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4 子豚も狼に食べられて

「不思議の国の夢?」


 突然へんちきなことを言われたレオポルドは、ふさわしく怪訝そうな顔を示した。


「そうよ、今回の出来事が、もしかしたらそれで繋がっているのかもしれないの」


 そういえばレオポルドにはあの話を聞かせてあげたことがなかったなと、アリスはふと気付いた。


「……はあ、なるほど。……なんのために?」


 アリスにとって一世一代の思いつきだったそのアイデアも、堅物のレオポルドには糠に釘だった。相変わらず怪訝そうな顔で、アリスの正気さえ疑っていそうな様子だった。


「分からないわ。でもそうなると、毒入りケーキは私を狙ったものだったのかしら……」


「その、アリス」


 レオポルドはわがままな子供に言い聞かせるような、とても穏やかな口調になって言った。


「君は誰かが自分の頭の中を覗き込んで、その中にあった夢に沿うように事件を起こしたって言うのかい?」


「いえ、違うわ。その夢は本になっていたのよ。誕生日に作って贈って貰ったの」


「本に? ……ああなるほど、だから辺りを探していたのか」


 レオポルドはそこまでアリスから言葉を引き出して、やっとアリスの言いたいことが理解できたんだ。


「つまりこれらの事件はその本の『見立て殺人』だと、君は言うんだね?」


 巷で話題の推理小説めいた言い回しで、レオポルドはアリスに問うた。アリスはそれに対して「そうよ」と深刻そうに返したけれど、彼はまだ釈然としていない様子だった。

 アリスはそれでも尚食い下がって、懸命に説明しようとしたんだけど、生憎語彙が足りなかった。そして、アリスは今日ここに来て初めて文章術の授業をサボりがちだったのを後悔したんだよ。ああ、ごめんなさい、カルソー先生。さっき私の頭から振り落とすなんて無礼をしちゃって! って。




「すいません、お二人にお客人がきていらっしゃいますが」


 入り口近くの細かなところを調べていたジョンが、いまいち通じていない二人の会話を遮った。


「客人?」 とレオポルド。


「ええ、エイダ様とロリーナ様、それとシャルロッテ様の三名です」


「本当!? すぐに来てもらって頂戴!」


 本来ならそれを決めるのはこの場で身分が一番高いレオポルドのはずで、彼もその気でいたから口を開けたんだけど、アリスが名前を聞いた瞬間にすぐさま大きくそう言ったから、レオポルドは開きかけた口をどうするか悩んでしまった。


 しばらくして、ジョンの言葉通りに三人はやってきた。シャルロッテは初めて第三図書室に入るせいか、それとも性格のせいかわからないけれど、大きな歯抜けた本棚の群れにびくびくと体を震わせていた。


「エイダ! 大丈夫だったかしら?」


 アリスは元気そうに歩くエイダを見るや否や、彼女の身体へと勢いよく抱きついた。きっと、心の奥底にあった心配が吹き飛んでしまって、彼女にとても愛おしいもののように思えたんだろうね。


「ええ、私は大丈夫でしてよ。そう、アリス、貴女も大丈夫そうね」


「うん! それよりもどうしたの? こんなみんなで大勢で」


 エイダに抱きついたまま、アリスは辺りを見回した。姉さんとレオポルドが生暖かい目で二人を見つめているのが目に入ったけれど、アリスには離れるつもりなんて毛頭なかった。

 でも、エイダはちょっとその視線が気になったみたいで、アリスを優しく引き剥がしてから答えたんだ。


「ふふ、レオポルド王子様の使用人が私の部屋に来てね。報告したいことがあって王子様を探してたみたいなの。それで私達もアリスが元気してるか気になったから、案内ついでについてきたと言う訳なのよ」


「ほう、私に伝えたいこと?」


 レオポルドの反応を見て、エイダの後ろから背の高い男の人が現れ出た。


「はい。茶会での事件の調査があらかた終わりましたので、新規にわかったことの報告をしに参りました」


「そうか。……どうせならこの場で言ってもらおう」 とレオポルドが促す。


「わかりました。えー、現場となったシャルロッテ様の家を全体的に調べて見ましたが、毒の現物は出てまいりませんでした。よって毒が検出されたのは被害者の食べたケーキと使った食器のみとなります」


