44、淀んだ心を浄化する光
闇に包まれていた空間に、温かな光があふれていた。その中心に立つシャーリーは、澄んだ瞳を向けて黒いドリーへ足を踏み出す。
「ふざけるなっ」
黒いドリーは反射的に叫ぶと同時に、左足が一歩下がる。それが何を意味するのか、対峙する二人は気づいていない。
シャーリーはゆっくりと黒いドリーへ近づいていく。それに伴い、黒いドリーは下唇を噛んだ。
恐れるどころか優しい目をして近づいてくる。ただただ暖かく、嫌になるほど勇ましく足を踏み出すシャーリーに身体が震えていた。
「ふざけるな、ふざけないでよ!」
自分を恐れないシャーリーに黒いドリーは恐れた。
何度も何度もなぜ恐れない、と自問自答していた。
だが答えなど見つかるはずがない。だからこそ黒いドリーはシャーリーを拒絶する。
「来るなぁぁぁぁぁ!」
叫びと共に黒いドリーの影あるものが生まれる。それは真っ黒な手だ。
まるで意志を持っているかのように揺れ威嚇するが、シャーリーは歩みを止めなかった。
「引きちぎれ!」
怒号にも似た指示を受け、〈影の手〉は一斉にシャーリーへ襲いかかった。
シャーリーは持っていた杖で地面を叩き、駆けてくる〈影の手〉を攻撃する。
しかし、突起した土は〈影の手〉を捕らえることができない。そのまますり抜け、シャーリーの右手首を掴んだ。
「うっ」
手首が痛い。想像以上の力にシャーリーの顔が歪むと、間髪入れずに新たな〈影の手〉が飛び込んできた。
シャーリーは咄嗟に「きゃあっ」と叫ぶと、身体から強烈な光が放たれる。光を浴びた〈影の手〉はそのまま吹き飛ばされ、消えてしまった。
「ちぃっ!」
黒いドリーはガリッと奥歯を噛む。シャーリーはというと激しく息を切らして片膝をついていた。
光を発生させれば〈影の手〉を消すことができる。だが、使えば使うほどとんでもない疲れが溜まっていく。
頻繁に何度も使うことはできない技だ。だからこそ、大切な場面で使えるようにしておかなければならない。
「何してるのよ! 畳み掛けなさい!」
黒いドリーもそのことをわかっている様子だった。即座に〈影の手〉は命令に従い、シャーリーへ襲いかかる。
シャーリーは反射的に駆けた。持久戦に持ち込まれれば不利。それを打開するためにも、逆転の一手を見つける必要がある。
だがそんなもの簡単に見つかるはずはない。だからといって奥の手を連発すれば、すぐにスタミナも魔力も尽きてしまう。
奥の手を使わず、現状を打開する必要があった。
「きゃあっ」
考えながら逃げ回っていたせいだろうか。何かに引っかかり、シャーリーは転んでしまった。
しかも不運なことにポーチにしまっていたアイテムが散乱する。シャーリーは思わず拾い集めようとした瞬間、大量の〈影の手〉が飛び込んできた。
絶体絶命。万事休す。
逃げ場なしのシャーリーは、反射的に手で頭を覆った。
「……あれ?」
だがいくら待っても痛みはやってこない。それどころか、何も起きない。
恐る恐る振り返ると襲いかかろうとしていた〈影の手〉は〈黒い草〉を持って遊んでいた。
「アンタ達、何しているのよ!」
黒いドリーの怒号が飛ぶが〈影の手〉は全て命令を聞いていない。それどころかそれぞれが好き勝手に遊んでいた。
シャーリーはジッとその光景を見つめ、考える。どうしてかわからないが、黒い草に興味があるようだ。いや、もしかすると〈黒い草〉にモンスターを引きつける特性があるのかもしれない。
「よしっ」
逆転に至るための一手が見つかった。だが、〈黒い草〉の数には限りある。
ならばどうするか。その答えはすでにシャーリーの中にあった。
「活躍の時だよ、マゼマゼくん!」
