ピエト教団(3)
ジェンは、宿の一室を借りて、治癒術を求めてくる客に対応した。
治癒術の本場、ピエト教団のお膝元ではあるが、恩恵にあずかれない者は多い。命に関わったり、仕事や生活ができなくなる場合には教団が治してくれる。そうではない場合は有料になる。庶民には厳しい金額を払わないといけない。
腰痛や神経痛など、死ぬわけではないが、毎日辛い思いをしている人たちも多かった。
そういう人たちが、ジェンの所に殺到している。
ジェンももう諦めて、次々に来る患者を診た。
ウィリアと宿の人がそばにいて手助けをしている。
「どうしましたか」
「膝に水がたまって……」
治してやる。
治してもらった患者は、お礼を置いていく。現金ではなく作物などを置いていく人も多い。それが部屋の片隅にうずたかく積もった。
さながら野戦病院のようなさわぎになった。次々人が来る。きりがない。
「どうしました」
「巻き爪が痛いんです」
「それ、病院で治りませんか?」
「通ってますけど、よくならないんですよ。お願いしますよ」
すでに多数の人を治しているので、どんどん断りにくくなっている。朝方からずっと治癒のし通しだ。昼食も急いで食べて、午後になっても終わらない。
さすがにジェンにも疲れが見えてきた。また、個々の治癒で使う魔力の量はたいしたことがないが、ここまで続くとさすがに減ってきているようだ。
「ジェ……ゲントさん」
ウィリアが声をかけた。
「ん?」
「ちょっとお話があるので、部屋に来てください」
「でも、まだ忙しいし」
「三分だけでも」
「わかった。この方が終わったら」
患者を終わらせて、ウィリアの部屋に一緒に入った。
「なんだい? 話って」
ウィリアはジェンに抱きついて、キスをした。
「……!」
抱きついたまま、三分間、唇を合わせていた。
三分後、離れた。
ウィリアは頬を赤らめ、斜め下を向いた。
「魔力の足しになれば、嬉しいのですが……」
「いや! なった! かなり魔力が補充された! ありがとう!」
ジェンはまた治癒に戻った。
魔力は回復したようだ。元気も戻ってきたように見えた。
人の列は長い。午後までやっても減らない。
ウィリアはふと、ここから永久に解放されないのではと不安になった。
宿の外を見ても、並ぶ列がずっと続いている。
だが、その列に並ばず、宿に向かってくる者がいた。
いかつい男たちが二人、ジェンのいる部屋にずかずかと入ってきた。
部屋にいた者たちは彼らを見た。
男の一人が言った。
「そこの者、治癒師か?」
「あ、はい……」
「教団の、治癒師免許はあるのか?」
「……いえ、ありません」
「教団の免許がない場合、営利の治癒行為は禁止されている」
男たちは役人らしい。
ウィリアが割って入った。
「いえ、この人は、営利目的ではありません。好意で治癒術を使っただけなんです。人が来て断れなくて……」
「それはなんだ?」
部屋の隅に積まれている礼品を指した。
「……」
「詳しい話を聞かせてもらおう。来なさい」
彼らは並んでいる市民を追い払った。そして、ジェンに縄をかけた。
ウィリアはどうしようか悩んだ。実力で役人たちを退け、ジェンを守るべきかとも考えた。
しかし、ジェンはウィリアに目線で、自重するように訴えた。
「……正直に話してくる。君は待っていてくれ」
ジェンは役人に連れられて、教会に向かった。
ピエト教会。ピエト教団の本部である。
大聖堂を中心にいくつもの棟がある。中にいるのは宗教者だけではない。行政組織も一緒で、多数の役人が働いている。治安や防衛の部署もある。
ジェンは一通り事情を聞かれたあと、牢屋に入れられた。
「処分が確定したら出してやる。おとなしくしていろ」
ジェンは素直に入った。
周囲を見てみる。牢屋なので殺風景だが、寝るベッドもあるし、寒くはない。それほど悪い環境ではないようだ。
ジェンはこれからのことを考えた。
たいした罪ではない。せいぜい罰金か追放ぐらいだろう。ゲントという名前で作った通行証も調べられたが、偽造はばれなかった。おとなしくしていれば出られるはずだ。