「あっ、そうですそうです!」


 突然、怯えていたシャルロッテが叫んだ。


「どうしたの?」 とアリス。


「今思い出したんですけど、ケーキに毒がついてるのっておかしいんですよ。だって、私、直前に全てのケーキを毒見させてるんですもん!」


「ほう……?」


 シャルロッテの言葉に、周りの人達全員のを視線が集まった。臆病なシャルロッテはそれに怯んでしまって、直前にあった意気はすっかり萎んでしまった。


「それを今、思い出したのか? 毒見だろう?」


「うぅ……。すみません、こんなこと初めてで……」


 レオポルドに詰められ、元々小柄なシャルロッテの肩は更に小さくなってしまう。そんな姿を哀れに思ったのか、姉さんが口を挟んだ。


「でも、そうなると毒は何処から入ったのかしら? 直前に毒見がなされていたんだったらつまり、食事中に入れられたということになるわよね」


「……そうとも限らないと思いますわ、ロリーナ様。食べる際に使われた食器にも毒があったそうですから、きっと最初はそちらの方に付着していたんじゃないかしら」


「毒が食器に塗られていたんなら、さすがに運ぶ時に気付いたと思いますよぉ……」


 やってきた三人は思考を巡らせるものの、これといった正解は導き出せないようだった。


「とまあ、私たちもここに来るまでにいろいろ考えたんですけれども、どれもこう言う感じでして。アリスの方では何をしていたのかしら?」


 埒があかないと判断したのか、エイダはアリス達の方に話を持っていった。


「ああ、えっとね……――――」


 そうしてアリスは、この第三図書室で何があったかを話し始めた。勿論、自分のお手柄なアイデアも忘れずに。




 アリスの事情説明がちょっと長引いたものだから、その間にジョンとレオポルドの使用人の二人が椅子とテーブルを持ってくれた。全くと言っていいほど使われてないせいか、ちょっと埃っぽかったけれど、そんなことを気にしているのはアリスぐらいなものだった。


「――――と、言うわけなのよ」


「なるほど。アリスが幼いころ見た夢と通じている部分がこの事件にはあると」


 アリスが話し終えると、エイダたちは続々と話し始めた。


「それが真実だとすると、この一連の出来事は全部犯人が同じっていう事になりますわね。そして、その犯人はアリスが見た夢の話を知っていなければならないと」 と冷静に分析するのはエイダだ。


「ねえ、アリス。今までその物語をどれくらいの人に話したのかしら?」


 姉さんの質問を受けて、アリスはうーんうーんと思案して見せた。


「そうね……。孤児院の子供たちにはよく読み聞かせをしていたけれど、他にはどうだったかしら……」


「……あの、たぶんリバーさんも知っていると思います。私と一緒にアリスの練習に付き合ったことがあったはずです」


 シャルロッテがおずおずという感じで口をはさむ。


「リバー? あの変人のことか……」 とレオポルドは出てきた名前に怪訝そうな顔を浮かべた。


「シャルロッテはアリスの話を知っていたのね」 と反応したのは姉さんの方だ。


「へんじん……ええ、まあ、私とリバーさんとアリスさんは、今でもたまに孤児院に遊びに行くメンバーなんです。それで最初のころに、アリスが読み聞かせの事前練習として、私たちにその長いお話を聞かせてくれたことがありました。確か、次は侯爵令嬢の赤ちゃんのおもりを任されるんでしたっけ」


「ええ、そうよ」 とアリスは上機嫌に答えた。昔の自分のお話を今でも友達が覚えていてくれて、アリスはちょっと嬉しく思ったんだ。


「それにしても、お前らが郊外の孤児院に度々出向いてるのは知っていたが、その中にリバーの奴が紛れ込んでいたとはな。大丈夫なのか? あいつは三月のウサギのように気が狂っている奴だし、孤児院の子供を自分の研究の実験台にでもしていそうなものだが」


