5、恋のように幻想は燃える
『オォオオォォォオオオォォォォォッッッ』
身体中から吐き出される蒸気。それは大声で吠えているように見える。
人間の一回り、いや二回り以上も大きい黒きゴーレムは、黒く禍々しい何かが溢れ出し始めると共にシャーリー達を見下ろした。
「先生を、離せぇー!」
シャーリーは叫びながら、腰に添えているポーチからあるものを取り出した。
淡いピンク色で染まった球体。そこにはかわいらしいブタの顔が描かれており、その目つきはなんだか勇ましい。
よく見ると導線には火がついており、すでにパチパチと音を弾けさせている。
シャーリーは慌てることなく、狙いを定めて黒きゴーレムへ放り投げた。
『ブヒヒィーン!』
奇妙な爆発音だ。だがそれ以上に、威力がえげつなかった。
ドガガガーンッ、という爆発によって地面が抉り取られる。
飛び散った砂埃と黒炎によって空間は黒く染まり、アルフレッドは消し炭になったのではないかと思うほどひどい光景が広がっていた。
「ちょ、ちょっと! 今のアイテム何なのよ!」
「〈ボムっとん〉だよ! デザイン、かわいくなるように頑張ったんだよ!」
「頑張るところ違うでしょ!」
手加減どころか、遠慮すらしないシャーリーに、ドリーは若干引いていた。下手に怒らせないほうがいいのでは、と考えるほどである。
そんな中、雄叫びが響き渡った。シャーリー達が黒煙に目を向けると、中から黒きゴーレムが現れた。
「え? 効いてないっ!?」
ボムっとんを真正面から受けたはず。しかし、黒きゴーレムの身体には傷一つもついていなかった。
ありえない光景にシャーリー達は、驚きのあまりに言葉を失ってしまう。
『バカヤロー! ワシを殺す気かー!』
アルフレッドが泣きながら叫ぶが、シャーリーは返事をしなかった。どうやら渾身の一撃が通用しなかったことに、大きなショックを受けているようだ。
その様子を見た黒いスチームゴーレムは固く握った右手を大きく振り上げ、シャーリーへと飛びかかっていった。
「シャーリー!」
ドリーは咄嗟にシャーリーを押し倒すと、大きな音が響いた。
どうにか回避したことを確認して胸を撫で下ろすドリーだが、すぐに背筋に寒気が走る。
振り返るとそこには、激しい蒸気を噴き出して見つめている黒いスチームゴーレムの姿があった。
ドリーはシャーリーを抱えて、すぐに後ろへと距離を取る。
だが、黒いスチームゴーレムは逃がす気がなさそうだった。
「ったく、なんで怒っているのよ!」
重たい足音を響かせながら、黒いスチームゴーレムは追いかけてくる。このままでは、あの拳の餌食になるだろう。
どうにか対抗する手段はないか。
ドリーはすがる気持ちで周囲を見渡してみると、足元にいいものが転がっていた。
「オォオオォォォオオオォォォォォ!!!」
視線を外した瞬間だった。
黒いスチームゴーレムが地面を蹴り、ドリーへ飛びかかったのだ。
不意を突かれた。だからこそドリーは大きな決断をする。
「こんのぉー!」
足元に転がっていた二丁の魔導拳銃を手に取り、トリガーを引く。
黒いスチームゴーレムへ飛び込んでいく二つの銃弾の一つが、右肩へ突き刺さった。
黒く禍々しい影を突き破り、右肩の一部を抉り取っていく。黒いスチームゴーレムは驚いたらしく目となっているカメラを何度も点滅させ、後ろへと下がっていった。
「ど、どうにかなった……!」
必死な思いで反撃したためか、ドリーの呼吸が激しく乱れていた。
黒いスチームゴーレムはさらに怒ったのか身体から蒸気を噴き出している。隙を見せれば、再び襲いかかってくるだろう。
どうにかしたい。
そう思うものの、ドリーには戦況を覆すだけの決定打がなかった。もし長期戦に持ち込まれれば、ドリー達が圧倒的に不利なのである。
「うっ」
突然、めまいが襲ってきた。倒れそうになった身体をどうにか踏ん張らせ、黒いスチームゴーレムを睨みつける。
