6 そうしてアリスは大人になった
「アリス、そろそろ起きなさい。私が動けないじゃない」
姉さんの声が聞こえる。そのあとに頭が撫でられる感覚があって、アリスは顔を挙げた。
そこは、アリスの自室だった。アリスがいつも寝ているベットの上には姉さんがいて、アリスは彼女の胸のあたりを枕にして座ったような体制のまま寝ていた。看病をしている時に、寝てしまったってことなんだろう。
「あら、ごめんなさい姉さん。いつのまにか、寝てしまっていたみたい……。やだ、だらしないわ」
ちょっと恥ずかしい感じを覚えながらも、アリスは周囲を見渡した。するとどうやら部屋の中には、もう一人、事件の関係者がいるようだった。
「あら、エイダ。こんにちは」
「アリス。起きたようね。お邪魔してますわよ」
エイダはアリスのお気に入りの安楽椅子に座って、『楽園』というタイトルの本を読んでいた。アリスにはまったく心当たりのない題名だ。
「あなたが寝てしまったようだから、姉さんと一緒に見守っていてほしいってレオポルドに言わまして。……彼もかわいそうですわね。普段から忙しいのに、事件のことで今はいっぱいいっぱいみたいよ」
本から目を離さずに、のんびりとした声でエイダは言った。そのあとには、安楽椅子が揺れてギコギコと軋む音と、どこからかの小鳥の鳴き声だけが残った。どうやらこの部屋に、そして近くには、この三人いがいに人はいないようだった。『妙な巡りあわせだわ』とアリスは思わざるを得なかった。アリスにとっては、まるで神様がこの場をセットしたような、とても出来た舞台だったからね。
「ねえ」
そしてアリスは、言うべきことを言った。
「二人に聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「ええ」「なにかしら」と二人。エイダはそっと本を閉じて、安楽椅子のそばにおいてある机に置いた。アリスはこの先きっと長くなるだろうと思ったから、壁に身体を寄せて、二人を見渡した。
「私なりにね、事件の犯人について考えてみたのよ」
「へえ、あのお転婆なアリスが。聞かせてもらおうかしら」
エイダは食い気味に反応する。
「まずね、この事件は私の友達の誰かがやったことだと思うのよ。だって、四連続で私の夢にかかわる事件が起きているんだし、被害者になった人も、私と関連していることが多い。犯人の狙いは後にするけれど、いずれにしても、この事件は私の友達の誰かにしか起こせないことだわ」
「そうね。それでリバーのことを調べてみようってことになったけど、特に収穫はなかった。それが今までの流れね」
「ええ」
「それなら、アリスはやっぱりあなたの夢の話を事前に知っていたリバーかシャルロッテが犯人だっていうのかしら?」
アリスの眼は、意地悪気な笑みを浮かべたエイダのことをまっすぐ見つめていた。何かを含んだようなエイダの笑顔は、ちょっと怖いように感じるけれど、でももっと怖いヘイヤの顔をさっきまで見つめていたアリスにとっては、こんなのもう気にするほどのものでもなかった。
「うんうん。私ね、その二人以外に夢の話を知っている人を思い付いたの」
「へぇ、それは?」
問われてアリスは、エイダから視線を外した。
「姉さん」
そして、自分の姉をしっかりと見つめたんだ。
「姉さん。私はあの夢を見た日、夢を見た直後に、土手で夢の全部を話したことを思い出したのだけれど。姉さんは覚えていたかしら?」
突然話を振られた姉さんだけれど、動揺の一つも見せずに、ただ一言だけ、
「さあ」
と言った。
「あら、残念だわ。私の好きな姉さんなら、私の話したことをぜーんぶ覚えていてくれると思ったんだけれど。でも、どうかしら。姉さんが嘘をついているってこともあり得るわよね」
アリスは心無いことまで言って、姉さんのことを探ってみたけれど、姉さんは何も言わなかった。
「そう。じゃあね、姉さん。私こう思うのよ。今日起きた姉さんが襲われた事件。あの状況にできたのって、姉さんだけじゃない?」
衆人によって監視された状況。完全な密室。隠された通路も隠れていた人もいない。他の容疑者はみんな、一つの部屋に集まってる。というのなら、被害者の胸にナイフをつきさせたのは。