 リバーはクライストチャーチではマッドサイエンティストとして有名な生徒だ。夜な夜な理科研究室で器具をいじくりまわしては、朝になると知人に変な色をしたキャンディを贈っている。噂では、そのキャンディを食べると人狼になるとか、幽体離脱の状態になるとか、単に死ぬとかいう話もある。そう考えると、レオポルドの疑念ももっともなものだった。


「ええと、うーん、たぶん大丈夫だと思いますけどね。私もアリスもちゃんと見守っていますし、本人もまっとうに子供たちのことが好きみたいですから」


「あいつが? 子供のことを好きだと言ったのか?」


 レオポルドはやはり、リバーに対する疑いを抑えることはできないようだった。……まあ、アリスにもその気持ちは十分わかる。だってリバーは、実際孤児院に行くときに、子供に緑色のキャンディを食べさせようとしたのだから。(本人によると、まったくの善意だったそうだけど)


「一度話でも聞いてみるか。やつが犯人という可能性はかなり薄いとは思うが……」


 ほかにアリスの話を知っている奴に心当たりがあるかもしれないしな。とレオポルドは理科実験室に行きたいらしく、女の園に背を向けた。

 しかし、その背中に黙っていたレオポルドの従者の声がかかった。


「失礼ですが、リバー様はここ最近昼夜逆転状態で、今の時間は寝ているかと」


「……どういう生活リズムをしているんだ、あいつは」


 レオポルドはずいぶんと呆れの感情を覚えたらしく、大きくため息をついた。




 ――――結局、そのあと話はどうでもいい雑談に移ってしまって、今日のところはそれで解散になった。アリスは解散してから夕食を食べて、ベットにつくまでの間、もう一度今日の出来事を振り返ってみたんだけど、それでもやっぱり進展らしき進展はなかった。

 もしかしたら、不思議の国の住人たちがやってきて、いたずらをしたのかしら……。そんな荒唐無稽な考えさえ、今のアリスには浮かんできてしまった。

 それでそんないくつもの考えと、なぜか浮かんできたどうしようもない不安感が胸をついて、アリスは眠ることができなかった。明日に響くからとしっかりと目をつぶってみても、厭に眩しく感じる月明りが瞳孔を刺して、その痛みを考えてまた思考の渦へと巻きこまれてしまうのだ。

 それでアリスはすっかりお目目ぱっちりのままで、このままでは時間がもったいないと思ったから、ちょっと本でもよんで眠気を呼び起こそうと、ベットルームから外に出たんだ。

 月明りがあるといっても、やっぱり夜なもんだから視界は全然真っ暗で、やっぱりちょっと怖い。でもアリスももう一人で夜中にトイレに行けないなんて年じゃあないわけだから、そんな気持ちはポイとどこかに放り捨てて、ずんずんと自分の家を進んでいった。


 でも、だからといってアリスもまだまだ女の子だ。


 ガシャン! 「ひあッ!」


 突然闇夜の向こうから大きな物音がしたんならば、びっくり叫んで腰を抜かしてしまうのは仕方のないことだと言えた。その時、昼ぐらいに茂みわしゃわしゃが動いたときと、同じ恐怖心をアリスは抱いていた。


