ピエト教団(1)
ウィリアとジェンは、魔法剣の威力を増すためフィクル山を目指す。フィクル山は王国の中部にある。
北東部のソルティアを離れ、南に向かう。
途中には広い川がある。橋はかなり上流まで行かないとない。渡し船に乗るには川沿いの都市を通る必要がある。
経路で近いのは、ピエト教団の治める街ピエティカルになる。二人はそこに向かった。
秋が深まっていた。
数日前から、本降りの雨が降っている。
二人はマントを羽織り、旅を続けている。快適な状況ではないが、雨ごときで歩みを止めるわけにはいかない。
雨でかすんだ街が見えてきた。市壁で囲まれ、その中央に壮麗なピエト教会が建っている。
ジェンの足が止まった。
「……」
ジェンの顔は、生命力を注ぎ込んで若い顔に戻っている。
ウィリアは、ピエト教団の街を見るジェンの横顔を見た。
ソルティアを見たときも、ジェンには大きな感情があるように思えたが、ここでも近いものを感じた。しかし、そこにある感情は別の種類のように見えた。
「ジェンさん、あの街に、なにか……?」
「いや、何もない」
ジェンは無表情を装っていた。
ウィリアは話しかけた。
「ピエト教団と言えば、教会治癒術の本場ですね」
「そうだ。治癒術の流派はいくつかあるが、いちばん術者の多いのが教会治癒術で、ピエト教団はその最高峰だろう。そしてその司教は、森の魔女さま以外では、おそらく最も力のある治癒術者だ……」
司教、というところで、ジェンは独特な表情をした。
ウィリアは思い出した。
ジェンの親友ライドは、闘技会の事故で死んでしまった。
上級蘇生魔法が使える者がいれば助かったはずだが、そのとき、招待されたピエト教団の司教は席を外していた。そのため、間に合わなかったのだ。
ウィリアは教会を見た。
そこにいるであろう司教は、ジェンにとっては、仇のような存在だ。
だからどうするということもないだろうが、心中はおだやかではないはずだった。
ジェンは無表情のまま、雨の中を歩き続けた。
街に入る。
教会の治める街なので、人通りは多いが雑然とした印象はなく、静かな雰囲気だった。
教会は街の中央の丘の上にある。
それから少し下った所に、商業施設などが並んでいる。さらに外側に住宅地がある。
街は川に面していて、対岸にも街があった。橋などはなく、渡し船で行き来をする。
二人は宿を探した。
「どこにする? 高級ホテルもあるけど」
教会の近くには、立派な建物が並んでいた。
「高級なところに泊まりたいとは思いません。手頃な宿にしましょう」
野宿の旅をしていると、雨風がしのげて、体を洗えれば十分という気分になる。川に近いやや庶民的な宿を見つけた。
主人らしき老人が出てきた。
「いらっしゃい」
「個室二つありますか?」
「はい。どうぞ」
二人は部屋に入った。小さな部屋だったが不満はない。共同だが風呂もある。ウィリアとジェンは相次いで入浴し、冷えた体を温めた。
夕方になっていた。食堂へ行く。
小さな宿で、十人ばかりいれば満席になるテーブルに食事が出される。肌寒いので、テーブルの横の暖炉に火が入っていた。食堂にはウィリアとジェンの他は、父と子らしき客がいるだけだった。
宿の人が食事を出してくれる。パンと薄いスープと、申し訳ばかりのハムだけだったが、満足して食べた。
宿の人がウィリアに話しかけてきた。
「お客さん、この街ははじめてですか?」
「はい。旅の途中で……」
「これからどこへ?」
「明日、川を渡って南へ行こうと思います」
「ああ、明日は無理だと思いますよ」
「えっ? なぜ?」
「この雨で、渡し船が出ないんです。実はここ三日ばかり止まっているので、足止めになった人も多くて……」
ウィリアとジェンは顔を見合わせた。
「……しょうがないね」
「ですね」
渡し船が再開するまで、逗留する以外なさそうだ。
テーブルの斜め向かいに、親子らしき二人が座っていた。父と、十歳ぐらいの息子のようだ。
父の方は頑丈そうな体だが、息子は足が悪いようだ。松葉杖をついている。右足の膝が曲がったままになっている。
二人とも元気がない。暗い顔をして、食事中にもため息ばかりついている。
食事が終わって、お茶が出た。
ウィリアとジェン、その親子と宿の人も加わって、テーブルでお茶を飲んでいた。
親子はため息ばかりついている。
父が息子に言った。
「……次に船が出たら、家に帰ろうな」
「……うん」
親子はまたため息をついた。
ウィリアは彼らが気になった。
「あの……」
つい、尋ねてみた。
「お二人は、なにか、お悩みでもあるのでしょうか。さきほどから、晴れない顔をしていましたが……」
「……」
親子は少し黙った。しばらくして親が話し出した。
「面白くもない話ですが、聞いてもらえますか。私は川を超えてしばらく行った所に住むぶどう農家です。少し前、この子が怪我をしました。馬に膝を踏まれたんです。それ以来、足が伸びなくなって……。
医者に診せてもどうしようもなく、治すにはピエト教団の治癒術が必要と言われました。しかし、教団の領民ではないので、治してもらうには金がかかります」
「いかほど?」
