フラガ領国(3)
屋敷の中に迎え入れられた。
女性が抱いていた赤子はかわいかった。一歳ぐらいだろう。さっきは犬に吠えられて泣いていたが、すでに眠っていた。
赤子をゆりかごに寝かせ、女性はお茶を淹れた。
「なにもできませんが、お召し上がりください」
「ありがとうございます」
「そういえば、名乗りがまだでしたね。私はユナ・バリーと申します」
「公女さまですね。わたしは……その……」
ウィリアは悩んだが、本名を言った。
「ウィリア・フォルティスです」
女性が緊張した。
「フォルティス!? まさか、ゼナガルドの……」
「そうです。わたしはゼナガルドのフォルティス家の者です。黒水晶を倒すため、修行の旅を続けております」
女性は立ち上がり、赤子が眠っているゆりかごの前に立った。真剣な目をしていた。
「どのような目的で、ここにいらっしゃったのですか?」
「正直に申します。その子の顔を見たかったのです。黒水晶の正体はいまだわかっておりません。顔だけでも見ればわかることもあるのではと期待したのです」
「この子に、危害を加えるつもりではないのですか?」
「そんなことはいたしません。親が罪人であっても、子供に罪はありません」
「本当ですね?」
「誓って本当です」
女性はウィリアの目をじっと見た。信用したようだ。
ウィリアを招いた。
「顔ならどうぞご覧ください」
ウィリアは改めて赤子を見た。どこにも奇異なところがない、普通にかわいい子だった。すやすや眠っている。
「かわいいですね」
「そう言ってくださいますか。この子を見に来たというのは、事情は知っているのでしょうね。私は黒水晶に犯されました。そのときの子がこの子です」
「黒水晶に犯されたのはわたしも同じです」
「では、子供は?」
「えー……。わたしは子供が産めない体質だったようです」
「そうですか。それは失礼しました」
見ていると、赤子が目を覚ました。
「あう、う、あう、ままー」
声を出している。
「どうしたのでしょう?」
「おなかがすいているようです。ちょっと失礼します」
女性はケープを羽織った。椅子に座り、赤子を抱きかかえると、ケープの下で胸を出してお乳を飲ませ出した。
直接乳房が見えるわけではないが、ウィリアもジェンもいる。しかし女性の所作には迷いがなかった。
ウィリアはなぜか感動した。
ジェンは戸惑っていたが、やはりなにか感じ入ったようだ。
女性はお乳を飲ませ終わった。赤子を抱きながら語り出した。
「この子の父は黒水晶……。父と兄を殺した、憎んでも余りある相手です。私もなぜその子供を産まなければならないかと、絶望したときもありました。しかし、子供に罪はありません」
赤子は母の胸で手足を動かしている。
「噂はお聞きになりましたか。私はいちど結婚しましたが、五年間子供が生まれなかったので離縁されました。辛かったです。離縁されたこともそうですが、子供を産めないのかと思うと……。
妊娠したとき、嫌悪感と同時に、自分も妊娠できるのだと心のどこかで喜んだことを覚えています。
この子が生まれて思いました。赤ちゃんとはこんなにかわいいものかと。この子のために生きようと思いました。
この子の人生には困難が待ち受けているでしょうが、なんとか立派に育ってほしいと思うのです。名前はアマルと名付けました。古い言葉で、希望という意味です」
赤子は母の胸から降りて、テーブルにつかまって歩いた。
「最近は、よちよち歩きもできるようになったのです。ままと呼んでくれるようになって、かわいくて……」
子供の姿を見ていると、ウィリアもジェンも温かい気持ちになった。父親は仇敵ではあるが、子供には元気に生きて欲しいと、素直に思えた。
「お話ししていただいて、ありがとうございます」
「旅をしているとおっしゃいましたね。部屋には余裕があります。今晩はどうぞお泊まりください」
そう話していると、廊下に足音が聞こえた。応接室のドアが勢いよく開かれ、年配のメイドが入ってきた。
「お嬢さま!」
