5:20 PM
「いつもの女の子と一緒じゃないなんて珍しいのね」
いつもと言われるほど大体一緒に行動している人物に心当たりはある。しかし性別は男だ。女の子との接点が全くないわけではないが、そんな風に言われるほどの関係がある相手は思い浮かばなかった。
「……どういうことですか?」
「いつも君と一緒の前髪の長い女の子が居ないのが珍しいって思っただけで他意はないのだけど。喧嘩でもしちゃったのかしら? 何か気に障ったのならごめんなさいね」
聞き返した言葉に対して司書さんはそう謝りながら奥へと姿を消す。今の会話で覚えのある特徴が出たことにより、謎の人物の正体を掴みかけている。その答えに辿り着くため脳みそをフル回転させ状況整理を始めた。
(女の子……? 前髪の長い……天が女? TS、性転換? 記憶、認識の改竄……先天性? なら俺は何故男だと記憶している……?)
頭の中でカチッと何かがハマる音がした。我ながらこんな非現実的な答えを導き出す辺り、つくづく二次元脳だと自嘲する。そして気づけば携帯端末を取り出し、天にメッセージを送信していた。
16:43
『病に伏した友人のためにお見舞いへ赴く友人の鑑』
(この状況、完璧に理解した。これは確認しに行かねば)
荷物をまとめ学校を出る。学校から天の自宅までの距離は3km弱。天は自転車で登校しているが俺は最寄りの駅から電車で通っているため徒歩で向かうことになる。大体30分かかるかどうかと言ったところか。少し早足で向かった。
そして順調に歩を進めること20分、天の自宅まであと少しというところで一つ大事なことを思い出す。
(名目上はお見舞いなわけだし何か買って行った方が良いか)
地図アプリで周辺を調べる。少し遠回りだが検索にヒットしたスーパーで果物を購入。リンゴ辺りが無難かと思ったがメロンがお得だという広告が目に入ったため変更してメロンに決める。
荷物が重くなったが問題はない。予定より少しだけ遅れたが天の自宅に到着する。
インターホンを鳴らそうかと思った。しかし目の敵にされていると聞く妹さんが家に居てもし鉢合わせしたら問題だと考える。念のためメッセージで到着を報せた。
(あとは待つだけだが……)
正直心の中で心配より好奇心や期待で膨らんでいる辺り友人として失格だろう。向こうは急な性転換に焦りや困惑が強いはずで、そこに知らなかった態で顔を出すのだ。
しかし、こちらとしては夢にまで見たシチュエーションである。喜怒哀楽の中で喜びと楽しみの感情がメーターを振り切る勢いで稼働している。これを抑えるのは難しい。
出来るだけ素面の方が良いだろうか。ソワソワとした心を落ち着かせて待っているとガチャリ、と玄関の開く音が聴こえる。扉はまるで微風に押されて動いているのではないかと感じるほどゆっくりと開かれて行く。そして徐々に扉の向こうに居る人物の姿も見える。
瞬間、鼓動が大きく跳ねる。
「おっ、おまたせ……! えーっと、お見舞いに来てくれたんだよね? あのっ、ありがと、すっごく嬉しいよ……っ!」
目の前の女の子は顔を真っ赤にさせながら一生懸命に言葉を紡いでいる。緊張しているのだろうか。体の前に下ろした手同士が互いを捏ねている。そんな恥じらう姿がとても可愛らしいと想った。
顔を見ると慣れていないことが分かる不器用な笑顔を浮かべていた。しかしそこから伝わってくる一生懸命さに心が惹かれてしまう。
「ど、どうしたの? 黙ってるけどやっぱり私の格好、おかしいかな……?」
気づくと女の子は直ぐ目の前まで距離を詰めていた。身体を前に突き出して顔を下から覗き込むように眺められている。
ふと、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。男にはない女の子特有の香りを感じる。
下がり眉の少し不安げな表情に小首を傾げる動作が様になっており、心が大きく揺さぶられた。可愛さのあまり視線を向けることすら躊躇われてしまう。
「いや、おかしいは違うようで違わないんだがなんというか……あー、天であってる、よな?」
「うん、その、天で合ってるよ。えと……どうかな……? いつもと雰囲気を変えて見たんだけど……」
「雰囲気というか性別が変わってるやないかーい!」といつものノリと要領でツッコミを入れたい。
顔の造形に男だった頃の面影が残っていたため一目でこの娘が天本人か、もしくは話でたまに出る妹さんだとは容易く予測出来た。そして会った時、向こう側は顔見知りのような反応だったので天だと分かった。
しかし性別はおろか、他にも口調やら何やら色々変わっている。男の時は自分を飾ることなどこれっぽっちも興味のある素ぶりがなかった。それを最もよく表していたのがエロゲ主人公のような手入れをせずにただ伸びていただけの長い前髪だ。本人曰く伸ばしているわけでなく、めんどくさくて切りに行ってないとのこと。
そんな前髪がまるで編み込みでヘアアレンジするために敢えて伸ばしたかのように上手く使われている。服装も全身真っ黒かたまにチェックの上着を着てくるぐらいの無頓着ぶりだったが、今はそんな事実がなかったかのような明るく透明感のある色の服を着ている。
(本当の女の子みたいだ……)
自分の想像とは全く違う服装に身を包み、想像とは全く違う口調と仕草で話しかけてきた女の子に釘付けだった。
(もしかしたら女の子みたいじゃなくて《《本当の女の子》》かもしれないのか……?)
