砂漠の家(3)
その後も二人はランファリの家に留まった。
ウィリアがそれとなく、教えを授けてくださいと頼んでみたが、
「その黒水晶に勝てるやつを連れてこい。そしたら教えてやる」
と言って、教えてくれなかった。黒水晶に勝てるやつと言っても、王国中探してもそんなのはいない。
「俺が教える気になったら教えてやる」
とも言っていた。
とにかく機嫌を損ねないように、二人はランファリに従った。部屋の掃除やらなにやらを命じられた。そのうち命じる仕事がなくなって、ふだん使っていない銀器をみがくなど、やってもやらなくてもいいような仕事をさせられた。
無為に数日が過ぎた。
ウィリアは仕方ないと耐えていた。しかし、ジェンの方は、表情が暗くなっていった。
その日も三人で昼食を食べた。
食後のお茶を飲む。
「ぐっ……!」
ランファリが胸を押さえた。
ウィリアが立ち上がる。
「先生……!」
「あ、慌てるな。大丈夫だ……」
ランファリは手を胸に当てて、治癒魔法をかけた。
「ふう……」
息をつく。
それを見ていたジェンは、思い詰めたような顔になった。
そして、テーブルに手を付いて、言った。
「先生……!」
「なんだ」
「失礼ではありますが、先生の生命力は少なくなっています。我々がここに来てからも減少しています。強い戦士を探しに行っていては間に合わないと思います。このままでは、なにも伝えていただけないままになってしまう可能性があります。どうか、教えをお授けください……!」
頭を下げて頼んだ。
ランファリはジェンをじろりと睨んだ。
「なにか。要するに、俺がそろそろくたばるから、勿体ぶらないで教えろと言いたいわけか」
ジェンは頭を下げている。
ウィリアは、ランファリが機嫌を損ねるのではないかと心配して、二人の顔を交互に見た。
「生命力が少ないだと……。んなこたあわかってる!」
ジェンはじっと頭を下げていた。
「だが……」
ランファリは椅子から立ち上がった。
「正直なところは褒めてやる。こっちへ来い」
二人はあわててランファリを追った。
ランファリは研究室のドアを開けた。
「入れ」
入らせてくれなかった研究室に、二人は入った。
中は意外と広かった。そして、大量の書物と、きわめて複雑な魔法機械で一杯になっていた。
「魔界について研究した、というとこまでは話したよな」
「ええ」
「この世界と、魔界がどう繋がっているか、俺はずっと研究してきた。そしてわかったのは、この世と魔界では『次元』が違っているということだ」
「次元?」
「この世界には、三つの次元がある。どんな物にも、前後、左右、上下ってのがあるだろう。三つの次元があるのは魔界も同じだが、この世界とはその一部が異なっている」
「……」
二人はなんとか理解について行こうとした。
「まあ要するに、この世と魔界は交差していると考えればいい。魔界にいるやつは交差したところ、特異平面というが、それを越えてやってくるわけだ。俺がしていた研究は、この世にはない『次元』を認識し、それを越えるというものだ」
ランファリは魔法機械を見た。
「そしていちおう完成し……俺は自分を実験台にして、次元を認識できるようにした。さらに、特異平面から、魔界へ行ってみた」
「魔界へ!?」
「危険なのはわかってた。だから頑丈な鉄球に入って、向こうの空気も吸わないように用心して行った。だが、わずか数分で、人間がいるべき場所ではないと悟った。空気が繋がっていなくても、大量の魔素や魔障が入り込んでくる……。その上、魔の波動と、エネルギー化された悪意や怨念にさらされた。慌てて現世に戻った。さらに数分いれば帰って来れなかっただろう」
部屋の隅には、魔界へ行くのに使ったらしい鉄のカプセルが置いてあった。
「お前らの言う黒水晶の能力はおそらく、特異平面を作り出し、別の次元への扉を開く能力だ。それに対抗するには、別の次元を認識する能力を習得しなければならないだろう」
「別の次元を認識する……」
「そんなことが、可能なのですか」
「俺が以前やったことだ。だがな、これにはかなりの手間がかかる。準備もだ。魔法力、材料、いろいろ貴重なものが要る。とりあえずはあと一回しかできねえ。……やるか?」
「お願いします」
「お願いします」
二人は頭を下げた。
「……」
ランファリは二人をじっと見つめた。