そして、部屋の中にいるウィリアとジェンを見て、とまどった。
「お嬢さま、この方たちは?」
「旅のお方です。先ほど、犬に襲われていたところを助けていただきました。怪しい人ではありません。それより、どうしたのですか。誰もいなかったので心配になって探しに出たのですよ」
「申し訳ありません。ですがお嬢さま、急ぎのお話です。明日、この屋敷を出てください」
「え、屋敷を出る? どうして?」
「怖がらせると思って話していなかったのですが、この周囲には、魔物がいます。実は、五人いたメイドのうち一人が一週間前に行方不明になりました。もう一人は怖くなって逃げ帰りました。そして今朝、三人目がいなくなりました。われわれ二人で探したのですが、見つかったのは、血の付いた靴……。魔物に襲われたようなのです」
「そんなことが……!?」
「メイドだけではありません。警備の兵士たちも、何人も行方不明になっています。いま部下が兵士と一緒にお城に行って、移転の手はずを整えております」
「そんな……。恐ろしい……」
「城の方でもすぐには準備できないらしくて、明日に係のものが来るそうです。今夜まで我慢してください」
「わかりました……。魔物……」
女性はウィリアの方をちらと見た。
「あの、お泊まりいただけますか?」
「無論です。なにかが襲ってきたならば、お守りします」
ウィリアは、女性の隣の部屋を与えられた。女性はジェンの正体には気づかなかったらしく、部屋の隅の従者用ベッドを使うように指示された。
部屋の中で、ジェンがぽつりと言った。
「アマル君、かわいかったね」
ウィリアも頷いた。
「ええ。そして、お母さんにとっては、他の人の何十倍もかわいいのでしょうね」
ウィリアはジェンに向き合った。
「彼女の気持ちがすこしはわかるのです。わたしも、子供を産めないと思っていたときつねに憂鬱でした。実際に産む産まないにかかわらず……。森の魔女さまに指輪のためだと指摘されたときは、本当にうれしかったのです。彼女もそうだと思います」
「ふむ……。君も、子供は欲しい?」
「いえ、今はそんなことを考えている場合ではありません。変なことを聞かないでください……。変な……。変な意味で言ってますか?」
「い、いや、そうじゃない。単に聞いただけだ」
気まずい雰囲気になった。ジェンは話題を変えた。
「ところで、魔物はどういうやつだろう」
「かなり強大なものだとは思いますが、ここに来るまで、これといった気配はしませんでしたね」
「うん。魔素も、特に多くはなかったし」
そのとき、ジェンのポケットに入れていた、小型化した大剣の精霊が語りかけてきた。
〈おまえら、わからんのか〉
「あ、精霊さま、魔物がなにかご存じなのですか?」
〈魔素の放出は抑えているようだが、魔の波動は感じないのか〉
「魔の波動……。すみません。そっちの方はわからないです。それはどこにいますか?」
〈近くにいる〉
「近く……?」
〈すぐ近くだ〉
ウィリアは警戒して剣を握った。
〈わからんようだな。いま警戒する必要はない。魔物は姿を変えている〉
「姿を……。何にですか?」
〈かわいいものにだ〉
「!」
「!」
二人は表情を硬くした。心当たりがあった。
少しの間無言だった。
ジェンが言った。
「言われてみれば、ありえる話だが……」
ウィリアは蒼白な顔になっていた。
「そんな……。まちがいであってください。精霊さまの言葉であっても、そのまま聞くわけにはいきません」
〈確かめてみればよい〉
「確かめてって、どうすれば」
〈国境の検問所を通ったとき、お守りを使っていただろう。あれを使えばわかるのではないか〉
ジェンが顔を上げた。
「森の魔女さまの所で、作り方は教わっている。いまある材料でできるかもしれない」
ジェンは隅の机で、お守りの工作をし始めた。
「ウィリア、眠っていてくれ。朝あたりにはできると思う」
ウィリアはペッドに横になったが、とても眠ることはできなかった。ジェンは熱心に細工を続けていた。