将軍の別荘(1)
すっかり冬になっていた。
ウィリアとジェンは、山岳地帯を抜けるために進んだ。雪が本格的に積もる前に山を出ないといけない。
目的は、南部のニコモの街。物理学者のマリガッチヨ氏に会いに行く。彼が何らかのヒントを与えてくれると、森の魔女さまの占いで出た。
フィクル山から南に抜ける道を進んだ。しかし、雪は積もりだしている。
ジェンは後悔した。
「しまったな。遠回りでも、とりあえず平地に降りる道を通ればよかった。雪が積もりそうだ……」
「もう後戻りできません。抜けるまでがんばりましょう」
いちおうの防寒具は備えている。二人はフードをかぶって、雪の中を進んだ。そこまでの高山ではないがやはり寒い。
「あれ? ここは……?」
ジェンは地図を取り出した。
「どうしました?」
「しまった。行こうとしていた道をそれてしまった」
分かれ道を見逃したらしい。
ウィリアも地図を見てみた。
「まちがったようですけど、こっちの道でも行けそうです。距離もそれほど違わないみたいなので、進みましょう」
「まあ、いいか」
平地は近づいてきている。こっちの道を通ったとしても、遭難する心配はなさそうだ。
夜になり、野宿をする。森の中、雪の少ないところにテントを張った。二人は体を寄せ合いながら眠った。
朝になった。晴れている。
ウィリアはテントを出て伸びをした。
「今日中には街道に出られそうですね」
片付けの準備をする。しかし、なにか気配がした。
「ん……?」
「獣……? いや……」
それは人だった。軍人らしき二人が現れた。
「こんなところで、何をしている」
「あ、怪しい者ではありません。旅の途中、山を抜けようと、ここで野宿をしていたところです」
「ここは私有地。デリム・ホーバート国軍大将閣下の土地だ。一般人の立ち入りは禁止されている」
二人はしまったという顔をした。
「付いてこい。調べさせてもらう」
「あ、でも、まだテントの片付けが……」
「それはあとで回収してやる。おとなしく来い」
ウィリアはジェンを見た。しょうがないね、という顔だった。
「……わかりました。参ります」
ウィリアとジェンは二人の軍人に挟まれ、道を進んだ。
剣は取り上げられている。
この二人を倒して逃げることは難しくなさそうだが、彼らは警備の仕事を正当に行っていただけだ。傷つけるわけにはいかない。
ウィリアは思い出していた。ホーバートという名前には覚えがある。父の友人だった。領国を治める子爵である。
ウィリアの父マリウスは、エンティス王国軍の中将だった。とはいっても国軍を指揮するわけではない。戦争となったら、ゼナガルドの領国軍が国軍に組み入れられる。その時のために国軍の階級も持っていて、伯爵はたいてい中将と決まっている。
同様に、子爵も自分の領国軍を率いる立場で、たいてい少将になる。しかしホーバート子爵は指揮官として有能であり、乞われて国軍の大将になっているという話だった。
ウィリアも子爵とは何度か会ったことがある。
「見破られませんように……」
子爵に会う前になんとか釈明して、解放してもらえないかと思った。
連れてこられたところは、山の中の屋敷だった。
瀟洒な、という形容が似合うような、すっきりした建物だった。それほど豪華ではない。ザムエン子爵の館の方がよっぽど豪華だった。
そういえばホーバート子爵の領国はここから離れている。ここは別荘というわけだろう。夏に避暑に来るのだろうか。
「あの、ホーバート様は、こんな冬にはいらっしゃいませんよね?」
軍人の一人がウィリアを睨んだ。
「なぜそれを聞く?」
「い、いえ、大将閣下に近づくのは、畏れ多くて」
「そなたが気にすることではない。……まあ、旅人が迷い込んでくるというのは、たまにあることだ。持ち物を調べて、怪しいものがなければ返してやる。おとなしく待っていろ」
二人は建物の中の警備部署に連れ込まれて、簡易的な牢屋に入れられた。
「……」
「……」
ウィリアはジェンと目を合わせたが、黙っていた。この状態で、世間話も含めてしゃべるのは得策ではない。
パンとスープの食事を与えられたあと、牢屋から出されて尋問が始まった。
「そなた、名前は」
「あの……リリアと申します。旅の剣士です」
「旅の目的は」
「修行です」
「ふむ……。そちらの男は?」
「僕は、旅の薬屋で、ゲントと言います。彼女の従者もやっています」
「扱っているのは薬だけか?」
「あ、薬と一緒に、御札とか、魔法用具も扱っています」
「うーん……」
ジェンの荷物を調べたのだろう。魔法用具がいろいろ出てきたはずだ。怪しいと言えば怪しい。
「調べが付くまで、もう少し入っていなさい」
また牢屋に戻された。
ややしばらく経った。
牢屋が開かれた。
「出なさい」
「あ、出していただけるのですか」
軍人が首を振った。
「いや……。閣下に報告したところ、連れてこいとのことで……」
