ディネア領国(1)
女剣士ウィリアと治癒師ジェンは、北部への道を歩いていた。
いくつもの領国を通り過ぎる。二人ともできのいい偽造通行証を持っているので、問題になることはなかった。
宿で、明日の進路を確認する。
ウィリアが地図を指さした。
「明日は、ディネア領国に入りますね」
「……」
ジェンはなんだか沈んだ顔をしていた。
「あれ? ジェンさん、どうしたのですか。……あ」
ウィリアは思い出した。
ジェンの過去。彼は剣術学園で親友を見つけた。ディネア領国を治めるヴェラ伯爵家のライドゥス。しかし、闘技会で事故があり、死なせてしまった。
ディネア領国は、辛い思い出と結びついているのだ。
「ジェンさん、行きたくないのであれば、ディネア領国を迂回する道も取れますが」
「いやそれだと遠回りになる。このまま行こう。何がどうなるわけでもないし……」
領国境の検問所は兵士たちが守っていた。確認役の兵士は席に着いていて、旅人が順番に通行証を見せる。ウィリアが通行証を出した。
「通れ」
領内に入って、ほっとする。偽造通行証なので多少不安はある。もっともこれまで見破られたことはなかった。
次にジェンが通過しようとした。通行証を出す。
そのとき、机の端にあった小型の水晶玉が、赤く光りだした。
「む?」
兵士が険しい顔をした。
ジェンの顔がこわばった。
「そなた、ちょっと待て」
兵士たちが、ジェンを左右から挟んだ。確認役の兵士は書類を調べている。書類は人相書きらしい。その中の顔と、ジェンを見比べた。
「……!」
兵士の顔が一段と真剣になった。
「……すみません。ここでしばらく、お待ちください」
なぜか言葉が丁寧になった。
ジェンが部屋の中へ連れて行かれる。
ウィリアが声をかけた。
「その方は、わたしの仲間です。なにがあったのですか。なにか問題がありましたか」
兵士が振り向いた。
「この人は、しばらく待っててもらう。そなたはいい。行きなさい」
「仲間です。離れるわけにはいきません。わたしも待たせてもらいます」
「では、邪魔にならないところにいるように」
ジェンはウィリアに目配せをした。落ち着くようにと伝えているようだ。
しかしウィリアは落ち着いてはいられなかった。偽造通行証がばれたかとも考えたが、それならただちに逮捕されるだろう。兵士たちの動きは違った。
兵士の一人が建物から出て行った。高い台の上に登って手旗信号を振りだした。首都の方になにかを伝えているようだ。
ウィリアはどういうことか考えた。
あの光った水晶玉は、おそらくお尋ね者の検知装置だろう。
不安が増した。
ジェンは、この領国を治めるヴェラ家の長男を死なせている。これは事故であり、ジェンに罪はない。
だが、ヴェラ家の人間が恨んでいたらどうか。領国内で、罪人として扱われても不思議ではない。
だがしかし、それも考えにくい。ジェンも伯爵家の人間だ。勝手に罰したりすればソルティアが黙っているわけがない。
それでも、恨みが強ければ……。
……。
ウィリアの考えはまとまらなかった。しかし、ひとつ決心をした。もしジェンがつかまって、処刑されるようなことになれば、力尽くで奪い返そう。兵士たちに罪はないけれど、それでも戦おう。
「あの……」
背後から声がした。
ウィリアは振り向いた。声をかけたのは兵士だった。彼はウィリアの顔を見て一歩しりぞいた。
「ひっ……!」
怖い顔をしていたのだろう。ウィリアは表情を和らげた。
「あ、すみません。考え事をしていたもので。なんでしょう?」
「あちらの方に昼食を出したのですが、待っている彼女にもと言われまして。よろしければ、どうぞ」
「ありがとうございます」
パンとスープだけの食事だったが、スープが温かいのでありがたかった。持ってきてくれた兵士は人が良さそうだった。場合によってはあの人も斬らなければならないかも、などと考えながら食べた。
数時間が経った。
馬車の音がした。三台やってきた。どれも大きくて豪華そうな馬車だ。
兵士たちが何人か降りてきた。
先頭の馬車から降りてきた人がいた。青年に近い少年だった。十六、七くらいだろうか。立派な鎧を着込んでいる。
少年は検問所に入り、すたすたと進んで部屋の扉を開けた。
ウィリアは神経を集中させ、様子を伺った。
開いている扉からはジェンが見えた。その前に少年が立っていた。
