ピエト教団(5)
ウィリアとジェンは、明日、河を渡って街を出ることにした。荷物をまとめる。
父と息子の二人も、同じように準備をしているようだ。
夜遅くまでかかり、だいたいの用意ができた。
その時である。教会の鐘が鳴った。
一、二……十回鳴った。
それは不吉な印象をもたらした。
「なんでしょう……?」
宿の主人が慌てて部屋に入ってきた。
「た、大変です。教会からの警告です。戦争に備えてください」
「戦争!?」
「そうです」
「そんな、戦争なんて……。ここは、国境からも離れてますし。何かのまちがいでは?」
「教会の警告は、めったに外れたことがないんです。司教のセドルス様が星を読める方で、嵐や地震の時も直前に警告してもらいました。鐘が十回鳴るのは、戦争の警告です」
また教会の鐘が鳴った。十回鳴った。
ウィリアははっとして、窓の外を見てみた。
月が光り、星が輝いている。
「もしや……変化兵の襲来!?」
ウィリアは振り返って主人に言った。
「皆さんを食堂に集めてください。わたしは剣士です。敵が来たら、お護りします」
食堂に、ウィリアとジェン、宿の家族、宿泊している父と息子が集まった。
みな不安そうにしている。
少年は父親に抱かれて、宿の孫娘は母親に抱かれて震えていた。
ウィリアは、剣を抜いて、襲撃者に備えている。
窓を閉め切って、明かりは最小限にとどめる。
ジェンは小さなランプを使って、荷物の中から捜し物をしていた。
「ええと……。あれはどこに入れたかな……」
外が騒がしくなった。
何かが壊れる音がした。そして悲鳴。
何者かの襲来があったのは確かなようだ。
宿の扉を、激しく叩く音がした。
その音は強くなり、やがて扉を壊した。数人の戦士が中に入ってきた。
ウィリアはわずかな明かりでそれを見た。
黒い革鎧。眉のない、感情が感じられない顔。酷薄そうな目と口。そして肌は緑色をしていた。人間に近い姿をしているが、人間ではないだろう。何かを変化させた存在、黒水晶配下の変化兵にまちがいない。
変化兵はウィリアの姿を見て、襲いかかってきた。
ウィリアは、ほぼ暗闇の中で、入ってきた変化兵たちを斬った。
個々の変化兵は強くはない。修行を重ねたウィリアの敵ではなかった。数体の死体が廊下に転がった。
「あった!」
荷物の中を探していたジェンが叫んだ。
お札を何枚か取り出した。
ジェンは宿の中を走り回り、建物の四隅付近にお札をはりつけた。
戻ってきたジェンに主人が尋ねた。
「今のは?」
「魔物よけのお札です。あれを貼っておくと、その内側は魔物の注意を引きにくくなります。声や物音を立てなければ、入ってくることはないでしょう」
宿の安全はいちおう確保した。ウィリアとジェンは目を合わせた。
ウィリアは宿の人たちに言った。
「わたしたちは、戦ってきます。待っていてください」
宿の人たちは不安になりながら、二人を送り出した。
外に出る。
やはり、変化兵たちはあちこちで破壊を行っているようだ。その中心は教会であった。
ウィリアは教会の建物を見た。
「襲撃者は、高い所にいた方が有利……。とすれば、教会の上部に来ているのでしょうね」
ジェンは首をひねった。
「いや……。たしかに教会は高いが、高い所はもう一つある。あの丘だ」
街のすぐそばに、街全体を見渡せる小高い丘がある。
「位置的には、あの方がよさそうな気がする。襲撃者のボスがいるかもしれない」
「では、そこに向かいますか?」
「……」
ジェンは丘と教会を交互に見た。
「すまない。ウィリア。僕は教会に行く。君は丘を見に行って、ボスがいるかどうか確かめてくれ」
「えっ……。はい」
ジェンは教会の方へ駆けだしていった。
ウィリアも、丘の方向へ走った。
「セドルスさま! 無茶です!」
少年僧が、大きな声を出していた。
「……止めてくれるな。クロム。私は司教だ……。この教会を、守らなければならぬ……」
司教セドルスは、不自由な体をおして立ち上がった。
「クロム、その杖を……」
部屋の壁に大型の錫杖があった。少年僧は錫杖を取り、司教に渡した。
司教は、錫杖に体重をかけて、足を踏み出した。
しかしその足取りはおぼつかない。よろける。
少年僧が体をささえた。
「……すまんな……」
司教はふらつきながら、部屋を出た。
教会の中にはすでに多数の変化兵が入り込んでいた。僧侶の中には杖や聖魔法で戦える者もいたが、兵の数に押されている。
