36、本の使者〈ダンダリオン〉
ズシッ、と地面を突き刺すような重々しい音が幾重にも響く。目のようなものが赤く輝くとアーニャは思わず身体を震わせてしまった。
勝てるはずなんてない。
だけどシャーリーをどうにか助けたい。
今にも折れてしまいそうな想いが、アーニャの身体を支えている。
『生体反応を確認。攻撃対象とは異なる容姿――マスターより指示を確認。ただちに排除を開始します』
オルタネーターの目のような部分が赤黒く輝き、点滅する。
アーニャはそれを見た瞬間、持っていた杖を振った。
「これを喰らいなさい!」
一つの火球が目の前に生まれる。
アーニャは確認することなく一回転して、それを杖で打った。
火球はまっすぐ目のような部分へ飛んでいく。
だが、その攻撃は一つの足が軌道を遮ったことで終わる。
ボシュ、と鎮火する音が響くと、オルタネーターは再びしっかりとアーニャを見つめた。
『敵対意志を確認。未知の魔術攻撃を使用――対象者の危険レベルを三へ変更し、フェイズセカンドへ移行します』
アーニャの攻撃を軽々と防いだオルタネーターは、全身を赤黒く輝かせた。
直後、塔のような身体にたくさんの目のようなガラスが現れる。
全てがアーニャを見つめる中、アーニャはポーチからあるものを取り出した。
「ならばこいつを受けなさい!」
ビンの中で青々と燃える炎。シャーリーにも渡した〈燃え盛る青い炎〉だ。
アーニャは力強く投げつけると、オルタネーターは再び足で攻撃を防ぐ。
しかし今度は違う。
青い炎はしっかりとオルタネーターの足で燃え上がり、身体を包み込んでいく。
徐々に、徐々に飲み込んでいくと同時に、その身体を凍てつかせていった。
「よしっ!」
動きが悪くなるオルタネーターを見て、アーニャは追撃をかける。
ポーチから水玉ザラシを取り出し、オルタネーターへと投げつけた。
――キュキュッ!
奇妙な爆発音が響くと同時に、ドガガーンととんでもない炸裂音が響いた。
何度も爆発が起きる中、オルタネーターは驚いたかのように目らしき部分を点滅させる。
アーニャはさらなる追撃をかける。
持っている杖で再び火球を生み出し、オルタネーターへ向けて弾き飛ばした。
「このぉー!」
何度も何度も打ち出し、攻撃をする。
倒れるまで手を緩めることはできない。してはいけない。
もしまだ立てるならば、それはアーニャにとって死を意味する。
そう感じるぐらい、オルタネーターの威圧感は恐ろしいほど大きかった。
『さらなる敵対意志を確認。未知の攻撃により損害を確認。危険レベルを最大へ変更。これよりフェイズサードへ移行し、速やかに排除します』
息が切れるまで攻撃をした。
それなのに、オルタネーターは何事もなかったかのように立っている。
恐ろしい輝きを放つ目に見つめられると、アーニャは息をするのを忘れてしまった。
睨みつけるように、オルタネーターは全ての目をアーニャに向けている。
赤黒い輝きはもはや消え失せ、すっかり黒く染まっていた。
『殲滅を開始します』
アーニャを見つめていた一つの目が、僅かな時間だけ輝きを解き放った。
光だ、と認識した後アーニャの後ろで爆発が起きる。
遅れて突風が吹き、そのせいでアーニャの身体は持っていかれそうになった。
何が起きたかわからず振り返ってしまう。
するとそこには、抉り取られたような大きな穴があった。
『軌道のズレを確認。軽微な損害により起きた模様。ただちに修正し、対象を殲滅します』
アーニャは強く杖を握った。
先ほどの光を受ければ、確実に死ぬ。
だが、それでも逃げ出したくなかった。
怖くて怖くて堪らない。
足も心もすくんでいるのに、目にはいっぱいの涙が溜まっているのに、アーニャはオルタネーターを強く見つめていた。
勝てないなんてことぐらい最初からわかっていた。
無謀な戦いだってことぐらいわかっていた。
だからこそアーニャは、命を懸ける。
『目標を排除します』
シャーリーが絶対に助けてくれると、信じているから。