 ギィ、とアリスの近くの扉が開かれた。


「む、アリスか。まだ寝ていなかったのか?」


 やっぱり今度も幽霊なんかじゃなくて、出てきたのはただの顔見知り、レオポルドだった。懐に書類の束を抱えていて、似合わない黒ぶちの眼鏡をかけていた。


「れ、レオ。どうしてここに?」


「ああ、今日の事件について、お前の使用人と情報を交換していたんだ。もう夜も遅いし、今から帰るところだったんだが……」


 腰を抜かし切ったアリスを見て、レオポルドは申し訳なさそうな表情になった。


「……驚かせてしまったか」


「ええ、もう、ダイナの幽霊でも出たかと思ったわよ……」


 巷では冷血漢っていうあだ名でも呼ばれているレオポルドだけど、さすがにこの時はアリスに申し訳なく思って、すぐさま手を貸してやったんだ。


「大丈夫か? まさかまだ起きてるとは思ってなくて、挨拶はなしにしておいたんだが」


「ええ、大丈夫。ただいろいろと考えちゃって、眠れてないだけだから……」


 いろいろと考えてしまったもやもやで、アリスの活気はすっかりとしおれてしまって、顔には疲れた未亡人のような憂いが見て取れた。


「……事件のことか?」


「ええ、そうよ。ただ、別に何か新しいことを思い付いたとかじゃないの。ほんの些細なことが気になっちゃって……」


 レオポルドはしどろもどろなアリスに戸惑いながらも、彼にしてはやさしい声で言葉をかける。


「大丈夫だ。話してくれ」


「その、ね……」


 アリスはいまだに震える自分の舌を何とか言い聞かせながら、自分の中に残っていたもやもやを全部吐き出した。半ば叫ぶような気持だったけど、アリスのかわいそうにか細い声は、レオポルドの耳にやっと聞き取れるぐらいにしかならなかった。


「……この事件って、私に恨みのある人がやっているの? ねえ、それなら、エイダは私に巻き込まれたってことになるの? 全部わたしのせいなのかしら?」


 アリスの懊悩は、これがすべてだった。自分でも悲劇的な思考の渦に陥ってしまったとは思ったけれど、でもか弱いアリスにその考えを止めることはできなかった。できなかったから、本とか、信じれる人とか、そういうものに全部投げ出して寄りかかってしまおうと思っていたんだ。


「……それはわからないな」


 でも、レオポルドの言葉は、アリスが求めたものではなかった。


 だけど、とっても優しい声だった。


「アリス。現状では君の言う可能性は否定も肯定もできないだろう。なにせ誰が犯人かもわかっていないんだから、その動機なんてわかるわけがない。……だた、だからといって、今そういう風にくよくよ悩んでいたってしょうがない。結局君のような優しい子は、どんな結末を迎えたって、それが喜劇みたいな終わりじゃなければ、絶対に心のどこかに引っかかってあれこれと考えてしまうだろう。だから、思う存分悩むのは全部終わったあとにするといいさ。犯人がわからなければその懊悩だって、全部無駄になるかもしれないんだからな」


 レオポルドはアリスの眼をしっかりと見つめながらそう言った。


「で、でも。不思議の国のお話はまだまだ終わらないの。まだ事件は続くかもしれないのよ。そしたらまた、エイダみたいに巻き込まれてひどく巻き込まれてしまうかもしれないのよ。そしたら、私は……」


「どうしようもないだろうな。お前の命が狙われていて、それに友人が巻き込まれる。そんなことはこの状況下では十分あり得る話だ」


 そこで、レオポルドは聞き分けの悪い赤子をしつけるときの仕草のように、アリスのおでこに人差し指を押し付けた。


「だが、それで思い悩むのは少なくとも今ではないという事なんだよ、アリス。君の都合に誰かが巻き込まれたというのなら、君は思い悩まなければならないかもしれない。逆に誰かの都合に君が巻き込まれたっていうのなら、君はその人におかんむりになる権利があるさ。ただ、そういうのの大先輩から言わせてもらうと、そういう時はたいてい、他の人だってどこかしら非があるものなのさ。ただ自分が悪いだけの事なんてほぼほぼありえないさ。だから今、思い悩む必要はない。犯人がわかって、事情を調べて、そして全部終わった後に、存分に自分の人生について思い悩めばいい。そうだな、アリス。君は確かまだ酒を知らなかったな。今度ワインの飲み方でも教えてあげようか。そもそも悩むことができなくなるぜ」