「いいのか?」
「もちろんです。お願いします」
「一回しかできない。次にやろうとしても何年もかかる。とすると、この能力を持てるのは、お前らだけだ」
「……?」
「わかるか? やったら、もう逃げられなくなるんだぜ?」
「あっ……」
卓越した能力には責任が伴う。
世界で可能な人間が自分たちだけだとしたら、逃げることはできない。黒水晶を倒すために人生を捧げなければならない。
ウィリアはその覚悟ができている。
しかし、ジェンは以前、黒水晶を倒す気はないと言っていた。
ウィリアはジェンを見た。
彼はランファリをまっすぐ見て、頭を下げた。
「おねがいします」
それを見て、ウィリアもまた頭を下げた。
「お願いいたします」
「……いい度胸だ。わかった。この力を与えてやる。お前ら、そこの機械へ……。いや、ちょっと待て」
ランファリは二人を置いて、研究室の内部をいろいろ探し回った。
数十冊のノート、大量の資料、書籍などを取り出し、まとめてトランクケースに詰め込んだ。
「俺の今までの研究成果だ。お前らに頼みがある。作業が終わったあと、これを弟子に届けてくれ。カルノという魔法使いで、王城の魔法省で研究者をやってるはずだ。弟子の中ではわりとできたやつだ」
ジェンが真剣な表情で頷いた。
「わかりました……。かならず届けます」
「じゃ、機械のそこへ立て」
二人は魔法機械の、円形になっている場所に入った。
ランファリは魔法機械の制御盤近くに立った。
「じゃ……」
と言ったが、ややしばらくの時間が流れた。
「……?」
ウィリアはランファリの顔を覗き込んだ。
その皺深い顔がいっそう深くなっていた。目をつぶって、そして、目からは涙が流れた。
「ラ、ランファリ様、どうなさったのですか!」
「……ああ、悪いな。俺は、自分が情けねえんだよ。お前らみたいな若いやつらに押しつけて。もっと若けりゃ、一緒に暴れられたんだけどな。もう何もしてやれねえ。年は取りたくねえもんだ……」
「……」
二人は老人の涙を見た。
ランファリは首を振って気を取り直した。
「すまねえな。湿っぽくなっちゃいけねえや。じゃ始めるぞ。見てろ! 俺の研究成果!」
ランファリの手から、多量の魔力が魔法機械に流れた。
機械が動き出した。
周囲が明るくなった。
ウィリアとジェンの周囲に、なんらかの「場」が現れて、肉体に影響を及ぼした。
いままで経験したことのない感覚がわき起こった。
周囲は魔法機械のはずだが、それ以上のなにかを感じた。
すべてのありうるもの。あり得たもの。その存在が奔流のように二人の意識に流れてくる。
無数の星がきらめくよう。
それは意識と精神の深いところまで達する。
この宇宙の背後に、無数の別の宇宙が存在するのだと、はっきりわかる瞬間があった。
「……」
「……」
光が消えた。
まるで、宇宙の誕生から終末までを通り抜けたような感覚があった。
しかし、実際にはほんのわずかの時間だったようだ。
二人は今の経験を思い出してみたが、言葉で表現することは不可能だと思った。
周囲はさっきと変わらない、地下の研究室だ。
ウィリアは横を見た。
老人が倒れていた。
「ランファリ様!」
ウィリアとジェンがかけよる。
息はなかった。
ジェンは無言で首を横に振った。生命力が、もはや残っていなかった。
二人はもう一日逗留して、ランファリの墓を作った。砂漠に埋め、ありあわせの木材で墓標を立てた。
埋葬し、深く拝んだ。
「よし、ウィリア、行こう」
「行くって……?」
「最後に頼まれたことだ。届けなければならない。行くんだ。王城へ」
王国南部、フレットの街。
引退した魔法用具職人であるトース老人。自宅の台所で酒を飲んでいた。
かすかな音がした。
カ、カ、カ、カ。
「?」
周囲を見回す。
隅に置いた酒瓶から音がしていた。
魔道士ランファリが街を出るときにもらったやつだ。少し前、これを使って若い旅人たちに、彼の居場所を占ってやった。
酒瓶はカタカタと震えだし、だんだんそれが大きくなった。
バリン。
瓶が割れた。
「……」
トース老人はその様子を見た。
「そうか。あいつ、くたばったか……。あの二人、会えたかな……」
もう一口、酒を飲んだ。
「ランファリ。お前とはよく飲んだな。まあ八十過ぎまで生きてたら立派なもんだ。俺ももうじきそっちに行くから、向こうでまた飲もうや」