数体の変化兵が、司教と少年僧に向かってきた。
「ひゃあ!」
少年僧は頭を抱えた。
「はっ!!」
司教は錫杖を振った。周囲に聖魔法が放たれ、向かってきた変化兵たちは体を焼かれて倒れた。
「はあ……。はあ……」
司教には、法力はあっても、体力がほぼ残っていなかった。少年僧にもたれかかりながら、教会の中を進む。
「セドルス様、どこへ……?」
「鐘楼へ……」
「鐘楼!? あんな高い所へ?」
「……行かねばならぬ……。急ごう……」
教会の中に、僧侶たちの死体が転がっていた。少年僧と司教はそれを見た。
「……すまん。助けていては……間に合わないのだ……。一刻も早く、鐘楼へ……」
鐘楼は、螺旋階段を上ったてっぺんにある。
司教が階段にたどりついた。
もう足で上る体力はない。這って上っていった。下から少年僧が、少しでも楽になるように、尻を押した。
階段を変化兵が上ってきた。
「わっ!」
下にいた少年僧を襲った。兵の剣が、少年僧の体を深く斬った。
「ぐふっ!」
「う……!」
司教は聖魔法を放った。上ってきた変化兵たちは倒された。
「クロム……!」
司教はたまらず、蘇生魔法を使って少年兵を生き返らせた。
「はあ……。あ……。セドルス様……。僕なんかを生き返らせてくれて、もったいのうございます……」
「すまん……。クロム……。もう少しだ……。手を貸してくれ……」
司教と少年僧は、協力しながら、螺旋階段を上った。
ジェンは教会の中へ入った。
予想していたとおり、変化兵の目標はここだ。多数の兵が内部を蹂躙していた。倒された変化兵も多いようだが、僧侶たちの死体もそこら中に転がっていた。
「……」
すべてを蘇生することはできない。
ウィリアと別れたことを後悔していた。
剣術学園で受けた軍事教育からは、丘の上に襲撃者の本体があることはほぼ確実である。冷静に考えれば、二人でそちらに向かうべきであった。
しかし、少し前までいた教会、そして、そこで会話をした司教が、どうしても気になった。
教会の本館へ向かう。
変化兵が現れた。ジェンに向かってきた。
風魔法を発する。
兵は倒れた。
「……だめだ。いちいち倒していては、魔力が切れてしまう……」
ジェンは走った。
しかし、変化兵が道を塞いだ。ジェンは風魔法で、それらを倒さざるを得なかった。
司教と少年僧は鐘楼にたどりついた。
「司教さま、ここで何を……?」
「はあ……。はあ……」
司教は錫杖を握った。錫杖は鐘に触れた。
司教から錫杖へ、錫杖から鐘へ、法力が伝わっていった。
「クロム、鐘を、叩いてくれ……」
「は、はいっ!」
少年僧は、槌で力一杯鐘を叩いた。
鐘から音とともに、聖なる力が流れる。
ガ……ン。ガ……ン。
聖なる力は街を満たした。
ウィリアは丘を登った。
思った通り、多数の変化兵がいた。
それらを斬りながら進む。
丘の上にはさらに多数いて、次々と街の方へ移動するようだ。
彼らには恐怖心がない。理性もない。ウィリアの近くにいる者は襲いかかってくるが、それ以外の者は関心を持つこともなく、街の方へ進行していった。
ウィリアはとにかく、近くにいた変化兵たちを斬る。強くないので斬るのは簡単だが、数が多すぎて、食い止めることは無理だ。
「操っているボスを倒さないと……!」
そのとき、鐘の音がした。
変化兵の動きが止まった。
変化兵は苦しみだし。耳を塞いだ。しかしその体は徐々に変化していった。
黒い革鎧が消滅し、体が小さくなり、人間の形ではなくなった。
それらはすべて、小さなトカゲになって、あたりをうろつき、草むらの中にかくれた。
丘の上に一人、慌てている者がいた。
「おっ、お前ら、どうしたのだ! あんな、鐘の音ごときで……!」
それは人間ではなかった。体中にウロコがあり、トカゲの顔をしていた。立って歩くトカゲ、リザードマンであった。
「しかたない。もう一度変化術を……」
リザードマンは周囲にいるトカゲに変化術をかけようとした。
ウィリアはリザードマンに向かって行った。
「うおっ!? 何者だ!? おまえは!」
問答無用で、その首を斬った。
ジェンは魔力が切れてしまった。僧侶が使っていた杖で変化兵を打ち倒しながら、教会の中を進んだ。
鐘の音がした。
上の方から、力強い鐘の音がしている。その音は、清々しいものに聞こえた。そしてその音がすると、近くにいた変化兵は見る見る姿を変え、無力なトカゲになって、教会の床を這い回った。
