ホートの街(2)
「ジェンさん……」
焼け落ちて、やっと宿屋の火事は収束に向かった。消防団が水をかける。周囲への延焼は防げたようだ。
ウィリアは火事の現場に入ろうとした。
「危ない! 入るな!」
消防団の人に止められた。
「この宿に……仲間が……」
「気持ちはわかるが、釘が出てたりするから危険だ。俺たちに任しとけ!」
ウィリアは立ち尽くすしかなかった。
消防団の人は朝までかかって、残り火が無いか、犠牲者はいないかなどを調べていた。昨夜は街のあちこちで火災が発生していた。一箇所を担当する人の数も限られているようだ。
「ふう……。ここは、このぐらいにしておこう」
焼け跡を調べていた三人ほどの人が、場を離れようとした。
ウィリアがかけよる。
「あ、あの……。取り残された人は……?」
「ああ、昨夜の女騎士さんか。詳しく調べたわけじゃないが、いないようだ」
「そ、そうですか」
「いるとしても、瓦礫のずっと下だ。生きちゃいない」
「……」
団員は去って行った。
ウィリアも焼け跡を調べてみた。人が埋まっている気配はなかった。ただ、屋根や壁が重なって、下を確認できないところがいくつかあった。
個人の力では動かせそうにない。諦めざるを得なかった。
ウィリアは途方に暮れた。行くところが無い。
宿の近くに堀があった。ウィリアは堀の端に腰かけて、どうすることもできず水の流れを見ていた。
「また、一文無しになってしまった……」
ジルフィンの街以来だ。しかも状況はさらに悪い。あのときはジェンが一緒だった。今はいない。
「だ……大丈夫。ジェンさんは、強い人だし……。もともと戦士なのだから、火事なんかで逃げ遅れるはずがない……」
しかし、生きているのであれば、ここに戻ってきてウィリアを探すはずだ。
不安が増してくる。
生きているとしても、もしかしてもう会えないのでは……。
経験したことのない寂しさが沸き起こってきた。
一人になって寂しい、という経験は、人生の中であまりしたことがなかった。城にいたときは、お付きの者や、警護の兵士がいた。城を出てからは一人になったが、それは自身が望んだことで、寂しいと感じる理由はなかった。
ジェンがいない。
思わず、涙が流れてきた。
泣きたくはなかったが、止められなかった。
「うっ……う……」
そのとき、声をかけてくる者がいた。
「あれ! 昨日のお嬢ちゃんじゃないの!」
女性の声だった。
ウィリアは振り向いた。
年配の、丈夫そうな服をまとった女性。昨日森の中で出会った、炎の魔物と戦っていた婦人だ。
「あ……」
「昨日はありがとね。おかげで命拾いしたよ。お嬢ちゃん、泣いてんの? 何があったの?」
ウィリアは涙を拭った。
「あ……あの宿に、泊まっていたんです」
焼け跡を指さした。
「ああ、それは大変だったね。荷物とか燃えちゃった?」
「荷物はどうでもいいのですが、仲間と連絡が取れなくて……」
「仲間……。亡くなった?」
「消防団の人によると、逃げ遅れた人はいないみたいだということですが……。ここにいても、探しに来てくれないので、どうしたらいいか……」
「ふうん……。じゃ、あんた、いま何にも無いんだね?」
「はい……」
「もしかして、昨夜から寝てない?」
「あ、はい……」
「そりゃあひどいね。あんたは命の恩人だ。うちに来な」
「え?」
婦人に連れられて来たところは、二階建てのアパートだった。
そんなにきれいな建物じゃない。
「ま、むさ苦しいところだけどね」
建物に入ろうとした。
そのとき、ちょうど出てくる人がいた。
女性だった。三十ぐらいだろうか。痩せぎすで、派手な柄の服を着ていた。
「あ、アネさん。どうも」
酒の匂いがした。
「エマちゃん、仕事かい? 酒臭いね。また朝まで飲んでたんだろう」
「えー……。まあ」
「仕事で飲むのに、ハネてからも飲んでちゃ体に悪いよ」
「やめられないんですよ……。ところで、その娘、新入り?」
「ああ、このお嬢ちゃんは、本物の女剣士だ。昨日、命を助けてもらってね。宿が燃えたって言うんで連れてきた」
「へえ……。じゃ、失礼します……」
女性はちょっとふらふらしながら出て行った。
アパートの中へ入る。廊下の両側に部屋が並んでいた。
「この部屋が空いている。とりあえずここに寝な。布団とかはあるから」
「ありがとうございます。あなたは、大家さんなのですか?」
「ま、そんなところだ」
「すみません、お名前を聞いていませんでした。伺ってもよろしいでしょうか」
「あたしはシンディ。あんたは?」
「わたしは……ウィリアと言います」
「ウィリアちゃんか。まあ、ひどい目に遭ったそうだけど、とりあえずゆっくりしなさい。あ、腹も減ってる?」
「はい……」
「ここは炊事場は共同でね。誰かいるかな?」
連れられて、アパート奥の食堂に行った。調理場にはひとり、小柄な女性がいた。
「レナちゃん、おはよう」
「あ、ども」
「これから朝ご飯? 悪いけど、この子の分も何か作ってくれない?」
