ブレンニング領国(1)
ウィリアとジェンは王都に向かっている。
ジェンは旅人服であり、薬が入った荷物を背負っている。また大剣も一緒に背負っている。
ウィリアは鎧を着込んでいる。旅の荷物を背負っているほかに、手にはトランクケースを提げている。
砂漠の家で、二人に能力を与えた魔道士ランファリは命を落とした。その研究成果が二人に託された。
ウィリアが持っているトランクケースの中に、ランファリが生涯をかけて研究した内容が入っている。最後の願いで、王都にいるカルノという魔法使いに渡さなければならない。
ウィリアが言った。
「ところで、この研究成果を託すのは、カルノという方と言われましたが、カルノさんって、フレイさんの親御さんでしょうか?」
フレイ・カルノはジェンの旧友の魔法使いで、いっとき三人で旅をした。
「おそらくそうだろう。彼女のご両親は、王城で研究者をしていると言っていた。弟子だったのがお父さまなのかお母さまなのかはわからないけど」
魔道士ランファリは詳しいことを言わなかった。ともあれ、着けばわかるだろう。
二人は、ヒブリス伯爵家が治めるブレンニング領国領を通った。夕方近くになっている。次の宿場町はまだ遠い。着くのは夜になりそうだ。
ぽつり。
「あ……」
さっきまで晴れていたのに、急に降ってきた。
大雨で、視界も悪くなる。
「まずいぞ」
旅の装備なので少しくらいの雨なら問題ないが、あまり強いと体を濡らしてしまう。それにトランクも濡らしたくない。
雨宿りができるところがないかと走った。
やや大きい建物があった。
「ここは?」
「軍の宿泊所らしいな」
簡易な建物で、庇などはなかった。
入口にはカギがかかっている。
「すみませーん」
ノックしても返事はない。誰もいないようだ。
「……」
ジェンは鍵穴に風魔法を吹き入れ、開けた。
中に入る。
ウィリアが不安そうに言った。
「いいんでしょうか」
「よくはないんだけど、この雨はそんなに長く続かないだろうから、その間だけお邪魔しよう」
入口付近で一息つく。
ウィリアは荷物から濡れてない布を取り出し、トランクを拭いた。
まだ雨は激しい。雷も鳴ってきた。
しばらく待つ。
徐々に雨が弱くなってきた。
小降りになった。
ウィリアが言った。
「そろそろ行けそうですね」
ジェンも窓から外の様子を見て、出る準備をした。
そのときだった。
急に扉が開いて、軍人たちが入ってきた。
「!」
先頭にいた軍人は二人に問いかけた。
「なんだ! 貴様らは!」
「あ、あの……」
「俺たちは怪しい者ではありません。旅の者です。急な雨に降られて、雨宿りに入りました」
「ブレンニング領国軍の宿舎と知ってのことか!」
「すみません。誰かの建物とはわかっていましたが、強い雨で、つい」
「どうやって入った?」
「あの、カギが開いていたので」
「嘘をつくな! 閉まっていたはずだ」
「い、いえ、開いていて……」
「閉まっていた。今朝出るとき、私が確認したのだ」
「あ……」
「とにかく、ただで返すことはできん。調べさせてもらう。おい、身体検査をしろ」
先頭の軍人は指揮官らしい。他の者に指示して、ウィリアとジェンの身体検査をさせた。
ジェンはウィリアに視線を送って、ここはおとなしくしておこうと示した。ウィリアも無言で同意した。もしもの場合は、身分を明かすという手がある。
ウィリアの剣、ジェンの大剣は没収された。
「なぜ旅商人が大剣を持っているのだ」
「あの、剣士さまの持ち物です」
「本当か?」
ウィリアはいちおう頷いた。
別の兵士がトランクケースを調べている。
「あっ、それは!」
「これも調べさせてもらう」
トランクは開かない。
指揮官がジェンに言った。
「カギを開けろ」
ジェンが困った顔で言った。
「いえ、カギはかけてないです」
兵士が開けようと苦戦している。
「開かないぞ。おい、解錠魔法を使える者はいないか?」
