女にされた日
「その、私は……」
一瞬、脳裏を掠めた「俺」という言葉。しかし、今の心で「俺」と「私」どちらを選ぶのかなど躊躇うことすらなかった。
そして「私」を選んだかと思えば、私はベッドに倒されていた。軽い力で押されただけで、マットレスにそのまま背中を預けてしまったのだ。
「天……っ!」
晴樹に名前を呼ばれた次の瞬間、身体を強く、キツく抱きしめられた。本当に強い力で、身動きすら取れない強引な抱擁。でも、それがとても嬉しくて私は何とか、胴へと腕を回し抱きつき返す。
互いに決して離れないようにキツく結ばれたこの体勢がとても心地よい。この時間が永遠に続けば良いのに。そんな多幸感に包まれていた。
コンコン
「姉ちゃん、居る……?」
しかし、ここで第三者の存在が現れる。部屋をノックした音に続いて聞こえた声、それで正体が大地だと分かった。
介入があったことで昂った波も一度落ち着きを取り戻す。そして自分の今の状態について、冷静に見ることが出来た。
「なっ、なっ、なっ……!」
口があわあわと言葉にならない音を発している。あまりの衝撃に頭の中が混乱していた。そして、ついに叫びそうになったのだがそれは叶わなかった。
(んん〜〜〜〜〜〜〜っ!?!?)
叫ぶ前に晴樹の唇によって、強引に口を塞がれてしまったからだ。
軽く塞ぐだけでなくこじ開けられた上、舌によって私の口内は蹂躙されてしまう。その衝撃に夢から現実へ醒めかけた理性が、また夢の中へと引き戻されていく。
「あれ……?」
大地も返事がないことで、ここには誰も居ないと思ったのだろう。勝手に開けることも憚られたのか、徐々に遠退いていく足音で部屋から離れていくのが分かった。
「ぷわぁ……♡ はぁ、はぁ……っ♡」
私の理性が蕩けそうな限界ギリギリになって、晴樹はやっと解放してくれた。お互いの口からは混ざり合った唾液が糸を引き、橋が架かっている。
そんなひどく淫靡な光景を作り出したのが自分だという事実でさらに興奮してしまっている。荒くなった息を治めるため短い呼吸を繰り返す。
頭の中はモヤがかかったみたいで、思考力が落ちてクラクラする。しかし、目の前に自分以上に我慢の限界がきている存在が居ると分かると、少しだけ落ち着くことができた。
(もっと……っ)
でもそんな残ったなけ無しの理性。それを使って出した私の答えは一緒に快楽の禍へと堕ちることだけだった。
布越しなのに、固くて熱いものが自分の太ももに当たっているのが分かる。昨日まで自分にもあったものだから、どのくらい我慢しているのかも簡単に想像できる。
だから目の前の獣のような愛おしい彼を前に、全てを受け入れるように両手を広げた。
「いいよ晴樹、続けて……♡」
私と晴樹の長い夜が始まった。
……
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残暑も過ぎ去り、日が沈むのが早くなった今日この頃。買い物袋を両手に、涼しくなったいつもの道を鼻歌混じりに歩んで行く。
行き先は家族の待つ我が家。今日は私と晴樹にとって大事な記念日であるため少し奮発して晩ご飯の材料を買った。当然料理の腕も奮うつもりだ。
晴樹も今日は珍しく早く帰って来れると言ってたし、久しぶりに家族揃っての食事が出来そうで楽しみだ。
私が女を選んだあの日から、5年の月日が流れた。
私と晴樹はあの後、朝まで休む間もなく交じり合った。お互いに初めてだったにも関わらず強い興奮で痛みより快楽が勝っていたのは今でも鮮明に覚えている。
お互い知識も何もなしに快楽に流されるまま身体を貪り合った。
しかし、避妊具もなしにその場の勢いのまま続けた結果、私はその時の行為が原因で妊娠をしてしまった。
お互い、その日のうちにそこまでの関係になるなんてこれっぽっちも思ってなかった。だから避妊具なんてものの準備はなく、しかも避妊薬を服用するという発想までまるっきり抜け落ちていたからだ。
当然そのことを家族に打ち明けるにはかなりの勇気がいった。私の父さんは晴樹の胸倉を掴み今にも殴りかかりそうな状況にまで発展した。そして、それが晴樹と父さんが会った最初で最後の機会だったりする。
父さんは私と晴樹の関係を認めてくれていない。