「はい」
「じゃ、食べたら、とりあえず寝なさい。またね」
シンディさんは自室に帰っていった。
レナと呼ばれた、これも三十ぐらいの女性は、ありあわせのもので自分の分とウィリアの分の、チャーハンのようなものを作ってくれた。
「ハイ」
「ありがとうございます」
無愛想な女性だった。食べ終わって食器を片付ける間も何も言わず、自室に帰っていった。
ウィリアも、あてがわれた部屋に戻った。
鎧を脱いでベッドに入るが、不安でいっぱいだった。ジェンは本当に逃げ遅れてはいないだろうか。何もなしでこれからどうしたらいいだろうか。
しかし、昨夜から寝ていない。疲れがどっと襲ってきて、眠りについた。
起きたときには夕方になっていた。
特にやることはない。相談できる相手は、とりあえず大家のシンディさんしかいない。
鎧を着て、彼女の部屋に向かった。
廊下にもう一人、鎧を着た女性がいた。自分と同じ女剣士か、と思ったが、違和感があった。鎧の作りが非常にちゃちで、厚さはペラペラだ。防御の役に立つようには見えない。
その人がウィリアに話しかけてきた。
「あんた、新入り?」
「え、ええ。まあ」
「どこの店?」
「店……? いいえ、店では働いてないです」
「じゃあ、立ちんぼ? 同業者か。だけどあたしのシマ荒らしちゃ困るよ。西一番地から三番地までは遠慮してくれ」
「あの、シマって……?」
「シマってわからない? 何だい? あんた?」
部屋の中からシンディさんが出てきた。
「ああ、マリちゃん、この娘はね、本物の女剣士なんだよ」
「あ、そうなの? へえ……」
女性は出て行った。
「すみません。シマってなんですか?」
「ナワバリみたいなもんだよ。あの娘は路で商売してるから」
「商売って?」
「そういえばまだ説明してなかったね。こっちに来な」
ウィリアはシンディの部屋に招かれた。気になっていたことを聞いた。
「ここは、女性が多いみたいですね」
「みんな女だよ」
「そうなのですか?」
「で、だいたい同じ商売。夜の女。要するに、娼婦」
「え!?」
「このアパートにいるのはだいたいそう。娼婦でなくても酒場で働いてたり、そういうのが集まってる」
「なぜ、集まって?」
「あんたも見ただろう。この街は、特に娼婦が多いんだ。だけどね、やっぱり娼婦なんてのは日陰の職業でね。普通の部屋を借りようとしてもいい顔されない。それで専用のアパートになってる。似た境遇の方が気安いってこともあるけどね」
「そうですか」
「あたしも今はこんなんだけど、昔はそうだったからね」
「え!? 冒険者だったのでは?」
「まあ人に聞かせるような話でもないけどね、若い頃は娼婦やってたよ。たまたま腕っ節が人より強かったから、用心棒もやれってことになってね。剣士の真似事してたらだんだん面白くなってきて。娼婦やめて、女戦士としてしばらく冒険者やってた。十年くらい前にこの街に戻って、落ち着いて大家になったというわけ」
「は……はあ」
「あんたは本物の女剣士のようだけどね、世間にいる女剣士とか女戦士とかってのは、大抵はあたしみたいに娼婦くずれだよ。でなきゃさっきのマリちゃんみたいに、女騎士の衣装で客を取る娘とかね」
「そ……そうですか」
「あんたも、娼婦にまちがわれたことない?」
「そういえば前に、王都でありました」
「まあ、本物の女剣士はめったにいないから、勘違いするのも無理ないけどね。ところで、あたしに話があったんじゃないの?」
「そうでした。あの、仲間とはぐれて、どうしたらいいか……」
「その仲間ってのは、男?」
「はい」
「じゃあ、恋人だね」
「い、いや、恋人じゃないんです。ただの仲間なんです」
「だってさ、泣いてたじゃないの。泣くくらい思っているなら、そりゃ恋人だよ」
「いえ、その、恋人じゃなく、本当に、旅の仲間なので」
「そうかい? 恋人じゃないのかい? キスもしたこともない?」
「あ、その、キスは、その」
「何だい。キスしてんじゃないか。一緒に旅して、キスしてれば、それは恋人だよ」
「いや、それは、事情がありまして。恋人じゃないのです」
「そうなの? 恋人じゃないのかねえ。寝たことはないの?」
「あ、いえ、その、ええと」
「なんだね。泣くほどその人を思っていて、体も合わせたなら、恋人じゃないか」
「い、いや、いろいろありましたけど、恋人じゃないです。彼はわたしを性的に好きではないと思います。わたしの前で娼館に行くような人なので……」
「それはさすがにひどいね。じゃ恋人じゃないね。そういうやつとはさっさと別れなさい」
「いえ、でも、それも、私を思ってくれての行動なんです。思いやりがあって、本当に優しい人なんです」
「ちょっと何言ってるかわからないね。まあ、とにかく、大事な人なんだね」
「え、ええ」
「探すって言っても、焼け跡の近くを回るくらいしかないねえ。まあもうすぐ夕飯だから、それ食べたら行ってごらん」