、どうしても寂しいとき、頼んで両親と一緒に寝せてもらうことがあった。父と母の間に入って、川の字になって寝た。そういう夜は楽しかった。
ゲントと手をつないで寝るときも、似たような感覚があった。手を握り、人のぬくもりを感じながら眠るのは、悪い気分ではなかった。
兄というのがいれば、こんな感じかな……。そう思いながら、ウィリアは眠りについた。
深夜。
ゲントは目が覚めた。
左横にはウィリアが眠っていて、手をつないでいる。
窓の方を見た。激しかった雨は通り雨のようで、晴れて月が見えている。
月の光が入り込み、ウィリアの寝顔を照らしていた。ゲントはそれを見た。
「かわいい……」
魔物や野盗と戦うときは鬼神のような顔になるウィリアだが、眠っているときは穏やかだった。顔立ちが幼いので、無垢な少女のようにも見えた。
その罪のない顔を見ていると……。
ゲントの中で、悪い思いがむくむくと湧き起こってきた。おもに下半身を起点として。
ゲントがウィリアと手をつないで寝るときは、いつも事前に、賢者になるための行為をしている。自分を抑えるため、念入りに。
しかし今夜は、雨が降っていたのでできなかった。血が熱いままだった。なかなか眠れなかったのをなんとか寝ようとしてみたが、眠りは浅く、目が覚めてしまった。
ゲントは思った。なんでこんなつらい思いしなければならないんだろう。
そもそもなんで、こんなかわいい女の子と一緒のベッドで寝なければならないのだ。いや、かわいい女の子と一緒のベッドで寝ること自体に不満はない。問題はそれ以上のことを行えないということだ。
だいたい、手をつないで寝ることで魔力を回復してと頼まれたとき、なぜ承諾してしまったのか。どうしてもという話でもなかったし、「それは無理だ」と断ればよかっただけではないか。自分のバカさ加減に腹が立つ。
ウィリアに悪気がないことはわかっている。彼女は、魔力回復が主で、性欲は従と考えている。たしかに、必要性で言えばそうだ。しかし人間には、必要性よりも重要なことが時にある。
ウィリアと交わったことがなければ、あるいは我慢できたかもしれない。だが、以前に何度も体を重ねていた。それがどんなにすばらしい体験だったか、心と体が覚えている。
夏の夜で、ウィリアは薄手の寝巻を着て寝ていた。
ゲントは彼女の寝巻姿をじっと見た。そして想像を巡らせた。この服の下には一糸まとわぬ裸体があるのだと思うと、いやたいていの場合そうなんだけど、悪い思いがどんどん増大して、限界が近づいてきた。
ゲントの息づかいが荒くなった。
「我慢できなくなったと言えば、わかってくれるよな……」
右手をウィリアの方に伸ばした。
そのとき、左手が強く握られた。ゲントはぎょっとした。
ウィリアの眉間に皺が寄った。寝言を言った。
「お父さま……」
閉じた瞼から、涙が一滴こぼれた。
父を喪ったつらい日のことを、夢に思いだしているのだろうか。
「……」
流れる涙を見て、ゲントの中の何かが、急速に萎えていった。
ゲントはしばらくウィリアを見つめ、右手を引っ込めた。
「……守ろう」
ウィリアの手を握ったまま、ゲントは目をつぶり、眠りに入ろうと努力した。