ただ、いつ出られるかどうかはわからない。法務の仕事がいいかげんで、微罪でもしばらく牢屋に入ったままということもある。それは困る。また、追放になったら、ウィリアと連絡を取れるかどうか心配だった。
とはいえ悩んでいてもしかたがない。ジェンはリラックスすることにした。
「まあ、むしろ、つかまってよかった……」
あのまま治癒作業を続けていけば、魔力の消費はともかく、自分の神経や体調に影響しそうだった。他人の体を調和させる作業は、微妙に自分の体にも影響し、よほど注意しないとこちらの体調を崩してしまう。
「……」
ここがピエト教会の中か、と思うと、奇妙な感慨があった。
剣術学園の闘技会。ピエト教団の司教が臨席していた。
上級蘇生魔法が必要になったら提供してもらうはずだった。しかしジェンがライドを死なせてしまったとき、司教は席を外していた。戻ったときには手遅れで、ライドは永遠に死んでしまったのだ。
司教は責任を認め、王国の公職をすべて退いたらしい。しかし司教職は続けていた。代替わりをしたとの話も聞かないので、そのままなのだろう。
だからどうだとか、何をするとかいうことではないが、その事実は心に刺さったトゲのように痛みをもたらし、抜こうとしても抜けなかった。
宿では、残されたウィリアと、宿を営んでいる家族、泊まっている父と息子たちが食堂に集まっていた。みな、沈痛な顔をしていた。
主人がうなだれながら言った。
「私が断れなかったから、こんなことに……」
足を治してもらった少年が、悲しそうな表情で言った。
「僕が治癒師さまに治してもらったって言ったから、こうなっちゃったんだ。ごめんなさい……」
ウィリアはみなを励ました。
「大丈夫ですよ。そんな重罪じゃないでしょうし、本人も、正直に話してくると言っていたから、あまり面倒なことにならずに帰ってくると思いますよ」
ウィリアは振り返って、少年の父に言った。
「渡し船は明日から運航するそうです。心配せずにお帰りください」
「いえ、恩人が連れて行かれたのに、そのまま帰るわけにはいきません。もし裁判になれば、事情を証言するつもりです。それまで帰りません」
「ありがとうございます。ですが何日かかるかもわかりませんので、無理しないでください」
ウィリアは前向きなことを言っていたが、いちばん心配していたのは彼女だった。
常識的には、それほど重い罪にはならないとは思う。しかし、旅人に対する罰として、ありがちなのが街からの追放である。変な所に追放されて、連絡が取れず、別れ別れになったらどうしよう……。そのことを怖れていた。
宿にいただれもが、ジェンの釈放を願っていた。
ジェンは牢屋のベッドで横になっていた。まだ眠るには早い。本もないのでやることがない。
ただ、時間の過ぎるのを待っている。
そうしていると、牢屋に役人が二人やってきた。ジェンの牢の前で止まった。
「容疑者ゲント、出なさい」
「……?」
ジェンは役人の間に挟まれ、腕を縄で縛られて、出された。
「釈放ですか?」
「いや、処分は明日決定する予定だったが、なぜか司教様が、そなたに会って決めるとおっしゃって……」
「え?」
「そなた程度の罪人に、司教様がお裁きを下すことはほとんどないのだが、とにかく連れてきなさいということだ。司教様にお目通りすることになるが、けして、失礼なふるまいはしないように」
「……わかりました」
治安部から、教会の中央まで移送される。僧侶たちがジェンの姿を珍しそうに見ていた。
大聖堂に入り、中を進む。正面に立派な扉があった。あれが司教の部屋か……と思っていたら、途中で横にそれた。
「?」
連行している役人とは別に、僧侶らしき人が並んで歩いて、ジェンに告げた。
「司教様は、お具合がよろしくない。歩くのも難しいので、最近はベッドのままご指導を賜っている。司教様の自室に連れて行くが、くれぐれも、失礼なことはしないように」
「はい」
僧侶たちの住む空間に入った。部屋が左右に並んでいる。
その奥に、両開きの扉があった。これが司教の自室らしい。
役人とジェン、僧侶が扉の前に立った。
役人の一人が言った。
「司教様、容疑者ゲントを連れて参りました」
中から声がした。
「入りなさい……」