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ニコモの街(5)

「ということで、放り投げた物体は、放物線を描いて落ちて……」

「すみません。放物線って、なぜ、途中で曲がるのですか?」

「ああ、これは二次曲線と言いまして、このような形を取るのです」

「……」

「では、一番簡単な二次曲線を考えてみましょう。yイコールxの二乗という関数を考えてみます。これは原点がいちばん底になる放物線を描きます」

「……」

「ええと……。描いてみるとわかりやすいと思います。方眼紙を渡しますので、xがそれぞれの時のxの二乗、つまりxかけるxを計算して、yの位置にしてみてください」

「……xが1のとき、1かける1だから1……。2のときは、2かける2だから4……。3のときは9……。なるほど……。つなげていくと曲線になりますね……。ですが先生、xがゼロ以下の時も上に上がるのはなぜですか?」

「xがマイナスの時、マイナスかけるマイナスなので正の数になります」

「マイナスとマイナスをかけると、逆に正になる……?」

「うーん……。たとえばですね、うれしいことがプラス、悲しいことをマイナスと考えてみてください」

「はい」

「そして、好きな人がプラス、嫌いな人をマイナスと考えてみてください。好きな人に嬉しいことがあったら、あなたも嬉しいですよね。だからプラスです。好きな人に悲しいことがあったら、あなたも悲しいですよね」

「そうですね」

「じゃあこんど、嫌いな人のことを考えてください。嫌いな人に嬉しいことがあったら、なんか気分がよくないですよね。これは、嫌いな人がマイナス、嬉しいことがプラスなので、マイナスかけるプラスでマイナスです。そして、嫌いな人に悲しいことがあったと考えてみてください。そんなときは気分がいいでしょう。マイナスかけるマイナスは、プラスになるのです」

「ああ。なんとなくわかりました」

 ウィリアが受けた公女としての教育には、理系や数学の分野はあまり含まれていなかった。会計学の基礎を習うくらいだった。ジェンも同様である。

 二次以上の関数などは、科学の世界にはそんなものがあるな、くらいの知識だったし、まして微分や積分などは雲をつかむようなものだった。

 そんな二人を相手に、マリガ先生は根気よく講義をした。二人もなんとか理解しようと真面目に聞いた。

 一日に三時間ほど。通いで五日間講義は続いた。五日間かけて力学、熱力学、電磁気学のごく初歩のところまで話が進んだ。

「ということで、電場と磁場が波となって、これが目で見える光となるわけです……。ごくろうさまでした。これで講義は終わりです。これ以上は、正式に学校に入って学ばないと無理だと思います。……はあ」

「はあ……。はあ……。ありがとうございました」

 先生も大変だったが、ウィリアもジェンも脳が腫れるのではないかというくらい疲れ切っていた。数値的な計算ができるかというとたぶん無理だが、ともかくにも、この世の現象には数学的な原理が存在しているということは理解した。

 ウィリアは机にもたれかかって、しばらく動けなかった。

 マリガ先生がウィリアに聞く。

「どうですか。戦いの方法について、なにか見つかりましたか」

「いえ……。いまのところは……」

「まあ、学問はすぐに役立つものではありません。何かのときにヒントになるかもしれません」

 ジェンが先生に尋ねた。

「先生は、教えてくださったようなことを研究したのですか?」

「99%は過去の物理学者の仕事です。一人の学者ができることは多くはありません。しかし、ほんのわずかでも人類の知識を増やすことができれば、学者としては満足なのです」

 二人はノートを片付けて帰る用意をした。

 先生が二人に言った。

「ところで、内容は高度になるので説明することはできませんが、いまやっている研究を見てみますか?」

「あ、ぜひ拝見させてください」




 二人は先生に連れられて、屋敷の一室に入った。静かな部屋で、助手のエリチェリさんがノートに書き物をしていた。

「これが今やっている研究です」

 ガラスの箱が前後左右に四つ並んでいた。

 それぞれの中にバネと振り子があり、外から動かせるように穴が空いていた。また対角線上にある二つの箱には、ハツカネズミが入っていた。

「これはどのような……?」

「物理と魔法を組み合わせた研究です」

「物理と魔法……」

「魔法は捨てたつもりだったのですけどね。この年になって、やってみてもいいかなと思うようになったのです。また、ここにいるエリチェリ君も私と同じで魔法使いからの転身組で、雷属性だったのが役に立ちました」

