ソルティア領国(2)
ソルティア。エンティス王国の中でも、有力な領国である。
首都は海に面していて、市壁は半円状になっている。
ウィリアと、老人の顔になったジェンはそれを見渡せる峠まで来た。
ジェンは足を止めた。
「……」
市壁と、その背後にある城をじっと見た。
ウィリアはジェンの横顔を見ていた。
彼はつぶやいた。
「もう、来ないつもりだったが……」
ジェンにとっては、捨てた故郷である。
外見が老いて落ちくぼんだ目の奥に、大きな感情があるように、ウィリアには見えた。
ジェンが思いきったように歩き出した。
「行こう」
首都の中は賑わっていた。
港が近いので海産物の市がある。交易所もあり、活気のある街である。
ウィリアとジェンは街に入った。ジェンはフードを深めにかぶって、薬の荷物を背負っている。
「賑やかですね」
「シシアス家はエンティス建国からここを治めていた。街の繁栄は、何代もかけて実現されたものだ。歴代の当主が有能で、真面目だったおかげだ」
ジェンはウィリアに振り返って言った。
「その例外が、僕というわけだ」
「自虐ネタはいいですから」
街の大通りに向かう。
賑やかな所に入る前、ウィリアが小声で言った。
「あの」
「ん?」
「声がそのままですよ。聞いたらわかる人もいるんじゃないですか?」
「う……」
「口がきけないっていう設定にしましょう」
「わかった」
市内には入ったが、すぐに忍び込むわけにもいかない。まず状況を確かめたい。
大通りを進む。人が多い。
しばらく行くと、人通りが滞っていた。
「何でしょう?」
「?」
ウィリアとジェンは遠くを見た。
どうやら、偉い人が市内の視察をしているらしい。鎧を着けた武人が三人ほど歩いている。周囲を警備の者が取り囲んでいる。市民は畏れて距離を取り、混雑した道の進みが止まっていた。
先頭にいる武人には非常な威厳があった。老人のようだが、立派な体格で、ふるまいも堂々としていた。
ジェンは人々の間から武人を見た。
そのとき、武人もこちらの方を見た。目が合った。
武人の目がジェンに釘付けになった。
武人は走り出した。こちらに向かってくる。
ジェンは固まった。
武人は人混みをかきわけ、ジェンに近づき、肩をつかんだ。そしてフードをよけた。
「……」
「……」
老いた姿になったジェンと、その武人は少しの間見つめ合った。ジェンの表情はこわばっていた。
武人が言った。
「……そなた、名前は?」
ウィリアが割って入った。
「その者に何かご用でしょうか。その者はわたしの従者で、口がきけないのです。なにかあるなら、わたしがかわりに伺いましょう」
武人はウィリアの方に目を向けた。
「……いや、人違いだったようだ。失礼」
武人はジェンから手を離して、戻っていった。
二人は大通りを外れ、路地裏に入った。
ジェンは冷汗を流していた。
「あ……危なかった……」
「いまの方は?」
「アンベール……。シシアス家に代々仕える家の出で、ソルティア随一の剣使いと言われた人だ。僕はあの人に、剣を習ったんだ」
昼食を取りに、大きくない料理店に入った。
店の壁には「公子ジェンを見かけたら連絡を」という広告が貼られていた。店の中だけではなく道端にもあったものだ。
二人は席について、魚料理を頼んだ。
お昼を少し過ぎていたので、さいわい客は少ない。ウィリアは暇そうにしているウェイトレスに話を聞いてみた。
「ソルティアへ来たのは初めてなのですが……ここでは公子様が行方不明になっているのですか?」
中年のウェイトレスは話し好きそうだった。
「そうなのよ。何年も前からなんですけどね。今年に入ってから、領主のレオン様が亡くなったでしょう。だから次の領主を決めなきゃいけないんだけど、肝心の公子がいないから、延び延びになっちゃって……」
「どういう事情があるのでしょうか」
「それがねえ、ジェン様って言うんだけどね。王都の剣術学園に行ってたのよ。そこでディネア領国の公子様と親友になったんだけどね、剣術学園の剣の大会で、過ってその親友を死なせてしまったらしいのよ。あまりのことに、精神に異常をきたして、着の身着のまま学園を出奔したんだって」
「そうですか……」
「必死になって探しているけどね、魔物とかにやられて、もう死んでるんじゃないかって言われてるのよ。冒険者になって旅しているって噂もあるんだけどね。それならまだいいんだけど……」
「やっぱり、みなさん帰るのを待ってるのですか?」
「その方が領主にならないと、亡くなった領主様の叔父様がなりそうなんだけどね、ちょっと頼りないそうなのよ。あと、お金にきたないという話もあるし。もっとも、公子様が生きてたとしても、領主になれる状態かどうかもわからないしねえ。正気に戻って、無事で帰ってきてくれれば一番いいんだけどねえ」
ウィリアとジェンはふたたび路地裏を歩いていた。
ウィリアが口を開いた。
「精神に異常をきたして、ですって」
「まあ、そのとおりですね」
「また自虐はいいですから」
ジェンは虚無の顔をしていた。ウィリアが言った。
「あの、念のためもう一度言いますけど、やっぱり戻った方がいいんじゃないですか?」
「戻りません」
「でしょうね」
ウィリアは話題を変えた。
「それで、忍び込むのはいつ?」
「長引かせてもいいことはない。今夜、実行する」