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3 少女は池で泣きぬれて

 アリスが次に目覚めた時、まず何が起こったのかがわからなかった。

 それもそのはずで、アリスには記憶がほとんど残っていなかったんだ。アリスにあったお茶会の思い出は、シャルロッテでエイダと一緒に楽しく話したぐらいだった。


 エイダ。……そう、エイダだ。


 アリスはエイダの身に何があったのかを思い出した。突然目の前でうずくまって倒れた彼女は、今どうなっているのだろう。アリスはとても心配になった。


「あっ、アリス! 起きたのね?」


 姉さんの声が聞こえた。アリスはそこでやっと、自分の視界が真っ暗なのに気づいた。どうして。視力を失ってしまったのかしら。なんて最悪な想像をして、一瞬青ざめたアリスだけど、すぐに自分が瞼を開けていないだけだっていう事に気が付いた。

 アリスが目を開けると、そこは自室のベットの上だった。小さなピンク色の天蓋がついた、可愛らしいふかふかのベット。アリスはそこで、傍にいる姉さんの心配そうな目に見つめられていた。

 後ろではレオポルドが、せっせと誰かに指示をしていた。普段は見られない王子っぽいところを見て、アリスは少し驚いた。

 アリスがまだ状況をよく呑み込めずにあたりを見回していると、姉さんはそんなアリスの心境を察してか、丁寧に話をしてくれた。


「アリス。あのね、実はあなたとエイダは毒を盛られたのよ。エイダが突然倒れて、アリスがすぐに駆け寄って、そしてらアリスもうずくまって倒れちゃったの。そこから当然、お茶会は中止になって、今はレオポルド王子の配下の人たちが現場で調べ物をしているわ」


 アリスは突然そんな物騒なことを言われて、ちょっと話を噛み砕くのに時間がかかってしまった。そして自分の身に何が起こったのかを理解した時、自身がまだ、一番大切なことを聞いていないことに気が付いたんだ。


「その、エイダは大丈夫なの? 一緒に毒を盛られたんでしょう?」


「ああ、アリス、安心して。エイダも無事だったわ。今は大事をとって隣の部屋で休んでもらっているけれど、貴方よりも症状は軽いから安心してちょうだい」


「よかった……。ほんとにびっくりしたのよ、彼女が倒れた時に……」


 アリスはそうして、やっと胸をなでおろすことができた。どうやらとりあえず、取り返しのつかない事態には陥っていないようだったからね。


「まだ安心はできないのよ、アリス。まだ毒の種類から、それを盛った犯人だってわかっていないみたいだから」


「本当!? じゃあ……」


 アリスはそこまで言って、はたと気が付いた。


「……なんで私たち、毒を盛られたの?」


 なんで私とエイダだけ、毒を食べることになってしまったんだろう。そんなアリスの疑問がだんだんと膨れてきて、脳の中をぐるぐると回り始めた。


 そうだわ。なんで私とエイダだけなんだろう。だって、エイダならまだしも、私みたいないたいけな中堅貴族に毒を持ったって、何も得られやしないのに。それに権力が関係しているなら、あそこにはレオポルドがいたじゃないの。うーんと、じゃあ、もしかして色恋沙汰かしら。でも私、誰かに言い寄られたことなんて全くなくてよ。えーとえーと、それじゃあ――――。


 ダメだ。全然わからない。そこまで考えて、アリスは心の底から恐ろしくなった。だって、自分の命が狙われたのに、それが誰かも、何に理由で行われたかもわからないんなんて。それほど不気味な状況に、アリスは生まれてから一度も遭ったことはなかったんだ。

 そうして身体が嫌に震えて、目に涙がたまっていくのがわかった。その時、幼いころの精神にまで追い詰められていたアリスは、すがるように姉さんをみたんだ。


「そうね、それもわからないのよ」


 姉さんはそういって、首を横に振った。




「とりあえず、安静にしておきなさい。体に何かあったらわるいから……」


 姉さんはそういって、床にずり落ちかけていたもこもこじゃない毛布を、アリスの身体に覆いかぶせた。アリスはその時とっても恐ろしくなってたから、姉さんの言葉におとなしく従おうとしたんだ。

