フラガ領国(2)
ウィリアとジェンはフラガ領国の首都に入った。
宿を取り、夕食を取るため街の食堂に入る。
街の雰囲気はピリピリしていた。あちこちに兵士がいて、鋭い目をしている。道行く人も、落ち着きがなさそうで、警戒心に溢れた目をしている。
入ったレストランは小さな所だった。閑散としていて、中年の女性が給仕をしていた。
ウィリアはその女性にたずねてみた。
「ここへ来たのは初めてなのですが、兵士さんたちが多くて、なんだかピリピリしていますね。なにかあったのですか」
「なにかって……。旅人さんは知らないか。二年ほど前なんだけどね、攻めてきたのよ。『黒水晶』が……」
「黒水晶……」
「ここの領主はバリー家って言って、子爵さまなんだけどね、子爵さまも息子さまも殺されちゃって」
「それは、黒水晶本人にですか」
「そう。本人が来たのよ。ものすごく強いらしいね。伯爵のフォルティスさまやシシアスさまもやられたって言うじゃない」
「……」
「うちの子爵さまもお強いお方だったんだけど、負けちゃって……。亡くなった息子さんの子供、まだ小さいんだけど、生き残ったので子爵家としては続いているのよ」
「そうですか……」
女性は話し好きそうだった。
「それでね、黒水晶って、襲撃のとき女に乱暴するって言うでしょう。子爵さまのお嬢さま、亡くなった息子さまの妹なんだけど、現場にいて、やられちゃったんだって」
「……」
「堕胎したら滅ぼす、とか脅されたので堕ろすこともできず、とうとう黒水晶の子供を産んだそうよ」
「……そう」
「そんな子供を産んで、妹さまも立場がないらしくて、城を出て郊外で暮らしてるのよ」
「その妹さまは、お若いのですか」
「そんなに若くない。一回結婚したけど、子供ができないからって出戻りになった人だから。お気の毒だけどね……」
他に客が来なかったので、話し好きな女性は子爵家のスキャンダルとか噂とかをぺらぺら喋った。
二人は店を離れた。
宿への途中、ジェンが口を開いた。
「バリー家……。武勲で名高い家だが、やはり皇太子戦争で働いたのだろう。そして黒水晶の子供か。その女性に話を聞けないかな」
「……話。うーん……」
ウィリアは悩んだ顔になった。
「情報を得るという意味では、聞きたいところですが……」
しばらく考えた。
「やはり、やめましょう。わたしと同じ経験をした人……。おぞましい経験を……。語りたいわけがありません」
「そうか。そうだな……」
「ですが、黒水晶の子供というのは、気になります」
「話を聞かないまでも、ちょっと様子を見に行くか」
女性が住んでいるのは郊外の農村だった。
林がぽつぽつとある中、畑が広がっている。農夫たちが耕していた。
林の向こうに建物がある。城ほど大きくはないが、周囲の民家とは造りが違う。子爵公女の家にちがいない。
二人は林を通る道を進んだ。
すると、道に軍人がいた。二人組だ。年長の方が、ウィリアとジェンを見て言った。
「なんだ。おまえらは」
「あ、あのー、旅の者です」
「どこへ行く」
「えー、あちらの方向に」
「それならいい。お屋敷には近づくんじゃないぞ。ところでそなたら、ここに来るまで兵士を見なかったか?」
「兵士? いや、見ませんでしたね」
「そうか……。鎧か、兜の一部分だけでも見なかったか?」
「いえ……」
「そうか。すまなかった。ではくれぐれもお屋敷に近づくではないぞ」
二人組の兵士は急いだ様子で通り過ぎていった。
ウィリアとジェンはその後ろ姿を見ていた。
「……」
「……」
「鎧か兜の一部分……?」
「よくわからないが、事情がありそうだな……」
林を抜けると牧草地があった。
農夫が一人、立っていた。
どうも普通の様子ではない。二人はその人に近づいてみた。
なまぐさい匂いがする。
「どうなさいました……。あっ」