学校に関して私は大学進学への道を諦め、晴樹は決まっていた大学への入学を辞退し、就職活動へと勤しむことになる。卒業式の頃には私のお腹も誤魔化せない程度に膨らんでしまい、学校のみんなへ説明できる訳もなく式は欠席。
それでも退学ではなく、卒業させて貰ったことについて学校の関係者の方々には感謝しても仕切れない恩が生まれた。そうでなければ今より苦労した生活を送っていた可能性もあるのだから。
私は現在、晴樹と4歳になる我が子と共に3人で暮らしている。
夫婦共働きで晴樹は家族を養うため、朝は早く出て行き夜遅くに帰ってくる。一緒の時間は少ないが、その少しの時間で身体を休められるよう気遣って接している。
そして、私はというと母さんの紹介を使って、母さんの勤め先で働かせて貰っている。
正直を言うと私たちだけの稼ぎでは貧しい暮らしをせざるをえない。私の家からは当然仕送りなど資金的援助は望めるわけがなかったし、晴樹も自分たちの負うべき責任だと平坂家からの仕送りを断っている。
しかし、母さんはこれから生まれてくる私たちの子どものことを考え、せめてもの助力として私に就職先の紹介をしてくれた。お父さんには助ける必要はないと強く反対されたらしいが、私が妊娠したことを打ち明けた時と同じくらい精一杯庇い立てて話を通してくれたらしい。
もし、母さんが行動を起こしてくれなかったら私の稼ぎは今より低いか、もしくは給料は変わらない代わりに帰りが遅くなって子どもに寂しい思いをさせていただろう。
私はそんな母さんの顔に泥を塗らないよう、一生懸命働かせて貰っている。
就業態度が真面目でよく動いて気も利くと評判で、働き始めて3年近くになるが最近は正社員への雇用の話もいただいているぐらいだ。
と、気付けばもう、自宅が視認できる距離まで迫っていた。
なんだろう、丁度5年という節目のせいか今までのあれこれを振り返ってしまったのだろうか。それとも秋風が郷愁を誘い、昔のことを思い返させるのか。まあどちらでも良いか。
重い荷物から解放されるまであと少し。愛しい我が子の顔を拝めると思えば長い距離を歩いて疲弊していた足取りも軽くなる。
ちなみに私たち家族は現在アパートに住んでいる。間取りは1LDKで駐車場はなく、私の実家からは程々の距離という物件だ。
そのアパートの202号室がマイホームというわけである。
鞄の中から鍵を取り出し、入口のドアを開ける。
「ただいまー」
返事がない。しかし、先に続く部屋の明かりはついており、生活音も聴こえてくる。というか、よく聴き慣れた音とそれに混じって楽しそうな会話が聞こえてくる。
ということは――――
「たーだーいーま!」
「あっ、お姉ちゃんおかえりー」
「えっ、あ、おかあさんおかえりなさいー! ってうみちゃんいまのずるいー!」
「ずるくなーいよ」
リビングでは海実がゲームで陽葵の相手をしてくれていた。海実は高校卒業後は地元の大学へと進学し現在は大学3年生。
よく、私の代わりに保育園まで迎えに行ってくれて、私が帰ってくるまでそのまま家で娘の面倒を見てくれているのだ。
他にもバイトで貯めたお金を使って陽葵にプレゼントを買ってくれたり、食事に連れて行ってくれたりと大変可愛がってくれている。
陽葵がまだ言葉も話さない頃はオムツを替えたり、寝かしつけを手伝ってくれたり、そう言った手間のかかることも率先してやってくれた。
そんな海実もあの頃と打って変わり、オシャレに関しては同世代の子と一緒に歩いても恥ずかしくない最低限なものにとどめている
てっきり、自分たちのために身銭を切っているせいで出来ないのかと思ったため理由を聞いてしまった。
海実曰く、『自分より姪っ子を可愛くする方に目覚めてしまったからこの出費は全部娯楽費。だから気にするな』とのこと。
ちなみに今使っているゲーム機は私と晴樹があの日、一緒に遊んだものだ。実は一度生活に困って売ろうとしていたところ、それを聞いた海実が態々買い取った上でこうして家に置いてくれている。
海実は二人の思い出のものなんだから大切にして欲しい、と言って行動を起こしてくれたのだ。
一時は冷め切った姉妹仲だったにも関わらず、仲を戻してさらにここまで生活で支えて貰っているのには頭が上がらない。
「海実、ご飯食べてく? 今日は豪華だし食べてって損はさせないよ」
