ディネア領国(4)
扉の前で、ジェンが大剣を構えている。
周囲にはおびたたしい数の、変化兵の死体が転がっている。
まだ生きている多数の変化兵が、ジェンを遠巻きにして見ていた。
変化兵に恐怖心はない。しかし、あまりに犠牲が大きすぎるので、躊躇しているようだ。
「どうした……ザコども……。かかってこい……!」
数体が一度に襲ってきた。
大剣の一撃で倒す。
個々の相手は強くない。しかし、ジェンは真剣であった。
ライドゥスの母親ヴェラ夫人は、居間のタンスに隠れている。
もし、一体でも変化兵を取り逃がし、夫人に害が及ぶことがあれば、それはジェンの負けなのだ。
精神を集中させ、多数の敵の動きを察知する。
飛んで向かってきた変化兵がいた。
大剣は長さがある。頭上を飛んでくるやつも、その刃で斬った。
ジェンは大剣を構えなおした。
そして、ウィリアの魔法剣のときのように、風魔法を大剣にまとわせた。
威力を増幅する。
「やーっ!!」
振り回す。風属性への耐性はあるやつらだが、増幅した威力を防ぐことはできず、周囲にいた数十体が一度に倒れた。
しかし、廊下の向こうから、新しいのが次々とやってきている。
ウィリアとルキアス少年は、背中合わせで戦っていた。
練習場に攻めてくる数は非常に多い。おそらく、ルキアスが最重要人物であるとわかっているのだろう。
剣の腕で言えば、変化兵よりルキアスが強い。しかし数が多い上、ウィリアとの稽古で疲労がたまっている。
「うわあ!」
ウィリアの背後で、悲鳴が上がった。
「ルキアス君!」
彼は変化兵に斬られていた。
少年の体が床に倒れた。
ウィリアはその体をまたぐように立ち、敵を倒し続けた。
数があまりにも多すぎる。少年を抱えての移動は無理だった。
とにかく少年の体を守らなければならない。ジェンに蘇生してもらうにしても、損傷が大きすぎれば不可能になる。
そのジェンがどうなっているかも心配だったが、襲ってくる多数の敵に対し、倒し続けるしか方法がなかった。
ジェンは戦った。
襲ってくる敵は多数だったが、それらをすべて倒した。
廊下にはまだ多数の変化兵がいる。
急に、それらが横にしりぞいた。その中を歩いてくる者がいた。
黒い肌で、口が突き出している。それは変化兵と同じだが、体が他の倍ぐらい大きくて、黒鉄の鎧を着ていた。
変化兵たちの親玉に違いない。
それが口を開いた。
「強いな……。人間。俺が相手だ。てめえら、引っ込んでろ」
変化兵たちが後ろに下がった。
「……」
ジェンが見上げるほどの大きさがある。剣を抜いた。片手で持っているが、ジェンが持つ大剣と同じくらい大きい剣だ。
振り下ろしてきた。
大剣で受ける。大きな金属音がした。
ウィリアは迫る敵を斬りつづけた。
とてつもない数がいる。斬っても斬っても終わらない。
「このままじゃ、時間が……!」
足元にはルキアス少年が倒れている。傷は深い。生きてはいないだろう。
蘇生には時間制限がある。ルキアス少年が蘇生できるかどうかは、それにかかっているはずだ。
しかし敵の数が減ることはなく、ウィリアはそれらを斬りつづけた。
ジェンは、変化兵の親玉と戦った。
巨大な相手だった。しかしジェンは一歩も引かなかった。
大剣で、いくつか傷をつけていた。
剣がぶつかる。
親玉の力はきわめて強い。しかしジェンの剣技は、その力も上回っていた。
「なぜだ!? 人間のくせに、なぜそんなに強い!?」
ジェンは剣に力を込めた。
「その必要があるんだ!」
ジェンは相手の剣を跳ね飛ばした。
力を込めて大剣を振った。それは親玉の巨体を、鎧ごと二つに斬った。
「ギャア……!」
床に倒れ、黒い泡になって消滅していった。
そして同時に、周囲に多数いた変化兵の姿が変わった。
ウィリアは戦い続けた。
しかしある瞬間、攻撃が止まった。
周囲に多数いた変化兵は、苦しみだし、体が縮んできた。鎧は消滅し、黒い羽となった。
「クワア! クワア!」
それらはカラスになった。扉や天窓から出て行った。
「……」
ウィリアは一瞬放心して、それらの動きを見た。
だが気がついて、足元を見た。
ルキアス少年が動かなくなっている。
ウィリアは走り出した。
「ジェンさん……!」
ジェンは大剣を、台の上に戻した。
タンスに向かって語りかけた。
「奥様、もう大丈夫です」
ヴェラ夫人が出てきた。
「大丈夫ですか」
「え、ええ……」
夫人は大きく息をした。
しかし、落ち着いている状況ではなかった。
「ルキアスは……!」
夫人とジェンは居間から駆けだした。
あちこちにカラスの死骸があった。また城の兵士たちも死んでいた。
廊下を走ってくる人がいた。
「ジェンさん!」