被害者しかいなくなる。
「アリス、あなた、ロリーナ様自身が自分のことを刺したっていうの? 何のために?」
エイダは本当に驚いたようで、信じられないというような意味を言外に含ませながら、アリスに問うた。
「もちろん、見立てを続けるために」
アリスにとって、それは少し残酷な思い付きだった。
「姉さんが今日の事件を起こしたのは、見立てを続けるためだった。そう考えれば、被害者なんて別に関係ない。勿論、自分でもよかった、というか、自分はどこにでもいて、それに犯人である自分の意志通り動くんだから、見立ての被害者にするにはちょうど良かったのよ」
「えっと、そんな、でも……」
エイダは理屈は理解できたけれども、直感の上では理解できていない様子で、とても戸惑った表情をしていた。とても言葉では言い表せない、もやもやとした思いがあるようで、そんなエイダが言いよどんでいる間に、代わりに姉さんが口を開いた。
「面白い考えね、アリス。私が犯人だなんて。確かに私は、三番目の事件を起こすこともできるから、そこそこ犯人としては有力かもしれないわね。でも、一番目と二番目の事件はどうかしら。私はウサギ小屋からウサギを脱走させることも、貴方たちに毒を盛ることもできないと思うわよ。茶会が行われるなんて、私は思ってないんだから、毒を用意できるわけがない。……どう?」
姉さんは、すべてを否定しなかった。代わりに論理的に、筋の通った反論をしただけだった。それがアリスにはとても悲しい事のように思えてしまった。
「ええ、そうね。姉さんはウサギの事件も、ケーキの事件もできない。だから、姉さんは本を濡らして、自分の胸にナイフを突きつけただけなのよ。他の二つの事件には、別の犯人がいるわ」
「別の犯人? 私に共犯者がいるとでもいうの?」
「いいえ、姉さん。だって、共犯者なんかいたら、もっと今日の事件を複雑なものにしたはずだもの。それに、共犯関係が存在するなら、私の見た夢に見立てて事件を進めるなんて、そんな複雑な方法をとる必要はないもの。そんな動機、私じゃ考えつかないわ」
「それじゃあ、別の犯人って?」
姉さんの疑問に、アリスは答える。
「まず、最初のリーべの事から考えて行きましょう。でも、リーベの脱走って、考えてみたら単純なことじゃない? エイダの不注意で、リーベが逃げ出してしまった。起こったこととしては、こんな単純なことになる。……私には、そこに第三者が介入できるとは思えないわ。せいぜい、この説明に付け加えることができる可能性があるとしたら、エイダが意図的にウサギを逃がしたぐらいじゃないかしら。でも、エイダは私の夢の話をちょっと前まで知らなかった訳なのよね?」
「ええ、信じてもらえるかしら?」
「信じるわ。だって、私にもあなたに夢の話をした記憶はないもの。……でも、そうなったら、もう簡単な簡単な可能性しか残されていないわね。リーベが逃げ出したのは、偶然よ」
偶然、つまりそこに、悪意はなかったっていうんだ。
「アリスはリーベの脱走を、見立てじゃなかったって言うの?」
「ええ。確かに私の話では、最初の白うさぎが大穴に向かっていくところは結構印象的かもしれない。でも、彼が最初に出てきたのは夢の国に行く前の話だし、夢の国の入り口という見立てをするなら、大きな落とし穴でも用意する方がまっとうよ」
「じゃあ、なんで見立てはケーキから開始されたのかしらね?」二回連続で、姉さんが聞く。
「それはね。姉さんが途中からこの事件に見立てという要素を追加したからよ」
アリスもまた、答える。
「つまり、姉さん。あなたは起きてしまった事件を乗っ取って、そこから見立ての事件を起こすことにしたんじゃないかしら? それなら、共犯関係って言い方は正しくないのよ。二人に協力する意思はなかった。……だから、別の犯人って言い方をしていたわけ」
姉さんは何も答えない。
「それじゃあ毒入り紅茶の事件は、ロリーナさんではないその別の犯人がやったってことなのね? それは誰?」
エイダが、安楽椅子から身を乗り出して、ついに確信へと迫った。アリスの胸の痛みは、もうナイフで突き刺されたみたいに鋭いものになっていたけれど、もう止めることはできなかった。
「ねえ、エイダ。毒って何に塗られていたのかしらね?」
