ユージオの街(2)
その夜ウィリアとジェンは、ふたたび病院に向かった。ジェンは薬の荷物も持っていった。
扉は閉まっている。脇に呼び鈴のひもが出ている。昼間教えられたのでそれを引いた。
「お待ちください」
上の方から声がして、階段を降りる音がした。
扉が開いて、男が出てきた。昼間、医者と一緒に診察していた男だ。ダオと呼ばれていた。
「お上がりください」
入口近くの階段を上がる。どうやら一回が病院で、二階に住んでいるようだ。
部屋に入ると、老いた医師が座っていた。
「おお、昼間の人だな。言ったとおり兄の居場所はわからんが、望みというなら知ってることを話してやる」
「よろしくお願いします」
ウィリアとジェンは医師と向かい合ってソファに座った。古いソファのようで、ところどころに穴が空いている。
「兄ちゃん、大きな荷物持ってるな。そりゃなんだ」
「僕は薬屋です。病院ということで、なにかご入り用の薬がないかと思いまして」
「薬屋ね。湿布薬が切れてたんだが、あるか?」
「はい。ございます」
ジェンは荷物の中から、葉っぱで作った湿布を取り出した。
「筋肉痛や腫れ、切り傷にも効くやつです」
「いくらだ」
「五枚で二ギーン頂ければ」
「ふうん……」
医者は葉っぱの一枚を取って、くるくる回してみた。
「お前さん、治癒師か」
ジェンはどきりとした顔をした。
「な、なぜ、わかりました?」
「この葉っぱは生乾きだ。作ったばっかりだな。自分で作ったのか。そしてこの葉は薬効のないやつだ。だが効きそうな感じはする。治癒力を注ぎ込んで作ったな」
「そ、その通りです……」
「治癒力の湿布がその値段なら安い。できるだけたくさんくれ。他のも見せてもらおう」
「は、はい。ありがとうございます。あの、おねがいですが、治癒師ということは他に言わないでくださいね」
「わかってる。治癒師は貴重だ。下手に噂が立つと、治してくれって殺到するからな。
実は俺も昔、修行はしていた。両親が魔法使いで治癒術も使ってて、兄貴は魔法使い、俺は治癒師を目指してたんだ。
だが俺は能力がなかった。多少のキズを治せるくらいにはなったが、それ以上はいかなかった。あきらめて医者になったんだ」
「そ、そうですか……」
「兄貴の話だったな。とりあえず、お茶出そう。おーい、ダオ、お茶とポット持ってきてくれ」
若い男がお茶一式を持ってきた。
「ああ、それと、もらい物のヨウカンがあったな。あれ出してくれ」
ヨウカンを出してきた。
「それから、飯がまだだ。早く作ってくれ。それからきのうの煮物があったな、あれ温めてくれ。あと漬物切って……」
若い男は医者の言ってることを聞いていたが、急に大きな声を出した。
「うるさい! 黙って待ってろ!」
医者は首をすくめて、おとなしくなった。
小さな声で言った。
「一度にいろいろ指図すると、怒るんだよ。あいつ」
「一度にいろいろ指図しなければいいのでは?」
「人の都合考えるのも面倒でな。まあいいや。兄貴の話だったな。経歴ぐらいは知ってるか?」
「それがあまり……。ランファリ様に関する本がないかと図書館でも探してみたのですが、見つからなくて」
「自分のことを言う奴じゃねえからな。人づきあいも悪いし。俺も最後に会ったのが二十年前だ」
「二十年前……。その後は連絡などは?」
「ほとんど連絡も取ってない。別に会いたいわけじゃないし」
「仲が悪いのですか?」
「仲は悪くないよ。会ってないだけで。まあ良くもないけどね。会えば挨拶ぐらいはする」
「そうですか……」
ウィリアは残念な顔になった。あまり情報は期待できそうにない。
ジェンが聞いた。
「せめて、経歴だけでもお聞かせください」
「俺たちの両親は魔法使いでな。俺たち兄弟も魔法使いに育てるつもりだったらしいが、さっきも言ったとおり俺には能力がなくて、さっさとあきらめて医者になった。兄貴はあきらめなかったな。親には反発してたけど、魔法使いには絶対なる気だった。
魔力はあったんだよ。頭も悪くなかったんだけど、不器用で……。人の三倍くらい練習しないとうまくできないタイプで。魔法学園に進学するときも、浪人したりして。
卒業したときもたいした成績じゃなくて。その後いろいろ修行してたが、あるとき『森の魔女さまのところに行く』って言い出した。周囲の人はやめろやめろと止めたが、どうしてもと言って出発した。
数年ばかり音沙汰がないので、ああ、死んだんだなとみんな思った。俺もそうだ。
ところが、ひょっこり戻ってきた。なぜか弟子になれたそうだ。さすが森の魔女さまだね。あんなのでも、一流の魔道士になってたよ。
