希望の炎
「もう大丈夫だ。助けに来た!」
突如として声が響き、地に付す男の前に影が降り立った。
「だ、れだ……」
縋るように男は声を振り絞る。その声に影は振り返り、答えた。
「────俺は勇者だ。君を救うためにここにいる!」
自ら輝くような光を称えた薄黄緑の瞳に、癖のある黒髪の男だった。
勇者。彼が発した、その言葉の意味するところに思い至り、男はまた深い絶望に落ちる。それは、100年前の英雄を指す言葉だ。
現代においてそれを名乗る者がいたとしたら、それはつまり詐欺師か異常者に他ならない。そして今、魔獣の群れに囲まれ絶体絶命の危機に瀕しているこの状況を覆すことは、詐欺師にも異常者にもできはしない。
(ああ────死んだ)
そんな男の目の前で、勇者を自称する異常者は、ぶつぶつと何かを唱える。
呪文か何かだろうか。けれど異常者の唱える呪文に群れた獣を一掃してみせるような魔力は籠らない。そもそも呪文と思い込んでいるだけのただの戯言かもしれない。故にその言葉に価値はなく────
次の瞬間、異常者が構えた一振の長剣から、煌々とした炎が溢れ出した。
「……っ!」
その光は、魔術の奇跡が発する輝きに他ならない。けれどそこには、それだけでは言い表せないような、希望とも言うべき神秘が包まれているようで。
(……かつての勇者は、その手に決して消えない炎の剣を宿していた……)
かつて読んだ英雄譚の一節。その伝承を思い出し、男はそこに、救いを見る。
「もしかして、あんたっ、本当に」
目の前の勇者が、僅かに微笑んだように見え
た。
こんなもの、剣に油を塗っているだけだ。
それを下級の炎魔術で燃やしている。
(やっば、どうしよ。真面目にこんなんどうこうできるわけねえだろ)
燃える剣を扱う戦闘術もあるところにはあるらしいが、自分のこれはただのハッタリだ。当然何十体もの魔獣を一掃できるような力などあるはずがない。
自称勇者、レイズ・ストラトス。人生何十度目かの命の危機だった。
(まあ、最悪この人だけならなんとかなるか)
それだけなら、奥の手が無いこともない。その代わり俺はめちゃめちゃに追い詰められることになるが。
そんな手段を視野に入れなければならない自らの無謀を嘆きつつ、そうならないために思考を働かせる。
古い城塞────今では遺跡と呼ばれるようになった過去の遺物。そこに住み着いた魔獣の群れが、じりじりと僕たちを追い詰めていた。荒い鼻息と、朽ちた建物のパラパラという音だけが響き、緊迫感に拍車をかけてくる。
僕という存在や、その手に握る炎の剣を警戒しているのだろうか。魔獣たちがすぐさま飛びかかってくる様子はない。けれど時間の問題だろう。彼らがこちらとの実力差に気づいた瞬間、僕たちはずたずたのひき肉になる運命なのだ。
だから、そうなる前にこの状況を変えなければならなかった。
逆転の目は何も浮かばなかったが、仕方がない。
「……これを」
ちらりと後ろを振り返り、僕はなるべく平静を装うように、後ろ手に掴んだ《《奥の手》》を差し出した。名前も知らない冒険者は、やがてそれがどういうものなのか理解し、困惑した様子で口を開く。
「魔石……転移の? こ、こんなもの、どうして……」
僕は、なるべく堂々と。さも自分が一騎当千の勇者様で、その行動に、これから起こることに、絶対の自信を持っているかのように笑う。
「悪いが、そこに居られたらお前を巻き込んでしまうからな。先に街へ戻って、ゆっくりその身を休めていてくれ」
「け、けどそれじゃ、あんたは……」
食い下がる男。僕はその葛藤を吹き飛ばすため、どんと床を踏み鳴らし叫んだ。
「俺は勇者、魔王を倒した男! その俺が、こんな奴らに膝を着くはずがないだろう! ────安心しろ、絶対に俺は、生きて帰る」
