ソルティア領国(3)
市壁の外。畑が広がっている。
畑の中に農具小屋がある。ごく普通の、薄汚れた古い小屋。
日が暮れて、あたりは暗くなってきた。
ジェンとウィリアは小屋の前まで来た。
鍵がかかっている。
ジェンは魔法を使い鍵を開けた。入る。
内部には農具などが雑然と置かれている。ジェンは奥まで進んだ。
奥にはムシロが重なっている。
ジェンはそれをよけた。
すると、地面に扉があった。
その扉も鍵がかかっていたが、やはり魔法で外した。
開けると、かなり下まで階段になっていた。
ウィリアは目を丸くした。
「こんなものが……」
ジェンが言った。
「万が一の時に脱出する通路だ。城の者でも、知っているのはほとんどいない」
「ゼナガルドではこういうのはないですね」
「もしかしたら、あるんじゃないか? まだ聞いてないだけかもしれない。城に戻ったら、養育係の人に聞いてみるといい」
「いや、戻りませんよ?」
「そうか」
ジェンは階段を下った。ウィリアもあとに続いた。
通路が城まで延びている。
ランプをつけて進む。
「よく考えたら、わたしまで忍び込む必要はなかったですね。ジェンさんだけなら、もし見つかれば正体を明かせばいいんだし」
「城の警備員との戦闘になるかもしれない。そのときは守ってくれ」
「いや、戦闘になるくらいなら名乗ったら? それにわたし、罪のない人を傷つけるのはいやですよ?」
「こんな顔だし、名乗っても信じてもらえないだろう。戦闘になったら傷つけずに防御だけしてくれ」
「やってみますけどね」
通路を歩く。
ジェンが小声で言った。
「もう、城が近い。静かにしよう……」
ウィリアは頷いた。
階段があった。
それを登り切ると、小さな扉があった。
ジェンが扉の隙間を伺う。耳をつけて物音を調べる。
「行こう……」
扉を引いて開く。
城の中の、薄暗い廊下の行き止まり。
扉の前に台があり、その上に磁器の壺が飾られている。
その台をどかそうとした。
ガチャン!
壺が落ちて壊れてしまった。
「まずい!」
ジェンは扉を閉めようとした。
「ジェンさん、治癒魔法!」
「あ、そうか!」
ジェンは壊れた壺を修復し、台の上に戻した。
扉を閉める。
足跡が近づいてきた。警備員が来たようだ。
近くまで来ている。
警備員は、しばらく足を止めて、周囲を調べているようだ。
「なんともないな……。なんだったんだろう?」
やがて、去って行った。
「ふう……」
「どうしたのですか?」
「思い出した。ここから忍び込んでくる者へのトラップだ。台か壺を動かそうとすると、落ちて割れる仕掛けだ」
「気をつけてくださいね」
次は気をつけて、壺をもちあげてゆっくり移動させた。
廊下に出る。
足音を立てないようにゆっくり移動する。ウィリアも後に続く。
ジェンが一室のドアに触れた。
鍵がかかっていたが、風魔法で外す。
どうやらここがジェンの自室のようだ。
入る。鍵を閉める。
廊下にはいくらか明かりはあったが、ここは真っ暗だ。
発光液のランプを取り出して、明るくする。
「……」
ジェンとウィリアは部屋の中を見た。
少年の部屋だった。
掃除はされているようだが、本や持ち物はそのままになっているらしい。壁には本棚が並んでいて、ほとんど歴史の本だ。戸棚には、土器のかけらなどが並んでいる。
ジェンはわずかの間、それらを見ていた。
思い切ったように動き出した。
「この戸棚にあるはずだ……」
戸棚の引き出しを開く。いろいろなものが出てくる。古い切手、古銭、模型など。ジェンの整頓はあまりよくないようだ。
「ええと、どこだったかな……」
ウィリアは気がせく。物音を立てると警備員が気づくかもしれない。
ソルティアには領主がいない。
数ヶ月前、領主レオン・シシアスは命を落とした。謎の剣士「黒水晶」に殺されたのだ。
そして、後を継ぐべき公子は城にはいない。
実はいま城にいて、自分の部屋で戸棚をあさっているのだが、だれもそれには気づいていない。
領主亡き後、領国を取り仕切っているのは老臣のアンベールであった。
彼はしばらく前に妻を亡くしていた。それ以来、家のことは息子に任せ、自らは城に泊まり込んでいる。
領主を失ってから、仕事は膨大になった。領主がやるべきことに加えて、代理で処理するための手続きが必要になる。
さらに領国内の視察、王国との交渉、隣国や他の領国との外交がのしかかってくる。毎日それらの処理に追われて、寝るのは夜中になってからだった。
その日も夜遅く、最後の書類を片付けた。
「ふう……」
老いてかすんだ目を押さえる。