アリスはわかり切っている質問をした。
「……わからないわ」
何かを察したらしいエイダが、かぶりを振る。
「そう、私はあのスプーンだったと思うの」
「スプーン?」
「ええ。あなたと私で少しだけケーキを交換しようってなったとき、あなたは懐から自分のスプーンを取り出したわね。それのことよ。あのスプーンなら、毒見をした後だし、どのケーキを取ろうが関係ない。、何より、私とエイダだけが毒の症状を受けた証明になる」
きっと、毒が致死量以下だったのもそのためだ。自分も毒を食むというのに、致死量の毒を盛ってしまったら、自分が死んでしまう。
「違う! あれはただ、本当に他のケーキの味が気になっただけで……! 第一、証拠がないじゃない!」
突然動揺して、エイダはその風貌に似合わない叫びをあげた。安楽椅子から立ち上がって、アリスのことを掴もうとした。まるで何かに縋りつくために、まるで何かに許しを求めるために。
エイダの手がアリスの袖をつかむ直前。凛とした声が、二人の間を割って入った。
「あるわよ。ここに」
黙っていた姉さんが、懐から袋に入ったスプーンを取り出していた。
「それは、私の……」
「ねえ、エイダ。私ね、最初から全部わかっていたの。だけど、言わなかった。いえ、言えなかったのよ」
姉さんは、横柄な女王のような冷徹さで、エイダを見つめた。
「アリスに毒を盛ったのはあなたね」
「私の話からしましょうか」
姉さんは、いつもの優しい顔になって、アリスに微笑んだ。そうしてもう一つ、懐から何か手紙のようなものを取り出した。
「アリス。私はね、あなたにサプライズをしようと思って、ちょっと早めにここにきていたのよ。それで、あなたの手紙の中でお気に入りの場所になっている第二図書室に行けばアリスと会えると思ってね。行ったのだけれど……。そこで、こんなのを見つけてしまった」
『思いあがった、貴女のせいだ』 ……その便箋には、ただ一言だけそう書かれていた。
「私ね、これを見て、何だか胸騒ぎがして。別にアリスのことを書いてるわけじゃないのに、でも、あんな不人気な場所の奥にあったものだから、最初に見るのはアリスだろうと思って。……あなたにこんな悪意に触れさせるのは、忍びなくって。それで、私はまずこの手紙だけを隠したの」
姉さんの言葉は、凶悪犯罪者が逮捕され諦めて、犯行を全て自供する時のような雰囲気であった。
「そしてそのあと、アリスに普通にあって、それでお茶会に呼ばれて、あの事件が起きて――――。私、そこで犯人はエイダだって気づいたの。それで、次々にわかっちゃった。第二図書室に手紙を置いていたのはエイダだ、あの手紙はアリスに宛てられたものだった、エイダが害そうとしたのは、アリスなんだって」
アリスは、何も言えなかった。ただ、告げられる事実を咀嚼することしか、アリスには許されていなかった。
「それで私、このままじゃアリスが悲しむと思って。まだ子供で、人の悪意に全く触れてこなかったあなたが、ましてや親友のそれに触れるなんて、耐えられないかもしれないと思ったの。……だから、私は犯行を複雑にした。スプーンを拾ってエイダが犯人であることを隠して、あなたたちが寝ている途中に、本を積み上げて濡らして、それから、自分の身体を傷つけて、昔あなたが私に聞かせてくれたお話の通りにしたの。それで、あなたが不思議の国の住人が犯人だって結論付けてくれれば、それでよかったから」
「だからね」と、姉さんはそこで、今までアリスが聞いたこともないような、とても恐ろしい声になって、
「エイダ。なんでアリスに毒を盛ったの?」
露骨に怒りを孕ませて、そういった。
「……仕方ないじゃない」
姉さんに責められて、エイダは顔を下げたまま答える。
「羨ましかったのよ。アリスが」
「……私が?」
アリスは驚いた。だって、エイダが自分を羨むことなんて、アリスにはぱっと思いつかなかったからだ。エイダは上品で、綺麗で、頭が良くて、そしてなにより大人だったから。おっちょこちょいなアリスには、友達でありながら、その友情の中にはどことなく尊敬のような気持ちがあったんだ。
「ええ、そうよ! だってあなたは、私のレオを!」
