ワイク農場(1)
二人の男は荷馬車から降り、草むらに倒れている男女を見た。
「し、死んでる?」
「いえ、生きているようです」
呼吸はしている。
老人が二人に声をかけた。
「もしもし、そこの方」
男女は薄目を開けた。
「あ……」
「はい……」
「どうしたのですか」
「だ、だいじょうぶです。疲れているだけです……」
老人は、二人が持っている剣を見た。女性が持っているのは赤く輝く剣。男性が持っているのは、身長ほどもありそうな大剣。
「少し向こうに、魔物の死骸がありましたが、もしやあなた方が斬りましたか?」
「あ……そうです」
男女の息は荒い。そうとう疲れているようだ。
農家風の男が言った。
「魔物を倒してくださったか。そりゃあありがたい。うちにお泊まりください。荷台には干草がありますから、その上にどうぞ。歩けますか?」
「は、はい、なんとか……」
女の方はふらふらと立ち上がった。
男の方が言った。
「あ……。すみません。その辺に荷物があると思うのですが、できればそれも……」
老人があたりを見回した。大きな荷物と小さな荷物が転がっていた。それも荷馬車に積む。
男女二人を乗せて、荷馬車はまた走り出した。
老人は荷台を振り返った。
よほど仲がいいのか、荷台に寝た状態でも、男女は手をつないでいた。
ウィリアとジェンが連れてこられたのは、大きな農場だった。
広大な畑がある。牛もいるようで、丘に放牧されている。
連れてこられたときの二人は、まだ生命力が回復していない。農場の人に詳しい話をすることもできず、とりあえずベッドに寝ろということになった。
用意してもらった一室に寝る。二人で一つのベッドだった。
二人は手をつないで寝た。
朝日が差し込む。
ウィリアは目を覚ました。
見慣れない部屋だ。
「ここ、どこ……?」
考えて思い出した。荷馬車の人に助けてもらったのだ。
そういえば来る途中に畑や放牧場が見えた。農場らしい。
ジェンも一緒に寝ている。無意識に抱き合っていた。
体を離す。
「ジェンさん……」
「ん」
ジェンも目を覚ました。
「あれ? ここは?」
やはり寝ぼけているようだ。
「農家の方に助けられたようです」
「そうか……。助けてもらったんだっけ」
戦いで体力を使い切っていた。別の魔物が現れていたら危なかっただろう。
二人で上体を起こす。
「ジェンさん、体はどうですか」
「まだ回復しきってはいないが、起きるくらいはできそうだ」
「わたしもです。起きてお礼を言わなければなりませんね」
「魔力は完全に回復している。君のおかげだ」
「そういえば……」
ウィリアは周囲を見た。ベッドの近くのテーブルに、ウィリアの剣とジェンの大剣が置かれていた。
起きて、大剣を握ってみる。
「精霊さま……」
返事はない。
「……精霊さま、昨日の戦いで、消滅してしまったのでしょうか……」
ウィリアが寂しげに言った。ジェンも顔が曇った。
「わからないな。しばらく待とう」
部屋から出る。
大きな家のようだ。
人の気配がする方に向かう。
食堂に人が集まっているようだ。
「あのー……」
大きなテーブルが二つある。食堂には十人以上いて、朝食を取っていた。ウィリアとジェンに目線が集まった。
主人らしき人が言った。
「おお、おめざめですか。具合はどうですかな」
「もう大丈夫です。あの、昨日は助けていただいて、本当にありがとうございます」
「いや、魔物を倒してくださったそうで、こちらこそお礼を言わなければなりません。まずは朝食をどうぞ。お座りください」
席に座った。目の前にはパンの籠がある。自由に取って食べるようだ。
もう一つのテーブルに座っている中年男が主人のようだ。隣の女性は奥さんらしい。若い男は息子だろうか。その隣の席は空いていた。さらに、子供が三人座っている。末席には、昨日荷馬車に乗っていた老人がいた。
ウィリアたちが座ったテーブルでは、若い男たちが何人かパンにかじりついている。家族ではないらしい。農場で雇っている小作人のようだ。
ウィリアとジェンも、パンに手を伸ばした。
そのとき、二人のところに来る人がいた。
「これを」
女性だった。二十代後半だろうか。きれいな顔立ちをしている。
二人にそれぞれ皿を渡した。
「ベーコンとチーズです。パンの付け合わせにどうぞ」
「ありがとうございます」
二人はお辞儀をして受け取った。
顔を見る。よく見ると、目をつぶっていた。
「?」
もう一度見る。わずかに開いた目を見た。そしてわかった。白く濁っていた。目が見えないのだ。
「……」
しかし足取りは確かで、息子の隣の席に座り、自分の食事をとりはじめた。
農場主一家の名はワイクと言って、ここはワイク農場というらしい。比較的大きな農場で、一緒に朝食を取った若者や、近隣の人を雇っているそうだ。
朝食後、ウィリアは自分のことを語ることになった。
詳しいことは言わなかった。修行の旅をしているとだけ言った。
「……それで、あの森を抜けようとしたのですが、魔物に襲われてしまって。なんとか倒しましたが、体力を使い果たして……」
「そうですか。それは大変でしたな。ところでお連れの方、ジェンさんと言いましたね。あなたも剣士ですか?」
「いや俺は剣士ではなく、薬屋で……」
「薬屋にしては、だいぶ大きな剣を持ってましたが?」
「あ、あの、本職は薬屋なのですが、剣士にも憧れていて、彼女と一緒に修行をしています」
「そうですか。しかし、なんでまたあんな大きい剣を?」
「いやー、大きい方がかっこいいし」
なんとかごまかす。
「つまり、夫婦で修行の旅をしているというわけですか」
ウィリアがあわてて否定した。