今日一日学校で過ごして天が性転換したという事実がないのは分かった。俺以外の人間が葉坂天という人物は初めから女だったと認識している。
てっきり天本人は自分が元男だったという記憶があるものだと都合よく考えていた。しかし、本人もTSした自覚がない可能性が今のやり取りで急激に高まる。
高校に入ってからの数年間を共に過ごした親友が女の子になっていた。実に素晴らしく、喜ばしいシチュエーションだ。
しかし女の子の天でなく女の子になった天が良い。
その方が興奮するし弄り甲斐がある。とにかく常識と天本人が許す限りTSした友人を楽しみたいだけなんだ。もう頭の大半はその考えが占めている。
天は俺に遊ばれたり馬鹿にされないために今は必死こいて猫を被っているだけかも知れない。まずはコイツが元男でTSっ娘だという証拠を見つけなければ。
◆
女の子のロールプレイというのは想像の何倍も恥ずかしい。口調はもちろん、意識して内股にしたりするなどさり気ない仕草、その一挙手一投足に注意して演じている。
そんな必死こいているにも関わらず目の前のコイツはまるで俺の付け焼き刃の努力が効いてないかのように素面のまま。どことなく困惑しているように感じるぐらいで普段と変わらない。
真面目に女の子を演じているこっちが余計に恥ずかしくなってくる。推定同級生から告白されたこともある男なだけあって、女性に対しての免疫が想像よりあるのだろうか。
先程俺が女の子からやられたい仕草である小首を傾げるを実行したが効果がないように感じた。それとも演技が中途半端でバレているのだろうか。一歩引いているように感じるのはそれが理由か?
とにかく会って早々に危機的状況なのは想像に難くない。
(しかし、ここで挫けたらダメだ。もっと攻めろ)
弱気な自分に喝を入れる。自分の尊厳を守りたいというのが一番の理由だが、海実の協力を無駄にしたくないという気持ちも強い。
ここまで着飾って貰ったのだ。これと言った反応がないのは負けた気がして悔しい。コイツを赤面させるような行動に出なければならない。
近づくだけではダメだ。段階を一つ上げて接触を試みよう。しかし、いきなり自分から触りに行くのは自然じゃない。不自然にならないためのきっかけはないかと探る。
すると丁度目の前にビニール袋の持ち手を引っ掛けた手を突き出される。
袋の大きな膨らみを注視する。大きくて丸い網目模様の物体はメロンに違いない。違いないだろうが何故そんなものを差し出されるか分からなかった。
「えーっと、これ、どうしたの?」
「一応お見舞いだから手土産だよ。スーパーの安いやつ」
(コイツ、マジか……)
晴樹の行動に驚く。
……というより若干引いている。
学校には俺が重篤な病で倒れたとでも報告されたのだろうか。
いや、それはない筈。だが見舞いに手土産を持ってくるのは殊勝な心掛けである。褒めてやりたいところだ。
しかしメロンは張り切り過ぎだろう。コンビニの安いお菓子程度の差し入れで十分なところを階段10個ぐらい飛ばしたレベルのブツを持ち出して来たぞ。
コイツ、顔には出してないが内心は相当浮き足立ってるな。素知らぬ顔してウッキウキだろ。俺の中で警戒レベルがさらに上がる。
だが、良いきっかけが出来た。この差し出された手を利用させてもらおう。
「わっ、いいの? でも私はただの貧血なのにこれはちょっと豪華すぎて受け取りにくいかも……」
「正直ノリで買ったところあるからそのまま貰ってくれた方が助かる。こっからメロン片手に帰るのはめんどくさいし」
「じゃあ、お言葉に甘えちゃうね?」
(ここだ……!)