でも、顔を挙げて、そう叫ぶエイダは、全然綺麗じゃなくて、とても子供らしく見えた。
「レオは私の幼馴染だった……。小さいころから一緒にピクニックに行ったり、広場で遊んだり、大人になってからは、いろんな本について語り合ったりしたのよ。それで好きにならないっていう方がおかしいじゃない! 私は、レオのことを、あなたよりも、誰よりも、愛していたのよ!」
エイダはその端正な顔を悪魔のようにゆがめ、アリスを糾弾する。
「それなのに、アリス! レオがクライストチャーチに入学してから、あなたが私たちの間に入ってきた!それからレオは貴女にばっかりかまって、私なんてたまにしか構ってくれなくなった! 悔しかったのよ、羨ましかったのよ! 後から入ってきたというのに、私と同じようにあの人のことをレオと呼んで、もしかしたらすっかり全部彼のことを取られてしまうんじゃないかって、私、怖かったのよ、だから……!」
そうして言葉を畳みかけるエイダの瞳に、だんだんと涙が浮かんでくる。
「だから、あなたにレオを諦めてもらおうと思って……。私とあなたの命が狙われて、それが自分のせいだってなれば、あなたは優しいから、レオから手を引いてもらえると思ったのよ。……なのに、用意した手紙は見つからないし、知らないところでロリーナさんが襲われてしまって……」
そうしてエイダの語気はだんだんと弱くなって、立っていられなくなって、涙を流しながら床へと崩れた。
「……本当に、怖かった」
そう呟いたエイダの姿は、どこか本当に、幼い子供のように見えた。
「あら、私はてっきり、あなたが絶対レオポルドと結婚するために、邪魔者を排除したんだと思っていたわ。だって、あなたの家は王家と密接につながっているそうじゃない」 と姉さんが棘を飛ばすも、
「……いいえ、私は本当に、あの人を愛していた。ただそれだけなのよ……」 感情を処理できないようで、エイダらしくない弱弱しい言葉が返ってくるだけだった。
それで、事件がすっかりと解決してしまったアリスの部屋には、冷たい沈黙が下りることになった。小鳥の声も、風の通る音も聞こえない。ただ、エイダのすすり泣きだけが耳を打った。
「ねぇ、エイダ」
アリスはエイダに話しかけた。
「……なにかしら」
「ごめんなさいね、誤解させちゃって。私別に、レオのことが好きなわけじゃないのよ。私は彼の事、ただの友達だって思っているわ。そうね、彼の方もそう思っているんじゃないかしら」
後ろの方は、本当のことを言った。
「……本当?」
「ええ、だから、心配しないでいいのよ。そのままの貴女でいれば、きっと大丈夫。あなたのことを、愛してくれるわ。……今回のことは、あなたの心配がいっぱいになっちゃって、起こったことよ。これが何回もあるようなら、さすがにみんなもこまっちゃうけれど、でもあなたが自信を持って、未来を見失わなければ、大丈夫。もうこんな怖いことは、起こらないわ」
アリスは優しく、エイダの肩に手を置いた。エイダは、その時にはもう泣き止んでいたはずだけど、さっきとは別の涙が、また目から出てきてしまっていたようだった。
「レオポルド王子には、私の方から事件の調査をやめるように言っておくわ。あなたは別に、これまで通りの日常を過ごせばいいのよ、エイダ」
「アリ、ス……」
エイダは何かを言葉にしようとしたけれど、どうしても上手く文章にできないようで、ただ立ち上がって、アリスに一礼しただけで終わった。
「ごめん、なさい。私、頭を冷やしてくるわ……」
エイダはかろうじてそういって、アリスの部屋から出ていった。
しばらくして、アリスも約束したことをするために、レオポルド王子のもとへと向かおうとした。
「ねぇ、アリス」
その背中に、姉さんの声がかかる。
「あなたは、それでいいの?」
「ええ」
アリスは一言で答えた後、いつもの日常のために、言い忘れていたことを言った。
「ちょっと、出かけてくるわね、姉さん」
事件は終わった。
あの後、アリスはレオポルドに事件の調査をやめるように頼んだ。最初は彼もすごい訝しんだけれども、アリスがもう事件は起きないということを強調すると、彼はただ「信じよう」といって、彼の部下にいろいろと命令を出し始めた。その姿を見て、アリスは少し胸がちくっとしたけれど、でもこれも自分で決めた道だから、乗り越えないといけないんだろうなって、そう思っていた。