「アーニャちゃん!」
何かがアーニャの前に立った。
それはそのままオルタネーターから放たれた光を受け止める。
『ぬぐぐぐっ!』
強烈な光が散っていく中、アルフレッドが苦しそうに唸っていた。
よく見るとアルフレッドがオルタネーターから放たれた光を全身に受けている。
濃青な表紙も白く変化しており、眉もひげも金色に染まっていた。
「が、頑張って、先生っ!」
『ぐっ、ぬぅっ!』
だが、オルタネーターの攻撃は強力だった。
シャーリーとアルフレッドが一生懸命に踏ん張るものの、押されていく。
次第に踏ん張りが効かなくなっていき、そしてついにシャーリー達は弾き飛ばされてしまった。
「きゃあっ!」
『ぬがあっ!』
恐ろしい光が軌道を外して飛んでいく。
どこかで大きな爆発音が響く中、弾かれたシャーリー達は痛みで顔を歪めていた。
「シャーリーちゃん!」
「うぅっ。だ、大丈夫、アーニャちゃん?」
「はい。でも――」
「大丈夫。このぐらい、へっちゃらだから……」
弱々しくシャーリーは立ち上がった。
アルフレッドはというと、気絶をしてしまったのか目を回して空を仰ぎ見ている。
『攻撃対象を確認。フェイズサードを継続。ただちに排除します』
状況は最悪だ。
どうにか応急処置を済ませ、白魔術を発動させたが防ぎ切れなかった。
さらに要であるアルフレッドが倒れてしまった。
これではもう、戦うことすらできない。
それでもシャーリーは諦めなかった。
絶対にドリーを助けるという決意が、倒れそうな身体を支えていた。
どんなに勝ち目がなくても、どんなことがあっても、絶対に助けるという想いが今のシャーリーを支えていた。
――変わらないな、お前は。
――だからこそ、我が主にふさわしい。
それは聞き覚えのある声だった。
まるで呆れているかのような言葉でもあった。
――我が主シャーリーよ。
――我が声に答えよ。
――我が声が聞こえるならば。
――我が笛に息吹を吹き込め。
弾かれた拍子にポーチから散乱したアイテムがあった。
そのアイテムの山に埋もれていた一つの笛が宙へ浮く。
黒く染まる何かに包まれたそれは、どこか優しさが漂っていた。
シャーリーは引き寄せられるように手を伸ばす。
そして、感じるがままに〈ダンダリパンの笛〉を吹いた。
『新たなる反応を確認』
オルタネーターがギョロギョロと目らしきものを蠢かせる。
まるで何かを恐れるかのように、辺りを懸命に見回していた。
「キレイ……」
アーニャは、ただ感動していた。
聞いたこともない音色。
聞いたこともない旋律。
優しく、力強く、どこまでも美しい音が響く。
「ああ、懐かしいな」
一つの声がアーニャの耳に入ってきた。
振り返るとそこには一人の青年が立っている。
ゆっくりと、笛を吹いているシャーリーへ歩み寄っていく。
黒く長い髪を揺らし、黒いロングコートも揺らし、どこかぶっきらぼうな顔でシャーリーの肩を叩いた。
「もういい」
もしこの世界に神様がいるならば、もしかしたらこの人かもしれない。
アーニャがそう思えるほど、どこか神秘的で、とても美しい青年だ。
整った目鼻立ちに、しっかりとした身体つきがそう思わせる一因でもあった。
「あなたは……?」
「忘れてしまったようだな。ならばもう一度名乗ろう」
黒髪の青年はそういって、気絶しているアルフレッドに顔を向けた。
招き入れるように手を動かすと、アルフレッドの身体は浮かび上がり手の中へと収まる。
そのままシャーリーへ渡すと、青年は名を告げた。
「我が名はダンダリオン。お前と、お前の友ドリーによって呼び出された者だ」
「私と、ドリーちゃんが?」
優しい目をダンダリオンは向けていた。
だがシャーリーは、全くピンと来ないのか頭を傾げてしまう。
そんな姿を見たダンダリオンは、すぐに視線を外した。
「懐かしい話を語りたいところだが、後にしよう」
シャーリーは振り返る。
そこには全ての目らしきものを一点に集中させているオルタネーターの姿があった。