突き出された手からメロンの入った袋を受け取る。ゆっくり、ゆっくりと遠慮がちな動きで手を伸ばし、そして敢えて相手の手を自分の両手でそっと優しく包み込むように触れた。
そら、女の子の手の柔らかさをとくと味わうが良い。これぞ男を勘違いさせる女の技。
そして――――――
ニコッ
最高の笑顔もくれてやるッ!
どうだ、晴樹。俺がコンビニのかわいいアルバイトの子にやられた技は。これを食らった俺は「あ、えっ……!?」と童貞丸出しの気持ち悪い反応を曝け出してしまった程だ。
そんな爆弾のような微笑みを、この見た目は完璧な美少女から受ければちょっと女慣れしてそうなコイツでも当然気持ち悪い反応を出すだろう。
さらにこれにはもう一つの布石も仕組まれている。男の友達同士で意識して手と手が触れる機会は女子と比較して極端に少ない。じゃれ合いで飛んでくるパンチをいなすかハイタッチぐらいだろうか。羽交い締めにしたり、ヘッドロックを極めたりそれ以上の接触はする癖に手と手で仲良くというのは何か一線を超えた気持ち悪さや恥ずかしさを感じるものなのだ。
つまり男同士ではしないであろうスキンシップを行うことで、コイツの中から男としての俺の臭いを消す役割を担っている。
この無駄のない攻勢の前にはクールな態度をとっていられまい。
曝け出せ、美少女に敗北する無様な姿を!
「ぁ……ああ、まぁ家族と食ってくれや」
ぃヨシッッッ!!!!
心の中で大きくガッツポーズを決めた。今確かにコイツは言い淀んだな! 僅かに視線を俺から逸らしたのも気付いてるぞ!
晴樹が触れた方の手を下ろしてから何かを確かめるように開閉してるのを目の端で捉えた。これは効いていると思って間違いない。
手札の中から最強の一角であろう一枚を切った甲斐はあった。逆にこれで効果がなかった場合、これ以上の手を見せないといけなくなる。
そうなると腕を組んで絡ませる、後ろから抱きついて胸を押し当てるなどさらに際どいスキンシップへと移行しなければならない。その場合は流石に戦場を玄関前から移す必要が出てくる。鉄火場が家の中に移ることで効果は見込めるが此方も火傷程度では済まないことは容易に想像出来る。故にここで決着を付けれたことに安堵した。
(ふぅ……)
赤面とまではいかなかったが余裕ぶった晴樹に一泡吹かすことには成功。そして俺が女であるというイメージも多少は植え付けれただろうか。鼻息荒く家まで突撃して来たコイツに俺がTSしたという確信からTSしたかもしれないという疑念へグレードダウンさせれたならそれだけで十分。初動で勢いを挫くことが如何に大事かは世界の歴史が物語っている。
1日経って頭も興奮も冷めればコイツも下手に攻めてこれないだろう。それに俺の身体に起こった悲劇は明日の朝には綺麗さっぱり元に戻ってる可能性だってある。
つまり、ここで撤退させて初日を無事に終えれたなら俺の勝ちなのだ。
ということで晴樹にはここらでお帰り願おう。5分にも満たない超短期決戦であったが前準備も含め大いに消耗したものだ。
俺は勝利を確信した。
しかし、決着が付く前に『勝ったな、風呂入ってくるわ』なんて気持ちを思い浮かべることがどれ程愚かなことか。そんなこと分かってたはずなのに、どうしてこんなフラグを立てるようなことをしたのか。
この後、すぐに後悔したのであった。