 でもそこに、彼がやってきた。レオポルドだ。


「起きたらしいな。……ちょっといいか?」


「ええ。でも怯えているみたいですから、なるべく刺激しないようにしてあげて下さい」


 問いに応じた姉さんの言葉に、何も答えようとはせず、レオポルドもアリスのそばへと寄った。体をかがめることをせずにね。


「まず、盛られた毒の種類がわかった。『愚者の毒』だ」


「『愚者の毒』って?」


「……ヒ素のことね。入手は簡単なのだけれど、体に毒が残りやすいから、毒殺には不向きなの。だから巷じゃ『愚者の毒』って言われているわ」


 アリスの疑問に、姉さんが答えてくれる。そんなことまで知ってるなんて、やっぱり姉さんはすごい! なんて、アリスは状況に見合わず呑気なことを思ってしまった。


「溶かされているようで分析に少し手間取ったが、お前とエイダのケーキ以外から毒は出てこなかったようだ。つまり、狙われた可能性が高い」


「えっ?」


 アリスが驚ききる前に、レオポルドは言葉をつづける。


「そして不思議なことに、盛られた毒の量が致死量に全くと言っていいほど届いていなかった。お前らが食べた部分と食べるのに使った食器以外からはほとんど毒が検出されなかったってわけなんだが……」


「……それはどういうことなの、レオ?」


「わからない。犯人がただミスしただけなのか、それとも何か命以外の目的があったのか……」


 さらっとアリスたちの命が狙われていた可能性を口にするレオポルドに、アリスは喉の奥でひゅっと息を飲んだ。あんまり実感してなかったけど、そうだ。毒が盛られたってことは、ほぼほぼ命が狙われたってことと同義じゃないか。

 アリスは無意識のうちに、毛布を握る手を強めていた。


「……そうだ、それとアリス。お前に確認してほしいものがある。少し来てくれるか」


「ちょっと!」


 そこで姉さんが、閉じていた口を勢いよく開いた。よほど腹に据えかねたのか、姉さんは怒りを隠さない大声で、普段の句品のある口調をかなぐり捨ててまでレオポルドへと歯向った。


「怯えてるから刺激しないでって言ったわよね。――――アリスは毒を盛られたのよ。何かあったらどうするのよ、安静にさせなきゃ……」


「それを決めるのは貴女ではないですね。ロリーナ嬢」


 ヒステリックな表情を浮かべる姉さんに、レオポルドはぴしゃりと冷徹な声で言う。


「盛られた毒は多く見積もっても致死量に届かない量であるとわかっています。それに、この事件の解決には貴女の妹さんの協力が必要不可欠なのですよ」


「だからって……。アリスはまだ子供なのよ?」


「ですから、それは貴女が決めることではないでしょう?」


 次に彼は、より一層冷たい眼で姉さんを見つめた。


「アリス嬢はすでに17歳です。もはや子供と言える年齢ではありません。その身に責務を負う、一人の大人なのです。……行くか、行かないかは、もはや当人が決めることなのですよ。ロリーナ嬢」


「ですが……」


 相手から発せられた凄まじい威圧感に気圧されて、しかしそれでもなお言い淀む姉さんを無視して、レオポルドは改めてアリスに問いかけた。


「それで、お前は来てくれるのか?」


「え? えっと」


 先に告げられた言葉を飲み込むのに必死で、後から始まった姉さんとレオポルドの激しい言い争いの空気を知らなかったアリスは、突然名前を呼ばれて、慌てて何も考えずに、直感で答えてしまった。


「……そうね、場所によるわ」


 荒んだ空気をぶち壊したアリスの言葉に、レオポルドと姉さんは一瞬戸惑った後、すぐに微笑まずにはいられなかった。そうだ、これでこそアリスなんだ、と。二人の間で久しぶりに共通する思いが生まれたんだ。




 体の中の毒は心配だったけど、風邪の時みたいにベットに眠っているだけじゃあ暇になるかなと思ったアリスは、レオポルドについていくことにした。もちろん姉さんも一緒に着いてきて欲しかったんだけど、姉さんはエイダの看病があるからと残ってしまった。

 さて、彼が言うには、来てほしい所っていうのは別にさっきのお茶会の会場というわけではないらしかった。クライストチャーチの敷地の端にある、古びた第三図書室。レオポルドはそこに、アリスを連れていきたいようだった。

