ロンボス村(5)
空には柔らかい光が満ちている。
しかし、晴れているか曇っているか、よくわからない。
周囲は野原で、花が咲いている。
風は心地よい。
「ここは……?」
ウィリアは周囲を見渡した。
同じような光景が、ずっと続く。
遠くはかすんでいる。
歩いてみる。
「誰かいないのかな……」
花の中を、しばらく歩く。
少し先に、川があった。細い川で、すぐに越えられそうだ。
川の向こうに誰かがいた。
鎧を着た逞しい男性と、ドレスを着た美しい女性。
二人は周囲の花を眺めて、楽しそうにしていた。
見覚えがある。
「あれは……!」
まちがいない。あれは、ウィリアの父と母だ。
「お父さま! お母さま!」
ウィリアは走り出した。
小川を超えれば、両親がいる。
会える嬉しさのあまり、足が速まった。
二人は、ウィリアに気づいた。
驚きの表情をした。
そして、険しい顔になった。
声は聞こえないが、怒鳴っているようだ。
ウィリアの父マリウスは、手を大きく振って、ウィリアを払いのけるような仕草をした。
「えっ……?」
母も、厳しい表情で、ウィリアを追い払う態度を取った。
「えっ……? そんな、お父さま、お母さま、せっかく会えたのに……。なぜ、お側に行ってはいけないの……!?」
二人は必死に、ウィリアを追い返そうとしている。その剣幕に押されて、小川を超えることができなかった。
「ウィリア……」
どこからともなく、声が聞こえてくる。
「……? この声は……?」
周囲の野原が、かすんできた。
「ウィリア……!」
だんだん暗闇に包まれていく。
父と母の姿が見えなくなってくる。
「そんな……。せっかく会えたのに……」
しかし、彼女の名前を呼ぶ声とともに、野原と、両親は、見えなくなっていった。
「ウィリア!」
「ウィリア!!」
ウィリアは目を開けた。
ジェンがウィリアの顔を覗き込んでいた。
ウィリアは、ジェンに抱きかかえられていた。
「あ……。ジェンさん……」
「ウィリア! 気がついたか! よかった! よかった……!」
ジェンはウィリアを抱きしめた。
何があったか思いだした。
「そうか。ドラゴンの毒で、わたしは死んだ……」
ジェンが蘇生してくれたのだ。
彼の横顔を見る。目に涙が光っている。
涙を見たのは初めてだな、と思った。
ジェンはウィリアに向き合った。
「ウィリア、体の感じはどうだ……?」
生き返ってはいるものの、気分は非常に悪い。吐気がする。
「ううっ……」
「まだ毒が残っているな……」
ジェンはウィリアに手をかざし、解毒の魔法をかけようとした。
ウィリアはその手を取って押しとどめた。
「……?」
「ジェンさん、わたしはもう大丈夫です。多少毒が残っていても、死ぬことはありません。それよりも、魔力があるうちに、ドラゴンの被害にあった村人たちを治癒してください……」
「そ、そうか……。わかった」
ジェンはウィリアを建物の壁にもたれかけさせ、村人の治癒に向かった。
ジェンはあちこち走り回った。死んだり、傷ついた村人たちを、なんとか助けることができた。しかし魔力と体力が限界なので、全員を完全に治癒することはできない。命に関わらない傷は明日に回すことにした。
薬で治療できるものはそれを使う。ウィリアには解毒剤を飲ませた。かなり回復した。
壊れた建物も多い。村人たちが協力して、下敷きになった人たちを救出した。弱ってはいたがウィリアも、その作業に協力した。
ヘディンさんも柱の下から助け出された。
「ママ!」
助け出されたヘディンさんに、息子が抱きつく。
「ああ、アッシュ、怖かっただろう。よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
その時、戦士団のラトルがやってきた。
「ヘディンさん、大丈夫ですか!」
「あ、ラトル! あんた、大丈夫だったの!」
「ええ、ドラゴンを倒しました」
「よかった! 無事だったんだね!」
ヘディンさんはアッシュ君を抱いたまま、ラトルも抱きしめた。彼も二人をしっかり抱きしめた。
「戦士団で、ドラゴンを倒しに行くなんて……。あんたなんか真っ先に死ぬんじゃないかと思っていたけど、死ななくてよかった……!!」
「いえ、死にました」
「え?」
「ドラゴンと戦って死んだのですが、ゲントさんが蘇生してくれて、なんとか勝てました」
「何やってんのよ! もう……!」
戦士団が赤いドラゴンを倒した方法は、いわゆるゾンビ戦法だった。
ドラゴンの皮膚は硬く、並の剣では刃が立たない。ジェンが強力な風魔法を発して、なんとか首筋に傷をつけた。魔法が使えたり、治癒師であることを公表したくはなかったが、そんなことを言っている場合ではなかった。
しかし、風魔法でつける傷だけでは致命傷にならない。ジェンは戦士団に叫んだ。