ウィリアが声をかけた。そのとき見つけた。農夫の前には牛の死体があった。牛の死体の一部分。臀部から後ろ足にかけての部分が草地に転がっていた。
農夫は沈んだ声で言った。
「魔物か狼か知らねえが、オラの牛がやられちまっただよ……」
「そうですか……。お気の毒に……」
「牛はまだいいんだけどよ。こんな、牛も食う奴がいるようじゃ、命が危ねえだよ。避難したいとこだけど、牛の世話もしなきゃなんねえし」
「この近くには兵士がいるようですが、守ってはくれないのですか?」
「兵士さんね。ありゃオラたちでなく、お嬢さまを守るためのもんだ」
「公女さまを?」
「旅のお人、知ってるかな。お嬢さまが『黒水晶』の子供を産んだって言うでしょ」
「ええ……」
「黒水晶は『堕胎したら滅ぼす』と言っていたそうだ。生まれた子供になんかあっても仕返しに来るかもしれねえ。そんで、誰もやりたくないけど、子供を守るために兵士が来てるわけよ。お屋敷のそばの詰所に十人ばかりいるそうだ。ところが……」
「ところが?」
「最近、その兵士たちがぽつぽつと少なくなってんのよ。やりたくない任務で逃げたんじゃないかとか話してたけど、どうもそうでもなくて、実家にも帰ってないらしくて。そのうち、林の中で、兵士の体の一部が見つかって……」
「体の一部……」
「このあたりには、魔物がいるかもしれないって……。お嬢さまも近いうち別の所に引っ越すらしいんだけど、領国の人手が足りなくて、手間取ってるらしいんだわ」
「そうですか。ありがとうございます」
二人は消沈している農夫を残し、道を進んだ。
ウィリアが言った。
「狼ではないですね」
「うん。狼なら骨が残る」
「背骨が途中でちぎれてました。噛みちぎられたように。かなり強大な魔物のようです。兵士もそれにやられたのでしょうか……」
屋敷には近づくなと言われたが、二人の目的はそちらである。周囲を警戒しながら近づく。
平和な時代に建てられたのだろう。屋敷の周囲に特に障壁はなく、外からでも庭を覗くことができた。
「誰もいませんね」
黒水晶の子供の顔を一目見たいと思ったが、無理そうだ。
「しかたない。帰ろうか」
「そうですね」
二人は道を戻ろうとした。
そのとき、悲鳴が聞こえた。
「きゃーっ!!」
屋敷の裏手のようだ。
二人は走った。
「ガウ! ガウ!」
犬の鳴き声もする。
大きな犬がいた。その前に赤子を抱いた女性がいた。
「あーん! あーん!」
赤子が泣いている。女性がおびえている。犬は女性に向かってはげしく吠えている。
ウィリアがその間に入った。
「はっ!」
犬を斬り倒す。
ウィリアは女性に向き直った。
「お怪我はありませんか」
女性はほっとした顔で、ウィリアにお礼を言った。
「あ、ありがとうございます。助かりました……」
ウィリアは女性を見た。
二十代後半ぐらい。高級そうな作りのワンピースを着ている。赤ちゃんを胸に抱いている。
「もしや、公女さまではありませんか?」
「そ、そうです。あなた方は?」
「わたしたちは旅の者です。悲鳴が聞こえたので、急いで来ました」
「そうですか。助けていただいたお礼に、ちょっとお入りください」
「お言葉に甘えさせていただきます。しかし、公女さまがなぜお一人で外に?」
「それが、屋敷の中に誰もいないのです。いつもは何人かいるのですが、呼んでもいなくて……。不安になって外に出たのですが、犬に吠えられてしまって……」
「人が、いない?」
「お茶ぐらいは私でも淹れられます。どうぞおいでください」
二人は公女について屋敷に向かった。
「……」
ウィリアが暗い顔をしている。
「どうしたの?」
「いまの犬、魔物化した野犬と思ったのですが、魔素が感じられませんでした。ただの野良犬だったようです。追い払うだけでよかったのに、かわいそうなことをしてしまいました……」