シャーリーは〈マゼマゼくん〉に残っていた〈黒い草〉と〈燃え盛る青い炎〉を入れる。直後、マゼマゼくんは雄叫びを上げた。
「まーぜまぜまぜっ、まーぜまぜ!」
シャーリーを助ける逆転の一手が、生まれようとする。
マゼマゼくんが輝きを放ち始める中、遊んでいた〈影の手〉はシャーリーへ一斉に振り返った。
「さっさと殺しなさい!」
同時に降される命令を聞き〈影の手〉は動き出す。シャーリーの手足を掴み、その身体を引き千切ろうと迫った。
しかしそれよりも早く、マゼマゼくんが「ピッカーンッ」と叫ぶ。
「できたぁー!」
シャーリーはすぐにアイテム〈温かな闇溜まり〉を取り出し、〈影の手〉へ投げつけた。
ふんわりと闇が広がると、他の〈影の手〉が引き寄せられるように闇溜まりへ入っていく。
一体、二体、三体と。
そして黒いドリーから生み出した〈影の手〉は全て、影溜まりの中へ飛び込んだ。
「なっ!」
あまりにも想定外なことに黒いドリーは言葉を失う。
シャーリーを攻撃する者、支援する者、その全てが消え失せた。
黒いドリーを守る者も、シャーリーを邪魔する者もいない。
シャーリーはもう、まっすぐ黒いドリーにぶつかることができる。
「ドリーちゃん!」
躊躇うことなくシャーリーは黒いドリーの身体を抱きしめた。
黒いドリーは逃げるために暴れようとするが、それよりも早くシャーリーが仕掛ける。
「あぁあああぁぁああぁぁぁぁぁッ!」
力いっぱいに、ただ力いっぱいに抱きしめた。
想いを込めて。
願いを込めて。
祈りを込めて。
シャーリーは持てる力を解き放つ。光を浴びた黒いドリーは悶え苦しみ、必死にシャーリーを引き離そうとする。
だが、シャーリーはどんなに殴られても引っかかれても離さない。
「ぐ、ああっ、あぁあああぁぁああぁぁぁぁぁッッッ!」
光はどんどん強くなり、黒いドリーがまとっていた〈禍々しい黒い何か〉が払われていく。それと同時に、空間が光で満ちあふれた。
『いや、いや、もう嫌ぁぁぁぁぁ!』
目に入ってきたのは、悲劇だった。
次々と、次々と人を捕らえては飲み込んでいく。骨が砕かれ、肉がすり潰される音が響く中で声の主は叫んでいた。
『こんなの、望んでない。みんなを、食べたくない――』
必死に止まって、と声の主は願っていた。しかし意志に反して身体は勝手に動き、何もかもを食べていく。
声の主はまた『もう嫌だ』と叫んだ。その瞬間、一人の少女が目の前に立った。
『ドリーちゃん!』
シャリー、いやかつてのシャーリーだ。ドリーを止めるために必死に呼びかけている。だが身体は勝手に動き、シャーリーの身体を絡め取った。
それでもシャーリーは呼びかける。しかし、〈コトワリ〉はシャーリーを裏切った。
『あっ――』
ドリーの意志に反し、シャーリーの腕を食い千切ったのだ。シャーリーは痛みのあまりに叫ぶと、ドリーもまた叫んだ。
『いやぁあぁああぁぁぁあああぁぁぁぁぁ!』
ドリーが犯した罪。
ドリーが見たくない現実。
ドリーが目を逸らしたい事実だ。
なぜ、このタイミングで空間に映し出されたのか。シャーリーが思わず考えた瞬間、黒いドリーは身体を突き飛ばした。
「このっ、このっ、このっ!」
涙が浮かんだ目には、怒りが籠もっていた。
シャーリーはもう一度距離を詰めて抱きしめようとする。だがその前に、黒いドリーが仕掛けた。
「死ねっ、死んでしまえぇぇ!」
影がシャーリーの身体を飲み込む。そのまま食い殺そうとした瞬間、影が大きく膨らんだ。
どこまでも膨む影は、ついに耐えきれなくなり破裂すると強烈な光が広がった。
「あぁあああぁぁああぁぁぁぁぁ!」