しかし、その気丈さはあまり効果がなかった。黒いスチームゴーレムは好機と見たようだ。
ズシン、と重たい足音が響せるとドリーは奥歯を噛んだ。
ふと、自身の羽が目に入る。おかしなことに、自身の羽を形成する光がとても弱々しかった。
「まさか、魔力不足……?」
それは当然だったかもしれない。
ドリーは自分自身がいつから眠っていたかわからなかった。つまり、それだけ長い年月をガラスの棺の中で過ごしていたことにもなる。
目覚められたという奇跡以外、望んではいけないだろう。
しかしそれでは、この状況を乗り切るなんてできない。
「くっ」
最悪な結末が頭に過る。
絶対に迎えてはいけない未来を回避するためにも、逆転の一手が必要だ。
だが、どんなに探しても見つからなかった。
「……そうだ、シャーリー!」
「ふえっ?」
ドリーはあることに気づき、閃く。
モンスターに捕まっているアルフレッドは、どう見ても本である。そんな存在が自由に動くには、供給源が必要だ。
その供給源となっている者が、ドリーのすぐ傍にいる。
「な、何?」
「今からキスをして!」
「……えぇーっ!」
思いもしない頼みごとに、シャーリーは悲鳴に似た驚愕の声を上げた。
ドリーはそんなこと気にする余裕がないのか、シャーリーへ迫っていく。
「ま、待って! なんで唐突に、キスだなんてっ」
「魔力同調するには、これが手っ取り早いの! 抵抗すんな!」
「や、やだぁー! 誰か助けてぇー!」
とんでもない状況で、とんでもないことになる二人。
しかしアルフレッドは、そんな光景を見て鼻息を荒くしていた。
『おおぉぉぉっっっ! 文献で見たことがあるぞ! 百合、百合展開だー!』
「一体何を読んだんですか!」
迫る黒いスチームゴーレムと、変態となったアルフレッド。そのおぞましさに、シャーリーは目に涙を浮かべていた。
そんな中、シャーリーはついに捕らえられてしまう。
「さあ、観念しなさい!」
「やだ、やだ! やだぁー!」
両手首を抑えられたシャーリー。逃げようにも、もう逃げることができない。
そんなシャーリーに、ドリーが悪い顔を浮かべて迫る。しかし焦っているのか目が笑っていない。
そんなドリーを見て、シャーリーはふるふると震えた。
ドリーの顔が近づく。シャーリーの覚悟が決まらないまま、その唇が重なった。
「んぐぅっ!」
時間にして数秒間だが、とても長く感じられた。
身体の奥底が熱を持って唸ると共に、何かが重なっていく。
鼓動がどんどんと激しくなり、気がつけば優しく抱きしめられていた。
『えぇ、キスしないきゃいけないのっ!?』
脳裏に何かが過ぎった。そこには、驚いているドリーの姿があった。
この場所で、シャーリーと同じような反応をしているその姿はどこかかわいらしい。だが、一つの疑問がシャーリーの中で浮かんだ。
ここは先ほど訪れたばかりの場所で、ドリーと出会ったのもつい先ほど。
そのはずなのに、なぜこんな記憶があるのだろうか。
「『オォオオォォォオオオォォォォォッッッ」』
アルフレッドが興奮気味に叫ぶ。
黒いスチームゴーレムも叫びながら突撃し、拳を振り下ろそうとした直後、重なっていた二つの唇が離れた。
「ぶっ飛べー!」
合わせるように銃口を向け、トリガーをドリー引く。撃ち出された銃弾は、黒く禍々しい影ごと右の拳を弾き飛ばした。
「え、うそ?」
あまりの威力に、黒いスチームゴーレムは四肢を千切らせながら後ろへと転がっていく。
思いもしないことにドリーは呆気に取られていた。
「何この威力……。え、何なのこれっ!?」
「キスされた。女の子に、キスされちゃったよぉー……」
あまりの威力に純粋に驚くドリー。その隣でグスッとシャーリーは涙を溢す。
片やとんでもない光景に呆け、片やもうお嫁に行けないと塞ぎ込む始末だ。