 レオポルドの説教に、アリスは嬉しいんだか、悲しいんだか、怒るべきなのか呆れるべきなのか、よくわからなくなってしまった。レオポルドの言ってることは、すっかりきっかり竜頭蛇尾ぜんぶおかしなことを言っているように聞こえるし、でも全部が全部図星に当てはまってる気がしてくる。もしくは、それが今アリスが抱えてる全問題を一気に解決してしまうマスターキーのようにも思えたし、全く意味も要領もない単語の羅列のようにも思えてきた。それでアリスはどうしようもなくなって、その困惑が瞼に滲んできて、何日ぶりかのおかしな涙が、止まらなくなってしまったんだ。


「うん、まあ。どちらかというと君の言ってることは考えすぎなんじゃないかと思うぞ、アリス。今俺が最も有力だと思っている説は、君の言った奴なんかじゃなくて、君たちが全部俺の暗殺か何かに巻き込まれてしまったていう感じのお話なんだからな」


 そのときアリスには、レオポルドの言葉がひどく悲しい事のように思えてしまった。まるで自分とは違う、有事慣れしているというか、命を狙われ慣れているというか、そんな気概が最後の言葉に感じられてしまったのだ。それが変に悲しいような、愛おしいような、やっぱり訳が分からない感情が湧いてきて、すっかり異性に対してはやらなくなった抱きしめというものを、アリスは無意識のうちにしてしまっていたんだ。


 レオポルドは一瞬驚いた顔をして、それから困って、すっかりお手上げの状態になってしまった。


「ねえ、レオ。しばらくこうしていてもいい?」


 アリスがレオポルドの腕の中でつぶやいた。レオポルドは答えを言う前に、アリスをやはり優しく腕の中から出させて、それを「いいえ」の代わりにした。


「すまない、アリス。弱った状態の君を置いていくのは忍びないが、これからいろいろと今日の事件のことを処理しなくちゃならないんだ。雑事を部下にばかり押し付けるわけにはいかないから……」


 アリスはそうされて、ちょっと寂しそうな顔になったけど、その時には涙と感情はすっかり収まりがついていた。だから、「はい」ってただいうだけじゃなくて、「そう、それじゃ」なんて強がった言葉で、答えを返したんだ。


「ありがとう、じゃあ、また明日」


 レオポルドはそして、暗い廊下を背を向けて歩き去ってしまった。アリスはしばらくその場にとどまっていたけど、じきにとっても瞼が重いことに気が付いて、大急ぎで自分のベットへと戻ることになった。

 ふわふわのベットの中で、なんとなくこれからすぐに、自分は寝てしまうような気がしていた。事件の事なんか考える余裕はなくて、だけどたった一つ、どうしても考えてしまうことがあった。


『カラスとカキモノ机と似てるって、なーぜだ?』


 昼に考えたその問題を、その時初めてアリスは自信をもって答えられる気がした。


『どちらも女に恨まれるから』




 翌朝、アリス達は結局、リバーのもとへと行くことにした。あの変人が有益な情報を持っているとは思えなかったけど、現状様々なことが手詰まりの以上、わずかな可能性でもつぶそうという事になったのだ。ただ、姉さんだけはこの日にも挨拶しておく必要がある人がいるみたいで、別康応という事になった。


「昼飯前に帰してくれるかしら?」 とエイダが言った。自慢の巻き毛を手慰みにいじくりながら、一番暇そうに廊下を歩いていた。


「どうでしょう、あの人はいつも話が長いですから。子供たちと長々と会話をするせいで、なかなか孤児院から帰れなかったりするんですよね」


 シャルロッテは、そう言って苦笑いを浮かべた。アリスとシャルロッテにとって、リバーとはそこそこのつきあいのはずだが、二人ともいまだにあの人のことをあまりよくわかっていなかった。みんなに胃腸を悪くするキャンディを配り歩く非道さもあるのに、子供たちとの話に熱中してしまうぐらいの甲斐性もある。とらえどころがないというか、矛盾した気質を持っているか、とにかく簡単にリバーという存在を言い表すすべを持っていなかったのだ。




「やあやあ、久しぶりだねエイダ嬢とレオポルド君。そしてアリス嬢とシャルロッテ嬢にはこんにちはと言っておこうか?」


 理科研究室に入るや否や、陽気な声でリバーはアリスたちを迎えてくれた。派手な金髪が声と合わさって元気すぎる印象を受けるが、しかし彼の眼の下には確かにクマのようなものが見てとれた。きっと昨夜もこの実験室で夜中いっぱい何かをしていたのだろう。


