ホートの街(3)
夕暮れ、ウィリアは宿の焼け跡に行ってみた。
やはりジェンはいない。
片付けは進んでいない。一部に瓦礫が厚く積もっている場所がある。
もしかしたらあの下に……とも思ったが、瓦礫の大きさ的に、人が埋まっている感じでもない。やはり、避難した可能性が高い。
しかしそれなら、なぜ探しに来てくれないのだろう。
「もしかしたらわたしが、抱かないでとか抱いていいとか、面倒なことばかり言うから、嫌になって……」
一瞬そんな考えが浮かんだが、振り払った。見つかる危険を冒してまで、ウィリアのためにソルティア城へ侵入してくれたぐらいだ。きまぐれに逃げだすわけがない。
避難したとしても、怪我をしてないだろうか。
昨夜、炎の魔物が街に入り込んだ。ジェンが見つけたら、風魔法を武器に戦うだろう。
それほど強くない魔物なので不覚を取るとも思えないが、何体もかかってきたら危ないかもしれない。
「ジェンさん、剣を持てばたぶんわたしより強いのに、頑なに持とうとしないから……まさか……」
不吉な想像が浮かぶ。それを振り払う。
とにかくここで待とうと思った。道端の箱に座って、しばらく待つ。
「よお、女騎士さん……」
好色そうな男が声をかけてきた。ウィリアは男を睨んで、剣を鞘からわずかに抜いて見せた。
「あっ。本物の女騎士さんですね……。失礼しました」
男は去って行った。待ってるだけでも、いろいろと面倒なことがある。
待っているうちに、もう一つの不安がわき上がってきた。
昨夜、炎の魔物が大挙して街を襲ってきた。あきらかに街を標的にしていた。その大部分はウィリアが倒した。しかし、あれで全部とは思えない。
エレメント系の魔物には、おそらく大本となる存在がある。それがまた街を襲ってきたら、大変なことになるのではないか……。
ウィリアはお世話になった娼婦の人たちを思い出した。古ぼけたアパートでつつましく暮らしていた。
娼婦、という職業について先入観を持っていたが、それは偏見だった。娼婦というのは高慢でわがままで、召使いにかしずかれて生きているものだと思っていたが違った。彼女たちは普通の女性で、裕福そうではなかった。
もし、あのアパートが火事になったら、彼女たちは大変な苦労をするだろう。
炎の魔物の大本がいれば、それを叩きに行くべきかもしれない。ウィリアには、冷熱の霊気防御や、魔法剣など、対抗する能力はある。
しかしやはり、ウィリア一人で行くのは危険すぎる。治癒師で、魔法の援助ができるジェンがいないと、戦える相手かわからない。
いずれにしても、ジェンがいないと困る。
「ジェンさん……」
また涙が出そうになったが、それは我慢した。
日が短い季節である。周囲はすっかり暗くなった。
声が聞こえてきた。
悲鳴。
ウィリアは立ち上がった。
街の一角が、赤く輝いている。
「炎の魔物!」
ウィリアは走った。
「あの辺は……住宅街。アパートに近い!」
すでにいくつかの建物が燃えている。
走る。
路地を過ぎる。
魔物の全体像が見えた。
思った通り、炎の魔物だった。
巨大な炎の魔物。三階建ての建物くらいの大きさだった。
「う……」
通りの向こうにいてさえも熱を感じる。近寄ることさえ難しい。熱気が体全体から放たれている。
周囲の建物が、触らなくても発火しだした。
直接、剣で斬るわけにはいかない。魔法剣で倒すしかない。
「魔法剣……」
ウィリアは懐をさぐった。ジェンからもらった魔法札がある。
炎の魔法札が数枚あるが、これはたぶん効かない。
風や雷の魔法札もあったが、それほど効果的ではないだろう。
効きそうなのは、氷の魔法札と、水の魔法札。それぞれ二枚しかない。
「四回……。なんとかこれで!」
ウィリアは住宅街を走った。
お世話になったアパートがあった。火事の範囲にかかりそうだ。
シンディさんが入口で声を張り上げていた。
「もう危ない! みんな、逃げな!」
痩せぎすの娼婦が、泣きそうな顔になっていた。
「ここ無くなったら行くとこないですよ……」
「とにかく逃げるんだよ! 生きてりゃなんとかなる!」
ウィリアは彼女たちに目を向けた。シンディさんが気づいた。
「おや、あんた……」
「戦います!」
「危ないよ!」
しかしウィリアは走った。走りながら、氷の魔法札を発動し、剣にまとわせる。
ぎりぎり近づける距離。剣に念を込め、魔法を増幅し、巨大な炎の魔物に振った。
「魔法剣!」
氷の魔法剣は、魔物に当たった。
「ギャア!」
魔物の胴体が斬られた。
「やった!」
しかし、数秒後、炎は勢いを取り戻し、斬られた箇所は元通りになった。
「!」
ウィリアに向かってくる。炎の腕で殴りつけてきた。
直前でかわした。
煉瓦の建物の陰に隠れる。
魔物は追ってくる。
ウィリアは思い出した。
「そうか。性質は昨日の魔物たちと同じ。聖印剣を使わなければならなかった……」
もう一枚、氷の魔法札を使う。
建物の陰から飛び出し、魔物に退治した。
「氷魔法聖印剣!」
魔法剣の軌跡で聖印を描き、魔物に当てた。
魔物の体が崩れた。炎がばらばらと落ちてきた。
「はあ……」
勝った、と思った。
