不届き者
勇者。100年前、魔人達の王であった魔王を討伐し、人魔の大戦を終結させた英雄を指す言葉だ。誰よりも誇り高く勇敢なその人は、目の前で助けを求める誰かを決して見捨てなかったと言う。
そんな人間になりきれ、なんてあの人はいったいぜんたいどういうつもりで言ったのだろうと疑問に思うところもあるが、まあ遺言なので仕方が無い。少なくとも育てられた義理を返すまで、僕は自分を勇者だと喧伝していこう。
とにかくあの日そう決めたのだ。
次の日の昼前。僕は昨日のミッション達成に多大なる貢献をした転移魔石、それを売ってくれた商人の店へと足を運んでいた。
「ほんと、ほんっとに助かりました……」
「だからわざわざいいって言ってるのに。やっぱり妙なところマメだよね、レイズくん」
勇者らしくはないよね、と若干余計な一言を足しつつおおらかに笑う、白髪を撫でつけた壮年の男。魔道具店『かたつむり』を営む、ジェド・クルールだ。
彼は勇者を自称して無茶な活動を続ける僕に対し、通常そこらの冒険者程度には到底手が届かないような、高級な魔道具を格安で売ってくれる。恩人としか言い表せないような人物だ。
ただ、その分なのかなんなのか、今のようにちょいちょい言葉に毒が混ざる。多分素でそういう性格ってだけなんだろうが……僕は、なんとなく弁明するような調子になって答えた。
「もう癖なんですよ……ていうか勇者が謙虚なら欠点なくなるしいいじゃないですか」
「君は勇者じゃないけどね。あいつも、君には似合わないもの押し付けてったもんだよねぇ。100年前の英雄の真似事なんて。遺言なんでしょ? 可哀想に」
薄く笑みを浮かべながら言ってくる。いつものことだった。だいぶ皮肉混じってるが、大恩の手前受け入れるしかない。もっとも彼の場合、それを分かって言っている節がある。
「性格……」
「ん、なんか言った?」
「いえなんでも!!」
慌てて取り繕うと、彼は非常に楽しそうにケラケラと笑った。
「ま、頑張りなよ……勇者。やってりゃそのうち馴染むかもしれないよ」
それで、会話が打ち切られる。もうあとは話す気がないというふうに、彼は手元の本に目を落とすのだ。この人と話すと毎回こんな感じだ。
手持ち無沙汰になり、店内を見回す。魔道具店、と言うだけあって並べられている商品はどれも魔力の込められたものばかりだ。魔鎧や魔剣、魔石にポーション。魔石の棚には今回のMVPたる転移魔石も飾られている。どれも本来僕なんかには触れることも許されないような高級品。
いつかは値引いて貰った分を返さないと、などとできるかも分からないようなことをぼんやり考えていると、ふとジェドが声を掛けてきた。
「そういえば、さっき君に用があるって人が来ていたよ」
「用?」
なんだろう。……冒険者ギルドの人とかだろうか。もしかしてやっぱり補償金が必要になったとかだろうか。
想像が膨らみ、急激に不安感が押し寄せてくる。ただ、僕のそんな心配はすぐに杞憂となった。
「吟遊詩人、だそうだよ。前髪が長くてね、片目が隠れるくらいに。それと凄く美人だった。……ただ、なんかちょっと、変な子だったかな」
そちらは杞憂となったが……入れ替わりに、また別の心配が湧いてくる。吟遊詩人などという人種に、僕はほとんど関わりがなかった。そんな人間が、わざわざこんな路地裏の奥の奥にあるような、怪しさ極まるような店にまで訪れたらしい。
「なんで……? っていうかなに……?」
嫌な考えしか浮かばない。「さあ……」とどことなくニヤついた表情を浮かべているジェドの様子で、ますます不穏な気配が立ち込めてくる。
「細かいことは分からなかったけど……とりあえず、ギルドで待っているだそうだ。来るまで居続ける、って言ってたよ」
「来るまで」
どうやら、今度の不安が杞憂に終わることはなさそうだった。
(嫌だ本気で会いたくない。ここ最近良いことないし絶対ろくでもねえ……)
『かたつむり』を出た後。とりあえず昼食を摂って、そのあと数十分ほど1人だらだらと事を先延ばしにしていたのだが、どの道ギルドには行かないとだし、待つと言われたら勇者は行くのだ。無視することは出来なかった。
僕は憂鬱な気持ちを抱えながら、冒険者ギルドを目指してとぼとぼと歩を進めていた。
東通りを中央公園に向かって真っ直ぐ20分ほど歩いたところに、ギルド拠点は存在する。石造りのごつごつした壁に繰り返し補修された痕が残る板張りの屋根。綺麗ではないが、存在感のある建物。原因はそのサイズ感にある。
(いつ見ても無駄にでかいな……·)
人が入る余裕を作るから、浮浪者まがいの冒険者どもが溜まり場にするのだ。まあ、そういう危険人物的なやつらを押し込めておく空間としては、有用なのかもしれないが。
冒険者ギルド。100年前、人魔の大戦が終結した後、元々は冒険者でもあった勇者。それに憧れた人々が集ってできたものだ。昔はそこらの魔物から取れるような物品ですらも貴重だったようで、それなりに裕福な者も多かったらしい。
今となっては、真っ当な職にもありつけないようなろくでなしどもが、体のいい肩書きとして名乗っているような状態だが。
(つって、僕も同類……てか、あの人に拾われなかったらこれにすらなれなかっただろうけど)
僕の人生絶好期を思い出しながら、ギルドの扉を開く。むせ返るような熱が一気に解き放たれ、それを一身に浴びた。慣れたものだが、慣れても何となく嫌な気分になる洗礼だった。
多くの人々で溢れかえり、立ち入るものを圧倒するほどの活気を見せる冒険者ギルドに、僕は足を踏み入れた。
「……でさー! その時勇者様が現れたんだよ────城一つ崩しちまって────」
入って早々嫌な話が耳に飛び込んでくる。発信源を見ると、昨日助けた冒険者が、仲間なのだろう数人の男に、興奮した様子で話をしていた。どうやら、僕のことを言いふらしているようだ。昼間から酒を飲んでいるらしく、顔が紅潮していた。
気づかれないようにそそくさとそこを離れる。絡まれたら絶対にボロが出るからだ。
自称勇者。ああいう危機的状況だからこそ僕の演技でもそれっぽく見えるのであって、平時に問い詰められでもすればそんなものは簡単に看破されてしまうだろう。
僕はなるべく、誰かできるだけ大勢の中で、勇者であり続けなければならないのだ。せっかく、少なくとも一人の中で、僕の事を勇者にできたのだ。それを無駄にはしたくない。
建物の奥、影になっているような所に、1つの席が空いているのを見つけた。幸いだ。ここならあの冒険者が座っている席からも遠いし、周りに人も比較的少ない。落ち着いて、例の女性に会う心の準備を整えられるだろう。僕はそのテーブルに向かって歩み寄る。
────その時、何者かが僕の肩を叩いた。
振り返る。|吟遊詩人が持つような楽器を携えた女性だった。片目が隠れるほど長く伸びた乳白色の前髪と、大きく、それでいて涼やかな印象を与える青眼。深く被ったフードで見えづらいが、それでも分かるくらいの美人……おおよそ僕とは縁のないような人物が、そこにいた。
「……貴方ですね、勇者を自称する不届き者というのは」