その言葉で決心が着いたのだろう。男は結晶を受け取ると、短い呪文を唱えた。ぼんやりと光る魔石。呪文によって起動した魔力が、転移の奇跡に火を灯したのだ。
ふっ、と消える男の姿。転移が完了したことを確認した僕は、1度大きく息を吐き────
全速力で逃げ出した。
勇者とは、時に奇想天外な方法で、絶体絶命の危機を乗り越えて見せるものだ。とは言うが。
「本っ当にありがとう! あんた、少なくとも俺にとっちゃ、間違いなく勇者様だ!」
「あー、うん……ありがとう。いやなに、当然のことをしたまでだ」
感激のあまり涙すら流しそうな表情でしきりに礼を言う男がさっき助けた方。その正面で微妙そうな顔をしている方が僕だ。
遺跡からの脱出を果たした僕は、依頼者との報酬受け渡しのため、街の中央にある広場に立っていた。
身体のあちこちに小傷こそあるが、致命的なものは残っていない。
魔獣の群れから逃げ出した僕は、様々な手を駆使し、何とか生還するため最前の努力を尽くした。
岩魔術による最適なタイミングでの足止め。壁際に追い詰められた僕の魔獣を相手とした熾烈極まる攻防。そしてそこから離脱するための大逆転の一手────
手に汗握る戦いの後、なんやかんやで古城は倒壊した。大体最後の爆発魔術による離脱が原因だろう。
自分の足元を爆発させてその衝撃で吹っ飛んで脱出。奇想天外というか単に無謀。
結果だけ見れば城を崩壊させるほどの戦いで魔獣の群れを殲滅し、無事生還した1人の英雄────しかしかくやその実態は、醜く逃げ惑った末にやけを起こして自滅寸前の脱出を行っただけの、よくいるヘボ冒険者に過ぎないのだった。
そんなわけで、こうも感謝感激を正面からぶつけられると、恥ずかしさと申し訳なさがどうにも湧き上がってくる。僕はなるべく早くそこから立ち去ろうと口を開いた。
「それじゃ、俺はそろそろ失礼するよ。……すまないが、一応依頼だから、報酬を貰えるかな」
「あ、すまねえ忘れてた! これ、あんま多くは無いが……」
そう言って、手のひらに乗るくらいの袋を差し出す男。
「ありがとう。もしまた何か困ったことがあったら言ってくれ。俺はすぐに駆けつける」
最後にそう残して、僕はその場を後にした。
曲がり角を曲がる時、手を振り続ける男がちらりと見えた。
寝泊まりしている安宿に戻り、先程受け取った報酬袋を開いた。金額の確認だ。
「2600ダラス……ちょい。あー」
入っていたのは銅貨が6枚に、銀貨が2枚。それと微銅貨が数枚。銅貨1枚100ダラス。これなら1週間分の食費ぐらいにはなるだろう。城を崩して1週間だ。当然割に合わない。
「あの遺跡が取り壊し予定だったのが救いだよな……てかそんなとこ探索行くなよって話だけど……」
一応、遺跡破壊の補償金は払わなくていいということになった。その分めちゃくちゃ叱られたが。
救援の依頼というのは、つまりこういうものだ。絶体絶命の大ピンチに飛び込んで、死ぬ目にあって人1人助けて、それで1週間。
もっとも、まともな報酬を支払えるような────まともな判断能力があって安定した収入を得られているような冒険者はそもそもそこまで追い詰められないし、追い詰められたとしてもその救援が誰でも受注可能な一般用クエストボードに張り出されることは無い。
僕に受けることが出来るのは、僕と同じぐらいの立ち位置にいる、やっぱりヘボな冒険者の救援依頼ぐらいなのだ。
損することも顧みず我が身を犠牲に人を助ける。それが勇者の仕事で、使命。少なくとも僕はそう教わったし、託された。
「勇者、やっぱ最悪だな……仕方ないけどさぁ」
呟いて、僕はごろりと硬いベッドに寝転がる。
遊ぶ金なんてないので、暇な時間はこうするしかない。それにもう疲れたし、身体もあちこち痛む。今日はこのまま寝てしまおうと、僕はゆっくり目を閉じた。