「じゃあ、ご飯はご一緒させてもらおうかなぁ?」
「うんうん、食べていきなって。こんなんじゃ足りないけど普段からのお返しだってもっとしたいし」
私の料理が終わるまで陽葵の面倒は海実が見てくれるので、心置きなく料理に専念できる。あの日、褒めて貰ってから努力出来る範囲で腕を上げれるように頑張った。折角の記念日なんだし、がっつり成長したところを感じてもらおう。
ということで、一度床に下ろした袋を持ち上げてキッチンへと向かう。今日は中華でご馳走だ。しかも市販の素を使わず全部手作りでやる。昨日の晩から仕込みをしてたし、品数は多くてもいつも通りの時間には揃えるだろう。
エプロンを纏い、邪魔にならないよう髪を結ぶ。
「よし、やるぞ……!」
……
…………
……………………
ザクッ、という玄関の鍵穴に鍵の差し込まれる音が聴こえる。
この時間に家に帰ってくる鍵の所有者と言えば1人しかいない。椅子から立ち上がって玄関までお出迎えに行く。
「ただいま」
「おかえりなさい」
時間は20:00を過ぎた頃。晴樹は言った通りいつもより早く家に帰ってくれた。
私の愛しい旦那様。記念日を一緒に祝うため彼の帰りを今か今かと待ち焦がれていた。
「あれ、陽葵は?」
「海実がうちでご飯食べた後に実家へ連れてったよ」
晴樹は普段ならさらに帰りが遅い。しかし、その場合でも陽葵は一家の主人を毎日私と一緒にお出迎えしてくれる。
特にしつけた訳でもなく、私が一言入れてから玄関に向かうとその後ろを自分の意思でついてくる。その姿が愛らしいし、まだ辿々しい発音での「おかえりなさい」は母親の贔屓目なくかわいい。ずるいぞ晴樹。
眠い目を擦っている時の健気な姿は格別だ。そういう時は転んだら危ないので抱っこして一緒に玄関へ向かう。
しかし、今日は晴樹が普段より早くはあるがそれでも予想より多少遅かった。そのため陽葵が晩ご飯まで待ち切れないだろうと海実が一緒に済ませた。
その後、「今日は私とおばあちゃん家にお泊りしようねー」と言って陽葵を誘うことに成功していた。私たち夫婦に気を遣ってくれたのが分かる。
「お風呂の用意は終わってるよ」
「ありがとう、でも今日は先にご飯食べるよ。風呂はご飯の後で一緒に入ろっか」
「……うん♡」
久しぶりに旦那様と目一杯いちゃいちゃ出来ることに嬉しくなった私は、鼻歌を奏でながら軽い足取りでご飯の支度へ向かう。
ダイニングテーブルにある料理の中から、冷めたおかずをレンジに入れて温め直す。その間に余熱で温かいままのおかずは被せていたラップを剥がし、鍋に入ったスープや白米をよそう。
やっている内にレンジでの温めが終わったので交換して別のものを温める。
「毎年のことだけど、今日はいつもより一層頑張ったな」
「えへへ、もっとたくさん褒めてくれていいんだよ?」
晩ご飯を一通り並べ終えた食卓テーブルを見て晴樹は褒めてくれた。私ももう人目もないので、ついつい2人きりの時専用の甘えモードで対応してしまう。
娘や妹が居る前では恥ずかしくて出来ないけど、晴樹にぎゅーって強く抱きしめて貰うのが私は大好きだ。この後、たっぷりして貰えると思うと気分が昂揚する。
「いただきます」
「召しあがれ」
食事中、晴樹は私の料理の腕が上達したことをたくさん褒めてくれた。あの日、意図して作ったわけではないが晴樹が初めて食べた私の手料理は回鍋肉。だから毎年、この日はこれを必ず作ってる。
今日は他にもエビチリに棒々鶏に麻婆豆腐に水餃子の中華風スープと頑張ってたくさんのおかずを作った。陽葵と海実からもおいしいのお墨付きを貰ってる。
ちなみに初めて迎えた記念日は良い格好を見せるためにオシャレにビーフシチューだった。
……それと回鍋肉を一緒に出したため「すごい組み合わせだな」と少し、困らせてしまった。味は美味しかったと言ってくれたが、それ以降は献立をよく考えるようにした。
「ご馳走様でした」
「お粗末さまです」
晴樹がきれいに完食してくれて嬉しい。食べっぷりに関しては学生の頃、一緒に食事へ行った時から良いと思ってた。
自分が提供側に回ってみたら、その気持ちの良いぐらいの食べっぷりでずっと料理へのモチベーションが尽きないでいられる。
「それじゃあ片付けるか」
「そんな、疲れてるし私がやるから休んでて良いよ」
