ディネア領国(2)
ウィリアとジェンは馬車に乗せられ、ディネア領国の城に向かう。
ジェンは、当主ルキアス・ヴェラに胸を斬られた。流れた血と服は、治癒魔法で治したようだ。
しかしウィリアが横で見ていると、さっきから辛そうにしている。
「……? あ! ジェンさん」
ウィリアはジェンの服をつかみ、胸を広げてみた。
服と出血は治癒魔法で治っているが、胸の傷はまだ開いていた。
「何してるんです! 傷もちゃんと治さないとだめじゃないですか!」
「いや……いい。しばらくこのままにしておく」
ジェンは、ルキアスの兄であったライドゥスを死なせてしまった。そのことで自分を責めている。弟に斬られた傷を残すことで、自分を罰しているのだ。
「どうしていつまでも、過去を引きずったまま頑なになっているんですか!」
「……過去を引きずって頑なになっているのは、君も同じだろう?」
「!」
ウィリアはぷいと横を向いた。
「もう勝手にしてください!」
ディネア領国の城。長方形の建物で、質実な造りだった。市街地は少し離れていて、周囲には森と農地が広がっている。
馬車が着いて、二人は降ろされた。
老婦人が頭を下げていた。当主ルキアスの母であるヴェラ夫人である。領国の経営は彼女が行っているのだろう。
横には、鎧を着たまま小さくなっている、幼い当主ルキアスもいた。
「まずは、中にお入りください」
城の中の応接室へ招かれた。
母子は、改めてジェンに頭を下げた。
「この子がたいへん失礼いたしました。急に出て行ったので、兵士に聞くとあなたと戦いに行くらしいと……。ジェン様に無理に挑んだそうで、本当に申し訳ございません」
当主ルキアスもジェンに詫びた。
「申し訳ありません。戦うつもりのないあなたにかかっていったことは、たしかに卑怯でした。気持ちが先走ってしまいました。謝って済むことではありませんが……」
ジェンは、おだやかな表情で謝罪を受けた。
「お顔を上げてください。たいしたことはありませんので、気にしないでください」
ルキアス少年は何度も頭を下げ、退室した。夫人だけが残った。
「おかけください」
二人は椅子に座った。
「本当にご迷惑をおかけしました。お怪我はございませんでしょうか」
「多少、治癒魔法が使えるので、傷は治してます。ご心配なく」
ウィリアはジェンの横顔を見た。胸にはまだ、深くはないが斬られた傷が残っているはずである。
夫人がウィリアを見た。
「そちらのお嬢様、ご立派な鎧……。躑躅の紋章がありますが、もしかしてゼナガルドをお出になったウィリア・フォルティス様ではありませんでしょうか」
「おわかりですか。その通りです。ジェンさんとは旅の途中で一緒になりました。こちらの領国に、偽造通行証で入ろうとしたことはお詫びいたします。ですが、大きな目的のために旅を続けなければならないのです。どうか、お見逃しください」
「お二人とも覚悟の上の行動と存じますが、どちらの領国もお困りだと伺っております。お戻りになるのがいいとは思いますが」
「すみません。やることがまだあるのです。戻れる状況になったら戻りたいですが、いまはまだその時ではありません」
「そうですか……」
夫人は目を伏せた。
ジェンは、ルキアス少年が出て行った扉を見た。
「ルキアス君……。ライドに聞いてました。いい子ですね」
「いいえ。ご迷惑をおかけして、本当に恥ずかしい」
「真剣に謝ってくれました。なかなかできることじゃありません。あのくらいの年なら、血気にはやっても当然です。
ライドも……あ、いや、ライド君も、弟さんのことは気にかけていました」
「……あの子は、ルキアスの親代わりだったのですよ」
夫人は遠い目になり、語り始めた。
「私の夫は忙しい武人で、あちこちの戦いにかり出されていました。ルキアスが生まれた時も、戦で遠くにいました。湿地で戦闘があり、激しい戦いになったそうです。戦いには勝ったものの、破傷風で死にました。治癒師を呼ぶのも間に合わなかったようです。
遺体だけが帰ってきました。生まれたばかりのルキアスを抱いて、私は途方に暮れました。
『この子は、父を知らずに育たなければならない……。かわいそうに』そう嘆きました。
すると、ライドゥスが私に言いました。
『僕がこの子のお父さまになる!』と。
その言葉通り、ライドゥスはあの子を育てようとしました。遊びに連れて行ったり、一緒に運動して体を鍛えました。悪いことをしたときは、きっちり叱りました。
