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34、忘れていた物語

◆◆◆◆◆


 懐かしい緑の香りが漂っていた。

 温かな光がドリーの頬を撫で、穏やかな風が目を覚ますように囁いてくる。しかしドリーはもう少し、とわがままを行ってしまった。


「ダメだよ、起きてドリーちゃん」


 すっかり忘れてしまっていた友の声が耳に入ると、身体が擦られた。心地いい揺れが余計に眠気を誘ってくる。

 ああ、このまま眠っていたい。そう思っていると呆れたような声を友が放った。


「もぉー、仕方ないなぁー」


 よっこいしょ、という言葉と一緒にドリーの身体は背負われる。肌を通して伝わってくる温もりはとても優しく、だからこそ心の中は幸せで満ちていた。

 このまま永遠に続いて欲しい、と願ってしまう。

 いつまでもいつまでも、もっと長く、と願ってしまう。

 でも、この儚い願いは叶わない。


「いいよ、ずっと寝ていても」


 冷たい何かがドリーの背中に触れ、思いもしないことにドリーは目を見開いてしまう。

 背負っていた共に目を向けると、真っ黒な何かがあった。


「あっ……」


 ひどく冷たかった。

 氷よりも、鉄よりも、何よりも冷たかった。

 ドリーは思わず逃げ出そうとした。しかし、手足が黒い何かに埋もれるように絡め取られ、動くことができない。

 身体が、心が、震える。感じたことのない恐怖に、ドリーは震えていた。


『もう逃さない』


 前を向いていた黒い何かは、自身の首をねじ切る勢いで顔を向けた。

 楽しそうにだが怒りが籠もった笑顔でドリーを睨みつけ、くぐもった声を吐き出した。


『許されない。いいや許してはいけない。アンタが犯した罪は、大きすぎる』

「あ、う、いやぁっ!」

『私を見ろ。私を思い出せ。私を認めろ! どんなに逃げても、例え忘れてしまったのだとしても、アンタの罪は消えない! さあ、思い出せ。アンタが犯した罪を――』


 ドリーの身体は飲み込まれていく。

 黒い何かに飲み込まれていく。

 認めたくない、思い出したくない、ずっとこのままでいたい。

 そう願い、そう叫び、だけど叶わないまま意識が途絶えた。


◆◆◆◆◆


「ドリーちゃんっ?」


 目を覚ますと、心配そうな表情で見つめているシャーリーの姿が入ってきた。

 ドリーはゆっくりと起き上がると、身体がとてもベタついていることに気づく。


「大丈夫?」

「うん……。ひどい夢だったわ。そのせいで身体はビショビショよ」


 シャーリーの手を借りて、ドリーは立ち上がる。まだ冴えない頭を抑えつつ、何気なく目の前に立つ大樹を見つめた。

 荘厳で神聖。穏やかだがどこか緊張感が漂う巨木であり、微かな笑い声をこぼす重なる葉からは優しい光がこぼれ落ちている。


「ここは――」


 ドリーの中で何かが蘇る。

 かつて遊び場として走り回っていた場所。

 楽しい思い出がたくさん眠る懐かしい場所。

 そして、初めて友人と出会った幼き日の思い出が眠る場所だ。


「まだ、あったんだ」


 ただただ懐かしい。まるで昨日のことのように思い出せるのに、そう思ってしまう。

 まだ小さかった木はすっかり大きくなってしまい、あの時の面影はなくなっている。それだけの年月が経ったのかもしれない、とドリーは改めて感じた。


「あれ? そういえばアルフレッドとアーニャは?」

「あそこにある石碑を見てるよ」


 ドリーは大樹から視線を落とした。そこには一つの石碑が立っており、アルフレッド達はずっと見つめている。

 よくよく見ると唸っており、どこか頭を悩ませているようにも思えた。


『まいったな。全く読めんぞ』

「えぇ! ど、どうにかなりませんかっ?」

『時間をかければ、というところだが。ふーむ……』


 頭を抱えるアルフレッドに、アーニャは肩を落としていた。

 もしこの石碑に書かれている内容がわからなければ、アーニャは好きでもない相手と結婚しなければならない。

 どうしても回避したいことだが、アルフレッドは困り果てていた。


『かなり昔の文字だからな。参考文献でもあればまだ違うんだが』

「くぅ、おじい様め。わたくしをどうしても政略結婚させたいのですねっ……」

『あのジジイの性格を考えるとあり得そうだが、しかし……』

「こうなったら読み解けるまでここにいますわ! じゃないと結婚を――」


 どこかくだらないやり取りをする二人に、ドリーは微笑んだ。

 二人の邪魔にならないように石碑を見上げ、記されていた文字を見つめる。


「これ、フィリアニット語ね」

『フィリアニット語? ドリー、もしや読めるのか!?』

「一応ね。しかしよくこんな大昔の言葉で書いたわね」

「ああ、なんて幸運なことですっ。は、早く読み解いてください!」

「わかったわかった。えーっと……」


 アーニャに促され、ドリーは石碑の上部に書かれている文字を順番に読み解き始めた。

