アルファの力関係4
中心にはスーツをかっちり着て、サングラスをしているオールバックの男がいた。そいつはテーブルに肘をついて、あたしに微笑んだ。
「あんたが蛇崩さん?」
「――はい、そうですけど何かご用でしょうか?」
「このクソアマ、口の聞き方に気をつけろよ!」と男が机を拳で叩いた。
「そうだぞ、アルファはアルファでも早坂さんは上級アルファだ。下級アルファで、こんな寂れたレストランの給仕をやってるおまえと違う」
「住む世界が違うんだ。早坂さんは有名私立大学を首席合格してるんだ。今や大手ゼネコン会社のトップ営業だ。身のほどをわきまえろ!」
周りの連中も机を叩いた男にならって早坂という、うさん臭い笑顔の男を持ち上げた。
どこの場所にいても似たようなことってあるし、いやなやつがいるのねと内心ため息をつく。アルファといえどあたしはベータと大差ない下級アルファ。魂の番なんて目の前に現れないし、容姿も能力も優れた上級アルファと違ってオメガの男女からもぜんぜんモテない。
せいぜいアルファがいないオメガの騎士。番に満足していないオメガの逃げ場所で止まり木でしかない存在。
そして目の前のアルファはアルファの中のアルファ。上級だ。学歴や性別、バース性でオメガやベータを差別するだけでなく同じ仲間である人間も、ただの使いっ走りにしか思わない典型的なクソ野郎だ。
昔のいやな記憶を、つい先日のできごとのように思い出す。あたしは唇を噛みしめ、両の拳を握りしめた。
「まあ、そう言うなよ。てっきり動物園の檻に入れられたゴリラかチンパンジーが壱架の相手をしているのかと思っていたら、それなりにきれいな顔立ちをした可愛いい女の子じゃないか?」
てっきり、すぐに殴りかかってくるか、ものを投げてくるかと思っていた。
でも早坂は、恋人や婚約者に贈る服やアクセサリーをひとつひとつ吟味するような目つきで、あたしのことを凝視した。
その目つきに胸がちりつく。火事が起きた家を前にして灯油缶を抱き込み、突進する人間を目にしたときのような信じられない気分になり、顔を歪めた。
「早坂さん、何言ってるんですか!? そんなできそこないの女よりも、ちゃんと下がついていないベータの女のほうがいいですって!」
「そうですよ! オメガの男にすら劣る欠陥品なんですから」
「こいつは早坂さんの女を寝取ったビッチなんですよ!? こんな男みたいな格好してるやつなんて、。」
「そこがいいんじゃないか」と早坂は、なんてことのないように言う。「ベータの女は『結局アルファはオメガを番にするから』となかなか股を開かない。かといってオメガは頭の足りないバカが多くて股を開くが妊娠する率が異常に高いだろ」
「……何が言いたいのでしょう?」
震え声にならないように慎重に言葉を選んでいく。さもなければ、すぐにこの底しれない男のペースに飲み込まれ、何をされるかわかったものじゃない。
にっこりと人好きの笑みを浮かべた早坂が白いコーヒーカップの中に入った黒いコーヒーを口へと含んだ。そしてカップと同じ色をした皿に置き、口を開いた。
「壱架は、大層きみのことを気に入ってるそうじゃないか。あいつは顔や体はよくても性格がきついし、わがままで自己中だ。おまけにいつまでも頭の中がガキでヒステリー持ちだからね。あいつにもオレのように仲よくできる友だちが必要なんだよ、蛇崩さん。きみもアルファだ。オメガを扱うのは大変だと理解しているだろう?」
「仰る意味がわかりません。ご用がないのなら仕事へ戻らせていただきます」
そのまま会釈をして厨房に戻ろうとすれば早坂の周りにいた男が立ち上がり、あたしの前に立った。
ガン飛ばしをしてきても怖くなんてない。ケンカだったら子どもの頃から異性とだってやってきた。
ヤクザや連続殺人犯じゃなければ一対一のサシの勝負で絶対に負けない。ナイフや包丁を相手が持っていても剣道をやってきた勘や腕は鈍ってないもの。得物を叩き落とすことだってできるわ。
「まだ話は終わってないんだ。そんなに焦らないでくれよ」
「今日は人も多い日ですから店員も忙しいんです。待っているお客さまがいますから要件は手短にお願いします」
「じゃあ単刀直入に言おう。壱架をきみと共有したい。そしてきみには、オレと今からホテルで寝てもらいたいんだ。そうだな、一回につき、五万から十万なんていうのはどうだい?」
「……はあ?」
瞬間、信じられない言葉を耳にして敬語を使うのも、体に覚え込ませた営業スマイルも忘れて、素のままの状態で訊き返した。
「きみが壱架を可愛がっているのは充分わかっているよ。その関係を咎めたりはしない。むしろ、これからも維持してほしいくらいだ」
「どういうことでしょう? なんのことだか、さっぱりわかりません」
「オメガの番は妊娠する恐れが大いにある。オレはあいつが魂の番でなければ番にしようとも思わなかった。むしろアルファの女たちとビジネスライクな関係を維持したかったんだよ。なのに……あいつがオレの前に現れてオレの人生をめちゃくちゃにしたんだ」