45、撒き散らされる嘆き
「きゃあぁぁぁぁぁ!」
空が割れる。そこから放り出されたシャーリーは悲鳴を上げながら落ちていた。
「シャーリー!」
落ちていくシャーリーを助けようとダンダリオンが近寄ろうとしていた。しかしその瞬間、黒い何かがダンダリオンに迫り、身体を丸呑みにする。
「ダリオンさーん!」
その光景を見たシャーリーは叫ぶと、黒い何かが勢いをつけて伸び始める。視線を向けるとそこには、落ちていくドリーの姿があった。
「ドリーちゃん!」
シャーリーは背中に翼を生み出し、ドリーへ向かって翔ける。
途端に黒い何かはいくつも別れ、そのほとんどがシャーリーへ突撃した。
まるで抑え込むかのようにシャーリーを邪魔するが、それでもドリーを掴もうと飛んだ。
もう少し、あとちょっと。
感覚にして手が一つあるかどうか、というほどの距離だっただろう。
本当にあと少しで届くはずだった。だが、その手はドリーには届かない。
「サせなイ」
黒い何かが、ドリーの身体を飲み込んだ。
シャーリーは反射的に止まる。それを狙ったかのように、追いかけてきた黒い何かが降り注いだ。
咄嗟に光を放ち、攻撃を防ぐが攻撃は止まない。
どんどん押し込められていき、ついには弾かれるように後ろへと放り出されてしまった。
「きゃあぁぁぁぁぁっ」
赤い目が、シャーリーを睨みつける。シュルル、と細長い舌がたくさんむき出しにされていた。
落ちていく中、シャーリーは黒い何かの正体を見る。
ニュルニュルとしたそれらは、次第に一つの形へと変化していく。
真紅に輝く目に、黒い鱗に包まれた身体。シャーリーを威嚇するように雄叫びを上げると、大蛇となった身体から小さな蛇が飛び散った。
「渡さない! 渡してなるものか!」
ようやくバランスを取り、シャーリーは空へ舞い上がると黒い大蛇が叫んだ。
感じ取れる恐怖と、苦しんでいるその姿は何を意味するだろうか。シャーリーは何も言わずそれに言葉をかけた。
「怯えなくていいよ。私はもう――」
「うルさい!」
黒い大蛇は叫び、シャーリーを飲み込もうと突撃する。シャーリーはその突撃を真正面から受け止めようとした。
無慈悲なその攻撃を、まっすぐと。
「ガァアァアアアァァアアァァァァァ!」
力と力がぶつかり合う。シャーリーは懸命に、黒い蛇をなだめようとしていた。
だが、疲れが邪魔をする。自身を守る光が徐々に薄れ、消えていく。
ダンダリオンを、ドリーを助けられないかもしれない。諦めが囁き、絶望が心を支配しようとしていた。
だが、希望はシャーリーを見捨てない。
『シャーリー!』
別れてどのくらい時間が経っただろうか。聞き馴染みのある声が、シャーリーの耳に入る。
月明かりを背に現れた見慣れた本の姿に、勇ましい目つきと揺れるヒゲ。
モノクルを輝かせ、影で生み出した翼を羽ばたかせ迫ってくるそれにシャーリーは歓喜の声を放った。
「先生!」
アルフレッドが、シャーリーの元へ翔ける。
そのまま盾になるようにシャーリーの手の中に収まると、一気に黒い大蛇を押し返した。
「グぉオォオおぉぉオオオぉぉォォォ!」
悲鳴に似た叫び声が空に響く。
シャーリーは痛そうにしているそれを見て、心痛そうに胸を抑えていた。
『シャーリー、大丈夫か!?』
「はい。でも、ドリーちゃんが……」
『食べられたな。だが、感傷に浸っている暇はないぞ!』
「でも、あの子も助けないと……」
『シャーリー、お前が何を知ったのかワシはわからん。だが、やりたいことがあるなら力を貸そう。だからこそ、目の前のことに集中しろ。でなければ何も解決しない』
アルフレッドは告げる。ただ力強く、シャーリーを奮い立たせるために。
『前を向け、まっすぐと見ろ――お前なら正しい道が見えるはずだ!』
