35、オルタネーター
血があふれ出てくる手のひら。ジクジクと痛む中、シャーリーはドリーを飲み込んだ〈禍々しい影〉を強く見つめた。
『あらあら、怖い顔をしちゃって。そんなに私が憎い?』
禍々しい影はそんな顔を見て楽しげに嘲笑っていたが、シャーリーは見つめ続ける。
その目には強い意志が籠もっており、禍々しい影にとってはつまらない反応だ。だからなのか、禍々しい影は愉悦に浸るのをやめた。
『生意気ね。アンタって昔からそうよ。だから大っ嫌い』
その言葉はなぜか心に突き刺さる。それでもシャーリーは杖を握り、力を込めた。
血がどれほど滴り落ちても、どんなに痛みで顔が歪んでも、シャーリーはドリーを助けるために勇ましく見つめた。
『いいわ、アンタがその気なら私だって考えがある』
禍々しい影は腕を生やし、一つの黒い球体を生み出した。その球体をそびえ立つ大樹へ投げつけると、途端に地面が大きく揺れた。
ゴゴゴッ、と地響きが起きる。シャーリーとアーニャがバランスを崩しそうになる中、眠っていたそれは目を覚ます。
『な、これは――』
音を立てて割れた大樹の中から、一つの塔が現れる。
灰色の絡まりでしかなかったそれは、奇妙な音を発すると共に青く光り始めた。
『目標確認。これより、殲滅を開始します』
レンガが開き、大きな目のようなガラスが現れる。シャーリー達の姿を認識すると、奇妙な塔は赤い輝きを放ち始めた。血管のように赤い光が張り巡らせていくと、塔の底から何かが生える。
十箇所から現れた黒いパイプはいくつも連なり、地面へ触れていく。次第にそれは足へと変化していき、自身の身体を持ち上げた。
「もしかして、これ……」
アーニャの嫌な予感は当たっていた。その顔が絶望に染まると、禍々しい影は心地よさそうに笑みを浮かべる。
かつて起きた〈妖魔聖戦〉の最後に投入された殺戮兵器。
記憶を失う前にドリーがどうにか機能停止させた決戦兵器。
それが、今シャーリー達の前に立っている。
『その通り。とっても憎たらしい〈オルタネーター〉よ』
瞳らしきガラスが輝くと、オルタネーターは耳障りな雄叫びを上げた。
その威圧感は以前戦った〈セブンズ・ヘブン〉とは比較にならないほどのもの。ビリビリという空気の揺れを感じ、自然と恐怖が湧き上がってくる。
いますぐ逃げ出さなければ。そうしなければ殺されてしまう、と感じるほど心が震え上がってしまう。
だがそれでも、シャーリーは怯まない。
「それがどうしたっていうのよ! ドリーちゃんを返して!」
『それは無理な相談ね。ふふっ、そうね。こいつを倒せたら少し考えてあげる。どうせ返り討ちに合うだろうけどね』
禍々しい影は嘲笑い、消えていった。残されたのは黒く渦巻く出入り口と、奇妙な光を放つオルタネーターだけだ。
「か、勝てませんわ。あんなの……」
アーニャは震え上がっていた。聖戦最後に投入された殺戮兵器を前にして、恐れないほうがおかしいだろう。
自分よりも何倍も大きな身体を持つ敵に挑むのは、無謀と言える。できるならばこのまま逃げ出したいというのが本音だ。
しかしそれでも、シャーリーはまっすぐと見つめて敵と対峙する。
「いつっ――」
だがそれよりも身体が先に限界を迎えた。あまりの痛さに握っていた杖を落としてしまったのだ。
アルフレッドは反射的にシャーリーへ近づく。「手を見せろ」と声をかけ、シャーリーの手のひらを開かせた。
先ほどよりも手のひらは真っ赤に染まっている。握っていた杖も血まみれとなっており、どれほど痛みを堪えていたのかすぐにわかってしまった。
『シャーリー、お前』
「逃げませんから。私、絶対にドリーちゃんを助けますから!」
『だが、これでは……』
アルフレッドは何かを言いかけた。だがそれは、シャーリーもわかっていることだ。
それでも言わなければならない。誰かが止めないと、シャーリーは犬死してしまうのが目に見えていた。
『シャーリー、態勢を立て直そう。このまま戦っても死ぬだけだ』
「嫌です」
『シャーリー、たまにはワシの言うことを――』
「絶対に嫌です! このまま逃げたら、ドリーちゃんを見捨てることになる。私はドリーちゃんを見捨てて、このままお別れだなんて絶対に嫌です!」
アルフレッドもわかっていることだった。
ここで引けばドリーは戻ってこないだろう。しかし、シャーリーのことを考えると引かざるを得ない。
例えドリーを失うことになっても、アルフレッドはシャーリーを死なせたくない。
『シャーリー、引こう』
「嫌です!」
『ワシはお前まで失いたくない! だから――』
「じゃあドリーちゃんを見捨てるんですか! それなら私は――」
『バカなことを言うな!』
アルフレッドは冷静になって欲しいと願い、両肩を掴み大声で叫んだ。だが、シャーリーの目は変わらない。
わかっている。シャーリーがこんなことで止まらないことぐらい。
わかっている。だからこそ本当に困っているのだ。
『頼む、一緒に逃げてくれ。ワシはお前を、お前までを失いたくないんだ』
「嫌です。絶対に、ドリーちゃんを助けます」
『シャーリー!』
シャーリーの意志は変わらない。わかっているのに、アルフレッドは逃げて欲しいと願う。
そんな中、オルタネーターが近づいてくる。もはやケンカをしている暇はない。
「もー! わかりましたわよ!」
突然、アーニャが叫んだ。シャーリーとアルフレッドは思わず振り返ると、杖を強く握って迫ってくるオルタネーターを睨みつけている姿があった。
二人がポカンとして見つめていると、アーニャは手を震わせながら叫んだ。
「わたくしが時間を稼ぎます! アルフレッド様はシャーリーちゃんの治療をしてください」
『な、何だと!』
思いもしない言葉に、アルフレッドは叫んでしまった。
つい『お前じゃ無理だ』と叫ぼうとした瞬間、アーニャは振り向いた。
「わたくしのわがままを聞いてくださったお礼です。それにわたくしも、このままお別れだなんて納得できませんわ!」
『だが、そいつは――』
「ただのガラクタです! こんなもの、おじい様と比べれば全っ然怖くありません!」
腕を、足を、身体を震わせながらアーニャは言い切った。
そんなアーニャを見てか、アルフレッドは大きくため息を吐き出してしまう。こんな大見得を切られた以上、逃げる訳にはいかない。
それに、女の子が戦おうとしているのだ。守るべきものを置いて逃げるなんて、アルフレッドにはできなかった。
『わかった。応急処置を終えたらすぐに加勢する』
「先生っ!」
『ただし二人共、危険が迫ったらすぐに逃げるように。わかったな!』
シャーリーとアーニャは「はいっ」と返事した。
迫るオルタネーターにアーニャは挑む。治療を終え、シャーリー達が加勢するまでの命懸けの時間稼ぎが始まろうとしていた。