まるで怯え、睨みつけているかのように思える行動だ。
そんな姿を見て、シャーリーは思わず息が止まった。
だがダンダリオンが「落ち着け」と言い、肩を叩いた。
「あれは手負いだ。万全ならまだしも、あれならお前でも倒せる」
「で、でもっ!」
「安心しろ。私は〈本の使者〉だ。お前が持つ〈魂の日記〉も開ける」
ダンダリオンはそういって、シャーリーの胸に右手を添えた。
思いもしないことに、シャーリーは固まる。
ダンダリオンは「少し痛いぞ」と声をかけ、容赦なく突っ込んだ。
「あっ――」
「やはり、完全には開き切っていないか。だが、この状態ならこの私でも開ける」
「あ、ああっ――」
「思い出せ、シャーリー。お前自身の力と、あの時の約束を。私は、そのためにずっと待っていたんだ」
「あ、ああ、あぁあああぁぁぁぁぁっっっ!」
心の奥底で、何かが蘇ってくる。
浮かび上がるのは、真っ黒なバケモノ。
その口からは血が滴り落ち、嫌な音も響いている。
『助けて』
同時に、助ける声も聞こえた。
泣きながら、何度も何度も叫ぶ声が響いていた。
「わ、たし――」
何かが蘇ると同時に、オルタネーターが奇妙な音を響かせた。
音を聞いたダンダリオンは、シャーリーの胸から手を引き抜く。
振り返り、興味なさげに見つけるとダンダリオンは告げた。
「黙れ」
言葉を聞いたオルタネーターはさらなる雄叫びらしきものを上げた。
一点に集中させていた目らしきものに光を集める。
ただ怒りのまま、ただ恐怖を消し去るかのように、恐ろしき光を解き放った。
「ダメっ」
ダンダリオンに向けて解き放たれた光。
シャーリーはアルフレッドを使って、再び受け止める。
散っていく恐ろしき光は、シャーリー達の身体を押していく。
「先生、起きて!」
わかったのだ。何を助けなければいけないのかが。
わかったのだ。どうして助ける必要があるのかが。
「私、やっぱりドリーちゃんを助けたい! でも、私だけじゃあダメなの。だから、だから!」
あの時のこと。それはまだ完全ではないが思い出せた。
だからこそシャーリーは、祈るように叫ぶ。
「先生、私を助けて!」
シャーリーの叫び声。
それがアルフレッドの魂に届き、カッと目が開かれる。
直後、シャーリーを押していた恐ろしき光が一気に押し返され、そのままオルタネーターの身体を飲み込んでいった。
『損傷、損傷、損傷ッ! 被害甚大ッ。攻撃対象による反射を確認ッ』
あちこちから爆発が起き、オルタネーターは悲鳴のような音を上げた。
ダンダリオンはその光景を見て笑う。シャーリーへ振り返り、「よくやった」と声をかけた。
「これは……!」
『んあ? なんだ? 何があった?』
シャーリーは自分自身の力にただただ驚いた。
アルフレッドはというと、のん気に目を擦っている。
ダンダリオンはそんな二人を見て、つい顔を綻ばせてしまった。
「変わらないな、お前は」
とても楽しそうな顔に、シャーリー達は不思議そうに見つめてしまった。
そんな中、瀕死に陥ったオルタネーターはシャーリーを睨みつける。
怒りのまま、叫ぶかのようにあることを告げた。
『フェイズフォースへ移行ッ。これより全てを殲滅しますッ』
オルタネーターの背に、一つの翼が生えた。
その赤黒い輝きは、天使とも悪魔とも言えない羽でもあった。
浮かび上がるオルタネーターの身体。見下ろしてくる目らしきものは、どこか愉悦に浸っているように思えた。
「シャーリー」
オルタネーターを見つめていると、唐突にダンダリオンが声をかける。
シャーリーは振り返ると、ダンダリオンは思いもしないことを告げた。
「お前は強い。ガラクタに成り下がったあれよりもな。だからこそ自分を信じろ」
力強い後押し。
そんな言葉を受けたからなのか、シャーリーの心に勇気が湧いてくる。
『排除ッ、全てを排除ッ!』
負けない。
負けるものか。
そんな想いを胸に抱き、シャーリーはオルタネーターへ挑む。