救援クエスト
「お前は、勇者だ。勇者として生きろ……!」
男は、俺の目をまっすぐと見て、言った。その言葉の意味が、俺には理解できなかった。
男が倒れ込んだ地面に、血溜まりができている。降りしきる雨が、それに無数の波紋を生んだ。
「なんだ、何言ってんだよあんた……! 」
覗き込むように男を見ていた。視界が歪み、その表情が上手く読み取れない。彼は何を思っている? 彼は何を、言っている?
「分かんねえよ、なんでこうなるんだよ!」
半狂乱になり、男の身体を強く揺さぶる。けれど、徐々にその身体から、熱が引いていくことを感じると、その勢いも少しづつ弱くなっていく。諦めが徐々に徐々に、俺の思考を支配する。
男の身体は、もう完全に熱を失っていた。生命の炎を、瞳の輝きを失い、そして、俺だけが残された。
「……分かんねえよ、勇者とか……」
少年はぽつりと、そう呟いた。
それから始まった自称勇者活動が、今まさに存続の危機に瀕しようとしていた。
「貴方ですね、勇者を自称する不届き者は」
その女性、まず間違いなく件の吟遊詩人である彼女は、開口一番そう言った。
それは弁解の余地なく事実なのだが、しかし認める訳にはいかない。俺は俺のことを、100年前の英雄であると信じさせなければいけない。そういう遺言なのだ。
「な、にを……お前が俺を勇者じゃないと言うなら、それはそれでもいいが。不届きと言われるようなことをしたつもりはない」
勇者は肩書きに拘らない。だが、自分自身の生き方を信じていた。とある勇者伝記の一節だ。それに倣い、俺はあくまで堂々と答える。すると彼女は、僅かな感心を示したようだった。
「……なるほど。心得てはいるようですね。そうです、勇者様は肩書きに執着しませんでしたが、その上で自分の生き方を信じていました。彼であれば、そのように答えたでしょう。……けど貴方は偽物です」
(なんでだよ!)
めちゃくちゃ会心の受け答えができたかと思ってしまった。しかし、どうも彼女は自身の考えを曲げるつもりがないらしい。いや、それはそれで正しいのだが。
(それじゃ俺が困る!)
ただ、であれば何をすればいいか────勇者であれば、こういう場合どう返しただろうか。
「……なら、頼む。教えて欲しい。どうしたら、俺はお前に認めてもらえる?」
正解は素直に訊ねる、だ。勇者は下手な駆け引きを嫌った。
────もっとも俺にとって、この場合、それこそが最も致命的な悪手であったらしいが。
「そうですね。ええ……元からこういうつもりではあったんです。これを伝えるために貴方を探していました」
顎を引き、彼女は含みを持たせたような言い方をする。
……なんとなく嫌な予感も膨らんだようだ。
「えー、自称勇者。私は貴方の存在を知り、その不届きを正すためやって来ました、クラリエ・ヒーロです。私は今後無期限で、貴方の行動を監視します。貴方が勇者を自称するのを辞めるまで徹底的に粗を探して、問い詰めて、追い詰めます。────貴方が勇者であると言うならば、よろしいですよね?」
勇者は、民の願いを断ったことが無いと言う。
「────ああ。それなら、そうするといい。お前が満足できるまで、俺を見張っていろ」
なんで勇者は民の願いを断らなかったのだろうか。あまりにもお人好しが過ぎないだろうか、少しは断ることを覚えた方が良かったんじゃないだろうか。ていうかあれはほぼ脅迫だし、それは断っても良かったんじゃないか。
何度目になるかは分からない。ただ、間違いなく今までで一番の勢いで、俺は勇者に対する不平不満を並べ立てていた。最後のは俺のミスかもしれないが、まあそれはそれだ。
「……勇者様は常に力強く、人々を優しく照らすような頬笑みを浮かべていた。……やっているようですね」
なぜ俺がこんなにも荒れているのか。その原因は、彼女がだいぶ、めちゃくちゃ、思ってた以上に大迷惑だったということだ。ぴったりと俺に張り付いて動き、常に俺の一挙手一投足を監視してくる。息がかかるくらいの距離感で、表情すらも確認しているらしい。そんな状況で愛想笑いを浮かべ続けなければいけないこっちの身にもなってほしい。
彼女。クラリエ・ヒーロ。勇者の大ファンで、勇者にまつわる詩歌を歌い、世界各地を吟遊しているという。才能があり勇者ファンなのだから当然、だそうだが、だとしたらこんな迷惑なことはしない方がいいんじゃないだろうか。そもそもファンと形容するのが正しいのかどうかも分からないが。狂信者ってこと?
それとも勇者好きというものは、みんなこんな感じなのだろうか────恐ろしい想像に戦慄しつつ、ひとまず、目の前にある『クエストボード』に集中することにした。
クエストボード。ギルドから発行された依頼────クエストの数々が貼りだされた掲示板だ。ここから好きな依頼用紙を剥がし取り、隣のカウンターで受付を行うことで、依頼の受注が完了する。
俺は今、そこに貼られた無数の依頼のうち、救援クエストと呼ばれる種類のものから受けるクエストを見繕っていた。急を要する人助けの依頼が、ここに張り出される。
「……それにしても」
ひとしきり俺の行動を確認した後、クエストを探すのを手伝ってくれていたクラリエは、眉をひそめて呟いた。
「酷いですね。これ、こんなことばかりをしていて、本当に生きていけるのですか?」
救援クエストと呼ばれる依頼に、ろくなものは無い。基本的に窮地に瀕した人々からの依頼となるため、当然といえば当然なのだが、リスクとリターンが釣り合うことは滅多にない。少なくとも、俺はそんな依頼を一度も受けられていない。
例えば国の要所が魔物の群れに襲撃されていて、人手が欲しいだとか。そういう依頼があったとしたら、それなりに真っ当な仕事にはなるのだろうけれど。
そうでなくても、俺は受けなければならない。
「俺は勇者だからな……」
「勇者様であればもちろん大丈夫ですけれど、貴方は違うじゃないですか?」
狂人に正論を吐かれることほど腹が立つことは無いだろう。俺だってまともな依頼を受けられるのなら受けていたい。しかし世の中困っている人間はいくらでもいて、それらを《《救援》》するクエストもいくらでも発注される。それらを無視することは出来ないのだ。勇者はしなかった。
「……これだな」
無視することは出来ないので、俺はやがて1枚の依頼書を手に取った。低難度の地下迷宮に潜った冒険者パーティの捜索、救助という内容で、報酬は最低20000ダラス。それなりだ。
(まあ、1日寝たし。体力は回復してるだろ)
感覚順調なので、まあ大丈夫。……本当は今日はもう少し簡単な依頼を受ける予定だったのだが、後ろから依頼書を覗き込んでくる厄介のせいでそうもいかなくなってしまった。勇者がそんな簡単な依頼をわざわざ受けるわけが無い、とか多分言われる。それに。
「それは比較的マシな内容ですけど……低難度の遺跡なんですよね? そういった場所からパーティを組んだ冒険者が脱出できなくなったって、つまり何か、その方々は異常な状況に陥っているということなのでは?」
「ああ。だからこそ、俺が必要だ」
勇者であれば、彼らを見捨てはしないだろう。