そんな二人を、黒いスチームゴーレムは睨みつけていた。手足はドリーの攻撃によって失ってしまったが、目となっているカメラからは戦う意志が消えていない。
宙へと浮かび上がる胴体。怒りのまま吠えると、ゴーレムの身体がバラバラになった。
『オォオオォォォオオオォォォォォッッッ!!!』
放たれる雄叫び。それに呼応するかのように、スチームゴーレムの残骸が集まっていく。
黒く染まった鋼鉄の身体は、さらに大きく。
どんな攻撃にも耐えようと頑強になると、黒く禍々しい影が身体から溢れ出た。
その姿からして、巨大な砲台とも呼べる代物だ。
太く大きな足だけでなく、両手を使って身体を支えている状態だった。
「しつこいわね!」
新たに生まれた身体。それが二つに割れ、電撃の如く魔力が迸る。
強烈な一撃が放たれようとする光景に、ドリーの顔が曇った。
見た限り頑強そうな身体だ。もしかすると、シャーリーと魔力同調した現状でも破壊は厳しいかもしれない。
『シャーリー!』
暗雲が再び立ち籠めたその時、一つの本がシャーリーの手の中へと収まる。
思わず視線を落とすと、アルフレッドの姿がそこにあった。どうやら分離した拍子に逃げ出せたようだ。
「せ、先生!」
『とっととケリをつけるぞ!』
自然と、勢いよくめくられていく。シャーリーがそれを見つめていると、あるページでピタリと音が止まった。
『スチームゴーレムは灼熱に弱い! だからこいつを発動させろ!』
「で、でも、あれ完全なスチームゴーレムじゃあ……」
『見た目は確かに違う。だが、使っているのはスチームゴーレムの身体だ! 同じものを使っているから、弱点も同じはずだ!』
アルフレッドの言葉を受け、シャーリーの目に火が灯る。
ただ言葉を信じ、強大な敵へ立ち向かう。
「〈冷めぬ熱よ〉〈愛しきぬくもりよ〉」
想いを込め、力を込め。
息を飲み、左足を僅かに引いて。
「〈甘美なる口づけは心を絆し〉〈ほろ苦い痛みが心を強くしてくれる〉」
祈りを込め、願いを込め。
流れ込んでくる思い出を読み取り、溢れ出る熱を感じて。
「〈燃え上がる炎は熱を高め〉〈永遠なる幻想が身体をも焦がしてくれよう〉」
アルフレッドを信じ、自分自身を信じてその力を解き放つ。
「〈幻想たる熱に飲まれろ〉――ラヴィン・ヒート・ファントム!」
黒いスチームゴーレムが漆黒に染まった一撃を放つと同時だった。
記されていた詩を読み終えるとシャーリーの目の前に大きな円陣が出現し、紅蓮に輝くと強烈な一撃が放たれる。
「――――」
紅蓮の一撃は、漆黒だけでなく黒きゴーレムの身体をも飲み込んでいく。
黒いスチームゴーレムは、放たれた黒魔術の攻撃を耐えようとした。しかし身体は燃え上がり、所々が爆発を起こしてしまう。
身体をどうにか冷やそうと、あらゆる箇所で蒸気が噴き出した。だがそれは、致命的な緊急措置である。
胸囲部分のフレームが開かれ、眠っていた黒い球体が蠢く。満身創痍な身体である黒いスチームゴーレムは、それでもシャーリーに迫ろうとしていた。
「チェックメイト」
黒きゴーレムは声がした方向に目を向ける。
そこにはドリーが立っており、剥き出しになっているコアに銃口を突きつけていた。
咄嗟に右腕を振り上げるが、それよりも早くトリガーが引かれた。
「――――」
黒い球体が撃ち抜かれる。僅かに時間が経つと、黒い球体と共に大きな身体が粉々に弾け飛んだ。
飛び散る瓦礫。それはシャーリー達にも降り注いでいく。
「キャー!」
逃げ惑うシャーリーをアルフレッドが守るようにして、影で傘を作る。
ドリーはというと、トリガーを引いて降りかかる瓦礫を一気に弾き飛ばしたのだった。
「ふぅー」
戦いは終わった。ドリーが胸を撫で下ろしていると、あるものに気づく。
禍々しい黒い何か。形なんて定まっていない影が、ドリーを睨みつけていた。
『運のいい奴』
黒い影は消えていく。ざらついた声から放たれた言葉を残して――