 先生は手元の箱に触れた。

「この箱は、対照群と言って、普通の状態になっています」

 その中にはハツカネズミが入っていて、元気に動き回っていた。

「そして、その隣が、土属性の働きを半分に弱めた状態の箱です。中の振り子を見ていてください」

 先生は穴から棒を差し入れて、ふたつの箱の振り子をつついてみせた。普通の状態の振り子はごく普通に振れた。一方、土属性を弱めた箱では振り子は妙にゆっくり動作した」

「あ……動きが違いますね」

「そうでしょう。土属性が弱まると、重力も弱まるのです。そのため振り子はゆっくりになります。次にこれを見てください。雷属性を弱めた箱です」

 先生はこちらの振り子も突っついてみたが、これは別に変わりはない。

「こちらのバネを動かすと……」

 普通のバネを動かして、それから雷属性を弱めた箱のバネを動かした。動きに違いがあった。雷属性を弱めたバネだと、動作が遅いようだ。

「運動を計測してみると、バネの動きが異なっています。雷属性はバネの動作に関係があると考えられます。そして、これが、土属性と雷属性の両方を半分に弱めた箱です」

 これにもハツカネズミが入っていた。

 先生は棒を差し入れて、ハツカネズミのお尻をつついてみた。ハツカネズミは逃げるが、その動作はゆっくりで、なにか粘性のある水の中の動きのように見えた。

「動作がのろいですね」

「そうです。土属性と雷属性を同時に弱めると、中の生物の動作はゆっくりになります」

「二つにしかハツカネズミが入ってないのはなぜですか?」

「最初、すべてに入れてみたのですが、どちらかだけを弱めた箱に入れると、数十分で死んでしまうのですよ。どうも生命の調和が乱れるようです」

「この実験の結果は、どういう意味があるのでしょうか」

「それも研究している段階です。ですが私は、『時間』そのものについて解明する糸口があると考えています。このハツカネズミはたぶん、自分がのろい動作をしているとは思っていないはずです。こいつにとっては時間の進み方自体が変化しているのでしょう。話が大きくなりすぎるかもしれませんが、私は、『時間』とはそれ単独で存在するものではなく、土の力と雷の力が組み合わさって発生するとの仮説を立てています」

「時間が、発生する……」

 ウィリアは動作ののろいハツカネズミをじっと見た。

 たしかにこの動物は、自分が遅いとは感じていないのだろう。箱の外の人間が、急に高速になったと見えているに違いない。

 ……高速?

 ウィリアの脳裏に、ある光景が浮かんだ。

 絶対に忘れられない光景。黒水晶討伐隊が全滅した時。

 変化兵へんげへいを失った黒水晶は、一人だけで討伐隊全員を虐殺した。その動きは人間のものではなかった。

 単なる高速ならば、とてつもない身体能力があったとも考えられる。しかし、飛び上がって落下してきた動きは不可解だった。

 先生から受けた授業によると、落下する物体は重力により加速度を得る。その加速度は地上では一定であり、重さによって違うことはない。

 だが、あの時の降りてくる動きは異様だった。まるで槍を投げ下ろすような鋭い軌跡を描いていた。あれは普通の落下ではない。

 このハツカネズミとは逆に、もし黒水晶が、土の力と雷の力を増大させる能力を持っていたとしたら……あの動きが説明できる。

 ウィリアは先生に振り向いた。

「先生!」

「な、何ですか?」

「このネズミは、土と雷の力を弱めたということですね!? では、逆に強めたら、高速の動きをするのではないですか!?」

「え、ええ。そう考えられます。それもやってみたかったのですが、弱めるのは力の制御でできるのに対して、強める方は術者が常に付いていなければならないのと、強さやタイミングを合わせるのが難しいので、できていませんでした」

「わたしは、黒水晶の動きを見たことがあります。奴は飛び上がって、槍のように降りてきました。それは、重力による動きを越えていました。もしかすると、自らの体について、土と雷の力を強めていたのかもしれません」

 マリガ先生の目が大きく開いた。側で聞いていたエリチェリさんに振り返った。彼も話を聞いて、興味をそそられたようだった。

 ウィリアに向き直った。

「……興味深い話です。噂ですが、黒水晶の動きはとてつもなく速いと聞いております。それが、この実験に関係するとすれば……うむ……どのようにすればそれが実現できるか、また対抗するにはどうするか……我々も考えてみなければなりません」

 先生は腕組みをして、少しの間考えていた。ウィリアに聞いた。

「あとどのくらい、この街に留まられますか?」

「予定はない旅です。必要ならば、もっと居られます」

「すみませんが、検討してみますので、二三日時間をいただけませんか」

「わかりました。三日後にお伺いします」




 屋敷を出て、ウィリアはジェンに言った。

「ジェンさん、もう一度、ダンジョンに入って聖水を取ってきませんか?」

「え? また?」

「地図ができているので前より楽だと思います。それに、また来れるかどうかもわかりません。聖水が払底したら皆さんが困ります」

「それもそうだな。よし行こう。だけど、君も人がいいね」

「快諾するジェンさんも、そうとう人がいいですよ」

 二人は保存瓶を多数持って、再度ダンジョンに潜った。

 地図はできていて、出現する魔物もわかっている。最初に入ったときよりかなり楽に進んだ。

 最下層の魔犬も、まだ再生していないらしく出てこなかった。魔力を補充する必要もほとんどなく、丸一日程度で二人はダンジョンから出ることができた。

「早く終わりましたね。魔力もそんなに使いませんでしたし」

「……うん……。あまり使わなかったね……」

 ジェンはなぜか不満そうだった。




 三日経ち、二人はまたマリガ先生の屋敷を尋ねた。

「よくいらっしゃいました」

「なにかわかりましたか?」

「すぐには無理ですが、研究の筋道を考えていました。それで『黒水晶』に対抗する方法ですが……。これについては私より詳しい方を紹介しようと思います」

「詳しい方?」

「学者ですが魔道士でもあります。『魔法基礎論』を研究していた方で、ザンジ先生と言います。しばらく前に大学を離れ、今はキトの里で、一人で研究を続けておられます。魔法の構造や、魔法同士の相互作用などを研究していたので、黒水晶に対抗する何かの方法を教えて頂けるかもしれません。研究上の相談もしたいので、助手のエリチェリも一緒に向かわせます」

「ありがとうございます。魔道士……。そういえば、マリガ先生、魔道士のランファリ様のことをご存じありませんか?」

「ランファリ様? お見かけしたことはありますが直接の面識はありません。なんでも相当頑固で、お付き合いしにくい方だそうですが」

「ランファリ様にも教えを受けなければならないのですが、居場所がわからないらしくて、何かご存じでしたら」

「うーん。わかりませんねえ。それもザンジ先生に聞いてみてください。キトの里はかなり山奥にあります。すみませんが、エリチェリのことをよろしくお願いします」

 翌日、先生は馬車を用意してくれた。エリチェリさんとウィリアとジェンはそれに乗り、魔道士のいるキトの里へ向かった。



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