47、私と私
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「う、ん……?」
ドリーが目を開くと、そこには深い闇が広がっていた。僅かに感じる揺れのおかげか、まだ生きていることがわかった。
ドリーが立ち上がろうとすると、強烈な痛みが頭に走る。思わずこめかみ付近を抑えるが、痛みは激しいままで消えなかった。
「目を覚ましたか」
聞き覚えのある声が耳に入る。顔を向けると、そこには闇に手足が絡め取られたダンダリオンの姿があった。
「アンタ……」
「そんな顔をするな。死ぬことはない」
「だけど!」
「どうにかしたいなら、向き合ってこい。そうすれば私は解放される」
「向き合うって、一体何と?」
ドリーは口を震わせながら訊ねた。
ダンダリオンはそんな顔を見ながら、真剣な口調で答える。
「自分自身とだ」
最も恐れていた答えだった。それは過去と向き合い、かつての大罪と向き合う意味にもなる。
考えただけでも身体が震えた。すぐにでも逃げ出したくなる中、ダンダリオンはまっすぐドリーを見つめていた。
「シャーリーを助けたいか?」
「え?」
「彼女を助けたいならば、向き合え。それが今できることだ」
ダンダリオンの言葉が理解できなかった。なぜここでシャーリーが出てくるのかがわからない。
しかし、その言葉のおかげか少しだけ勇気が出た。シャーリーを助けるためにも、ドリーは小さく頷く。
「なら、道を切り開こう。行ってこい、ドリー」
闇に包まれていた空間に、一筋の光が差し込んだ。ドリーはそこへ顔を向け、進む。
もしかしたら後戻りできないかもしれない。でも、シャーリーを助けられるならそれでいい。
弱々しい行進だが次第に力を帯びていくと伴い、顔には勇ましさが戻っていた。怖い、でもシャーリーを失いたくない。
だからこそドリーは向き合う決意を固め、光の中へ飛び込んだ。
「ここは──」
あふれる光が弾け飛ぶと、見覚えのある光景が広がっていた。そこはかつて、親友のシャリーと楽しい時間を過ごした想い出の庭園だ。
黄金の羽を羽ばたかせ舞う蝶。
ガラスでできた色とりどりの花。
その穏やかな空間の真ん中に、誰かが佇んでいた。
「ふぅん、我ながらしつこいじゃない」
ゆっくりと自分と瓜二つなそれは振り向く。とてもつまらなさそうな表情に、向けられる銃口は何を意味するだろうか。
ドリーはまっすぐ見つめ、それに近づこうとした。
「来るな、殺すわよ!」
叫び声が放たれる。しかしそれでも、ドリーは止まらない。
黒いドリーはそんな自分を見て、奥歯を噛んだ。持っている銃のトリガーを引き、弾丸を撃ち出す。
それはドリーの頬を掠め、飛び去っていったが行進は止まらなかった。
「止まれって言ってんでしょ!」
トリガーを何度も何度も引く。
何度も何度も掠めていき、ドリーに止まれと警告した。
しかし、どんなに叫んでもドリーは止まらない。
「ふざけないでよ!」
なぜ、止まらない。
なぜ、止まろうとしない。
こんなにも拒んでいるのにどうして手を伸ばす。
「私を殺せ! 私を許すな! 私はお前の罪で、見たくない過去だ!」
もう嫌だった。
もうたくさんだった。
自分のせいでこんなことになったのに。
自分がいなければこんなことにならなかったのに。
放っておいてほしい。
拒んでほしい。
見捨てて、と願った。
だが、ドリーは進む。
「ふざけてるのはどっちよ!」
ドリーは止まらない。
ドリーは突き進む。
どんなに拒まれても。
どんなに傷ついても。
その手を伸ばす。
「私はもう決めたんだから。シャーリーのためにも、私のためにも向き合うって! なのに、アンタが怖がってどうするのよ!」
どんなことがあっても。
例え手を払われたとしても。
ドリーは何度でも叫ぶ。
それが自分が求めた答えだと信じて。
「だって、だって、私みんなを食べたんだもん! シャリーの腕も食べちゃったもん! 許してくれない。許されないよ!」
黒いドリーは叫んだ。
もう許してと叫んでいた。
ドリーはその姿を見て確信する。
目の前にいるそれが、何なのかを。
「なら、一緒に謝ろう」
ドリーは弱い自分を抱きしめた。
意地を張り、気丈に振る舞い、大罪から目を背け続けた自分自身。
泣き虫で、本当は怖がりで、寂しがり屋で、大罪に震え続けた自分自身。
そんな自分を、ドリーは許した。
「でも、でも、私いっぱいひどいことした。もう、誰も許してくれないよ……」
「大丈夫。あなたは私なんだから。少なくともシャリーは許してくれるわ」
「そうかな? 私、あの子にもひどいことを──」
「だから一緒に謝るの」
「でも、でも──」
「大丈夫! あなたは私。だから、大丈夫よ」
欲しかった言葉は何だろうか。
犯してしまった罪に押し潰されそうになる中で、やっと求めていた言葉がかけられる。
それはシャリーでも他の人でもない自分自身こらだ。
「うわぁあぁぁああぁぁぁぁぁ!」
もう一人の自分が、大きな声を上げて泣いた。
安心したかのように、緊張の糸が切れたかのように。
ドリーはその姿を見て、背中を優しく擦る。ドリーの代わりにずっと背負っていてくれたそれを労うかのように。
『愚かだな』
このまま終わろうとしていた時だった。
とても不気味で嫌な声が響き渡る。ドリーは思わず顔を上げると、そこには妖しく輝く大きな赤い宝石があった。
『人を模倣し、力を与えてみたものだがここまで思い通りにならぬとはな。所詮はまがい物か』
「アンタ、誰?」
『まあいい。返してもらおうか、〈意志を持ったコトワリ〉を』
ドリーの問いかけに答えず赤い宝石が不気味な笑みを浮かべると、空間が崩れ落ちた。
ガラスでできた花が砕け黄金の蝶が逃げ惑う中、ドリーは大きな赤い宝石を睨む。
『くくっ、面白い目だ。それほどまでに我が憎いか? ならもっと色濃くしてやろう』
赤い宝石に大きな口が生まれる。それが開かれると、突然強い風が吹き荒れた。
まるで吸い込んでいるかのように風が暴れている。ドリーはどうにか足に力を込め、吸い込まれないように踏ん張った。
だが、少しずつ大きな赤い宝石へ引き寄せられていく。
「くっ!」
このままでは二人とも食べられる。どうにかしないと。
ドリーは逆転の手立てを探すが、見つからない。どんどん吸い込みが強くなる中、黒いドリーが言葉を口にした。
「ねぇ、ドリー。あなたは強いんでしょ?」
「こんな時に何を言ってるのよ! このままじゃあ!」
「強いんでしょ?」
「そうよ! でもさすがに、一人じゃあ──」
「なら、信じる。シャーリーとあなたが、あの〈歪んだ神〉に勝つことを」
それは何を意味していただろう。
黒いドリーは、自ら離れるかのようにしてその手を解いた。
咄嗟にもう一度手を伸ばす。だが、ドリーはその手に触れることすら叶わなかった。
──信じてる。
──あなたたちが〈歪んだ神〉に打ち勝つことを。
──私をもう一度助けてくれることを。
「この、バカァァァァァ!」
もう一人の自分自身が飲み込まれ、消える。
ドリーが悔しさで叫ぶ中、大きな赤い宝石は勝ち誇ったかのように笑った。