9、迷子の迷子の男の子
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朝からいろいろ事件があった。とはいえ、シャーリー達は無事に拠点としている〈交易都市ユルディア〉にどうにか戻ってくることができた。
目の前に広がる木々に、行き交う人々の姿。振り返ると黄銅に輝く巨大な転移石があった。見慣れたいつもの光景だ。
「へぇー、いい所じゃない」
だが、ドリーは違ったらしい。とても新鮮なのか、ハンモックでできた町並みを何度も見渡している。
「ここがアンタ達の拠点なの?」
『そうだ。交易都市ユルディアといってな、結構行商人が訪れる所なんだ。他にも綺麗なねーちゃんがいっぱい来てくれて、幸せが詰まった場所でもある』
「ギルドマスターさん、先生が変態先生になっちゃってますよぉー」
『あいつを呼ぶなぁぁ! 地獄耳なんだぞ!』
ドリーはシャーリー達のやり取りに、楽しそうな笑顔を浮かべた。シャーリーはその笑顔が嬉しくて、にへらっ、とつい笑ってしまう。
アルフレッドはその光景を優しく見つめていた。だんだん馴染んできたドリーに、嬉しそうな顔をするシャーリーの姿がとても微笑ましい。
『さて、それじゃあ登録しに行くか』
「うぇーんっ」
シャーリー達を促し、アルフレッドが動き出そうとしたその時だった。誰かが泣いている声が耳に入ってくる。思わず顔を向けると、そこには一人の男の子がベソをかいて立っていた。
「どうしたの?」
「お母さんが、どっかに、行っちゃった……」
思わず声をかけたシャーリーは、二人を見る。ドリーはちょっと心配そうにし、アルフレッドはとんでもなく面倒臭そうな表情を浮かべていた。
「ねぇ、お家がどこにあるかわかる?」
「わかんない……。来たばっかだし、お母さんがいないと帰れないよぉ……」
シャーリーは唸る。どうやらこの男の子はユルディアに来たばかりで、帰り道がわからないようだ。お母さんともはぐれ、とても心細くしている。
「じゃあお姉ちゃん達と一緒に、お母さんを探そっか」
「いいの?」
「うん! 一緒に探せばきっと見つかるよ!」
泣き続ける男の子のために、シャーリーは一緒に行動することを決めた。シャーリーの提案を聞いた男の子は、一生懸命に泣くのをやめようとする。
頑張る男の子に「偉い偉い」と褒め、手を繋いだシャーリーは二人に顔を向けた。
「ごめんね、二人共。私、この子のお母さんを見つけてから合流するよ。二人は先に行ってて」
「何言ってるのよ。アンタに付き合ってあげるわ。一人でやるより、早く見つかるわよ」
『ワシはパスだ。まあ代わりに、ドリーの登録をやっといてやる』
アルフレッドはそう言って、そそくさとどこかへ去ってしまった。
ちょっと感じが悪いアルフレッドに、ドリーは怪訝な顔をする。そんな様子を見てか、シャーリーがフォローするように説明をした。
「先生は子供嫌いなんだよ。よく大切な本をダメにされたって言ってたし」
「ふーん。まあ、どんな風にやられたか知らないから別にいいけど」
「まあ、一番の原因はギルドマスターなんだけどね。よく悪いことをして、ギルドマスターから罰を受けているから」
「ああ、なるほど」
なぜか納得するドリーに、シャーリーは苦笑いを浮かべた。
ひとまずどこかへ行ってしまったアルフレッドのことは忘れて、迷子になった男の子のお母さんを探し始めるのだった。
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『フッフッフッ、ワシは自由だぁー!』
人通りが少ない裏通りでアルフレッドは叫んだ。ウキウキした表情を浮かべ、ある書店の前で動きを止めていた。
『今日は待ちに待った〈ムフフなパーティー〉最新号の発売日。楽しみにしてたぜ!』
アルフレッドには目的があった。
正直、ドリーの迷宮探索者の登録なんてどうでもいい。本当の目的は、ちょっとアダルティーな月刊誌〈ムフフなパーティー〉を手に入れることである。
アルフレッドにとって、この書物を買って読むことが楽しみなのだ。しかし、シャーリーがいると冷たい視線が飛んできて買うのが難しい。
『いいタイミングで別れることができた。感謝する、ガキよ!』
汚い大人とはこういうことを言うのかもしれない。
意気揚々に、ルンルンとしながらアルフレッドは書店へ入ろうとする。だが、汚い大人には当然の如く天罰が降されてしまう。
『あれ?』
ポトリ、と急に地面へ落ちてしまう。アルフレッドは必死に念じてみるが、どんなに頑張っても影は反応しなかった。
『お、おかしい。一体何が――』
まさか、とアルフレッドは気づく。
そう、そのまさかだ。シャーリーが男の子を探しに移動したことで距離が開き、魔力同調が切れてしまったのだ。
『お、おのれシャーリー!』
特に何もしていないシャーリーを、アルフレッドは恨んだ。
すぐそこにある〈ムフフなパーティー〉に手を伸ばそうとする。しかし、身体が本ということもあり、どんなに伸ばそうとしても届くことはない。
それでも必死に頑張る。頑張るのだが、やっぱりどうしようもないため、アルフレッドはついに泣き出してしまった。
『ワシ、何か悪いことした……?』
問いかけるが、答える者はいない。寂しく泣いていると、一つの影が差し込んできた。
もしかして、という思いがアルフレッドの中で生まれる。この際、自分が悪かったと謝って一緒に買おうとさえ考えた。
『シャーリー、すまなかった! もうこんなことしないから、助けてくれぇぇ!』
「ワン」
その声は、アルフレッドが想像していた返事とは違った。
シャーリーってこんな声だっけ、と真剣に考えているとカプリッ、とかじられてしまう。
『おおおっ?』
視線が急に高くなる。唐突なことにアルフレッドが焦っていると、これまた唐突に移動し始めた。
『これは、まさか――』
アルフレッドは不運である。
アルフレッドは不幸である。
アルフレッドは不憫である。
なぜならアルフレッドは大きな犬に咥えられ、どこかへ移動しているからだ。
それに気づいたアルフレッドは、泣きながら叫んだ。
『シャーリー、助けてくれぇぇぇぇぇ!』
アルフレッドの行き着く先はどこだろうか。
天国なのか地獄なのか、はたまたどちらでもないどこかなのか。
それを知る者は、この場にはいない。