森林地帯(3)
翌朝、雨は上がっていた。朝早く女剣士ウィリアと魔法使いの少年リョウは歩き出した。
歩きながら、リョウ少年が言った。
「ウィリアさん、昨日僕に、『用心は大切』と言ってたけど……」
「はい」
「ぐっすり眠ってたでしょう。僕が悪人だったらどうなってました? 麻痺や眠りの魔法をかけて、身ぐるみ盗んでいったかもしれませんよ」
「大丈夫ですよ。わたしは麻痺と眠りについては、耐性を肉体化してますので」
「そりゃすごいですね。でも、自由を奪う方法はそれだけじゃないです。初対面の人にはもう少し警戒した方がいいと思います」
「リョウ君はそんなことをするようには見えません」
「しませんけど、心配になります。ウィリアさん、あんまり人がいいから」
「人が良いというか……。世間知らずだとはよく言われます。たしかにそうかもしれません。注意します」
年下に叱られて、ウィリアはしゅんとなった。
「でも、魔力が完全に回復しました。全回復するとは思ってませんでした。ありがとうございます」
「役に立ったらよかったです」
歩き出す。
またリョウが話しかけた。
「あのう、ウィリアさん。ランゲカールの街で、仲間が待っていると言ってましたよね。その方は、女性ですか?」
「いえ、男性です」
「そう……。じゃあ……あの……ウィリアさんの恋人ですか?」
「え」
ウィリアはちょっと斜めを向いて、恥ずかしそうになった。
「い、いえ、彼は恋人ではありません。ただの仲間です」
リョウ少年は、微妙な反応をするウィリアの後ろ姿を見た。
ウィリアを見つめる少年の瞳が、金色に光った。
「……」
そしてなぜか、寂しげな、悲しげな表情になって、少しうなだれてウィリアのあとからついて行った。
森の中の道。気をつけて進む。
シデムシの魔物が飛び出してきた。昨日倒したやつだ。
「はっ!」
ウィリアが一閃で斬り倒した。
「すごい……」
「おそれいります」
「魔法が効きにくいやつなので、助かります」
「あ、そうだ」
ウィリアが荷物から短剣を取り出した。
「リョウ君、あなたの魔法はみごとですが、魔法が効かない敵に会ったときはこれを使ってください。差し上げます」
「え? そんな。いいですよ」
「遠慮しないでください。役に立てば幸いです」
「だって、ウィリアさんが使うでしょ」
「わたしは使いません。剣があるので」
「では、仲間の人が使うんじゃ?」
「短剣なら彼も持っています。使わない短剣なので、別にいいんです」
「使わないやつなぜ持ってるんですか?」
「あ……いや……たまたま……。とにかく、どうぞ」
リョウは短剣を受け取った。
「へえ……。スマートな形で、実用的にもよさそうですね」
「でしょう?」
ウィリアはちょっとうれしそうな顔になった。
「高いんじゃないですか?」
「それほどではありません」
「目的地まで同行してくれるというので、使わないとは思いますが、用心のために持っています。ありがとうございます」
少年は剣をベルトに固定した。
歩いて行く。陽も高くなってきた。
森が途切れ、平らな野原があった。まだ寒い時期なので枯れ草の色だが、ところどころ緑が芽吹いていた。
「そうだ。ウィリアさん、昨日、高速化に対して技を試してみたいと言ってましたね。やってみましょう」
「おねがいします!」
ウィリアとリョウは野原に入った。
「高速化の呪文をかけてみますので、僕を追いかけてみてください。捕まえられれば勝ちにします」
少年は口の中で術式を唱えた。
そして、ウィリアの周囲を走り回った。速い。人間にはありえないほどの速さだ。見ることすら難しい。
「なるほど、これが高速化の術。黒水晶の動きと近い。よし、鏡心の術……!」
ウィリアは集中を高めて、周囲を走り回っているリョウ少年の心と同調しようと念じた。
人間の心は複雑だ。魔物相手のようにすぐに同調することはできなかった。さらに集中力を高める。
「……!」
ウィリアの心と、リョウの心が同調した。
その瞬間、ウィリアには走り回っているリョウの姿がはっきり見えるようになった。
ウィリアは走り出した。リョウは逃げた。野原を突っ切って逃げたが、同条件ならウィリアの方が速い。
少しの追いかけっこの後、ウィリアは背後からリョウ少年を捕まえた。
「あっ。ははは。捕まえられちゃいました。成功のようですね」
少年は笑いながらウィリアを振り返った。
しかし、ウィリアは笑わなかった。
「……」
ウィリアはリョウ少年の前に立ち直し、その目をじっと見つめた。哀れんでいるような、心配しているような表情であった。両手が彼の肩に触れた。
「ど、どうしたんですか?」
肩をつかまれた少年はおどおどした。
「リョウ君、あなたは、これからどうするつもりなのですか」
「ど、どうって……」
「ランゲカールの手前まで行くと言いましたよね。そこで何があるのですか」
「何って……それは……言えません」
「鏡心の術を使ったとき、高速化の効果と共に、あなたの感情がわたしにも流れ込んできました。あまりにも深い、恐怖と、絶望……。理由はわかりませんが、あなたが目指している所になにかあるはずです。無視するわけにはいきません。教えてください」
「あっ、それは……。教えられません」
「わたしはあなたを信頼できる人と思って同行しました。あなたもわたしを信頼してはいただけませんか。あなたの恐怖を知って見過ごすことはできません。どうか、教えてください」
「……」
リョウ少年は横を向いて、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと言った。
「僕は、死にに行くのです」