ロンボス村(2)
翌日、ジェンは村の周辺に、薬の材料を取りに行った。
ウィリアはすることがない。
魔物狩りができないか、宿の人にも聞いてみた。近辺にも魔物は出るが、狩り場になるようなところは無いということだった。
しかたないので、剣の素振りをする。人家の近くで剣を振っていては怖がられるので、また河原へ行った。
素振りだけしていては退屈なので、居合の練習もした。
河原には流れてきた枝が転がっている。太めのを拾って、上に放り投げる。
「やああああーっ!!」
落ちてきたところを、地面に付くまでに何回斬れるか挑戦してみる。
枝はいくつもの短い円柱になった。落ちたのを数えてみる。一、二、……十個あった。はじめて十個を超えた。
以前は、二回斬るのにも苦労していた。城にいたときより、はるかに強くなっている。
「……」
とはいえ、黒水晶に対抗できる腕ではないと自分で思った。気を引き締めて、稽古を続ける。
地面が震動した。
「?」
続いて爆音がする。振り返ると、火山が噴火していた。
「ああ、危ないと言っていた火山……」
近くの山であるが、ここまで噴石が飛んでくる心配はないらしい。しかし火山灰には気をつけろと言われていた。
「戻った方がいいかな?」
ウィリアは剣を鞘に収め、河原を後にした。
住宅街を抜けて、宿へ向かう。
思ったより早く火山灰が降ってきた。
住宅街に人はいない。ここの人たちは、火山に慣れているようだ。
灰が髪にかかる。ウィリアは急いだ。
「あんた!」
窓を開けて、呼び止めた人がいた。
「?」
見ると、昨日子供を届けた家だった。そして窓から呼んでいるのは、ジェンに抱きついてきた女性だった。
「もう灰が降ってる! 入りな!」
「は、はい」
女性の声に圧倒され、ウィリアはその家に入った。
女性の家で、髪を洗わせてもらった。
「ありがとうございます。さっぱりしました」
「なかなか落ちにくいけど、帰ったらもう一回洗いなね。それはそうと、昨日、うちの子を助けてくれたそうだね。ありがと」
「いいえ。たいしたことはしてませんから」
「一時間ぐらい立てば収まるから、それまで待ってるといいよ」
アッシュ君がウィリアにじゃれついた。
「お姉ちゃん、あそぼ!」
「こら。お客さんにちょっかい出しちゃだめ」
「いいんですよ。何して遊ぼうか?」
「お馬さん!」
ウィリアはお馬さんになって、遊んでやった。
子供は遊び疲れて眠ってしまった。隣の部屋に寝かす。
そのあいだ母親が洗濯をしていた。
「付き合わせて悪いね。でも助かったよ。洗濯とか貯まってたんでね」
「お役に立てればよかったです」
お茶を入れてくれた。二人で飲む。
「あんた、育ちが良さそうだけど、なんで旅してるの?」
「その……修行のためです」
「修行して、どうすんの?」
「詳しいことは言えませんが、仇を討つ必要があるのです」
「仇ねえ……。そりゃ、大変だねえ……」
ウィリアが尋ねた。
「あの、宿でお目にかかりましたよね」
「……ああ」
「ジェ……ゲントさんとは、どのような……」
「聞かない方がいいと思うよ」
「……そうですね」
ちょっと沈黙があった。
外を見る。火山灰は収まったようだ。
ノックの音がした。
「はい」
彼女が扉まで出た。
「こんちわ」
「あ、ラトル。よく来たね」
彼女の声が明るい響きになった。
「アッシュ君は?」
「いま寝てる」
「これ、今日釣ったんだけど、悪くならないうちにと思って」
魚を持ってきてくれたらしい。
「まあ。ありがとね。ところで、あんた、ツケは払ってくれるの?」
「それが……その」
「どうしたのよ」
「戦士団の新入りに金を貸したんですが、そいつ、給料日に逃げちゃって……。すみません。来月まで待って……」
「何やってんだよ……! あんた、前にも同じ事があったじゃないか。安月給のくせに、金なんて貸すもんじゃないよ」
「それもそうなんだけど、戦士の新入りはどうしても物入りなんで、結局誰かが貸さなきゃなくて……。それに俺も、新入りの時に先輩に借りて助かったし……」
「もう……。あたしも商売だからさ、タダでやらせるわけにはいかないんだよ。清算したらまたツケてやるから、来月はちゃんと持ってきてよ?」
「はい。必ず」