「いつも任せっぱなしなんだから、早い時ぐらいやらなきゃおかしいだろ? 専業主婦じゃなくて共働きなんだからさ」
「でも……」
「あの日みたいに並んで一緒にやりたいんだ」
そんなこと言われたら、頷く以外私は出来ない。当然晴樹の提案を断る事はできず一緒に食器を洗い、片付ける。
そして洗い物が終わり、濡れた手を拭いていると晴樹が腰に手を回してきた。
「風呂行こう」
「うん、でも出るまで我慢できる?」
私がこう聞く理由は洗い物をしている最中にある。実は先程、晴樹は洗い物の最中身体を近づけて太もも同士をくっつけてたり、あからさまに私と触れたがっていた。
陽葵がいないと分かった時点で晴樹も2人きりの時専用のいちゃいちゃモードに切り替えていたようだ。
出来ればベッドまで我慢して欲しい。お風呂で中途半端に発散したら後でする時の楽しみが少しなくなっちゃうからだ。こういうのは溜めに溜めたのを一気に解放する方が好きだ。
だから、今は我慢してベッドで目一杯可愛がって欲しい。
でも、私はおそらく求められたら断らずにいられない。だから聞いた。
「天がそう言うなら我慢するよ」
「晴樹、えらいよ♡」
少し嬉しくて抱きついてしまった。
「……やっぱ無理かも」
不安なことを言ったものの、晴樹は約束を守ってお風呂では我慢してくれた。湯船に浸かる時に足の間に入って身体を預けた時も抱きしめたりするだけでそれ以上のことはしなかった。
硬くなってるのがお尻に当たってたから結構我慢してたのだろう。
そしてその後、一緒にベッドに入った。しかし、言っていた割には簡素というか気持ちが上の空みたいであまり燃えなかった。私を抱いているにも関わらず別のことを考えるだなんて少し許せない。
晴樹はそんな私の空気を感じ取ったのか、お互い微妙な空気のまま横になっている。
「ねえ、何かあったの?」
「……すまん」
「なんで先に謝るの」
「誤魔化せない空気にしたからさ、久しぶりのセックスだったのに気づかれないよう気を遣うべきだったって反省してる」
「理由を教えてよ」
「甘えてる俺が言うのもずるいけど、こういう時いつもならほっといてくれるから意外だな」
返事はせず、ただ眼を見つめ返した。お互いに隠すことも少ないけど、だからこそ隠したいことがあるなら必要以上に追求しないようにしている。
隠していたとしてもそれが、お互いの不利益になったりするようなことは隠さないという信頼がある。でも今日は記念日で、そんな時に水を差されたような気分になってしまった。
だから私も堪らず追求するような姿勢をとった。だって、これが1番愛を感じるのに。陽葵も生まれて、2人きりの時間が減って、だからこそもっと本気になって欲しいよ。
晴樹も私の気持ちを感じ取ってくれたのか、理由を話してくれた。
「今日だから考えたのかもしれない。俺はあの日から後悔してることがあるんだ」
その言葉を聞いて衝撃を受ける。何故なら私には後悔はなかった。
親や先生、周りの人に多大な迷惑を与えた。母と妹には今の生活で私たち夫婦だけでは力及ばない面で助けてもらっている。
そして私は生活のため夫に過酷な労働を強いているし、娘にも世間の同い年の子どもと比べて貧しい生活を送らせていることを申し訳なく思う。
でも海実と仲直りしたこと、晴樹とこうして結ばれたこと、陽葵という愛おしい娘が生まれたこと、この幸せな家庭を築けていることを否定したくない。
だから反省はしているけど後悔はなかった。
でも晴樹は後悔をしていると、あの日から私の知らない傷を抱えて生きていると今初めて教えてくれた。
それに気付かなかった自分を許せないし、1人で抱えて言ってくれなかった晴樹にも腹が立った。でも苦しかったのは晴樹で頑張ってきたのも晴樹なのだから、私は落ち着いて急かさずに話の続きを待った。
「俺はあの日、たった1人の親友にお別れの言葉を言えずに別れたことを後悔している。もうソイツに会うことがないと分かっているから、それをつい思い出して悲しくなったんだ」
晴樹の吐露に突然足場が消えたような、何もしがみ付くものがない空に放り出されたような虚無感に襲われる。
私はあの時、自分の身に起こったことで頭がいっぱいで1番の親友を信じることが出来なかった。