椅子にもたれて一息ついた。
今日の昼間、城下を視察したときのことを思い出していた。
行方不明の公子、ジェンを見つけたと思った。旅人姿でフードをかぶっていたが、間違いないと、顔を見た。
しかしそれは老人だった。前領主よりもかなり年上だった。
「わが目も衰えたな……」
失望したが、どうも気にかかる。
「しかし、雰囲気は似ていた……」
年齢以外は、体つき、背格好がそっくりだった。顔も似ていた。ジェンが老人になったらあのように老いるといった顔だ。
もしかしたら、血のつながりがある者かもしれない。
御落胤ということもある。もっとも、前領主の御落胤のわけはない。前々領主でも年代が会わない。
その前の領主……となると、はるか昔の記憶だが、似ていない気がする。
あるいは、母方の関係かもしれない。しかしそうであっても、遠い昔の話だ。
ランベールは考えを振り払った。もしあの者が伯爵家と関係があったとしても、かなり遠いはずだ。他人の空似として捨て置くほかはない。
彼は立ち上がり、ランプを持って執務室を出た。寝る前、城内を巡回するのが日課だった。
「あった!」
ジェンが小声で叫んだ。
メダルをウィリアに見せる。
そこには、ランバ氏にもらった模様と同じメダルがあった。
「たしかに……」
「じゃ、出よう」
「ジェンさん、他に持ち出したい物はないのですか?」
「……」
ジェンは、自分のものだった部屋を、わずかの間見回した。
「何もない。行こう」
二人は部屋を出た。
廊下を進む。
そのとき、足音が聞こえてきた。
廊下の向こうから、かすかにランプの光も見える。
「!」
ジェンは一瞬固まったが、脱出した方が早いと判断して、隠し通路の方に走った。
気配を感じたのだろう。足音が走ってきた。
隠し通路に入る。ウィリアも続く。
足音は近づいてきている。
急いで階段を降りる。通路を進む。しかし、通路は狭く、腕を振って走る余裕はない。
誰かが背後から近づいてきた。
二人は逃げる。
通路を進むのは、追う方が慣れているようで、距離が近づいてくる。
二人は懸命に逃げたが、足元が良くなくて速くは進めない。
出口の階段の近くで、至近距離となった。
追手は剣を抜いた。
ウィリアに振り下ろす。
ウィリアも剣を抜いて、それを受け止めた。
「ぬう……」
追手は体を離し、再度剣を振る。
またウィリアが受け止める。
何度か応酬があった。
ウィリアに守られているジェンは、追手の顔を見た。
「あ……」
よく知った顔。アンベールだった。
ウィリアとアンベールは剣を交えている。
本気で戦えば、ウィリアに部がありそうだ。しかしウィリアは傷つけないように戦っている。一方アンベールは本気で斬りに来ている。そのハンデがあるのでなかなか撃退できない。
アンベールの方も、二人の顔を見て思い出したようだ。
「貴様たち、昼間の旅人か!? 伯爵家の財産を盗みに来たのか!?」
思い切って剣を振ってきた。老いたとはいえ、剣筋は鋭い。
ウィリアが押される。
ジェンは風魔法を放った。アンベールの体が揺らいだ。
その間にジェンとウィリアは階段を上ろうとした。
だが、アンベールはすぐ体制を立て直した。
「おのれ! 妙な術を!」
階段を駆け上ってくる。、今度はジェンを狙ってきた。
ジェンは風魔法を発し、同時に、思わず声を上げた。
「見逃してくれ、アンベール!」
その声を聞いて、老いた剣士は目を丸くし、動きが止まった。
そこに風魔法が当たり、階段を数段落ちて、床に大の字に倒れた。
「あっ……」
ジェンとウィリアは階段を降りて、落ちたアンベールの様子を確認しようとした。
しかし、彼はすぐ起き上がった。だが立てないようだった。膝をついて、四つん這いでジェンの方に近寄ってきた。
ジェンは再度階段を上った。
背後からアンベールが言った。
「その声は、ジェン様なのですか!?」
ジェンはそれを無視して上り続けた。
アンベールは背後からジェンに言った。
「ジェン様! どうか、お戻りください! あなた様のご帰還を待っておりました! どうか、領主としてお戻りください!」
農具小屋までたどり着いた。駆け出す。
背後からアンベールが、這いながら階段を上ってきた。
「ジェン様! いま、戻れないのであれば、いつかお戻りください! 待っております!」
小屋のそばに、逃走用の馬を用意していた。ウィリアとジェンはそれに乗った。
小屋の入口から四つん這いのアンベールが顔を出して、声を張り上げた。
「いつまでも、いつまでも、待っていますぞ!」
ジェンは顔をそむけ、馬を走らせた。