その言葉は、シャーリーの背中を押すには十分すぎるものだった。
だからこそシャーリーは顔を上げる。
「はい!」
大切なもの。それはたくさんある。
大切なもの。その全てを守りたい。
だからこそ、シャーリーは戦いを挑む。
大切なもの全てを、守る戦いを。
◆◆◆◆◆
交易都市ユルディア。そこはすっかり日が落ち、闇夜に包まれていた。本来ならばキレイな月が微笑んでいる空だが、おかしなことにその顔を隠している。
「ったく、騎士団長さん。アンタここにいていいの?」
ちょっと不気味な空に包まれた空の下で、まだ明かりが灯されている建物があった。そこにはフレイヤと騎士団長グレアムの姿がある。
「ええ、本日は休暇にしましたのでご心配なく」
「休暇? 騎士団はお前抜きだと腑抜けだと聞くけど?」
「優秀な部下に任せましたので、ご安心を」
フレイヤはついつい訝しげに見つめてしまう。正直、騎士団はグレアムがいないと全く機能しないため心配なのだ。といっても、ユルディアではあまり大きな事件が起きないので大丈夫だとは思うが。
ひとまず作業を進めよう。そう考えて手を動かそうとすると、グレアムが身を乗り出してきた。
「フ、フレイヤ殿! その、その、そのぉ!」
「何? 今ちょっと集中しないといけないんだけど?」
「よ、よろしければ私と、今夜一緒にデートへ――」
「ぶふぉっ!」
それは思ってもいなかった誘いだった。
まさかの夜デートである。確かにすっごくいいプレゼントをもらった。しかし、お付き合いするかどうかという返事はしていなかった。
フレイヤとしてはもう少し心の整理をしてから返事をしたかったのだが、どうやらグレアムが待ちきれなかったようだ。
「お前、時間わかってる?」
「わかっております! ええ、わかっておりますよ! あ、決してそのまましっぽりと朝を迎えようとは全く考えも――」
「言わんでいい!」
下心といえばいいだろうか、その根端が見えるグレアムにフレイヤはため息をこぼした。
よくよく見るとその服装は普段と違ってしっかりしたものである。ピカピカな白いスーツにピカピカなブーツ。顔も髪も小洒落ており、まさに勝負しに来たといっても過言ではない。
心なしか、モジモジしているようにも見える。おそらくグレアムは、今夜決着をつけるためにいろいろと準備してきたのだろう。
「ったく、わかったよ」
折れたようにフレイヤは言葉を口にする。するとグレアムは「ホントですか!?」と嬉しそうな声を上げて飛び跳ねた。
まさに歓喜。バンザイしながら「やったやった、やったー!」とはしゃぐ姿はとても子供っぽい。
「落ち着け! 物を壊したら弁償だぞ!」
「おお、失礼! ではさっそく行きましょう。楽しいディナーが待ってますよ!」
「やらなきゃいけないことがたくさんあるの。それ終わってからならいいけど?」
「待ちますとも! いつまでもどこまでも!」
フレイヤはもう一度ため息を吐いた。
まるで子犬のように目を輝かせている大の大人なんて見たことがあるだろうか。何にしてもデートを楽しみにしているその姿に、フレイヤは悪い気がしなかった。
「だ、団長!」
まったくもー、と思いながら作業を再開しようとした時、一人の兵士が大きな音を立て入る。
思わず顔を上げると、その兵士は慌てた様子で言葉を放った。
「なんだ? 私はこれからフレイヤ殿とデートを」
「た、大変であります! ユルディア各場所で凶暴なモンスターが発生し、暴れ回っております!」
その言葉を聞いたグレアムの目つきが変わる。ちょっと悔しそうに右手で髪をクシャクシャとかき回すと、すぐにいつもの厳つい顔で指示を飛ばした。
「動ける者でまず対応させろ。寝ている者は叩き起こし、余暇を楽しんでいる者もかき集めて態勢を整えろ」
「し、しかし数が膨大で騎士団だけでは――」