「いきなり大所帯がやって来るっていうんで、何かおもてなしをしようと思ったんだけど、あいにく別件で忙しくて、いつものキャンディしか用意できなかったよ。ごめんね、食べる?」


 もはや自室にも等しいという事か、彼は本来精密な器具でも入っているのが正しいであろう棚から、器に入れられた飴玉を取り出した。あんなことを言っているが、リバーは少なくとも絶対、突然の来客に対しておもてなしをしようとするような性格じゃないことはアリスにもわかっていた。


「遠慮しておくわ。それより、今日はあなたに聞きたいことがあるのよ」


「はは、やっぱり冷たいところがあるよね、アリスちゃんって。大丈夫だよ、さっそく聞こうじゃないか」


 それだから、アリスは早速本題に入ることにしたんだ。リバーは飴玉をこれ見よがしにみんながついているテーブルの上に置いたけれど、結局誰も手を付けようとする気はないようだった。




「――――なるほど。それで僕のところに来たと」


 アリスの話を聞き終わったリバーは、口元に手を当てて、何かを考える仕草をした。


「まぁ、まずそこまで事象が連続してるなら、まあ意図して見立てられてるものって考えてもいいんじゃないかな。白うさぎは偶然、毒入りケーキが本命の事件だったってことだとしても、本を濡らすっていういたずらは意図がわからなすぎるし」


「ああ、そうだろうな。こっちの方でも見立ての線で調べさせてる」


 昨日まで嫌っていたそぶりを見せていたレオポルドだが、いざ対面してみるとエイダやアリスたちと話すのと同じようにフランクに会話をしている。割と仲がいいのだろうか、それても内心を隠しているのだろうか、アリスはそんなことを考えた。


「ということで僕の方を調べに来たのもあながち間違いとは言えないだろうね。アリスちゃん自身とシャルロッテちゃんを抜きにすれば、アリスちゃんの夢の話を知っている中で事件に最も近いのは僕だろうから。……でも、あいにくだけど僕にはアリバイがあるよ。昨日僕は四時から五時まで学会に出ていたから、毒が入れられたっていうお茶会には近づけない」


「だろうな、最初からその線は期待してない。それよりも、第三者の見解を聞こうと思ってな」


「ふーん?」


 レオポルドの言葉を受けたリバーは、胡散臭い目つきでアリス達を見回してから、口をニヤッとさせた。


「そんなに期待されてるなら、僕の見解を言わせてもらおうか? まず一番に怪しいのはエイダちゃん」


「え?」


「ちょっと、エイダがそんなことするわけないじゃない!」


 とんでもないことを言うリバーに、アリスは反射的に叫んでしまった。人の話を途中で遮ることが行儀の悪いことだっていうのはアリスにもわかっていたんだけど、でも親友のことをちょっとでも悪いように言われるのは、アリスにとってがまんならなかったんだ。かわいそうに、突然彼に指名されたエイダは言葉を失って唖然としてしまっている。

 でも、リバーはアリスの訴えを気にすることはなかった。相変わらず胡散臭い笑顔のまま、言葉をつづけた。


「まぁまぁ、これはちょっと論理的すぎる結論だっていうことはわかってるよ。でも、すべての事件に近い所にいて、かつアリスの話を知ってるかもしれないっていう条件を満たしているっていうのは一回聞いただけじゃあエイダちゃんしかいなかったんだ。どうだい、これ?」


「そんな、私アリスの夢の話なんて昨日初めて聞いたわ!」


 エイダは心外だという風に、悲しそうな声で言った。


「まぁ、知ってた知ってないは誰にでもいえることだし、それにアリスちゃんとエイダちゃんは親友なんでしょ? 割と友達ぐらいの僕が話を聞いたことがあるんだから、親友ならどっかでさらっとアリスちゃんの夢の話を聞いたことがあってもおかしくないっておもってさ」