「それはそれとして、魚ありがとね」
客は帰っていった。
彼女はぶつぶつ言いながら戻ってきた。
「もう……。あいつは、人が良すぎるんだよ……」
「戦士団の方なんですか」
「そう。あたしのダンナも戦士団にいてね。そのときに仲良かった子なの」
「優しい方なんですね」
「ふん。戦士が優しいなんてのは、何の得にもならないよ。あたしのダンナも人がいいって言われる男だったけど、人が良すぎて、魔物討伐の時に危ない役引き受けて、死んじゃった。あいつも同じ目に遭わなきゃいいけど……」
彼女は本気で心配そうな目をしていた。
「ご主人様が、亡くなったのですか」
「ああ……。申し訳ないことしたよ。あたしが惚れて一緒になったんだけど、親が許してくれなくてね。かけおちでこの村に着いたんだ。他の職もないから村戦士になったけど、こんなことになっちゃってさ……」
遠い目をしていた。
それを見ていると、ウィリアの中に、ある疑問が湧いてきた。
この人はなぜ、いまの仕事をしているのだろう。
質問をしたくなった。
しかし、理性と常識はそれを止めた。聞いてはならないことだ。
しかし、質問をしたいという衝動が、心の中で大きくなっていた。しなければならないという思いが強まってきた。
ついに、ウィリアは口を開いた。
「あのう……。すみません。あなたは、なぜ今の仕事をやっているのですか……?」
その途端、彼女の目が険しくなった。
「あ? なんで今の仕事をやってるかって? 金稼ぐために決まってるだろう! あんたのようないいとこの子にはわかんないだろうけどね、土地も何もない女は、体を売るしかないんだよ!」
「で、でも、殉職した戦士には、遺族年金が……」
「遺族年金? お城の兵士ならそういう気の利いたものがあるかもしれないけどね! しがない村戦士にそんなのはないよ!」
「そ、そうなんですか」
「淫乱だから娼婦をやってると、あんたたちは思うだろうけど、抱かれて嬉しい客なんてめったにいないよ! だいたいが脂ぎった男でさ、痛いこともあるし、苦しいこともあるし、舐めろと言われれば尻の穴だって舐めるんだ! でもね! やらなきゃ生きていけないんだよ!」
「すみません……。すみません……」
ウィリアは下を向いた。
涙がこぼれてきた。
「……あんた、泣いてんの? ちょっと、やめてよ。いじめてるみたいじゃないか。ちょっと言い過ぎた。悪かった」
「……いえ。そうではありません。自分の愚かさが、情けなくて……」
涙の理由は、それだけではなかった。
世間にいる人は、娼婦も含めて、生きるため必死で働いている。理屈では知っていたそのことが、実感を持って一挙に立ち現れてきた。その衝撃で涙がこぼれたのだ。
「……すみません。失礼な質問をした上に、お気を使わせてしまって……」
「まあ、人にはそれぞれ、立場ってものがあるからね。わかれって言うつもりもないけど……。うちらはそうやって、なんとか生きてんのよ」
「はい……」
「あんた、仇を取るって言ったね? 親でも殺されたの?」
「ええ、そうです」
「まあ、取れる仇なら取った方がいいけどさ……。危ない目に遭うなら、ちょっと考え直した方がいいよ」
「……」
「うちもね……」
彼女は息子が寝ている部屋を見た。
「あの子も大きくなったら、親なんか知ったことかって、遠くに行くかもしれない。あたしたちがそうだったからね。それは覚悟している。でもね、遠くにいても、元気で生きていて欲しいよ。いくら仇を取るって言っても、死んだら何にもならない。生きてることが一番大事なんだから。仇を取っても親御さんが悲しむからね」
ウィリアは宿に戻ることにした。
「お邪魔しました。アッシュ君によろしく」
「ああ。ゲントちゃんによろ……よろしく言わなくていいけど……。あんた、あの人は大事にしなよ」
「は……はい」
ウィリアは宿へ戻る。
住宅街を見た。
家の一軒一軒に、人が住んでいる。その誰もがそれぞれの喜びと悲しみを抱えて、精一杯生きている。
当たり前のことだが、理屈だけではなく、体全体で実感した。さらにそれはこの村だけではなく、国全体、世界全体がそうなのだ。
少し前とは、世界が違って見えた。自分の悩みが相対的に小さなものに思えた。