ピエト教団(4)
扉が開いた。
ジェンと役人、僧侶は司教の部屋に入った。
部屋の奥に、ベッドが見えた。
ベッドには人がいた。簡易的な法衣を着ている。角度を調整できるベッドらしく、やや上体が起きていた。
老いてはいるが、顔には威厳があった。ベッドにいるのでわかりにくいが、背は高そうだ。
「そなたが、治癒師のゲントか……」
顔を横に向けて、ベッドの上の人物が言った。
「私が司教のセドルスだ……」
ジェンは、この人物を見たことがあった。剣術学園の闘技会に臨席していた司教である。
声もまた、聞いたことがある。闘技壇の上で「ああ……。だめだ……」と言った言葉は、忘れることがなかった。
当時はもう少し血色がよかったはずだが、衰弱しているのが見て取れた。
脇に十二、三歳くらいの男の子がいた。小さな法衣を着ている。身の回りの世話をする少年僧のようだ。彼は部屋に入ってきたジェンや役人たちを、不安な顔で見ていた。
司教が言った。
「この人と二人で話がしたい……。みな、部屋を離れてくれ……」
役人と僧侶が、驚いた顔をした。
「え!? いや、あの、この者は罪人です。司教様と話すような者では……」
「……わかっておる。だが、たのむ……。ああ、彼の縄も、外しておいてくれ……」
「しかし……」
「そうしてくれ……」
役人たちはしかたなく、ジェンの手にかけられた縄を外した。ジェンを不安な表情で睨んで、部屋の外に出た。
司教は脇にいた少年にも言った。
「クロム、おまえも出るのだ」
「は、はい……」
少年僧は、ジェンが気になりながらも、おずおずと部屋の外に出た。
扉が閉まった。
部屋には、司教とジェンの二人だけになった。
司教は、扉の方を気にしていた。
ジェンを見ながら、扉を指さした。そして、ドアノブを回す仕草をした。
扉を開けてみろ、ということなのか。ジェンはそれに従った。
ドアノブを回す。
扉にくっついて中の様子を伺っていた少年僧、僧侶、役人たちがどっと倒れてきた。
司教が言った。
「そなたたち、心配は無用だ。この人は規則に違反したかもしれないが、悪い人ではない。少し離れて待っていなさい」
「は、はい……」
僧侶たちは扉から少し離れた。
扉を閉める。
司教がジェンを呼んだ。
「こちらへ……」
ジェンは司教に近づいた。ベッドの横に椅子がある。促されてそれに座った。
「治癒師ゲントよ……。そなたは、教団の免許なしで治癒行為を行い、礼品を受け取ったとなっているが……まちがいはないか?」
「はい。まちがいありません」
「ここは治癒術が盛んであるが、それを悪用した詐欺師も多かった……。そのため免許制度ができたのだ。そなたが本当に治癒の力を持っているか、直接たしかめたい……」
司教は布団の横から手を出した。
「その手を握って……念を入れてみなさい。術式とかはなくてよい……」
ジェンは言われたとおり手を握り、治癒術のときのように手に念を込めた。手が白く光った。
「おお……」
司教は、驚いた表情をした。
「わずかな間に、これほどの力を……」
ジェンは手を握ったまま、司教に尋ねた。
「わずかな間……。僕を知っているのですか?」
「忘れていたと思うかね?」
「……」
「治癒師ゲント……。本当は、伯爵家の公子、ジェン・シシアスだな……。君のことを忘れたことはなかった」
「なぜ、無免許の治癒師が僕だと?」
「私はいくらか星を観ることができる。昨夜観た星には、因縁のある若者がここに現れるとの卦が出ていた……。私と因縁のある若者と言えば、ふたり心当たりがある。しかし、一人は、もう死んでいる……」
司教は言葉を句切って、言った。
「私が、死なせた」
「……」
「彼には……君にも……申し訳ないことをした……。君は、私を、恨んでいるだろうね」
ジェンはうつむきながら、言葉を絞り出した。
「恨んでいないと言えば、嘘になります」
「……そうだろう。それが当然だ」
司教は遠い目をしていた。ジェンは尋ねた。
「恨みを持っている僕が、あなたを害するとは思わなかったのですか?」
司教はジェンに目線を向けた。
「友の死を悲しみ、剣を捨てた者が、復讐のため人を害するというのかね?」
その通りであった。もし司教が、贖罪のために殺してくれと言っても、ジェンには実行できないだろう。しかし、足元を見られたようでなんか不愉快であった。
「だが……」
司教は言葉を続けた。
「君がどうしても復讐を遂げたいというのなら……それが悪しきことだと言う権利は、私にはない。君の好きにするといい」
「そんな……」
「生かしておいてくれるか……。ありがたい。もし私が許したとしても、教団の者が許すわけにはいかないだろう……。若者を失うのは、本意ではない……」
「……」
「それに……私の命も、残り少ない……。あと半年も持たないだろう……。体の至る所が、悪くなっている……。もう、たいしたことは、できないのだ……」
ジェンは司教の手を握ったままだった。つい、その手に念を込めた。治癒の力が司教の手に伝わった。
「……よしたまえ」
ジェンはハッとなって念を送るのをやめた。
「仮にも、ピエト教団の司教だ。治癒術でできることは、すべてやっている」
「そ、そうですね……。すみません」