「そんな……」


 疑われたエイダは眉を下げて、泣きそうな顔になった。見て入れなくなったアリスが口を挟もうとした時、先にレオポルドが言葉を発した。


「いや、エイダが全部の事件の犯人っていうのは無理がある。第二図書室の事件に関して本が濡らされた時刻を部下に調べてもらったんだが、アリスとエイダが寝てたちょうど二時間の間におきているようだ。だから少なくとも、エイダ自身に本を濡らすのは不可能だ。第一、毒を盛られた被害者であるエイダが犯人だと言うことが、そもそも無理があるだろう」


「なるほど、それじゃあエイダちゃんは白だ」


 レオポルドの指摘を受けて、リバーはさっさと自説を撤回してしまった。へらへらとした表情をいつまでも崩さないリバーに、アリスは怒りと怖さが入り混じった感情を覚え始めていた。


「んじゃあ、次はシャルロッテちゃん」


「わ、私ですか!? っていうか、次はって……」


 次に疑惑の標的になったのは、シャルロッテだった。アリスはそれにもまた口を荒げようとしたんだけど、隣に座っているレオポルドが手で制してきたから、黙らざるを得なかった。でも、アリスの頭の中はもやもやでいっぱいだった。なんでレオポルドは私を止めたのかしら! 気弱なシャルロッテにあんなことができるわけないじゃない! っていう風に。


「考えてみれば、一番怪しいのってシャルロッテちゃんじゃない? だってお茶会の主催者だし、従者が毒見をしたって報告したのもシャルロッテちゃんなんでしょ? それにアリスちゃんたちが毒で眠っている時間に起きてるんだから、本を濡らすことだってできる。アリスちゃんの話も知っていたから見立ても可能。ほら、犯人はシャルロッテちゃんだ!」


「そ、そんなぁ……」


 やっぱり気弱なシャルロッテは、リバーの戯言に気圧されてうまく反論ができないみたいだった。そこに、エイダの時と同じようにレオポルドが助け舟を出す。


「いや、それもどうかな。確かに彼女は機会こそあるように見えるが、いろいろと難しいのも事実だぞ」


「ほう、具体的には?」


「まずお茶会の方に関してだが、お前はシャルロッテが犯人だとして、毒が入れられたタイミングはいつだと思っている?」


「そりゃケーキを作ったときに食器かケーキ自体に盛ったんじゃないかな」


 リバーは顎に手を当てながら、しかし何も考えることなく当然というように答えた。


「そうか、食前に毒が仕込まれたと。だがその場合、シャルロッテには必ずしなければならないことがが生まれるよな?」


「それは?」


「安全なケーキを取ること」


 レオポルドは一瞬だけリバーから目線を外して、肩を小さくするシャルロッテを見た。


「ケーキの事件が誰かを狙ったものだとしても、そうでも無くても、とりあえずシャルロッテは安全なケーキを取る必要がある。なぜなら毒入りケーキを誰かに食べさせられる確率を違和感なく上げることができるし、そもそも自分に毒入りケーキが回ってくる可能性をつぶしておく必要があるからな。だが、現実ではシャルロッテは最期に余ったケーキを食べている」


「ふーん。でも自分に毒入りケーキが回ってきても大丈夫だったらどうだ? ケーキが二つ用意されているのも、毒が致死量じゃないのも、自分に毒が回ってきたとしても、誰かに毒入りケーキを食べさせるためだったんじゃないか?」


「だが、自分が毒入りケーキを食べると第二図書館での工作ができなくなるぞ?」


「明日以降にすればいいじゃないか」


「アリスが来るかもしれないのにか」


 リバーはそこで、ははあ、と大きく感心した声を上げた。


「なるほどな。お前は毒の目的はアリスを眠らせて第二図書室に来させないためだって考えてるのか?」


「その可能性はあると考えている。いずれにしても、シャルロッテが見立てをやるとしたら、毒入りケーキを自分で食べる可能性は潰しておきたいはずだぜ。動機もおかしくなるしな」