 綴られていたのは、フェアリーア王国がどうやって出来上がったのかという歴史だ。


「ふーん。なるほど、駆け落ちした英雄と傾国のお姫様が作ったんだ」

「え? ラブロマンスが書かれているんですか?」

「いいえ。その後、王様になった英雄が浮気をしてひどい目に合って、肩身の狭い人生を送ったって書いているわ」

『王様、何しているんだよ……』


 ドリーの祖先がアルフレッドにツッコミを入れられる。しかしドリーもまた、同じ気持ちでガッカリとしていた。

 気分を改めて、ドリーはさらに石碑を読み解いていく。だが、どれも祖先の失敗談ばかりであった。


 とある者は金に溺れてしまい、国を滅亡へ導きかけた。

 とある者は疑心暗鬼になり、兄弟に手をかけようとして返り討ちにあった。

 とある者は詐欺師に騙され、国宝と呼べる大切な宝剣を外部へ持ち出されてしまった。


 などなど、ドリーの知らないことばかり記されていた。

 読み解いていくうちに、感じたこともない疲れを感じ始めたドリーは大きなため息を吐き出す。いくらご先祖様全てがそうでないと思っていても、こう事実を突きつけられると疲れを覚えるものである。


「なんか、読むのが嫌になってきた……」

「どうしてですか!」

「だって、笑えない失敗談ばかりしか書かれてないし」

「頑張ってください! じゃないとわたくしは結婚を――」

「あー、わかったわかった。読むから休ませて」


 必死にアーニャはドリーの身体を揺さぶる。面倒臭いなー、と感じつつもドリーは必死なアーニャのために疲れた頭を働かせて読むことを再開した。

 とりあえず片っ端から読んでいくが、情けない失敗談ばかりでどうしても呆れてしまう。一体どうしてこんな石碑を作ったの、と叫んでしまいそうになるが、どうにかこうにか心を落ち着かせて読み進めていった。


「なんだか、結構大変そう」

『シャーリー、何も言ってはならん。見ろ、ドリーが明らかに疲弊しているだろ?』

「ドリーちゃん、かわいそう」

『同情の視線も送るな。ダメージになる』


 もはや拷問に近い作業だった。とにかく早く終わらそうと考えて言葉を並べていく。しかし終わらない。どんなに読んでも終わらない。永遠と、永遠と文章が綴られ、終わることを知らない。

 ああ、なんでこんなものを読んでいるんだろう。

 もはや目的が何だったのかわからなくなったドリーは、とにかく作業よ終われと願っていた。


「ドリーちゃん、すごい顔してる……」

『あれは生きる屍だな。そうか、ついにドリーはその域に達したか』

「達したって、何にですか?」

『賢者の真髄に達したということだ。いわゆる賢者モードを手に入れたということだ!』


「け、賢者モード!? なんですか、それ?」

『ありとあらゆる者達が、極限の域に達した時に開く究極の悟りだ。ドリーめ、いつの間に覚醒したんだ。ワシだってあまりできない状態だぞ!』


 アルフレッドは悔しそうな顔をしていた。

 なぜ悔しそうにしているのか全くわからない。だからなのか、シャーリーはただただドリーに同情した視線を送ってしまった。


「あー、もぉー! 何なのよこれっ! なんでこんなシャレにならないことばっか書いているのよ!」

「文句を言わないでください! あと少しあります!」

「もう嫌よ! なんでこんなもの全部読まないとダメなのよ!」

「わたくしのために頑張ってください! あとで美味しいパンをご馳走しますから!」


 ドリーは唸った。正直もうやめたい。しかし、ここまで来た以上は全部読み切りたいという奇妙な使命感にも囚われている。

 それに達成すればアーニャから美味しいパンを振る舞ってくれるらしい。


「とびきり美味しいのを食べさせてよね」


 ドリーは渋々最後まで読み解くことにした。

 どうせもうすぐ読み終わる、と考えてのことである。


「それじゃあ、最後の章を読むわよ」


 そう言ってドリーは読み解き始めた。

 記されていたのは、フェアリーア王国最後の王女についてだ。


「ドリーと呼ばれし王女は知性があり、様々な改革を行い、国を豊かにした。だが、その意志が強すぎたために多くの味方と敵を作ってしまった。最大の失敗はカースベータ帝国の帝王を敵に回したことである。これにより、フェアリーア王国とカースベータ帝国は泥沼の戦争を行うことになった」


 ドリーの表情が、だんだんと強張っていく。

 現在読み解いている箇所は、かつて起きた〈妖魔聖戦〉についての出来事だ。抜け落ちていた記憶が、この石碑に刻まれた言葉によって補完されていく。それに伴いドリーの頭に鈍い痛みが入った。


「これって、もしかして――」


 シャーリーはアルフレッドに顔を向ける。アルフレッドはというと、ただ静かにドリーを見つめていた。

 緊張の糸が張り詰める中でドリーは意を決し、続きを読んだ。


「戦争はフェアリーア王国にとって芳しいものではなかった。兵力に戦術戦略、魔術に関する技能や技術、そして物資といったあらゆるものが劣った。隣国から見てもフェアリーア王国の負けは目に見えていた」