その後は有名だから知ってるだろう。あちこちで魔物を倒したり、勇者や聖女と一緒にパーティー組んで、当時現れた魔王を倒したりして。その功績で王城付きにもなったらしいが、とにかく面倒なのが嫌いな性格だから早々に辞めたらしいな。そのあといろんな所回って、しばらく前にフレットの街に居着いたらしいが、そこも引き払って、いまは姿を隠してるとか……。連絡取ったのは、フレットの街にいた頃に便りをもらったのが最後だ」
「その便りとは?」
「たいしたこと書いてなかった。領主が仕事を押しつけてくるとか、訪問者がうるさくて研究ができないとか、愚痴ばっかりだったね」
医者はさらに、彼が知っている魔道士ランファリの道程を話してくれた。修行中、北部のコルナの街にも行ったらしい。そこの土地勘を持っていることは確認できた。
台所にいた若い男が言った。
「先生、できましたよ」
「ああ、夕飯ができたようだ。あんたらまだか?」
「はい」
「食っていけ」
「わたしたちがいただくと、足りなくなるのでは?」
「何回分かいっぺんに作ってるから大丈夫だ。煮物ぐらいしかないが」
悪いような気はしたが、もっと話を聞きたかったのでいただくことにした。
食べながらウィリアが訊ねた。
「ランファリ様は研究をしていたそうですが、なんの研究だったのでしょう」
「わかんねえな。あいつだけじゃなく、魔術の研究なんてのは、秘中の秘だからな。研究していることさえ絶対に言わないやつもいるくらいだ」
「それもそうですね」
若い男も一緒に食べている。三十歳ぐらい。精悍な顔をしている。
ウィリアは疑問に思ったことを聞いた。
「さきほど、『先生』と言ってましたが、息子さんではないのですか?」
「違います。住み込みで助手やってるだけです」
「そうですか。お医者さんなんですね」
「いや、僕は医者ではないです」
「え? でも診察や処置をしていらっしゃいましたが?」
「治療法は教わりましたが、医者にはなれないんですよ。国家試験を受けられなくて」
「それはなぜ?」
「僕、ファグ族なので」
「あ……」
皇太子戦争でエンティスと戦ったファグ族。息子を殺された国王の恨みは深く、ファガール王国を占領した後も、市民権を与えていなかった。
医者が言った。
「まあ息子を殺されて頭に来たのはわかるんだけどよ。国王も陰険だよな。戦後までイヤガラセするこたねえじゃねえかなあ」
ウィリアとジェンは王家に忠誠を誓う貴族の出身なので、医者の意見に同調するわけにもいかず、あいまいな表情を浮かべるにとどまった。
「ところで、治癒師の兄ちゃん、治癒術やってもらうとしたら、いくらかかる?」
「修行中なので、基本的にお金はもらっていません」
「奇特な人だな。あのな、兄貴のことを話したらお礼をすると言ってたけど、金はいいから、治癒術を使ってくれないか?」
「治癒術を? いいですよ」
「二箇所お願いできるか? 医術ではどうにもならないが、治癒術なら治るかもしれない患者がいてな。去年の夏なんだが、光魔法が直撃して目が見えなくなった人と、音波攻撃で耳が聞こえなくなった人がいるんだよ」
「去年の夏……。症状次第ですが、なんとかなるかもしれません。二人ともですか? 去年の夏なにがあったんです?」
「知ってるだろう。『黒水晶』の変化兵軍団。この街に攻めてきたんだよ」
「ああ……」
「怪我人が大勢出てなあ。死んだやつもたくさんいた。軍隊がなんとか撃退したんだが……。その変化兵は夏の虫を変化させてたやつらしくて、ホタルの化けたのが光攻撃してきて、セミの化けたのが音波攻撃してきたようだ。診たんだが、医術じゃどうにもならなくてな。なんとか頼むよ」
「わかりました。食べ終わったら行きましょう」
ダオと呼ばれていた助手、本当の名前はダオンと言うらしいが、ジェンとウィリアは彼に案内されて治癒に向かった。
話は彼のことになった。
「ダオンさんはなぜ助手になったのですか?」
「戦争の後、ファグ族は国を追い立てられましてね。まとまって住むことも許されなかったので、エンティスの各地に散り散りになるしかありませんでした。僕は両親とこの街に流れつきました。
僕の父親は文官だったので、戦後も命は許されました。史部だったのです。国の歴史を編纂する仕事でした。僕も小さい頃からそれを継ぐため、何回か王宮に行ったことがあります。
しかし戦後、ここについた後は、仕事もなく、うまくいかず……。僕が十歳前後で両親が相次いで死んでしまいました。僕だけ残されて。市民権のないファグ族の子なんかどこも引き取ってくれません。腹が減って道端で倒れてしまいました。
親切な方がランファリ医院に運び込んでくれまして……。腹が減ってるだけなので食べればすぐに回復したのですが、帰るところがありません。
先生が『おまえ、ここに住むか?』と言ってくれました。悪いとは思いましたが、生きるためにはそうするしかありませんでした。