「それもそうだ」


 リバーは肩をすくめた。


「じゃあ、次、レオポルド」


「俺ならどんな動機であれこんな回りくどい手段を使う必要がない」


「おうけい。じゃあ最後、アリスのお姉さん」


「ちょっと!」


 そこで、アリスは我慢の限界を迎えて、ドンとテーブルをたたいた。キャンディが揺れてこぼれそうになる。

 さすがに姉さんまで犯人じゃないかって言われてしまったら、ずっと黙ってみていたアリスの堪忍袋の緒も切れるというものなのだ。アリスにとって姉さんは睡眠時間よりも大切な存在。そんな姉さんが私に毒を盛ったりなんかしない、なんて強い思いがあったんだ。


「リバー、あなたまともに考えてるのかしら!? さっきからへらへらして!」


 リバーはそれでもどく吹く風で、冷静に飄々と会話を続ける。


「まともに? 勿論考えているさ。巷で有名な探偵も言ってただろう? 『全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実となる』って。全部の可能性を検討しなけりゃ、全部の不可能を消去することはできないさ。つまりどんなわずかな可能性だって、今は検討していく必要があるわけだよ」


「でも、その……」


「さらに言えば、この可能性だって案外捨てたもんじゃないぜ。実際、そいつにはどうやら第二図書室で本を濡らすチャンスはあるみたいだしな」


 リバーはチェシャ猫のような悪い笑みで、アリスをにたにたと見つめていた。だが、その横からレオポルドが呆れたように口をはさんだ。


「お前、それは本当に本気で言ってるのか? ロリーナ嬢にケーキの毒を入れるのは不可能だ」


「おっと、それも確かにそうだ。それじゃ、この可能性でもないってことだな」


 レオポルドの言葉を受けて、あっさりと案外捨てたもんじゃない可能性というものは否定された。アリスはその頃には、もう既にリバーに対して怒りの感情しか持っていなかったけれど、それを露わにしたところで今みたいに軽くあしらわれるだけだと思って、じっと我慢していた。

 だけど、なぜか今度はリバーが怒りの表情を浮かべ始めたんだ。


「はー、そうなるとクソつまらん可能性しか残ってないじゃないか、レオポルド。もうちょっと考えてからここに持ってきてほしかったもんだな」


「いきなりどうした?」


「だって、これで全員の可能性が否定されたんだぜ? つまり共犯関係があるってことだ。あーあ、何でもありになっちまった」


 ……共犯関係?


「それってどういうことよ?」


「簡単な話だ。エイダちゃんもシャルロッテちゃんもレオポルドもアリスのお姉さんも単独では犯人ではないというなら、犯人は複数人ってことだ」


「……」


 リバーの言ったそれは、確かにアリスにも瞬時に理解できるほどほど簡単な話だった。

 でも、アリスはその考えを間違ってると思うしかなかった。


「外部犯って説はないの? それなら……」


「そもそもこの話は一連の出来事がお前の夢の話に見立てられてるってところから始まったんだ。そこを疑うなら最初に戻りな」


 だって、そんな。

 私たちの誰かが、それも二人、私の命を狙おうとしたなんて。


 それは、アリスには残酷すぎて受け入れられない考えだったんだ。


「まあ、そこを言ってしまえば、俺はアリスの夢の話が端から俺とシャルロッテと孤児院の面々にしか伝わってないわけがないと思っているぜ。見解を求められた立場で言うのはアレだが、どうだ、本当にほかに心当たりはないのか?」


 唖然としていたところに、リバーの質問が入ってきて、アリスはしばらくフリーズするしかなかった。

 二人の犯人、不思議の国、脱走したウサギ、毒入りのケーキ、濡れた本――――。いくつもの単語がアリスの中を反復して、そしてアリスの頭は一つの違和感に気が付いた。


 ―――――でも、なんだろう? 私は何をひらめいたんだろう?


「きゃあああああッ!」


 それを言語化する前に、耳をつんざくような悲鳴が廊下から響いた。


 姉さんの声だった。

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