「相場は、五千ギーンと言われました」
「そんなに……」
「家の蓄えや、知り合いに金を借りてなんとか工面しました。ですが、ここに着く直前に泊まった宿で、その金を盗まれまして……」
「え」
「旅費と治療代は別にしていたのですが、それがよくなかった。宿に旅費を払っている間、治療代が入っている袋をこの子に見てもらっていました。だけど、一緒に泊まった旅人に目をつけられていたようです。離れたすきに押し入られて、むりやり荷物を奪われました。子供の力で守れるものじゃありません。気づいたときには、そいつは窓から出て、馬で逃げていました」
「……」
「金は無いけどあきらめきれず、いちおうここまで来てみました。なんとか後払いでお願いできないかと頼みましたが、断られて……。結局なにもできず、無駄に時間を使ってしまいました。次に船が動いたら帰ろうと思います」
そう言って、親子はまた大きなため息をついた。
かわいそうな話を聞いて、ウィリアも、宿の人も暗い顔になった。
ウィリアはふとジェンの方を見た。
うつむいて、困った顔をしている。
「……」
少しして、ジェンが口を開いた。
「あの……」
まるで悪いことを白状するような口調だった。
「……その足、治せるかもしれません……」
「え?」
「僕は、修行中の治癒師です。もしかしたら、治癒術が使えるかもしれません。やってみませんか?」
父親は困惑の顔をした。
「し、しかしですね、聞いていたでしょう。治療費はありません。旅費も余裕はないので、もし治してもらってもお礼はできないのです」
「修行中の身ですので、礼金はいりません。絶対に治せるとは言えませんが、悪くはしませんので、やってみませんか?」
息子は父親の顔を見た。
父親はますます困惑していた。
無料で治癒術を使ってくれるなんて、常識的にはありえない。なにかの罠かもしれない。
しかし、もし本当だったらと思うと、断ることはできなかった。
「……おねがいします」
「温かい方が効きがいい。暖炉の前をお借りします」
椅子を暖炉の前に動かして、ジェンとその少年が向かい合って座った。
ジェンは少年の膝を持った。
両手で包み込む。
「……」
集中した顔をする。
伸びない膝を、しばらく包んでいた。
すると、ジェンの手が光った。強い光ではないが、暖炉の前でもはっきりとわかるくらい白く光った。
「おお……」
見ていた者が、つい声を出した。
少しのあいだ膝を包んで、手を離した。
「……よし。伸ばしてごらん」
少年は足を伸ばしてみた。
さっきまで曲がって固定されていた足が、伸びた。
「あっ……」
「立ってみて」
ジェンは少年の手を取った。
少年は両方の足で、床に立った。
「立てた……」
「おお!」
「パパ、立てた!!」
「よかった! よかったなあ!!」
親子は抱き合って喜んだ。
「筋肉が弱っているので、すぐには歩けないと思います。松葉杖をつきながら歩く練習をしてください」
父親は涙ぐんでいた。
「あ、ありがとうございます……。このお礼はきっと……」
「お礼はいいですよ。お大事にしてください」
親子はジェンに何度もお辞儀をした。
その様子を見て、宿の主人が、ジェンに言った。
「あの……」
「なんでしょう」
「よければ、うちの孫娘も診ていただけないでしょうか」
「お孫さん? 何があったのですか?」
「火傷で……」
主人が孫娘を連れてきた。
七、八歳くらいの女の子。顔の目の上から額の部分が大きく火傷していて、赤くただれている。
「転んで暖炉に顔を突っ込んで、こうなりました。女の子なのでかわいそうで……」
見ていたウィリアが、疑問を口にした。
「ここは治癒術の本場だということですが、教会で治してもらえないのですか?」
主人は首を振った。
「命に関わったりすることは治してもらえるのですが、それ以外のことについては、金を払わないと受け付けてもらえません」
「そうですか……」
「この子、治るでしょうか?」
女の子は恥ずかしそうな顔をしている。
「やってみましょう。こっちにおいで」
家族に促されて、女の子はジェンの前に立った。
額に手を重ねる。
手が光った。
少しの間、手を押しつける。
女の子が言った。
「あったかい……」
しばらくして、手を離した。
火傷の跡は変化していた。さっきまで赤くただれていたのが、いまはやや白っぽくなって、浮き上がった感じになっている。
「そこは徐々に、カサブタになってはがれると思います。無理にはがさないで、数日待ってみてください」
「あ……ありがとうございます。うちも、大してお礼はできませんが、宿代はタダにさせていただきます」
「お言葉に甘えさせていただきます」
ジェンは疲れたような感じで、体を伸ばした。
自室に戻る。
ウィリアが声をかけた。
「ジェンさん、魔力を使ったでしょう。一緒に寝ましょうか?」
「いいよ」
「でも……」
「死者を蘇生する魔法に比べれば、そんなに魔力は使わない。ただ、治療は微妙な加減が難しくて、精神的に疲れただけだ。一晩寝れば治る」
「そうですか? では、ゆっくり休んでください。おやすみなさい」
「おやすみ」