ニコモの街(1)
女剣士ウィリアと治癒師ジェンは旅を続けている。
ウィリアは魔の剣士「黒水晶」に父を殺され、自らは犯された。旅の目的は、黒水晶を倒すためである。
ジェンは武人の道を捨てて治癒師になった。やはり修行中で、いまはウィリアと共に旅をしている。
二人は、高名な魔法使い「森の魔女」に進むべき道を占ってもらった。教えを受けるべき人が示された。
その二人目、物理学者のマリガッチヨ氏がいるニコモの街へ向かうのだった。
王国南部にあるニコモの街。
かなり大きな街で、商業が盛んのようだ。有名な大学もあって学術都市としても知られている。
二人は街の大通りに立った。
「ふう……。やっと着きましたね」
「あちこちで足止めされたからなあ」
人の流れが多い。市場が開かれている。
「マリガッチヨ先生に会いに行くべきですが……。もう午後だし、明日でいいですよね」
「だね。身ぎれいにしてから行きたいし」
「なら、すみませんが、ちょっと行きたい店があるのです。ジェンさんは市場でも見ていてくれませんか」
「どこに?」
「あの……下着屋に……」
「え? 前に作ったんじゃなかったっけ」
「ウェステスで作ったのを着回していたのですが、スレてきたし、ちょっときつくなってきたので、また作りたいと思って」
「へえ、きつくなってきた……?」
ジェンはついウィリアの胸を見た。
「いちいち見なくていいですから!」
「あ、ごめん」
「言っときますけどね、太ったんじゃないですよ。わたしの年なら体型が変わることだって普通にあると思います」
「あ、うん。そうだね。じゃ僕は、市場で仕入れをしているから」
ウィリアは店が並ぶ方に行った。
ジェンは市場を回って、薬の材料などを探した。
ウィリアのことが頭に浮かぶ。
「きつくなってきた……。大きくなったのかな……」
以前、月光で見た、ウィリアの胸を思い出した。
なぜかジェンは、前屈みになって市場を歩いた。
翌日、人に住所を聞いて、物理学者のマリガッチヨ先生のところに向かう。街の外れにあるわりと大きな屋敷だった。学者の家らしく、華美ではなく質実な作りである。
「ごめんください」
ウィリアが扉を叩いた。
三十代くらいの男が扉を開いた。
「どのようなご用でしょうか」
「ここは高名な物理学者、マリガッチヨ先生のお宅ですね。旅の者ですが、先生にお会いしたくて参りました」
男は眉をひそめた。
「先生はお忙しい方で、紹介がない方のご面会はお断りしております。どうぞお引き取りを……」
「紹介状はあります。これです」
ウィリアは封のしてある紹介状を出した。
「これはどなたの?」
「『森の魔女』さまです」
「え!? 森の魔女さま?」
「ご存じだとは思いますが……」
「いや、わかります。僕も以前は魔法をかじっていたので。ですが、森の魔女さまが本当に……?」
男は封をしたままの紹介状を、表も裏もじっくり見た。
急に、紹介状が動き出した。男の目の前に浮き上がって、まるで叱るような感じで光を放った。
男はたじたじとなった。
「わ、わかりました。信じます」
「会わせていただけますね?」
「ですが……いま、困ったことが起きてまして……」
「え? 何があったのですか?」
「先生のお孫さんが、魔物に襲われたのです。その毒にやられてしまいました。先生は心配でたまらないご様子で、病院で付き添っています。いまはちょっと、普通にお相手をできる状態ではないので……」
「魔物の毒……」
後にいたジェンが一歩進んだ。
「僕は治癒師です。もしかしたら、お力になれるかもしれません」
「それが、治癒師の方にも見てもらったのですが、それでも治せないようなのです。でも、治癒師は貴重ですね……。すみませんが、お孫さんのところへ行って、診てみてくれませんか? 街の中央病院です。病院には僕が紹介状を書きます」
「ありがとうございます。あなたのお名前は?」
「僕は弟子のエリチェリと言います。ちょっと待っててくださいね……」
病院に行き、エリチェリに書いてもらった紹介状を見せてマリガッチヨ先生に会わせてもらった。
待合室で待つ。
少しして、六十過ぎぐらいの老人が入ってきた。立派な服装で、知的な顔つきだ。だが、憔悴しきっている。
「はじめまして。私がマリガッチヨです……」
老人は二人に挨拶をした。
「はじめまして。旅をしているウィリアと申します。大変な状況の中、お邪魔して申し訳ありません。わたしの仲間は治癒師なので、もしかしたらお役に立てるかと思って参りました」
ジェンも頷いた。
老人は二人に頭を下げた。
「おねがいします。こっちです……」
連れられて病棟に行く。
六人がいる病室。ベッドの一つに、女の子が寝ていた。十歳くらいだろうか。息が荒く、苦しそうにしている。傍らには、両親らしき男女と、医者がいた。