 第三図書室というのは、クライストチャーチにあるアリスの隠れ家の一つであった。学舎の構内に存在する図書室は名前の通り、そこを含めて三つあって、学生たちが基本的に利用しているのは第一図書室と第二図書室だけだ。この第三図書室はあんまり重要じゃない本とか、そろそろ寿命が近くなってボロボロになった本とかを収めていて、しかも第一と第二図書室の蔵書数が多いもんだから、そんなに数も多いというわけではないんだ。だからすっからかんの倉庫みたいな状態になっていて、休憩場所としては最適な空間だったんだ。

 アリスは雑多な喧騒から逃れるために、そこをよく利用していた。あんまり重要じゃない本というだけあって、収めれている本はそもそも言語から分からないものばっかりだったけれど、そんな中にたまに、挿絵を眺めるだけでも時間を忘れることができるような、図や絵がたくさんある本があって、アリスはそれでよく時間を潰していたんだ。あとは、たまに図書事務員さんに内緒で本棚に入れておいた、10歳の誕生日に貰った自分だけの本を読み返したりして、恥ずかしさと懐かしさを一緒に味わったりもしていた。

 そんなだからアリスにとって、そこに行くまでの道はもう慣れたものだった。レオポルドが先導してくれると言ったのに、それを無視して、だれよりも早く第三図書室についていた。陽はもうすっかり夕火を過ぎて、もうすぐ沈み切りそうなまでに暗くなっていたというのに、そんな暗闇なんて、アリスにはなんのそのだった。

 第三図書室の前には、図書事務員のジョンさんが何やら焦ったような顔で立っていた。第三図書室の管理は彼に任されているらしく、アリスがそこで休んでいた時に、どうしようもない暇ができた時などは、彼と音楽史について議論を交わしたりもした。


「こんばんは、ジョン」


「ん、おやおや、こんばんは。アリス嬢ではないですか。残念ながら第三図書室は現在立ち入り禁止ですよ」


「そのようね。何かあったの?」


 アリスが問うと、ジョンは頬を掻きながら気まずそうに答える。


「いえ……。実はですね、どうやら賊が入ったようでして。室内がことごとく荒らされてしまったのですよ。全く、人類の叡智に対する冒涜としか……」


「ジョン君、貴方はすこし言葉を修飾して語る癖があるようだな……」


 ジョンの後ろから、遅れてやってきたレオポルドが顔を出した。さっき姉さんと話していた時のような、きっぱりと凛々しい外行きの声だ。アリスはまだ、この声に違和感を覚えていた。


「まあ、言ってくれた通りに、お前らが倒れているのと同時ぐらいの時間に、第三図書室が荒らされるという事件が起きていたわけだ。二つの事件に関係はないとは思うが、しかし聞いてみると第三図書室に一番詳しいのはアリス、君だという。そんなわけだからどこが荒らされたのか、変わったのか、確認してほしくてな」


「なるほど、そういう事ね」


 ここにきて、初めて訪問の理由を知ったアリスは、それなら、とばかりに手を打った。


「なら、任せておきなさい! 文章術の課題をサボった成果がここで発揮されるってものよ!」


 意気揚々と、アリスは大きな木製の扉を開けた。その時、脳裏には文章術の先生であるカルソー爺の悲しそうな顔が浮かんでいたけれど、すぐに首をぶるぶると振って払い、第三図書室の中へと進んでいくのだった。




 第三図書室は、パッと見た限りではアリスの知っているそれと相違なかった。本よりも空き棚が多いのはいつものことだし、利用者が少ないから、ちょっと埃っぽいのもいつものことだ。だから奥の奥へと進むまで、アリスはその「荒れ」というものには気づくことができなかったんだね。

 でも、アリスは結局顔を青ざめさせることになった。だって、それこそ奥の奥に進んでみれば、乱雑に詰まれた幾つかの本の山が、開いた状態で山のように積まれていたんだからね。たぶん、そこら辺にあった本を手あたり次第にそこへと投げて、積まれたんじゃないかなって直感的にアリスは思った。