「え!? ホーバート様がいらっしゃるのですか!?」
「失礼のないように」
二人は軍人に挟まれて、屋敷の奥の方へ連れて行かれた。
ウィリアは不安だった。父の親友である。見破られないだろうか。
「こっちだ」
部屋に通された。
ホーバート子爵が座っていた。ウィリアも知っている顔だ。
軍人にしてはおだやかな顔つきだが、威厳があった。子爵は冷静な目で、入ってきたウィリアとジェンを見た。
その目線に貫かれそうな気がして、ウィリアはつい先にしゃべり出した。
「あ、あの、わたしは、修行中の剣士で、リリアと言います。こっちは従者のゲントです。旅の途中、過ってこちらの土地に入り込んでしまいました。申し訳ございません。どうか、ご寛恕を……」
子爵はウィリアをじっと見ていたが、口を開いた。
「ウィリア君」
「あ……」
「ひさしぶりだね」
「……おわかり、でしたか」
「何回も会ってるじゃないか。それに、その鎧、一昨年だったか、『鎧を新調したんですよ』って、嬉しそうに見せてくれたよね」
「ああ、そうでした……」
子爵は軍人たちに言った。
「この方は、怪しい人ではない。客人として扱う。ごくろうだった。下がってくれ」
「はっ。では、こっちは……?」
軍人はジェンを見て言った。
「その従者の方もかまわない。ここに残してくれ」
軍人たちは去って行った。子爵は、二人を長椅子に座らせた。
子爵とウィリアが向かい合った。ウィリアをまっすぐ見て言った。
「……苦労したのだろうね」
すべてを察した目だった。
思わずほろりとしそうになったが、気を取り直した。
「いえ。父のこと、シシアス伯爵のこと、死んでいった仲間たちのことを思えば、わたしの経験など、苦労のうちに入りません」
「さすが、マリウスの娘さんだ。ただ……。ゼナガルド領国が領主不在なのは、領国のみならず、王国としても懸念事項だ。君が覚悟を持って旅立ったのはわかっている。しかし、領国や領民のことを考えて、帰還してはもらえまいか?」
「……帰還はしません」
「そうか……。君を護送してゼナガルドへ送るのは簡単だが、また出奔されては意味がないしな……」
「申し訳ありませんが、そうするつもりです」
子爵はため息をついた。
ジェンはそわそわしながらウィリアの横に座っていた。ウィリアと同じ立場である。見破られないか心配らしい。
ウィリアが訊ねた。
「あの、ホーバート様、ここはそちらの領国とは離れているようですが、なぜ冬の寒い時期に?」
「ここはね、ホーバート家の父祖の土地なんだ。先祖の国替えで領国をもらったが、こことの繋がりも保っている。特に、この近くにある祠で祭りがあって、その主催をさせてもらっている。明日がその祭りだ」
「そうでしたか」
「この館も、けっこう前からあるものでね。夏なんか気候がよいので、学生の頃、マリウスやレオンも呼んで、何日か滞在したことがある」
「父が……」
子爵は、ウィリアの父マリウス・フォルティスと、ジェンの父レオン・シシアスとも同級生で、友人だった。
「ちょっと待っていてくれ」
子爵は席を外した。少しして、厚手の帳面のようなものを持ってきた。
「ここに来たときの記録だ」
帳面を開くと、十人ほどの若い男女の図像が出てきた。
「え? これは絵ですか?」
「念写ができる人がいたのだ。僕たちが学生のときだ。仲の良い仲間で集まって、山遊びをした」
ウィリアは念写をじっと見た。
「あ、これが父ですね。若い……」
若き日のウィリアの父が写っていた。
さらに探す。
「あ! 母もいます!」
女性の一人に、母もいた。
「そう。レイアさんも一緒だった」
横で、ジェンもその念写を覗き込んでいた。
子爵が、生還で真面目そうな男を指さして言った。
「ほら、お父上がこれだ」
「へえ……。これが若い頃の父……。あっ!」
ジェンはしまったという顔をした。
「……わかっていましたか?」
「ジェン君、君に会ったのは子供の頃だが、剣術学園の闘技会で何度か見たことがある。それに、お父上の学生の頃にそっくりだ」
「似てますか? 僕は母親似と言われているのですが。それに、父のように真面目でもないし」
「なんとなく共通するものがある。その灰色の髪とか、目の輝きとかね。……君も、領国に帰る気はないのかね?」
「……帰りません」
「二人とも、頑ななことだ……。まあ、その話は後にしよう」
ウィリアはじっと、父と母の姿を見ていた。
子爵が言った。
「レイアさんの事は、残念だった……」
ウィリアの母レイアは数年前に、はやり病で亡くなっている。
「レイアさんは、我々の憧れだった。その美しさもだが、なにより聡明だった。
自分の話になるが聞いてほしい。僕は、剣術学園の闘技会で、三回、三位になったのだよ。最初に三位になったのは二年後期の大会で、それなりに快挙だった。
三年になったら優勝するつもりでいたが、三年の前期はシシアス、後期はフォルティスが優勝した。僕はどちらも三位だった。