「あの傷をえぐってください! 死んだら蘇生します!」
戦士団が傷を狙って攻撃する。ドラゴンの攻撃ですぐに死ぬが、ジェンが生き返らせる。ときどき傷をえぐることに成功する。
挑んでは死ぬ。死んでは生き返す。そういうことをくりかえして、傷を深くし、最終的に倒せた。
戦士団は満身創痍であったが、それを治している余裕はない。
「村の中でもかなり被害が出ているはず……。それに、ウィリアは……!」
倒した赤ドラゴンをそのままにして、ジェンは村へ走った。
翌日。治癒の残りをやりに行く。まずは戦士団の詰所に向かった。
戦いに加わった数人の村戦士は、いずれも傷を残していた。治癒魔法や薬で治療する。
「君たち、ありがとう、よくやってくれた……」
村長が涙ながらに戦士団をねぎらった。
「いや、このゲントさんと、女騎士のリリアさん、お二人がいなければだめでした……」
ジェンもウィリアも偽名を使っている。
「ああ、ゲントさん、もちろんあなたもよくやってくれました。村を救ってくれてありがとうございます……」
そのとき、詰所に入ってきた男がいた。
逃げた隊長だった。
彼は、副長以下数人が生き残っているのを見て、驚いた顔をした。
戦士たちは彼を睨んだ。
隊長はおどおどしながら言った。
「や、やあ……。大丈夫だったか?」
副長が言った。
「何しに来た? 焼け残りでもないかと見に来たか?」
「……いや、心配になってな……。でも、無事だったか……。よかったな……」
「隊長。あんたの判断は正しかった。俺たちではドラゴンに勝てない。ここにいるゲントさんと、女剣士のリリアさんがいなければ全滅だった。あの状況で逃げたのは正解だ。さすが学校出の戦士さんだ」
「い、いや……」
「だがな、一緒にやりたいかどうかは、また別だ。あんたは辞めてくれ。この村は俺たちで守る」
村長も、隊長には厳しい目を注いでいた。隊長は肩をすくめた。
「しょうがねえな。村長、給料の残りをくれ」
ウィリアとジェンは村を後にすることにした。
ヘディンさんが宿にやってきて、別れを惜しんだ。
「ゲントさん、ありがとね。ただの薬屋だと思ってたけど、実はすご腕の治癒師だったんだねえ」
「あ、どうも……」
息子のアッシュ君も、ウィリアにお礼を言った。
「お姉ちゃん、ありがとう。また来てね」
「アッシュ君、元気でね」
そのとき、戦士のラトルが入ってきた。
「ヘディンさん、ここにいましたか!」
「あ、ラトル、なんか、あたしに用?」
「あっ、はい、そのですね。今度副長が隊長に復帰してですね、そして、僕を副長にしてくれるって言うんですよ」
「おや、よかったね!」
「それでですね、給料も上げてくれるらしくて。なので、三人ぐらいなら暮らしていけると思うんですよ。だからヘディンさん、あの、僕と……」
「ちょ、ちょっと待ちなって。ゲントさんとリリアさんがもう出発するっていうからさ。あんたも命の恩人だろ? ちゃんとお礼言いなよ」
「あっ。そうでした。ゲントさん、大変お世話になりました」
ラトルはジェンに深く礼をした。
ヘディンさんはウィリアにも礼をした。
「あんたもありがとうね。息子を二回も助けてくれて……」
ウィリアの手を握った。じっと目を見た。
「あんたが命を張ってくれたから、あたしら親子は助かった。だから、こんなこと言えた義理じゃないんだが……」
「?」
ヘディンさんは目を伏せて、握った手に力を入れた。
「……どうか、無駄には死なないでおくれ」
「……はい」
ウィリアとジェンはまた街道に戻った。
冬になっているが、南部の気候はおだやかで、雪はあまり残っていない。
目的地の街は近い。
ウィリアが口を開いた。
「ドラゴンの毒で死んだとき……」
「ん?」
「父と母に会いました。会えて嬉しかったのですが、二人ともわたしを追い払おうとしました。二人との間に川があって、それを越えさせたくなかったようです。越えていたら、おそらく、生き返ることはなかったと思います」
「……」
「この村で、大きな事を学びました。親の愛の深さ。そして、純潔や誇りより生きることの方が大事だと……」
「……」
「わたしは純潔を失ったことにこだわりすぎていたようです。恥を雪ぐために命を捨てようと思った時もありましたが、変わりました。もう、そうは思いません」
「そうか……。なら、領国へ戻る?」
「しかし……」
ウィリアは表情を硬くした。
「わたしたちが戦わなければ、村の人々は助かりませんでした。自分の命を大事にするなら戦うべきではないでしょうが、他の人の命を考えれば戦うべきでした。いま、わたしたちは黒水晶を倒すヒントを得るため旅をしています。それも大事なことだと思います」
「うん……。難しいな……。もう少し、旅を続けようか?」
「はい」