ニコモの街(4)
翌日、身なりを整えて、二人は再度病院に向かった。
中の雰囲気はすっかり変わっていた。前回来たときには、毒を受けた患者たちの周囲は絶望感にあふれていたが、いまは希望に変わっていた。
医者が明るい顔で出迎えてくれた。
「おお! おかげで多くの患者を救うことができました。改めてお礼します」
「それはよかったです。マリガッチヨ先生はいらっしゃいますか?」
「こちらに」
孫娘さんの病室へ案内された。両親と、物理学者のマリガッチヨ先生がベッドの横に座っていた。
孫娘は意識を取り戻したようで、両親と話をしていた。
先生が二人を見て言った。
「おや、あなた方は……」
「この方たちが聖水を取ってきてくれたのです」
「そうですか……! ありがとうございます。ほら、おまえもお礼しなさい」
病床の少女は、寝たままだが二人にお礼を言った。
「お兄さん、お姉さん、ありがとうございます」
まだ弱ってはいるが、徐々に良くなっているようだ。
マリガッチヨ先生が二人に言った。
「ところで、お二方は、私にご用とのことですが、どのような?」
「そのことですが、少々込み入った話になりますので、別室で説明させてください」
病院の相談室を借りた。二人と先生が向かい合って座る。ウィリアが切り出した。
「わたしは、ある者を倒すために修行の旅を続けております。しかしその者はあまりにも強く、簡単には倒すことができません。ある方に占ってもらったところ、先生に教えを受けろと言われました」
「ある者を倒す……? 私は学者で、戦いには疎いのですがね。若い頃は魔法をやっていましたが、もう数十年前のことです。それで、占ってもらった方とは?」
「『森の魔女さま』です」
「え!? 森の魔女さま?」
「紹介状を書いてもらいました。これを……」
ウィリアは紹介状の封筒を取り出した。
渡そうとしたとき、なにもしなくても封筒はウィリアの手を離れ、空中を滑ってマリガッチヨの手の中に収まった。封は勝手に開いた。
「森の魔女さま……」
先生はそれを読み出した。
マリガッチヨ、元気にしてたかい?
あんたがうちの森に来たとき、なかなかの土魔法を使ってたね
占ってみたが、伸びしろがイマイチで、他の道を進んだ方がいいという卦が出たので、弟子にはしなかった
あの時は悔しかっただろうけど、今は物理学者としてひとかどの者になっているそうで、なによりだ
この手紙を持たせた二人は、あたしの弟子の治癒師と、その仲間の女剣士の子だ
女の子は「黒水晶」にかたきを取るため、剣の修行をしてる
占ったら、あんたに会えという卦が出た
よければ、あんたの知っていることを、伝えてあげてほしい
森の魔女 ホーミー
「……」
マリガッチヨ先生は思い出すように目を閉じた。
「なつかしいですな。森の魔女さま……。たしかに、弟子にしてもらおうと、魔女さまの森に行きました。
自慢になるかもしれませんが、私は魔法学園を卒業しまして、成績はそこそこ良かったのですよ。ただ、このままでは超一流にはなれないと思い、魔女さまの弟子になろうとしたのです。
しかし、なることはできませんでした……」
「それは……残念ですね」
「いや実は、自分でもわかっていたのですよ。私には才能がない。成績こそ悪くなかったですが、周囲にはすごい才能の持ち主が何人もいましたからな。私は彼らの三倍は努力しました。それでやっとトントンの成績を残せたのですが、これ以上は行かないのではと思っていました。
魔法学園では科学も習うのです。この世の理を越えた力である魔法を使うには、まずこの世の理を知らなければならない、ということで。私はそちらの方も頑張って勉強して、そのうちに興味が湧いてきました。
森の魔女さまのところに行くときには、弟子になれなければ魔法は諦めよう、科学の道に進もうと思っていました。だから、伸びしろがないから別の道に進めと言われたのは、なかば想定内だったのです。
断られたときはさすがに落ち込みましたが、踏ん切りがつきました。それに、弟子入りを志願してもたいていは無視されるのに、一言だけでもかけて頂いたのは自信になりました。
その後、科学技術学園に入り直し、物理学を修めました。研究者になって、ここの大学の教授職を得て、今に至るというわけです」
先生の表情はおだやかで、自らの人生に納得しているようだった。
「ところで、手紙には『黒水晶』にかたきを取るとありましたが、黒水晶って、いま、各地で破壊を行っているあの黒水晶ですか?」
「その通りです。わたしは奴に父を殺されました。それだけではなく、奴は今でも多くの罪を重ねています。倒さなければなりません」
「それは大変な……。しかし、さっきも言いましたが私は一介の学者で、戦いに役立つような知恵は持っていないのです。私が教えられるものと言えば、物理学だけですが……」
「では、物理学を教えてください。なにかが見つかるかもしれません」
病院を出て、馬車でマリガッチヨ先生の屋敷に向かう。
ウィリアが尋ねた。
「マリガヨ……いえ、マリガッチヨ先生は……」
「ははは。言いにくいでしょう。マリガでいいですよ。学生もそう呼んでいます」
「すみません。マリガ先生と呼ばせていただきます。先生は土魔法を使っていたとのことですが、土魔法とは、土をあやつって動かす魔法と考えていいですか?」
「おおむねそうです。ただ、土や石を動かすまでになるのはなかなか大変でしてな。大体は地面を平らにならすとか、土砂をゆっくり動かすなどです」
「土魔法の人って、珍しいですよね?」
「よく言われるのですが、そうでもないのですよ。魔法の『属性』は、珍しいのも入れると十数種類になるのですが、土魔法を使うのは三番目か四番目ぐらいに多くて、就職率もいいです」
「あ、そうなのですか?」
「一般の方が魔法を見るのは、建国祭の魔法大会が多いと思いますが、ご覧になったことはありますか?」
「ええ。最終日の剣術大会は欠かさず見ていましたが、初日の魔法大会も何度も見たことがあります」
「あれには土魔法の使い手は出ません。そういうこともあり、知名度が低いのです」
「なぜ出ないのですか?」
「私より少し上の人が出たことがあるのですが、その人、闘技壇の敷石を相手にぶつけるという技を使いました。試合には勝ったのですが、会場を破壊したとして反則負けになってしまいまして」
「あー……」
「闘技壇でなくても、会場の土を使っても叱られるし……。土を持ち込むのも反則になるので、実質的に土魔法使いは出られないのです」
「そうですか……」
「まあ、戦いに使うには分の悪い属性です。ですが、実用的には重要なのですよ。土魔法がなければ、家を建てるのも城を建てるのも、膨大な人手が必要になりますからね」
「ああ、なるほど」
「土魔法使いたちはそのような仕事で、目立たないが役に立っています……。おや、付いたようです」
馬車はマリガ先生の屋敷に到着した。
屋敷の中、講義のための部屋がある。机を二つ並べてウィリアとジェンが座る。黒板の前に先生が立つ。
「孫娘の恩人です。精いっぱい講義させていただきます。ただ、その前にお聞きしますが、お二人はどのくらい物理を習ったことがありますか?」
ウィリアとジェンは顔を見合わせた。
「それが……あまり……」
「僕も、科学系は……」
「たとえば、『運動量』は知っていますか?」
ウィリアがとまどった表情で答えた。
「運動の、量の、ことですか……?」
「……。では、『加速度』は?」
ジェンが困った顔で言った。
「速度が加わる、ということでしょうか……?」
先生は少しのあいだ口を結んだ。これは大変だぞ、という顔になった。
「では最初からお話しします。まず、物体には、質量というものがあります……」