身体にまとっていた〈禍々しい黒い何か〉がさらに払い飛ばされていく。温かな光が空間に満ちると、再び何かが映し出された。
『ダメだ、ドリー様!』
そこには見慣れた姿のマギアがいた。マギアはドリーが持つナイフを奪い取ろうとするが、拒まれていた。
『どうして!? 私は、もう死ぬしかないのよ!』
『あなたが死んだら本当に何もかも無駄になる。頼む、頼むから耐えてくれ!』
『みんなを食べて、シャリーの腕も食べたのよ! 私は、生きている価値なんて――』
『それ以上言うな!』
マギアは懇願するかのように、ドリーを説得していた。しかしドリーは止まらない。
心の中にあるのは、大きな後悔と罪の意識。ただただ悔いて、自身の決断に泣いていた。
『ごめんね。私、耐えられない』
マギアの制止を振り払い、ドリーは自身の喉にナイフを当て、躊躇うことなく切った。
勢いよく血が噴き出し、倒れていくドリーの身体をマギアは受け止める。どくどくとあふれ出す血を止めようとした瞬間、奇怪なことが起きた。
『これは――』
まるで時を遡るかのようにあふれ出た血が体内に戻っていく。気がつけば首の傷も塞がり、傷跡すらも残らなかった。。
あまりの出来事に、マギアは言葉が出ない。しばらく見つめているとドリーの目が開いた。
『ドリー様!』
ドリーは呆然とした様子でマギアを見つめる。
変わりないように思えた瞬間、思いもしない言葉が放たれてしまう。
『あなた、誰?』
そこで映像は途切れ、空間は戻った。
暗闇が空間に広がり始めると、シャーリーはすぐに黒いドリーへ顔を向けた。
「見るな! もう、もう見るな!」
もうその姿はドリーのものではなかった。
黒く、ぐちゃぐちゃとした塊がそこにある。まるでスライムのような姿をしたそれは、身体を震わせていた。
「私を、見るなぁぁ!」
シャーリーが放つ光によって力が削がれたそれは、泣き叫んでいた。シャーリーはその言葉を聞き、どういう意味なのか考える。
ただの〈コトワリ〉であるならば意志なんて持たない。では目の前にいる存在は何なのか。
「ドリーの意志を模倣した何かだ」
聞き馴染みがある答えが耳に入る。振り返ると、そこにはドリーを抱えたダンダリオンの姿があった。
「躊躇う必要はない。やるぞ」
「でも――」
「存在するだけで害をなす存在だ。処分しなければならない」
シャーリーはその言葉を聞いてもなお躊躇った。
確かにドリーを模倣して生まれた存在かもしれない。だが、だからといってその選択は正しいのだろうか。
シャーリーが、そしてドリーが望む結末になるのか、と考えていると黒いスライムのような何かが叫んだ。
「いやだ。死にたくない。私は、私は――」
黒いスライムは力の限り、叫んだ。
持てる限りの力をとにかくかき集めて叫んだ。
死にたくない。やらなければいけないことがある。だから死ねない。
「いやだぁあぁあああぁぁぁぁ!」
感情が暴れる。
想いがあふれる。
壊れた願い、ほくそ笑む祈り。
何もかもが歪んだそれが、黒いスライムに力を与えた。
「ワたしはユルされナイ。でモ、ワたしハあやまラナクちゃイケないんダ!」
何かに囚われた想い。
縛り付けられた心。
願いも祈りも神には届かない。
だからこそ、その想いをよく理解するものが力を与えた。
それはあまりにも禍々しい。
それはあまりにも人らしい。
なぜならばそれは、かつて人であった人ならざるもの。
「ワたしはシねなイ!」
目的を見失い、目標もわからなくなったそれはただ願う。
聞き入れたそれは想いを受け止めるほど、与えていく。
身体は次第に肥大化し、そしてシャーリー達がいた空間そのものを破壊した。