「なら、迷宮探索者に私が協力を仰いでくる。少し時間がかかると思うが、どうにか耐えてくれ」
「は、はい!」
兵士が駆けていく。その背中を見送ったグレアムは、大きなため息を吐き出した。
ガックシ肩を落とすその姿は、とても悲しげである。フレイヤはそんなグレアムを気の毒に思い、声をかけた。
「仕事頑張ってきな」
「はい……」
「そんなにしょげるなよ。無事に帰ってきたらデートなんていくらでもしてやるから」
「はい……」
ショボショボとグレアムは足を進ませていく。本当にかわいそうな後ろ姿である。
フレイヤはそんな見るに堪えない姿を見て、心が痛んだ。だから仕方なくグレアムの肩を叩き、振り向かせた。
そのまま両手で頬を抑え、足首を伸ばす。そしてグレアムの唇に、自身の唇を重ねた。
「フレイヤ殿……」
「今回は特別だからな」
頬が真っ赤に染まる。グレアムの顔がまともに見られなくなったが、それでもフレイヤには後悔がなかった。
グレアムもまた、その気持ちをしっかりと受け取る。だからこそ、勇ましいいつもの顔つきへと戻っていた。
「行って参ります!」
男とは単純である。グレアムのテンションはもはや最高潮であり、着ている新品のスーツが汚れることなんて考えずに走っていく。
フレイヤはちょっと心配しながらも、元気になったグレアムを見て喜んでいた。
「モンスターがなんだ! モンスターがなんだってんだー!」
グレアムは奔走した。足りない兵力を補うために迷宮探索者に直接依頼をする。夜ということもあり、ギルドマスターはすでに眠ってしまったがどうにか協力を得た。
そして勢いのまま戦闘へ参加する。暴れ回るモンスターをバッタバッタと倒していき、屍の山を築き上げていく。
「フレイヤ殿! グレアムはあなたを、愛しておりますー! 心の底から、いや世界で一番、大好きだぁぁぁぁぁ!」
その頂で、グレアムは愛を叫ぶ。ただただテンションに任せ、ただただ勢いに任せて。
もはやグレアムには敵はいない。恥ずかしさなんてものもない。だから周囲からは物理的にも精神的にも距離を取られていた。
「だ、団長」
「なんだ!? まだ敵がいるのか!?」
「えっと、その、そこにモンスターらしきものが……」
グレアムは兵士が示した場所に目を向けた。
小さな黒い蛇、といえばいいだろうか。築き上げたモンスターの屍からひょっこりと顔を出している。
「むっ」
不気味なことに、それは一体二体ではなかった。数十体、いや数百体と存在する。その全てがグレアム達を取り囲み、シュルルと舌を出して威嚇している。
「だ、団長っ。こいつら……」
「警戒しろ。おそらくモンスターだ。しかもただのモンスターではない」
黒い蛇は笑う。ゆっくり死んだモンスターに近づき、その身体を噛みついた。
直後、モンスターの目が真っ赤に染まる。起き上がると共に身体が大きくなり、さらに禍々しい黒い何かを身にまとった。
「これはッ!」
息を吹き返したかのように倒したモンスター達が雄叫びを上げた。その全てが目を赤く輝かせ、禍々しい黒をまとっている。
グレアムはすぐに臨戦態勢を取った。他の者達も少し遅れて武器を取るが、それをモンスター達は笑う。
「始めからこれを狙っていたかっ」
蘇ったモンスター達は、グレアムを取り囲むように立っていた。各個撃破ならどうにかなるモンスターでも、一箇所にしかも囲い込むように存在すると話が変わる。
「だ、団長ぉぉ」
「情けない声を出すな」
「し、しかし……」
「少しでも顔色を変えると襲いかかってくる。何があっても気丈にしろ」
弱腰になった部下を奮い立たせ、グレアムは状況を覆す策を考える。だが、そう簡単に逆転の一手なんてものは思いつかない。