しかし、それはまだ生きていた。少し経つと、散らばった炎がまた集まってきて、やはり大きな炎の魔物を形成した。
「……!」
ウィリアを狙ってきた。
逃げる。
路地を通って、なんとか巻いた。
住宅街の中。炎は広がっていた。
アパートの屋根が燃えていた。
娼婦たちが見上げていた。
「ああ……。もう、ダメだ……」
ウィリアは燃えているアパートを見た。そして、手の中の魔法札を見た。
使えそうなやつが、水の魔法札二枚しかない。
「……」
ウィリアは剣に水魔法をまとわせた。
念を込める。可能な限度まで魔法剣の威力を増す。
「やっ!!」
住宅街の上空に向けて、水魔法剣を放った。水の力が具現化され、周辺に降り注いだ。アパートの炎を消した。
「!」
シンディさんがウィリアを見つけた。
「消してくれたのかい! どうやって?」
「水魔法剣です……」
「魔法剣! 噂には聞いてたけど!」
しかし喜んでいる暇はなかった。炎の魔物が、また住宅街に迫ってきている。
さっきより一回りは小さくなっているが、それでもまだ巨大だった。
「……魔法札があと一枚しかありません。魔法を増幅する時間が……」
すぐにも、こちらに到達しそうだ。
「時間を稼げばいいのかい!? わかった! まかせな!」
シンディさんは走り出した。道端の防火用の桶を持って、魔物に水をぶっかけた。
「……グワオ!」
いくらも効いていないが、魔物はそっちに気を取られて、方向を変えた。
「あんたの相手はこっちだ!」
シンディさんは堀の水をくみ、また魔物にかけた。
魔物が迫る。
そのとき、別の方向からも水がかけられた。
「こ、こっちだ!」
「こっちもだよ!」
アパートの娼婦たちがそれぞれ桶を構えて、魔物に水をかけていた。魔物は思いがけない攻撃を受けてとまどっている。
「みんな……」
ウィリアは、水魔法を剣にまとわせ、念を込めた。
もう次がない。可能な最大のところまで、水魔法の力を増幅する。
シンディさんたちが懸命に戦っている。しかし我慢する。念を込め続け、限界に達した。
魔物に向かって突進した。
「水魔法聖印剣!」
魔法剣の力が達する。
魔物に命中した。
火の勢いが弱まり、体が分解された。崩れてきた炎は弱まり、やがて消え去った。
「やった……」
魔物のいた場所から、炎とは別の光が発生した。いくつもの、薄く淡い光。それは空中に浮き上がって、やがて空へ消えていった。
ウィリアはそれを見上げていた。
「あんた! やったね! ありがとう!」
シンディさんが肩を叩いてきた。
「あ……。みなさんが時間を稼いでくれたおかげです。でも、あの光はなんでしょう?」
「あれはたぶん、数十年前の反乱で死んだ、農民や兵士の怨霊や怨念だろうね」
「死んでいった人たちの……。そうですか……。かわいそうなことをしました」
「なに、死んだ人がこの世に留まっちゃ困るだろ。浄化してやったんだ。いいことをしたよ」
ウィリアは手をあわせて、怨霊たちの冥福を願った。
「あんた、まだ相方は見つからないんだろ? 今夜もうちで寝な」
「はい……」
そのとき、通りの向こうから声がした。
「おーい……!」
ウィリアはそっちを見た。
「あの声は……!」
暗い中を、男が走ってきていた。ジェンだった。
「ジェンさん!」
「ウィリア!」
ウィリアも走った。抱きしめはしなかったが、体をつかんだ。
「ど……どこへ」
「宿の系列店があって、そっちに避難してた。荷物も無事だ」
「なぜ、探しに来てくれなかったのですか……」
「すまない。火傷した人たちを治療していて」
ウィリアは涙をこらえていたが、会えた嬉しさで体が震えていた。ジェンはその肩にそっと手を置いた。
「あんた、お嬢ちゃんの彼氏かい?」
シンディさんがジェンに声をかけてきた。ジェンは驚いて、ウィリアとシンディさんを交互に見た。
「えっ!? いえ、いや、その、まあ、あの、そうです」
「恋人を泣かせちゃダメだよ。しっかりつかんでおきな」
「は、はい……」
ウィリアはシンディさんに礼を言って、ジェンの泊まっている宿へ向かった。
「めでたし、めでたし、だね」
娼婦たちがシンディに近寄ってきた。
「アネさん! やりましたね!」
「ああ、あんたたちも、ありがとね」
「もう店もやってないし、無事だった祝いに飲みましょうよ」
「飲むことばっかりだね。まあ、でも、いいか」
娼婦たちのアパートで、無事を祝う宴が開かれた。シンディは豪快に飲んだ。
「ところでアネさん、あの娘、どういう子だったんですか?」
「詳しいことは聞いてないねえ。強いから、そうとう修行したんだろうけど」
「わりと立派な鎧着てましたよね」
「そうね。躑躅の紋章が見えたから、ゼナガルドの出かな。たぶんいいところのお嬢さんなんだろうね」
そう言って、思い出すような目になった。
「ゼナガルドか……」
「なにか思い出が?」
「三十年以上前だけどね、ゼナガルドの娘と一緒に旅したことがあるんだよ。隠密の仕事とか言ってたけどね。イキがよくて一本気な娘でねえ。魔法使いに言い寄られて、『国元にダンナがいるんだよ!』って蹴っ飛ばしてた。あの娘、いまごろ、何してるのかねえ」