ウィリアだった。
「ウィリア! 無事だったか!」
「ルキアス君が!」
練習場の床に、ルキアス少年が動かなくなっていた。
夫人がその体に抱きついた。
「ルキアス! ああ! ルキアス!」
ジェンもかけよった。
「……」
蘇生魔法をかける。
少年の体が淡く光った。
だが生き返ることはなかった。
ジェンは厳しい顔になった。
再度、蘇生魔法をかけた。
生き返らないが、ジェンは力を込めて、かけつづけた。
彼の顔に脂汗がにじんできた。
ウィリアはジェンの腕をつかんだ。
どうすればいいのかわからないが、力を送ろうとした。
ジェンはまだ力を込めていた。
夫人がジェンの行動を見た。
「な、何を……」
ウィリアが言った。
「奥様も、彼に力を与えてください!」
「……?」
夫人もよくわからないまま、ジェンの腕をつかみ、心を込めた。
蘇生魔法が続いている。
少年の体が光っている。
ジェンの表情が一層、険しくなった。
ウィリアも、ジェンを握る手に気を込めた。
少年の体が光っている。
かすかな動きがあった。
目が開いた。
口が開いた。
「あ……?」
少年は、体に触れているジェンと、抱きついている夫人の顔を見た。
「あれ……? ジェン殿……? 母上も……? なにが……?」
少年は状況がわからないようだった。しかし、口調ははっきりしていた。
「おお! ルキアス! よかった!」
夫人は少年を強く抱きしめた。
ジェンはやっと手を離した。
ウィリアはジェンの横顔を見た。汗が噴き出していた。
母子は抱き合っていた。
「ルキアス……!」
「母上……」
ジェンがぽつりと言った。
「少しは、治癒師になった甲斐が、あったかな……」
母子をそのままにして、ジェンは練習場から出ようとした。
「どこへ行くのですか」
「兵士たちを蘇生する。ウィリア、君も協力してくれ」
半数近い兵士を蘇生することができた。
しかし、それが終わった頃にはジェンは疲れ切っていた。魔力も体力も使い果たし、歩くのもやっとなほど消耗した。
直後から床に伏し、回復まで一週間ほどかかった。
ウィリアとジェンはディネア領国を去ることにした。
夫人とルキアス少年も一緒に、国境まで馬車で送ってくれた。
馬車から降りると、夫人が改めて二人に礼を述べた。
「私とこの子を救っていただいて、兵士たちも救っていただいて、ありがとうございます。お礼のしようもございません」
「いえ……」
ジェンは首を振った。
「結局、半数以上の兵士たちを救うことができませんでした。力不足です。僕の師匠ならば、ほとんどを生き返らせていたでしょう。情けないことです」
「そうおっしゃってくださいますな。あなた方がいなければ、わたしたちは完全に滅んでいました」
ルキアス少年も、ジェンの前に進んだ。恥ずかしそうな顔をしていたが、まっすぐ見て、礼を言った。
「ジェン様、ありがとうございました。僕は大きな思い違いをしていました。本当に強いとはどういうことか教えていただきました」
少年はまた、ウィリアにも礼を言った。
「ウィリア様、稽古をつけてくださった上に、守ってくれてありがとうございます。お言葉をいただいて決心しました。剣術学園に行って、一からやりなおしたいと思います」
「がんばってください」
夫人がまた二人に語りかけた。
「本当に、お礼も十分にできませんでしたが……」
「いえ。過分な路銀もいただきました。それに、偽造で入国した僕たちを許してくださって、感謝しています」
「全滅を救ってもらったお礼としては、まったく足りないことです。なにか贈り物ができないかと考えましたが、あなたへのお礼としては、これしかないように思います」
「?」
「あれを」
夫人は兵士たちに指示をした。
兵士が二人で、大きな物を抱えてきた。布にくるまれている。
「えっ、これは……」
布を取る。
それは、居間にあった大剣だった。
「この子のおじいさま、アルロス・ヴェラが使っていた大剣です。あなたが持つのが、最もふさわしいように思います」
「僕は、剣は……」
「タンスの鍵穴から覗いていました。あれほどの腕のお方が、剣を持てないなどと言ってくださいますな」
「ですが……」
「ジェン様、旅を続けるうちに、また人を守りたいと思うかもしれません。そのとき、剣が無くてよろしいのでしょうか。どうか、お持ちください」
「……」
ジェンは少しのあいだ動かなかったが、おずおずと進んで、大剣を握った。
鞘を取り、構えた。
素振りをした。縦、横、斜めに振った。
そして、鞘に収めた。
「ありがとうございます。この剣、頂きます」
ジェンは大剣と荷物を背負った。
二人は国境から次に進んだ。
母子は後ろ姿を見送っていた。