「あ、その、夫婦じゃないんです」
「ああ、結婚式はまだですか」
「いえ、その……」
婚約者とか恋人ではない、と言おうとしたが、そこで思い出した。この主人には、倒れたとき手をつないでいるところを見られている。あれで恋人でないと主張するのは無理がある。
「……まだなんです。そのうちしようとは思っていますが……」
ジェンも理解して、乗っかった。
「は、はい、そう思っていて……」
主人の奥さんは小さな孫を抱いていた。二人に語りかけた。
「するんだったら、早い方がいいですよ。お二人は親御さんはいますか?」
「いえ、どちらも両親を亡くしています」
「それは残念ですね。でもね、若い人はなるべく子供を作って、親御さんを安心させた方がいいですよ。たとえ死んでいてもね。孫はかわいいものですから」
「は、はあ……」
「うちもね、この子が」
さっき皿を運んできてくれたお嫁さんを見た。
「おなかに四人目がいるんですよ」
息子と嫁は少し恥ずかしそうな表情になった。
「そうですか。おめでとうございます」
「今から楽しみで」
穏やかな性格の一家らしい。小作人も含めて、和気藹々《わきあいあい》とした雰囲気で会話が進んだ。
テーブルの隅に座っていた老人は、特に何も言わず、朝食後の会話を聞いていた。
体力は本格的には回復していない。二人は主人に、もう二三日泊めてほしいということと、その間農場を手伝うことを申し出た。
主人は、魔物を倒しただけでもありがたいのだから手伝わなくていいと言ったが、それも悪いのでお願いして手伝うことになった。
ジェンは牛の世話に行った。作業員に交じってワラを運んだり、牛の体を洗ったりした。
「兄ちゃん、慣れてんな。牛の世話したことあるのか?」
「牛は初めてですが、馬小屋のバイトをしたことがありまして」
ウィリアは洗濯物の手伝いをした。
朝食でベーコンを持ってきてくれた女性は、一家のお嫁さんだった。名前をティナと言った。
やはり目が見えないようだ。
ティナさんが洗濯をし、ウィリアがそれを干す。洗濯物は多かった。家族に加えて、住み込みの小作人の分もあるらしい。
「ティナさん、干し終わりました」
「ありがとうございます。もう一山ありますから、ちょっと待っててくださいね」
洗濯板を使って大量の服を洗う。
洗い終えた服をウィリアに見せた。
「ウィリアさん、きれいになってるか見ていただけますか」
「はい。きれいです」
「ありがとうございます。私、目が見えないものですから、ときどき汚れを残しちゃって。泥汚れなんかは手触りでわかるのですが、わかりにくいものもあって」
ティナさんは次々と洗っていく。
ウィリアはできあがりを待っていた。ふと声をかけた。
「目が見えないとのことですが、それはいつから?」
「子供の頃からなんです。最初は見えていたらしいんですが、野盗に襲撃されたときに閃光を浴びて見えなくなったらしくて……」
「野盗に襲撃?」
「私は小さいときのことを覚えていません。だからヴァルダーさんに聞いた話なんですが……」
「ヴァルダーさん……。あ、剣を持ったおじいさんですね」
「はい。私の両親は、旅の商隊を率いていたそうです。ですがこの近くを通ったとき、野盗に襲われて全滅しました。ヴァルダーさんは商隊の用心棒でしたが、両親が死ぬ寸前に私を託し、小さかった私とヴァルダーさんだけが逃げ延びました。
たまたまこの農場に行き着いて、ヴァルダーさんが働くことになりました。
ここの皆さまは、見ず知らずの私をまるで子供のように育ててくださって……。夫のオクトスとも兄妹のように育ったのですが、年頃になると結婚しようと言ってくれて……。
ヴァルダーさんも私を大切にしてくれます。両親に大恩があるとかで、孫のような私を『ティナ様、ティナ様』と呼ぶんです。様はやめてと言ったこともあるのですが、そのままで。
両親がいない私にとっては、あの人が親のようなものです。初対面の人には怖いような印象があるらしいのですが、本当はとっても優しい人です。私の結婚式では大泣きしたんですよ」
「へえ……。あのおじいさんが大泣きですか」
「私は本当に恵まれていると思います。せめて、目が見えなくてもできることをと思って、料理、洗濯、編み物をしています。最近は冬に備えて子供たちの着るものを編んでいます。あと、生まれる赤ちゃんのも……」
ティナさんは、幸せそうに微笑んだ。
夕方、ウィリアとジェンは部屋に戻った。
ウィリアは、ティナさんから聞いた話をジェンに語った。
「そうか……。そんなことが」
「ねえ、ジェンさん、ティナさんの目は治せませんか?」
「難しいな。治癒術でも、障害を負ってすぐなら治しやすい。一年二年ならまだ可能なこともあるが、子供の頃からとなると、ちょっと……」
「無理ですか……」
ウィリアは肩を落とした。
「すまない。……しかし今日は、ひさしぶりに労働をした。ちょっと疲れたな」
「わたしもです。稽古とはまた別の疲労感がありますね」
「うん。だけど、充実した感じだ。馬小屋の手伝いを思い出した。なんか、楽しかった」
「ジェンさん、向いてるんじゃないですか?」
「かもしれない。旅が終わったら、農場で働こうかな?」
「いいですね。わたしもそうしますかね」
「一緒に働く?」
「ええ」
そんな日が来ないことは二人ともわかっている。しかし、そうなればいいなと自然に思えた。
ふと、目が合った。
二人は見つめ合った。
ジェンは、ウィリアに近づいた。
肩に手を置いた。
二人の顔が接近した。
そのとき、食堂の方から声がした。
「ウィリアさーん、ジェンさーん、夕飯ですよー」
「あっ! はい! ただいま!」