ジェンは医者に言った。
「すみません。僕は治癒師です。様子を診てもいいでしょうか」
「治癒師の方ですか。以前にも治癒師にはお願いしたのですが……まあ、診てみてください」
ジェンはベッドの横に膝を突き、女の子の手を取った。
「……」
口の中で術式を唱える。女の子の胸の上に手を差し出した。
手が光った。
光が女の子の体を包む。
光が消えた。
女の子は、やはり苦しそうにしている。
「だめだ……」
ジェンの口から悔しそうな言葉が漏れた。
両親と物理学者の表情が、一層絶望的なものになった。
ジェンは医師に言った。
「これは、ただの毒ではないですね? 毒と、呪いと、それから魔素がからみあっている、きわめて厄介な……」
「よくおわかりですね。おっしゃる通りです。どれかひとつならば対処できるのですが、それらが絡み合っているので、治療が非常に困難です」
ウィリアも、悲しそうな顔で医師を見た。
「なにか、できることはないでしょうか……」
医師はウィリアを見た。鎧を着ている姿を見て、考える顔になった。
「ちょっとお話があります。こちらに来てください」
二人は医師の部屋へ通された。
「お話とは?」
「その前に、お二人のことを聞かせてください。冒険者とお見受けしましたが……」
「はい。わたしは、剣の修行で旅をしています」
「僕は、治癒師の修行です」
「なるほど。修行とは、魔物狩りなどですか?」
「そうです。主に魔物狩りであちこちを回っています」
「お強そうに見えますが、どのくらいの力がありますか?」
「大人二人くらいは持ち上げられます」
「いや、そうじゃなくて、どのくらいの強さの魔物を倒すことができますか?」
「ええと、倒した魔物で言いますと、強い方では、ドラゴンとか、サイクロプスとか」
「……嘘でしょ?」
「いいえ。本当です」
「ちょっと待ってください」
医師は戸棚から、フチに呪文らしき文字の細工が付いたメガネを取り出した。それをかけて、ウィリアの顔を覗き込んだ。
「本当のようですね。これは願ってもない……」
「?」
「ご説明しましょう。あの子の受けた毒は、さっき言ったとおり、毒と呪いと魔素が絡み合ったものです。この近くにいる魔物化したコウモリに噛まれるとやられます。毎月、何人かが罹患して、入院してきます。
以前は……。数ヶ月前までは治療ができていました。というのは、魔素を分解する薬があったのです。魔素さえ分解してしまえば、あとはわれわれ医者でも、治癒師でも、治すことができます。
ところが、それが、品切れになりまして……」
「品切れ?」
「魔素を分解する薬というのは、この近くのダンジョンの、最下層に湧き出す泉の水です。それがあれば、コウモリの毒や、魔素中毒の患者を治療できます。魔素を分解する薬は他にもありますが、同じくらい効くものはありません。特にコウモリの毒はその水以外では治せません」
「ダンジョンですか?」
「街の外、少し行ったところにあるダンジョンです。これは自然のものではなく、おそらく魔道士が作成したダンジョンです。地上の入口から階段を降りて、最下層までは二十階ぐらいあります。当然ながら、魔物が跋扈しており、下に行くにつれて強くなります」
「すみません。疑問なのですが、なぜ魔物がいるダンジョンの奥に、魔素を分解する泉があるのですか?」
「奇妙な話ですが、魔素の濃度が高すぎると、魔物自身にとっても毒であるらしいのです。人や獣でも、完全に密閉した空間に閉じ込めると、空気が悪くなって死ぬと言うでしょう。泉は濃度を調整する働きがあると考えられています」
「ああ、なるほど……」
「入口付近は並の冒険者が小遣い稼ぎに行ける程度ですが、下るにつれて魔物が強くなります。最下層に達するには、かなりの実力が必要になります。
実は三年ほど前まで、年に一回、強力な冒険者パーティが泉の水を汲んできてくれました。
ところが彼らが来なくなりました。わりと年配の方だったので、引退したのかもしれません。数ヶ月前にとうとう水のストックがなくなってしまいました。コウモリの毒は、即死はしないのですが、治療できないと一ヶ月か二ヶ月で衰弱して死んでしまいます」
「といいますと、水を汲んでくればいいんですね?」
「その通りです。……ただ、ご存じだとは思いますが、ここしばらく、魔物が強力化してきています。冒険者から聞いた話によると、そのダンジョンの上の方でもかなり強くなっているとのことです。ただでさえ危険なダンジョンです。無理にとは申しません。どうなさいますか?」
ウィリアは横を向いて、ジェンと目を合わせた。
ジェンは頷いた。
ウィリアは医師に振り返った。
「行かせてください」