よく考えれば、自分の嫌がることを無理にやるような人間ではないことぐらい知っていたのに。冷静さを失った自分は、居もしない敵から身を守ることしか考えてなかった。
その結果、義理堅い親友を自分は誑かして後戻り出来ないよう堕としてしまった。
「……泣くなよ」
私は流れる涙を抑えきれなかった。自分の幸せばかりに目がいって、1番気付かなければならない罪に気づくことが出来なかった愚かさを恥じた。
ただただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。でも、優しい彼はそんな私を放っておくことなんて出来ず優しく抱擁してくれる。
その優しさに甘える資格がないのに、その心地良さ故に手放すこともできない。
「なあ、俺はもう親友とは会えないのかな……?」
「……もう、その親友も自分の家庭を持ってるから会えないってさ」
声が震えながらもどうにかして紡いだ言葉。これは私ではなく晴樹の親友が想った本心の言葉。晴樹の親友には愛する伴侶がいるし、守るべき大切な子どももいる。
今さら自分の気持ち一つで、その存在を裏切ってまで会うことは出来ない。
「そっか、もうお互い家庭を持った大人だもんな……しょうがないか」
晴樹はどこか遠くを見つめながら、笑ってそう言った。
でも、私には全然笑っていないことは分かる。そんな悲しむ顔をさせたくなんてなかった。だから……
「でも、5年越しの今さらで、本人は忘れてて、しかも一方的だけどちゃんとお別れしたいってさ。だから晴樹、お別れの言葉を教えて」
私は久しく忘れていた記憶を元にーーーー
そうして、柄にもなくセンチメンタルに浸ってる親友に笑いかける。
こんなこと一度もしたことないけど、でも親友同士ならこれだけで通じ合えると信じて親友に向けて拳を突き出した。
晴樹は不意を喰らった時に見せるアホ面をさらけ出した後、不敵に笑った。
つられて笑う。こんなクセーこと恥ずかしいから早く済ませろバカ。
「お前との2年と半年、楽しかったぜ。絶対幸せな人生送れよ」
「俺はもう、幸せだからそんなこと気にすんな。お前こそ奥さんと一緒に娘を大事にしろよ」
「ああ!」
晴樹は親友に向けて拳を突き出した。そうして親友同士が突き出した拳が互いにぶつかり合う。もう、あの時の手の感覚なんて覚えてない。全く別の、細く柔らかい手になってからそこそこの時間を過ごした。
でも、そんな別物になっても拳を通じて伝わる熱い友情は変わらない。それが分かって、私は晴樹の親友に嫉妬してしまった。
「あーあ。妻より親友にお熱だなんてショックだなぁー」
「ごめん、悪かったって」
「悪いと思うなら当然、喜ばせてくれないと困るなぁー、だから……
私のこと、朝まで愛してくれなきゃ許さないから……♡
「朝までどころか一生愛してやるよ!」
そう言って、あの日のようにキツく強引に抱き寄せられた。私はこれから起こることを、未来を想起して期待に胸を躍らせるのだった。
……
…………
……………………
私の愛おしい旦那様の、大切な親友へ
5年前、あなたが居なくなったことで彼の隣は、私が代わりに居るようになりました。でも、結ばれた今も彼は時々あなたのことを想い返すようです。しかも私が目の前にいた時ですら。
そんな姿を見て私は嫉妬してしまいました。
どうやら彼の中であなたの代わりには一生かけてもなれないようです。
……なんか、おかしいですよね。
それでもあなたの代わりになれないと知ったけど私は今、とっても幸せです。
裕福な暮らしではありませんが、大好きな人と大好きな娘、そして支えてくれる母や妹たちとの関係を築いて暮らせる今の生活はかけがえの無い財産です。
あなたの代わりに目一杯、人生という旅路を彼と一緒に歩んでいきたいと思います。
私と彼の出会いのきっかけを生んでくれてありがとうございました。
それでは、元気なのは分かっているのでお別れの挨拶だけさせていただきます。
さようなら、私にとっても大切だった「親友」。
これにて完結になります。
マルチにするにあたって話の展開に手直しなどありませんが、
こちらがこの作品の初期プロット版になります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。