レイアさんは武の家の出で、闘技会は毎回見ていた。
三年前期の闘技会の終わりにレイアさんに『負けてしまいました……。俺、ダメですね……』と愚痴を言ったのだが、彼女の見方は違った。
『いいえ。前回の三位は、偶然に助けられての三位でした。今回は、剣の技も速さも、前回を上回っています。勝敗は時の運。向上したことを誇っていいと思います』と言われた。
僕はどきりとした。たしかに、前回の成績には偶然の助けがあった。
彼女は剣術をするわけではないが、その目は確かだった。勝っても向上しなかった者には批判を、負けても向上した者には賛辞を送っていた。
誰もが、『こんな聡明な女が、妻になってくれれば……』と思った。ただ、彼女は伯爵家の出。釣り合う男がいるとしたら、同じくらいの家格で強い男。マリウスと、レオンのどちらかだと、誰もが思った。
二人とも、彼女には夢中になった。ただ、その過程で、二人の性格の違いが影響して……。
マリウスは正直な男だ。彼女を好きになった時から、好きだと周囲に公言して、彼女にも直接告白した。彼女はその直情さに少し引けていたようだが、あきらめずに何度も迫った。
それに比べて、レオンの接近の仕方は、まどろっこしいものだった。『屋敷の使用人の親戚が楽師で、演奏会に出るそうです。よろしければ聞いてください』などと言ってチケットを渡す。それで隣の席になるわけでもなく、演奏会のあとにちょっと喋るぐらいで……。
そんなのだから、レオンとはあまり進展せず、マリウスとの距離は縮まっていった。
最後の闘技会で優勝した後、マリウスは彼女に正式な求婚をしたそうだ。彼女はそれを受けたらしい。
レオンは失恋した。あのような性格だから周囲に表すことはないが、僕を誘って飲み屋に行き、自棄酒をあおった。あいつの泣く顔を見たのは、その時が最初で最後だ」
ジェンが意外そうに言った。
「へえ……。父が泣いたのですか……。それに、レイアさんを好きだったとは初めて聞きました……」
「彼が泣くことはまずなかったがね……。対して、マリウスはよく泣いたなあ。歌劇を見に行った時にも、悲しいストーリーに泣いていたよ」
「たしかに、父はよく泣きました。吟遊詩人が城で悲劇を語ったときにも泣いていました」
「そうだろうね。まあ、レオンもその後、良縁の奥様をもらって、ジェン君、君が生まれたわけだ。マリウスは仕事で単身赴任をしていたので、しばらく子供に恵まれなかった。仕事が終わって領国に帰り、やっと子供……ウィリア君、君が生まれた。その時のマリウスの嬉しそうな顔は忘れられない。
覚えていないだろうが、君の誕生を祝って友人たちが集まった。その席で、レオンがマリウスに言った。
『かわいい娘さんだ。僕の息子の嫁にくれ』
『いや、困るよ。こっちだって家を継がせる子供だ』
『いいじゃないか。これからも生まれるだろう? 男子が生まれたらそちらに継がせて、この子はうちにくれ』
『うむ……。まあ、そうなったらいいか』
そのような会話があったのを覚えている」
ジェンとウィリアは驚いた顔で聞いていた。
「父の息子というと……僕ですか?」
「そう。条件が整えば、ウィリア君は君に嫁がせることになったかもしれない。ただ、その後、どちらも次の子供が生まれなくて、話は立ち消えになったようだ」
「……」
「……」
二人は目線を交差させた。ウィリアは赤くなって下を見た。
帳面を閉じて、子爵に返した。
「……思い出をお聞かせくださり、ありがとうございます。ですが、ホーバート様、いまは思い出に浸るよりも、大事なことがあります。ぜひ、伺いたいことがあるのです」
「……何かね?」
「ホーバート様は国軍大将。ならば、『黒水晶』についての情報も伝えられているはずです。どうか教えてください。奴は何者なのか。なぜ、破壊と殺戮を繰り返すのか」
ウィリアは子爵の目をまっすぐ見た。子爵は考えに沈む顔をした。
「……君をごまかすことは無理なようだ。しかし、これは本当のことだが、王国としても確実な情報はない。『黒水晶』が何者なのか確認したものはいないのだ。ただ……」
「ただ?」
「……その前に、昔の話を聞いてほしい。君たちは、『皇太子戦争』のことを知っているかね?」
「もちろん知っています。僕の生まれる前に起こった戦争ですね」
「皇太子戦争……。ええ。歴史の時間に習いました。父や、シシアス伯爵も参戦したと聞いています」
「どのように教えられたかな?」
「ええと、南東部で隣り合っていたファガール国との戦争で、奸計によってエンティスの皇太子が暗殺されたため、全面戦争に発展したとのことです。ファガール国は国内でも圧政を敷いていたので、エンティスの勝利で国民を解放し、その後王国領として組み入れたとか……」
「そう教えられて来たのだろうね。その説明で、まちがいではない。しかし、実際はもっと複雑な事情がある。長くなるが、聞いてもらおう」