少年が言った。
「そなた、名前は」
ジェンがおずおずと答えた。
「旅の薬屋で、ゲントと言います」
少年はそれに納得しなかった。
「いや。本当のことを言ってほしい。剣術学園を出奔した、ジェン・シシアス殿ではないのか」
やや間が空いて、ジェンが答えた。
「……その通りでございます」
少年が言った。
「僕はヴェラ家当主ルキアス・ヴェラ。ライドゥス・ヴェラの弟だ」
「……」
ジェンは黙っていた。予想していたようで、驚きはしなかった。
「外へ出ていただきたい」
少年は検問所の外に出た。兵士に促され、ジェンもそれに続いた。
ウィリアもまたそれを追った。
検問所の横の開けた場所。鎧を着た少年が一方に立った。その前にジェンが出た。周囲を兵士が囲んでいるので、引き立てられた形になる。
「あれを」
「はっ」
少年が兵士に指示する。兵士は布でくるまれたかなり大きいものを持ってきた。それをジェンの前に置いた。
「お開けください」
ジェンは布を開けた。
「……!」
大剣だった。
「ジェン殿。それをお持ちください。そして、僕と戦ってください」
ジェンはそれを持たずに、少年にひざまずいた。
「ルキアス様、どうかお許しください。私は剣を捨てたのです。大剣を持っていたのはもう何年も昔。もはや使えません。どうか、ご勘弁ください」
「いや、戦ってほしいのです。どうか、それを持ってください」
耐えきれなくなり、ウィリアが前に出た。
「お待ちください」
「なんだ? そなたは」
「彼の同行者です。この人は、ジェンさんは、悪くないのです。あなたのお兄様が亡くなったのは、事故だったのです。どうか、お許しください」
「わかっている。ジェン殿に責任がないことは」
少年はウィリアを睨んだ。兵士が寄ってきてウィリアを制止した。
「恨みなどはない。しかし、負けて亡くなった兄は、無念だったと思う。その無念を晴らすため、僕は剣を学んだ。そしてジェン殿に勝つことを目標にしてきたのだ。僕はあなたと戦いたい。ジェン殿。剣を持ってください」
ジェンは目を落としていた。
「私はもう剣は持たないのです。お許しください」
「ぜひ、戦ってください」
「いえ、できません」
少年はいらいらしてきた。
「剣士が、戦いを挑まれて逃げるのか!」
「私はもう剣士ではありません。一介の薬売りです」
「いいわけは聞きたくない。剣を取り、戦え!」
「ご勘弁ください」
「戦わなければ、こちらから行くぞ!」
少年は剣を構え、ジェンに向かった。
剣を振った。
ジェンはほぼ動かなかった。剣はジェンの胸を斬った。
「!」
傷は深くないようだが、服が裂け、血がにじんでいる。
「どうだ! 戦わないのか!」
ジェンは苦しそうに言った。
「……もう……剣は捨てたのです。どうか、ご勘弁ください……」
「卑怯者め! 戦わなければ、斬る!」
少年は怒りの表情になり、剣を構えた。
「待て!」
ウィリアは押しとどめていた兵士を振り払い、ジェンの前に出て剣を抜いた。
「卑怯者はそなただ! わたしが相手になる!」
「女! 邪魔するか!」
少年は剣を構えていた。周囲の兵士がウィリアを抑えようとした。
ウィリアは周囲を睨んだ。
「ひっ……!」
兵士たちが後ずさりをした。彼女の目線はあまりにも鋭かった。
「ウィリア、いいんだ……」
ジェンは苦しそうに言ったが、ウィリアは下がらなかった。
少年が剣を構えている。ウィリアは彼を凝視した。
「う……」
少年の動きが止まった。見すくめられて、体が固まった。
少年の左右にも兵士が集まったが、ウィリアの殺気に当てられ、じりじりと後ずさりした。
少年の持つ剣が、震えだした。
「……」
少しの間、にらみ合いが続いた。
そのとき、また馬車の音が聞こえてきた。
向こうから立派な馬車が来て、すぐ近くで止まった。
「あっ……」
少年がそちらを見た。
馬車から、女性が降りてきた。中年の貴婦人だった。
「ルキアス! 何をしているのです!」
女性は少年をしかりつけた。
「母上……」
座って血を流しているジェンと、その前に立っているウィリアを見て、状況を理解したようだ。二人に近づいて、頭を下げた。
ウィリアが彼女を見た。
「あなたは?」
「この子の母レダ・ヴェラと申します。息子が大変な失礼をいたしました。城で休んでいただきたく存じます。どうぞおいでください」