 そうだ、とドリーの中である出来事が蘇る。

 大切な友を守るために、ドリーは帝国にケンカを売ったのだ。結果として大きな大きな戦争になってしまった。


 多くの人々を巻き込み、多くの人々から恨み節を言われたがそれでも好意はしていない。それ以上にみんなは、ドリーの行動を指示してくれたのだ。

 だからこそ、ドリーは戦うことを選んだ。


「劣勢のフェアリーア王国だが、王女ドリーは戦況を覆すために禁忌に触れる。それは〈使者〉を呼び出すというものだ。従者であり、親しき友と呼べる者と共に召喚の儀を行い呼び出すことに成功した」


 その文章を読んだ瞬間、頭に鋭い痛みが走った。思わず奥歯を噛んでしまうが、ドリーはそびえ立つ石碑を強く見つめた。


「使者〈ダンダリオン〉を呼び出した王女ドリーは、多くの知恵と知識を吸収し改革を行う。その結果圧倒的な劣勢を覆し、五分へと持ち込むことに成功した。だが、これがフェアリーア王国滅亡の引き金となった――」


 ドリーはそこで読むのを止めた。

 騒いでいたアーニャも、静まり返る。

 シャーリーが思わず心配になって声をかけようとした。しかし、アルフレッドが肩を叩いて止める。


 そう、ここに記されているのはかつて起きた出来事の失敗談。つまり、ドリーはフェアリーア王国最後の王族であり、破滅へ導いた愚かな王女だと蔑まれていた。

 ドリーは何かを吐き出そうとして、言葉を飲み込んだ。

 拳に変わった手は小刻みに震え、ただ悔しそうに唇を噛んでいた。


「私は、ただ――」


 どこで間違えたのか、と言葉が頭の中で巡る。

 どうしてこんな結末を迎えたのか、と言葉を吐き出しそうになって飲み込んだ。

 ただ友を、みんなを、守りたかった。大切な全てを守りたかった。だが、できなかった。


「向き合え、か」


 ドリーはニイナにかけられた言葉を思い出す。もしかすると、まだ忘れていることがあるかもしれない。そう思って石碑を読んだ。


「オルタネーター。カースベータ帝国の最終兵器だ。それは敵味方の区別をせず、ただ戦場にいる生ける者全ての命を奪った。状況を重く見た王女ドリーは、使者〈ダンダリオン〉に命令し、コトワリに触れる。だが、どれほど優れている王女でもコトワリからあふれ出る力を制御できなかった」


『コトワリ?』

「何だろ、それ?」


 シャーリー達がコトワリという言葉に引っかかりを覚える中、ドリーは読むことをやめた。

 そう、思い出したのだ。なぜ、フェアリーア王国が滅びてしまったのかということを。


「わ、私……」


 ドリーは震えていた。何かに怯えるように、自分の体を抱きしめて震えていた。

 それは明らかにおかしい怯え方だ。だからシャーリーは、思わずドリーへ近寄ろうとした。


――思い出したわね、私。


 何かが笑った。

 それは、見たくもないものだった。

 だけど、ドリーは振り返ってしまう。


 そして見た。

 血に染まった口元を舐める自身の姿を。


「いやぁあぁあああぁぁあああああぁぁぁぁぁっっっ!」


 ドリーは拒んだ。必死に拒んだ。

 だけどかつて犯した罪が、つきまとう。忘れていた大きな大きな罪がつきまとい、そして笑っていた。


――もう遅いわよ。

――だってアンタは、思い出したもの。

――アンタが、私が犯した罪を!


 やめて、と叫んだ。

 だが、やめてくれない。もう一人の自分自身は目を血走らせながら唇を震わせ、笑っていた。


「ドリーちゃん!」


 ドリーの身体から禍々しい黒い何かがあふれた。シャーリーが咄嗟に駆け寄り、身体を抱きしめようとする。

 だが、その手を掴もうとした寸前にドリーは禍々しい黒い何かに飲み込まれてしまった。


「きゃあっ」


 禍々しい黒い何かに触れた瞬間、シャーリーは後ろへ弾かれてしまった。

 アルフレッドが慌てて回り込み、影で作ったクッションでシャーリーの身体を受け止める。

 安心してホッと息をこぼしたアルフレッドだが、シャーリーの顔は痛みで歪んでいた。


『大丈夫か、シャーリー!』

「うぅっ」


 アルフレッドはシャーリーの手を見た。

 石ころ採取や錬金術で使うちょっとゴツゴツした小さな手が血まみれになっている。

 思わずアルフレッドは息を止め、ドリーを飲み込んだ禍々しい黒い何かを睨みつけた。


『そんなに怖い顔をして、どうしたのかしら?』


 その声に、シャーリーは覚えがあった。

 以前ドリーを飲み込み、シャーリーを痛めつけた〈何か〉だ。


『ふふふ、あははははは!』


 身体が恐怖で震える。

 それでもシャーリーは〈何か〉からドリーを助けるために、立ち上がるのだった。


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