「鐘楼に人がいる? この力は……司教?」
ジェンは螺旋階段をみつけ、急いで登った。
一番上に着いた。
少年の叫ぶ声が聞こえた。
「セドルス様! セドルス様!」
司教がうつ伏せで倒れていた。その前で、少年僧が大声を上げている。
ジェンも司教に走り寄った。
「司教さま!」
司教は弱々しく顔を上げた。
「む……。ジェン君か……? なぜ、ここに……? 襲撃者は、どうなった……?」
「変化兵たちは、もとの姿に戻りました。危機は脱したようです」
「……教会の中は……どうなっている……?」
ジェンは眉をひそめた。
「……生きている者は、ほとんどいません……。すでに、全滅に近いかと……」
「ああ……なんと……。……ジェン君……君に、頼めることではないが、僧侶たちを、生き返らせてはもらえないか……?」
治癒術を持っている僧侶を生き返らせることができれば、さらに多くの人が助かる。
しかし、ジェンは首を振った。
「すみません。ここに来るまでに魔力を使い切ってしまいました。僕にはもう。人を蘇生することはできないのです」
「う……」
司教は深い悲しみの顔になった。
だが、強い意志の表情に変わり、ジェンに言った。
「ジェン君……。私には、もう人を蘇生する体力はない……。だが、法力はわずかに残されている……。これを君に託す……。どうか……僧侶たちを蘇生してくれ……」
司教は残る力で、ジェンの手を握ろうとした。
ジェンはその提案を聞いて、固まった。
「そんなことをしたら、司教さまは……!」
「わかっている。だが、先の短い命だ。それよりも、教会を……私の人生をかけて育てた、治癒術を持つ僧侶たちを……救ってくれ……。おねがいだ……」
「司教さま……」
「たのむ……。治癒師として、死にたいのだ……」
「……」
ジェンは司教の手を握った。
その手がまばゆく光り、力がジェンに流れ込んだ。
司教の体が、崩れた。
床に倒れ、動かなくなった。
少年僧が、司教にとりついて叫んだ。
「セドルス様! セドルス様ーっ!!」
ジェンはその声を後に、階段を駆け下りた。
僧侶の死体が多数転がっている。その中で、治癒の力が高そうな僧侶を探して、蘇生魔法をかけた。
「う……。ここは……? 君が蘇生してくれたのか……?」
「説明はあとです! 多数死んでいます! すぐ蘇生魔法を!」
「……む! わかった!」
ジェンは次々と僧侶を蘇生させた。生き返った僧侶たちもまた、僧侶を蘇生した。それが連鎖し、教会内の者たちはほどんど命をとりもどしていった。
やがて彼らは街に分散し、手遅れになっていない犠牲者たちを生き返らせていった。
襲撃から二日、ジェンとウィリアは街に留め置かれていた。
教会が悩んだのはジェンの扱いであった。一部の過激な者から、司教の死に直接の関係がある彼を罰しろとの声が出た。
しかし、彼がいなければ教会が壊滅していたと思うと、そういうわけにもいかない。結局、感謝状といくらかの礼金を与えて送り出すという、常識的な対応になった。
ジェンとウィリアは教会に呼ばれ、あちこちに襲撃の傷跡が残る中、感謝状と礼金を受け取った。
二人は教会の建物を出た。
ジェンがふと、振り返った。
入口の脇に、少年僧がいた。司教のお世話をしていた子だ。たしかクロムと言った。彼はジェンをじっと見ていた。
ジェンは語りかけた。
「……君には、すまないことをした」
少年僧は、司教を心から敬愛しているらしかった。司教を喪ったときの悲鳴は耳に残っている。
「いえ……」
少年僧は首を振った。
「あなたが来てくれなければ、司教さまは、絶望の中で亡くなるところでした。あなたは司教さまを含め、すべてを救ってくれたのです。僕からも、感謝いたします……」
「……そうか」
「ですが……」
少年僧は言葉を続けた。
「僕は、あなたが、うらやましくてしょうがないのですよ。司教さまの最後の力を授けられたのはあなたです。なぜ、僕じゃないんだろうって思うと、悔しくて……。一人前の治癒師になっていれば、司教さまのお役に立てたのにって……」
「……」
「僕は、勉強して、治癒師になります。必ずなるつもりです。あなたのような、立派な治癒師に」
ジェンは首を振った。
「僕は、人から目標にされるような治癒師じゃない。君は君で頑張るといい。それじゃ」
ジェンは歩き出した。少年僧はずっとお辞儀をしていた。