その後、できるだけ先生の役に立とうと、家事やら、病院の手伝いやらをやりました。門前の小僧とかで、そのうち治療の手伝いもできるようになり、今のようなことをやっているわけです」
「ランファリ先生は立派な方なんですね」
「ええ。去年の襲撃のときも、老いた体を押して大勢の治療をしていました。ファグ族の僕が病院にいることでいろいろ言われることもあるのですが、かばってくれています。尊敬できる先生です」
小さな民家に着いた。
「ごめんください……」
ダオン氏が扉を叩く。中年の女性が出てきた。
「おや、ダオンさん、後で野菜持って行こうと思ってたんだけど……。うちになにか?」
「病院に薬屋さんが来たのですが、失明に効くかもしれない薬がありまして。試してもらえって、先生が言って」
「失明に効く薬!? 本当なら、ぜひおねがいしたいけど……そんなものが本当に?」
「とにかく試してみてください。こちらの薬屋さんです。後の方は一緒に旅している剣士さんです」
三人は家の中に入った。
粗末なベッドに若い女性が座っていた。目が白濁していて、素人目でも失明しているのがわかった。
「こんばんわ」
「え? ダオンさん? こんな夜になにか?」
「薬屋さんが来て、もしかしたら目が治るかもしれません」
「目が!?」
ジェンが進み出て、瓶を渡した。
「こんばんわ。僕が薬屋です。瞼を閉じて、これを飲み干してください」
女性が目をつぶると、ジェンが目の上に手をかざした。女性はそのまま瓶の中身を飲み干した。
「砂糖水のような味ですね」
「そのまま……。目をつぶっていて……」
ジェンが目の上に手を置いている。
「あ……。なんだか……目が熱いです……」
何分か経った。
ジェンが手を離した。
「目を開けてみてください」
女性は恐る恐る目を開けた。
その目は澄んでいて、黒目が輝いていた。
「あっ……。見えます! 見えます! 目が見えます!」
ジェンも、ダオン氏も、ほっとした顔をした。
「ありがとうございます! 薬屋さん! ダオンさん!」
中年の女性が彼女に抱きついた。
「アレア! よかったねえ!」
「お母さん!」
二人は抱き合ってしばらく泣いていた。
改めてジェンとダオンに向き直って、お礼を言った。
「ありがとうございます。でも、そのお薬、おいくらでしょうか?」
「百ギーンですが、ランファリ先生に前金でもらってますので、あとでそちらに払ってください」
アレアと呼ばれた若い女性が言った。
「必ずお払いします。わたしも働きます」
ダオン氏が娘に言った。
「急ぎませんので、少しずつ払ってください」
「いえ、なるべく早くします。でも、ダオンさん、お声は何回も聞きましたが、そのようなお顔だったのですね。初めて見ました」
三人は娘の家を出て、次の家に向かった。
ダオン氏がさっきの家について語った。
「襲撃まで知らなかったのですが、あの一家もファグ族なんですよ。去年の襲撃で、お父上が亡くなって……。アレアさんも、ちゃんと市民権のある婚約者がいたのですが、その方も亡くなって……。
お母さまが野菜市場で働いていて、治療費のかわりだってちょくちょく野菜をくれるのです。売れ残りですが。
この辺は貧民が多いので、患者は十分な治療費を払うことはできません。そのかわり、いろいろもらったりしています」
「それを料理しているんですね」
「ありがたいのですがね、うちの先生が、料理できないんですよ。してもまともな味にならないから、仕方なく僕がしています」
「大変ですね」
「腹減ると機嫌が悪くなるし、自分が料理できないくせにあれこれ文句をつけるし、本当にいやになりますよ。あのクソジジイは」
「尊敬してるって言ってませんでしたか?」
「人格は尊敬しています。だけど、性格は悪いですよあの人。人使い荒いし」
そういうこともあろうか。
次に、やはり小さな家に来た。その家の少年は耳が聞こえなかった。前の家と同じような小芝居をして、ジェンが治してやった。
三人は病院に帰る道を歩いた。
ダオン氏がウィリアに聞いた。
「これからどうされますか」
「魔道士のランファリ様のお知り合いが何人かいると聞きましたので、そちらに話を聞きに行ってみます」
「そうですか。でも、知り合いの方も八十歳ぐらいですよね」
「ええ……」
情報が得られる可能性は低いが、いちおう話を聞いてみようとは思った。
夜の道だが、ときどき人通りはあった。
すれ違う男がいた。
老人だった。頭がはげ上がって、鼻が特徴的に大きくて、印象的な目つきをしていた。ローブを着ているので、魔法使いのようだ。
すれ違ったとき、ダオン氏がふと振り返った。
「ん……?」
ウィリアが聞いた。
「どうかしましたか?」
「今の人、見覚えが……。いや、人違いですね。年齢が合ってない……」