「そんな! ひどいわ!」


 そこでアリスは、さらに重要なことに気が付いた。そう、その本の山がある周囲の本棚には、アリスの大切な大切な、『不思議の国』の物語が収まっていたはずなんだ。

 アリスはすぐに周囲を調べて、数個の絶望的な事実に気が付いた。

 まず、乱雑に詰まれた本の山は、全て一回水浸しにされているようだった。元からボロボロだった本が多かったためなのか、ほとんどの本が濡れて使い物にならいない状態になってしまっていた。そしてさらに、『不思議の国』の物語が、あったはずの棚から消えていることも分かった。

 『不思議の国』の物語っていうのは、アリスが自身の九歳の誕生日に知り合いの文筆家に書いてもらった、不思議な夢のお話だ。アリスが七歳の時に土手で見た不思議の国の夢と、七歳半の時に見た鏡の国の夢。どちらもアリスにとって、新鮮で、ファンタジーで、とても面白いものだったから、将来誰かに読み聞かせてあげようと思って、詳細を忘れないように本にしようと思いついたんだよ。

 結局、その本はあとで近くにある孤児院の子供たちに読み聞かせをしてあげるときに、とても役に立つことになった。子供のころに見た夢だからか、結構支離滅裂なところがあるけれど、当時のアリスと同じくらいの子供たちは、それを全く気にせずに受け入れてくれた。だから、子供好きになったアリスは、何回も小分けにしてこの話を語り聞かせてあげていたんだ。

 まあ、そんなこんなで生まれた本なんだけど、それがなぜこの第三図書室にあるのかっていうのは、これはアリスというよりも、アリスの好きだった猫に原因があったんだ。つまり、自室の本棚に本を置いておくと、すぐにキティとスノードロップの爪とぎに使われてしまうってわけなの。だからアリスは大切なこの本を、自分以外ほとんど使わない第三図書室の奥の方に隠すようにおいていたんだ。

 だけどそれのせいで今、アリスはとっても悲しい気持ちになっていた。子供たちに話聞かせるときに、何回も読み返したせいで、内容はすっかり思い出せるけれども、それでも誕生日にもらったものがなくなるというのは、結構胸が痛むものがあった。


「どうした。何か重要そうなものでもなくなっていたか?」


 レオポルドが焦るアリスの背中に問いかける。


「……いえ、そもそもここには重要なものなんてありはしなかったと思うわよ。でもね、個人的に好きだった本が、被害に遭ってるみたいなの」


 アリスはその時になると、半ばすがるような気持ちで、無事な本の中身まで見るようになっていた。つまり、表紙だけ破り取られて、中身は無事なんじゃないかと、まだ楽観的なアリスがそう思っていたからだ。

 そうして、アリスは必然的に、夢見た不思議の国の物語を想起しなければならなかった。「遅刻だ!」と叫ぶ白うさぎ、「私を飲んで」なんて書かれた小瓶に、子豚に変身した赤ちゃん。帽子屋に三月ウサギに、トランプの兵隊にウミガメモドキに……。


 ――――あれ?


 アリスはそこで、あることに思い至った。そして、物語を探す手を止めて、思考に没頭し始めた。


 白うさぎ、ケーキ、濡れたもの……。


 白うさぎ。遅刻だ遅刻だと叫びながら大きな巣穴に飛び込むそれを、アリスは追って不思議の国へと飛び込んでいった。昼前、姉さんのところへと行く途中、茂みから突然飛び出してきたのも、確かに「リーベ」と名前の付いた白うさぎだった。

 ケーキ。巣穴に飛び込んで、「私をたべて」とか「私を飲んで」とかの言葉に従ってみたら、体の縮尺が制御できなくなったんだっけ。その中に確かに、干しブドウのケーキがあったはず。そして今日、シャルロッテの茶会でアリスが食べて、毒が体に回ったのも干しブドウのケーキだった。

 濡れ。体の縮尺がおかしくなったアリスは、まだ幼かったものだから、すっかり泣いてしまって、あたりを水浸しにしてしまったんだ。確かそれで、池のようなものまでできてしまったんだ。今、アリスの目の前には、乾いてさえいるけれど、一度濡れてどうしようもなくなったらしいものが、顔の高くまで積まれている。


 それなら、そんな、もしかして。


 まだ確証はないけれど、アリスは一つのことを思い付いたんだ。


 不思議の国の物語と今の状況が、つながっているんじゃないかってね。

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