軍人の集団には何人かの魔法使いが交じっていた。そのうちの一人が進み出て、トランクに解錠魔法をかけた。
「……」
トランクは開かない。
「おい、どうした?」
「すみません。私の解錠魔法では開きません。かなり強力な封印がかかっているようです」
トランクケースは魔道士ランファリの家にあった物だ。荷物を守る魔法がすでにかけられていたらしい。
「ああもう、じれったいな……」
兵士はトランクに剣を差し入れてこじ開けようとした。
雷が放たれた。
「ギャアアアア!!」
こじ開けようとした兵士がはね飛ばされた。
指揮官が再度ジェンに言った。
「おい、おまえ、封印を解いて開けろ」
「いえ、あれは我々のものじゃないです。預かり物で、運んでいただけです」
「どこに持って行くのだ」
「王城に」
「王城? 中身はなんだ」
「重要な魔法についての研究成果が入ってます」
「……」
指揮官は難しい顔になった。何者だこいつは、という表情である。手を出してはいけない人物の可能性も考えたようだ。
「……くわしく話を聞きたいが、早朝訓練から戻ったところで、我々は疲れている。明日話を聞く。事情によっては解放してもよい」
「ありがとうございます」
「しかし今夜は牢で寝てもらうが、いいか?」
「はい。不服はございません」
二人は牢屋に入れられた。
いくつか牢があり、隣り合った部屋に入った。
簡易的だがベッドもトイレもついていて、そこそこ快適に過ごせそうである。野宿よりはいい。
隣り合っているので、顔は見えないが話はできる。
「ジェンさん、明日、どうしましょう」
「うーん。もう、正体も含めて正直に言った方が早い気がする」
「それだと、王城まで護衛をつけますという話になりませんかね」
「そうだなあ。面倒だし、手間かけさせるのも気の毒だな。まあ、無断で入った俺が悪いんだけど……」
暗くなるが、まだ寝るには早い。話をしながら時間が過ぎるのを待つ。
そうしていると、足音がした。
牢屋に複数の人が来る。
五人ほどの兵士がウィリアの牢のカギを開け、入ってきた。
ウィリアはベッドに座ったまま、彼らの方を見た。
「なにかご用でしょうか」
さっきの指揮官と比べると下の方の兵士たちらしい。手前がやや年長のようだ。それが一歩進んだ。
「ちょっと、身体検査をさせてもらう」
「身体検査ならさきほどしたはずですが」
「もうちょっと詳しくだな。へへへ……」
近寄ってきた。
ウィリアは座ったまま彼らを見た。
「用件によりましては、こちらもそれなりの対応をさせていただきます」
そう言いながら、彼らを睨んだ。
鋭い目だった。
兵士たちの動きが止まった。
年長の兵士の額に、汗が流れた。
ウィリアの発する、ただならぬ殺気。位が下でも武人なので、察知したようだ。
「へへ……へ……。じょ、冗談だよ……。邪魔したな。おい、出るぞ……」
兵士たちは牢から出て行った。
廊下で若い兵士が言った。
「軍曹どの、なんでやめちゃったんですか?」
「バカ、わからなかったのか。あれはヤバい。マジでヤバい。ことによっては命が危ない」
「へえ、そんなに? でも、そんな奴なら、なんでおとなしくつかまってるんですか?」
「それは知らん。とにかくもう、手を出すな」
隣の牢からジェンの声がした。
「加勢するまでもなかったようだね」
「ええ……」
ウィリアは落ち込んでいた。
「正規軍でも、こんなものなのですね……」
「そうだな。俺の父は厳格な人だったけど、その軍隊でもこの手の問題は排除しきれなかったらしい」
「平時でこうでは、戦争ともなれば、数え切れない不正や非道が起きるのでしょうね……」
ウィリアはユージオの街で会った、ファグ族の人を思い出していた。
夜空に月が出ていた。
宿谷の明かりが消える。
そこに近づく者がいた。
鎧を着た男がいた。軍人風の男。頭から角が生えていた。
その背後には数百の、黒い革鎧を着た兵士たちがいた。
「ここか……」