たいへん助かったのですが、ライドゥスも七歳違うだけで、まだ子供です。それが、弟を教育しなければならないと、年よりもはるかにしっかりしていました」
「そうですね。ライドは……あ、ライド君……ライドゥス君は……」
「ライドでいいですよ。呼びやすいように言ってください」
「……彼は、いつもしっかりしていました。同じ年なのに、ずっと冷静で、大人びて……。そういうことがあったのですね」
「ルキアスも、兄のことは大好きで、尊敬していました。ライドゥスが剣術学園に行くことになった時は、泣いて大変でした。
兄が亡くなってからは『かたきを取る!』と騒ぎ出して……。かたきを取るとかそういうことではない。事故なので相手には責任はないと説明しました。いちおうは理解したようですが、兄よりも強くなってジェン様に勝つ、という目標を持って練習をしていました。武の家なので悪いことではないと思っていましたが、今日のようなことになり、申し訳ございません」
「いいえ……当然だと思います」
ジェンの目はどことなく遠いところを見ていた。
「ジェン様、ライドゥスは、この城の裏に眠っています。弔ってはいただけませんでしょうか」
「え……?」
ジェンはとまどった顔をした。
「僕が、弔って、いいのでしょうか……?」
「ここまでおいでいただいて、何もなければあの子も寂しがると思います。どうかお願いいたします」
城の裏庭にヴェラ家の墓地があった。
新しい墓がある。ライドゥスの名が刻まれている。
ジェンは花束を持って、その前に向かった。背後には夫人とウィリアもついている。
夕方で、陽が横から指している。
ジェンは墓の前で、しばらく無言だった。
「ライド……ひさしぶりだな」
墓に語りかけた。
「俺はまだ生きていて……しがない治癒師やってるよ。なさけない友人でごめんな……」
花束を置いた。
「俺……剣をやめちゃったよ。あんなに練習したのにな……。おまえはそんなこと、望んでないはずなのにな……」
ジェンの目から涙がこぼれた。
夜になった。
ジェンは夫人に呼ばれた。奥の方の居間に招かれる。
「弔わせてくださって、ありがとうございます。大事なことをやり残していました……」
「あの子も喜んでると思います」
居間に入ると横の壁一面に、先祖の肖像画と、ヴェラ家の武器コレクションが飾られていた。
手前の台に、ひときわ立派な大剣が飾られていた。ジェンはおもわずそれに見入った。
「これは、見事な大剣ですね」
「あの子の祖父が使っていたものです」
「アルロス様ですね。大剣使いの間では伝説の剣士です。本当に立派ですね。昔の僕なら、ちょっとでいいから触らせてとお願いしてたと思います」
「お触りになっていいですよ」
「いや、僕は、もう剣を捨てたのです。触ろうとは思いません」
「そのことですが」
夫人は椅子に座った。ジェンも座った。
「剣を捨てたとのことですが、あなたとライドゥスが切磋琢磨した日々……。それを無駄にするのは、あの子も望んでいないと思います。どうか考え直して、剣をお取りになっては頂けませんか?」
ジェンはかぶりを振った。
「たしかに、あいつも望んでいないでしょう。ですが、悪いと思って剣を捨てたのではなく、捨てざるを得なかったのです。僕は、剣が怖いのです。ご勘弁ください」
「そうですか……。勿体ないことです」
夫人は残念な顔になった。ジェンは頭を下げた。
「それはそうと、ジェンさん、あの子のことについてお話をしていただけないでしょうか。いちばん近かったあなたに語っていただきたいのです。お辛ければ、無理にとは言いませんが……」
「……せっかくの機会です。できる限りお話ししましょう」
ウィリアは、あてがわれた部屋に一人でいた。
ノックの音がした。
「どなたですか?」
兵士らしき声がした。
「あの、ルキアス様からなのですが、剣を教えていただきたいと……」
「剣?」
ウィリアは鎧を着込む。城内の練習場に案内された。
ルキアス少年が待っていた。ウィリアに頭を下げた。
「昼は、たいへん失礼しました」
「いえ、ジェンさんが許しているので、もういいのです。それで、剣とは?」
「……僕は一人前の剣士のつもりでした。誰が来ても、負けないと思っていました。しかしさきほどは、あなたの気迫で、戦うことができませんでした。まったく格が違いました。どうか、稽古をつけていただきたいのです」
「稽古ですか。わかりました。できるだけのことはいたします」