モンスターはいつでもグレアム達を殺すことができる状況だ。それをしないのは、おそらく何かを警戒しているからだろう。
本来ならば連携なんてしないモンスター達だが、指示を受けたかのように待機している。つまり、何かがこのモンスターを操っていると考えてもいい。
しかし、その何かがわからない。ほんの僅かでもヒントがあれば、と思い目を凝らすがそれらしきものはなかった。
「いや――」
ヒントはあった。全てのモンスターは黒い蛇に噛まれたことによって蘇ったのだ。つまり黒い蛇が何か握っているという意味でもある。
そういえば、と思いグレアムは黒い蛇を探した。先ほどまでモンスターの傍にいたそれは一匹も存在しない。
まさか逃げたか、とつい考えるがそれはすぐに消えた。
「シュルル!」
全ての黒い蛇は取り囲むモンスターの後ろで、グレアム達を眺めていた。まるで高みの見物でもしているかのように、舌を出して笑っている。
「よし」
やるべきことが決まった。グレアムは黒い蛇に一泡吹かせるために、持っている大剣を強く握った。それを見た部下達は、すぐに何か仕掛けると察知する。
高まる闘気に固くなる団結力。兵士達はグレアムを信じ、先に大地を蹴った。
「団長の邪魔をさせるな!」
「俺達の意地を見せろぉぉ!」
それぞれがモンスターに飛びかかっていく中、グレアムは後ろにいる黒い蛇を見定めた。
この都市には、大切な人達がいる。シャーリーにドリー、アルフレッドにスレイン、そしてフレイヤ。その全てを守るためにも、グレアムは駆けた。
「邪魔だ、退け!」
駆け抜けると共に全てが凍てついていく。その軌跡が白く染まっていく中、モンスター達の動きも止まった。
白く凍てついた身体に亀裂が入った途端に、それは崩れ去っていく。矢の如く突撃するグレアムはそのまま黒い蛇を切り飛ばそうとした。
「何っ!」
しかし、黒い蛇も黙っていない。数百という数が、一瞬でまとまり姿を変えた。
それはあまりにも巨大。
それはあまりにも禍々しい。
それはあまりにも不気味であり、恐ろしかった。
黒く染まったそれは一体の竜へ変化している。赤く輝く瞳に、身体から三叉に分かれた長い首。あまりにも恐ろしい姿に、人々はそれをこう呼ぶ。
「ヒュドラ、だと!」
グレアムは目を疑った。だがそれでも、剣を離さない。
突き刺さった箇所が凍てつき始めている。このまま全身が凍りつけば、戦いに勝てる。
しかしそれは儚い希望だった。
「ぬおっ!」
ヒュドラは大暴れし、突き刺さっていた大剣ごとグレアムを薙ぎ飛ばした。転がり、そのまま後頭部を壁に打ちつける。
強烈な痛みで動けなくなる中、グレアムはどうにか顔を上げた。目に入ってきたのは、自身の身体を焼くヒュドラの姿だ。
広がっていた凍てつきは消え、数秒も経たないうちに回復している。
グレアムは大剣を握り、力を込めて立ち上がろうとした。だがその前に、ヒュドラは大きく口を開き真っ赤な火炎を吐き出した。
炎が迫ってくる。グレアムを飲み込もうと、その身体を灰にしようと。
グレアムは最後を悟った。何も守れず死んでしまう自身を悔いた。
「まだ諦めるのは早いぞ、若き騎士よ」
突然、火炎が散る。気がつけばそこには滅多にお目にかかれない者の背中があった。
その手には大きな盾があり、年齢に似つかわしくない若々しい身体を包み込む白い鎧を見てグレアムは目を疑った。
「あなたは、まさか――」
その男は微笑む。そしてグレアムに顔を向け、告げた。
「戦場ではやるかやられるかだ。一応言っておくが、立場を気にしていては死ぬぞ?」
ディラル公の言葉に、グレアムは目を大きくした。
「立て、若き騎士よ。まだ戦いは終わっとらん」
そう、戦いは始まったばかりだ。だからこそ、ディラルは盾を握る。
率いた大隊も共に、勝利をもぎ取ると誓ってモンスターへと突撃した。