それで、勿論この後に事件なんて起きなくて、この話は全部終わりになった。真相を知らない人たちはしばらくの間もやもやとした雲を頭の上に浮かべていたけれど、それも時間がたって忘れ切ってしまったようだった。
姉さんはあの直後に家に帰ってしまって、まるで何事もなかったかのように手紙を送ってくる。アリスも、勿論それを了解して、前みたいに、純粋な姉妹のままで手紙を返していた。エイダとも、仲良くやっている。レオと三人で遊ぶとなったときに、ちょっとアリスが引け目を感じるようになったこと以外は、全部元通りだった。
事件から、三か月がたって、アリスは家のバルコニーにいた。ふと、事件のことを思い出してしまって、寝れなくなって、それで深夜に立ち上る、明るい月を眺めることにしたんだ。
アリスは、エイダに嘘をついた。わかっているとは思うけれど、実際のところは、アリスはレオポルドのことが好きだったんだ。恋というものが初めてだったから、その感覚が信じられなかったから、友情という枠を超えたくなかったから、そういう感覚で、レオのことを想っていると自覚したくなかったから。アリスはずっとずっと、自分をだまし続けていた。だけど心の内では、あの抑えきれないドキドキが恋心によるものだって、なんとなくわかっていた。わかっていたのに、アリスは嘘をついた。好きっていうわけじゃないって、アリスはエイダに、レオポルドのことを譲ったんだ。
月を見ながら、アリスはどうしても物憂げになっていた。
……あの時、そういうものだって思う自分がいた。自分とレオの間じゃあ、身分の差という、このイギリスという国では絶対に乗り越えられない壁があることがわかっていた。わかっていたから、絶対にレオは私のことを想ってくれないんだろうなって思っていた。そうであってほしいと、思ってしまっていた。――――実際には、どうだったんだろう。
でも、エイダなら安心だろう。彼女はアッパー・クラスの貴族様だから、レオとちゃんと釣り合っている。それに、エイダがあんなに彼のことを愛しているんだから、カップルの愛も、そうそう途切れることはないんだろう。最近そういう目で彼らを見ていると、やっぱり相性がいいみたいだし……。
でも、やっぱり諦めきれないのかな。
アリスはまた、自分に嘘をついていた。
アリスは、もう既に諦めきってしまっていた。エイダとレオの関係のことを、すっかり第三者の、世話焼きのおばさんのような、生暖かい視線で見つめることができるようになってしまっていた。それなのに、自分がまだ、レオポルドのことを想っているんじゃないかって、期待していたんだ。
そんなワケないってことは、自分が一番よくわかっているのにね。
「……寝よっと」
だんだんと、アリスには自分の本当の気持ちがわかるようになってきてしまっていた。アリスは、いつの間にか、すっかりと大人になってしまっていたんだ。嘘をつくことも、自然体を繕うことも、恋を諦めることも、アリスにはすっかり得意なことになってしまっていたんだ。姉さんが胸にナイフを突き立ててまで守ろうとした純粋なアリスは、最初から、もう、いなかったんだ。
でも、なんとなく、それでいいんじゃないかって、アリスは思っていた。結局こうして、大人になってから見つめてみれば、子供も大人も、そんなに変わんないんだ。子供には、子供なりの苦悩があった。大人には、大人なりの悩みがあるって、そういう事なんだろうね。結局いつでも、どこでも人間って悩んでいる気がする。はぁーあ。もっと気楽な、ウサギなんかに生まれたかった。アリスは人間の心理を見つめて、そんなことを思わずにはいられなかった。
ああ、でも、ウサギも遅刻に悩まされるんだったわね。なんて、小くだらないことまで。
時間を忘れて月を見ていて、たぶんもう、日付が変わるころになったんだと思う。アリスはそこでやっと、自分が眠くなっていることに気が付いて、ベットに戻ることにしたんだ。
にゃあと、年老いたスノードロップの鳴き声がした。こんな夜中まで起きてるなんて、悪い子だ、なんて思いつつ、アリスは瞼を閉じた。
アリスはその日、久しぶりに夢を見なかった。