ジェンは手を離した。
「君は……本当に……優しいのだな……。仇である私にも、情けをかけてくれるとは……」
「優しいわけではありません。癖のようなものです」
「……優しい人は、そう言うのだ……」
「……」
「君は、どこで修行をしたのかね?」
「森の魔女さまに教えていただきました」
「……森の魔女さまか……。今でも、若くて、お美しいのだろうね……」
「魔女さまをご存じなのですか?」
「若い頃に、一時期お世話になった。私は教会の治癒術を学んでいたが……魔女さまのところで習ったことは、大いに参考になった……。ただ……魔女さまの方法に従うと……童貞を捨てることになりそうでな……。そうすると、教会での出世ができなくなる……。出世を諦められなかった私は、魔女さまの方法には完全に従うことはできなかった……」
司教はまた遠い目をした。
「今にして思えば、つまらぬ事だったかもしれぬな……。
魔女さまのところを出た頃には、そこそこの治癒師になっていた。人を癒やせるのが嬉しくて……あちらの村、こちらの街に行っては、苦しんでいる人を治して回った……。しかし、それには限界があった……。君もわかっていると思うが、治癒術を行うものには、自らの体の調和も崩しかねない場合がある……」
そのことはジェンもよくわかっていた。
「治癒をやりすぎて……私は体を壊した……。そしてわかった……。個人ができることには限りがあると……。
そのとき不調は、ずっと私につきまとった……。特に、胃腸は治らなかった……。君と、ライド君が戦ったあの日、私はどうしても我慢できなくて、席を外した。手洗いに籠もっていると……係員が、上級蘇生魔法が必要だと呼びに来た……。慌てて向かったが……間に合わなかった……」
「……」
「今でも、悔やまれてしかたがない。なぜあのとき尻を拭いてしまったのかと……。その数秒で、結果が変わったかもしれないのに……。どちらが大事かなんて、考えるまでもないのに……」
喜劇なら笑うところかもしれないが、当事者である二人にはそんな余裕はなかった。
「……私は、弟子たちには、治癒術を安く提供するなと教えている……。治癒術士がいくら努力しても、世界にある苦しみをすべて除くことはできない……。どれかをあきらめ、どれかを選別しなければならぬ。金での選別は無粋ではあるが……普遍的な基準も、また金だ……。金が出せるものには出してもらって……出せないものでも、命に関わるものや働けなくなる障碍は治すようにしている……」
司教はジェンの顔を見た。
「もっとも……それを君に強制しようとは思わない……。君は君の考えで、生きるといい……」
「いえ……。仰ることはよくわかります」
「……私はもう先がない……。君のような若い治癒師が、のちの世界で活躍してほしい……」
そう言うと司教は、大きくパンパンと手を鳴らした。
先ほどついてきた僧侶が扉から入ってきた。
「お呼びでしょうか」
「彼に、あれを……」
「はっ」
僧侶は書状を持ってきて、ジェンに渡した。ゲント名義の、ピエト教団公認の治癒師免許だった。
「……ピエト教団の免許なら……いくつかの街や領国で有効だ……。何かあったときに使うといい……」
「あ、ありがとうございます」
「だが……君は、街を離れた方がいいだろう……。免許があったらあったで、いろいろ面倒な規則がある……」
「はい……」
「もう……会うことはないと思うが……元気でいてくれ……」
「ありがとうございます。失礼します」
ジェンはお辞儀をして司教の部屋を退出した。
部屋から少し離れた場所に、お世話をする少年僧が立っていた。
部屋の中で話したことは聞こえていないはずだが、雰囲気でなんとなくの事情は察しているようだ。少年僧はジェンに、何か言いたい目をしていた。
ジェンは少年僧の前に立った。
「……何か?」
「あ、あの……」
少年僧は、思い切ったように、ジェンに言った。
「司教様は、立派なお方です」
心底、司教を尊敬しているのだろう。ジェンに訴えるような口調だった。
「……ああ。わかっている」
その事実については、ジェンも反対しようとは思わなかった。少年僧に会釈をして、教会の建物を出た。
外はすっかり夜になっていた。星と月が輝いていた。
ジェンはため息をついた。
「なんで、あんなことが起こってしまったのだろう……」
誰にも答えられない疑問を口にして、宿への道を下った。
宿では、ウィリアたちがジェンの帰りを待っていた。
ノックの音がした。
主人とウィリアが、あわてて扉に向かった。
扉を開けると、ジェンがいた。
「ただいま……」
ウィリアは思わず彼の手を取った。
「おかえりなさい……」
安心のあまり、涙が出そうだった。
「心配かけた。教会からは許してもらった。明日、出発しよう」
司教の部屋。
いくつかの窓があり、外が見られるようになっている。
少年僧が司教のそばに付いている。
「クロム、星を観たい。窓を開けてくれ……」
「夜風が、寒うございます」
「少しぐらいなら大丈夫だ……。開けてくれ……」
少年僧は、司教の前の窓を開いた。
星が広がっていた。
しかし、その星の間に、棘のような、黒い雲が混じっていた。
「む……?」