3、眠っていた女の子
◆◆◆◆◆
「きゃあぁあぁぁあああぁぁぁぁぁっっっ」
『うおあぁあぁぁあああぁぁぁぁぁっっっ』
あっという間に、エレベーターは目的地へ到着した。荒々しく止まったためか、ドーン、とすごい音と一緒にシャーリー達が外へと放り出されてしまう。
物のように転がるアルフレッド。そのうえでシャーリーは尻もちをついていた。
それぞれがうめき声を上げ、痛そうな表情を浮かべる。すると一匹の蝶がシャーリーの前を横切っていった。
「うぅっ、痛い……」
『シャ、シャーリー……、退いてくれ。起き上がれん』
「えー?」
『面倒臭がるな! このままだと死んでしまうわい!』
アルフレッドに叱られ、シャーリーは仕方なく立ち上がる。
フラフラとしながらお尻の下敷きになっていたアルフレッドは、自身の影を使ってようやく起き上がった。
いつものように飛ぶ姿にシャーリーは安堵する。しかし、アルフレッドの顔は痛みで引きつったままだ。
『にしても、妙な所に出たな』
アルフレッドに促され、シャーリーは目の前に広がる景色に意識を向けた。
青空の下で咲き誇るチューリップは、不思議な輝きを放っている。気になって覗き込んでみると、色とりどりの花はガラス細工でできていた。
よくよく見ると茎も葉もガラスだ。
「すごい……。こんなの一体どうやって――」
一つ二つならシャーリーの技能でも作り出せるかもしれない。だが、目の前に広がる一面の花畑が、全てガラス細工でできたものだった。
シャーリーは試しに触れてみる。固く、冷たく、滑る感触もあり、見た目通りにガラスでできていることがわかった。
力を込めると簡単に壊れてしまいそうで、だからこそこれほどまで精巧に作られていることにシャーリーは驚いた。
『こいつは――』
アルフレッドもまた、言葉を失っていた。
飛び回る金色の蝶、正式名称〈黄金色の光蝶〉が目の前にいることにだ。
『シャーリー、ここは掘り出し物かもしれんぞ』
「え?」
『ここにいる蝶は、絶命種だ。どこにいっても見かけない虫と言ってもいい』
「そんなに珍しいんですか?」
『珍しいなんてもんじゃない。存在すること自体が奇跡だ。大昔、死者が生き返るとされた秘薬〈奇跡の粉塵〉を作り出すために乱獲されたやつだからな。今だと値打ちは、いや値段なんてつけることすらおこがましいほどのものだ。オリハルコンと同等以上だと思ってくれ』
「えぇっ!?」
世界で最も固く、最も美しく神聖な鉱物と言われるオリハルコン。
その価値は計り知れないものであり、シャーリーがいくら頑張って貯金をしても買える代物ではない。
だが、目の前で飛んでいる蝶はそれ以上の価値があるかもしれないようだ。そう言われて驚かないはずがない。
『もしかしたら、他にも貴重なものがあるかもしれん。草どころか、石ころ一つすらも油断ができんぞ』
「石はお宝ですよ! でも、ここって想像よりもすごいんですね」
シャーリーはついついエリアを見回してしまった。
ガラス細工でできたチューリップ畑が広がる。その奥には大きな垣根があり、何かを覆い隠しているように見えた。
壁一面には様々な色をしたバラがあり、そのどれもが不思議な輝きを放っている。光の反射具合から、ガラス細工であることがわかった。
とても不思議な空間だ。
まるで庭園かと思える場所に、シャーリーはただただ見惚れてしまう。
――アンタとは、もう友達よ。
不意に、何かが頭の中で過ぎった。
一瞬だけ重なった光景と覚えのない緋色の髪を持つ少女。その笑顔は明るいが、どこか影を落としていた。
「――ッ」
浮かび上がった光景に意識を向けた瞬間、シャーリーは感じたことがない頭痛と気持ち悪さを覚えた。
吐き気を覚え、咄嗟に口を抑える。一生懸命に気持ち悪さと戦い、どうにか抑え込むと今度は妙な胸苦しさに襲われた。
『シャーリー、大丈夫か?』
「はい……」
『無理は厳禁だ。ゆっくりと歩きながら、このエリアを探索しよう』
アルフレッドが気遣い動き出そうとした時、シャーリーは突然エリアの中心にある垣根へと駆け出した。
アルフレッドは、『待て、シャーリー』と叫んで反射的に追いかけようとする。しかし、唐突に影でできた翼が崩れて地面へと落ちてしまった。
『しまった、魔力同調が! くそ、ジャミングか。待ってくれシャーリー!』
シャーリーが何かにとり憑かれたかのように走り去っていく。
アルフレッドは呼び戻そうと何度も何度も名前を叫んだが、その声は届かなかった。
「ハァ、ハァ……」
何かが、シャーリーの頭の中で離れなかった。
とても大事なことだったかもしれないし、とても大切なことだったかもしれない。何なのかわからないが、それでもシャーリーは奥へと足を踏み入れていく。
そんなシャーリーに驚いてか、黄金色の光蝶はガラス細工の赤いバラから飛び立つ。
ツタの上でケンカする紅色のカマキリ達も動きを止め、翡翠色の甲殻を持つテントウ虫も転がり落ちてしまった。
希少な虫が逃げ出していく中、シャーリーは突き進んだ。何かに導かれるように、迷うことなくどんどん奥へ。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
ようやくの思いで、広い空間に出た。
目に入ってきたのは見覚えのない白い椅子と丸いテーブル、欠けた白いカップに穴が空いたティーポットである。
その少し奥に光を反射するものがあった。シャーリーはまだ乱れている呼吸を僅かな時間だけ止めると、すぐに意を決して近づいた。
「見つけた……」
透明な棺。中身が何なのかわかるほど透き通ったガラスの棺である。
今まで見てきたガラス細工とは明らかに違う代物で、現代の技術では生み出すことはできないものだった。
「女の子だ!」
そんな中で眠っている女の子は、祈るようにして手を組んでいた。
背中にかかるぐらい長い緋色に染まった髪と、小さな身体を包み込む黒いドレスが印象的だ。
見た限り血色もよく、今にも起き上がりそうな雰囲気がある。
だからなのか、シャーリーはその姿にホッとしていた。
「あれ?」
シャーリーは頭を傾げる。なぜこの女の子を見て、安心しているのかがわからなかった。
少し時間を使って考えてみるが、やっぱり答えは出てこない。
「うーん、今はいいかな」
考えることをやめ、シャーリーはもっと顔をよく見ようとガラスの棺に手をかける。
その瞬間、ガラスの棺が自ら輝きを放った。
「ふえっ?」
生まれる円陣。青白く輝くそれは、いくつも連なり繋がっていく。
緋色の文字が刻まれ始めると、円陣もまた緋色へと染まった。
徐々に、中心にあるガラスの棺へと向かっていくとついに、中心部にある円陣が緋色へと変化した。
「え、え、えっ!?」
光が強くなっていくと伴い、ガラスの棺は緋色へと染まった。
棺を覆うガラスの全てが緋色に染まると同時に、棺そのものがゆっくり舞い上がった。徐々に、徐々に起き上がるように縦となるとピキピキ、と小さな音を何度も弾けさせる。
ピキンッ、と破裂音が響くと光も爆ぜ、棺が割れるかのように大きな亀裂が入った。
「――――」
シャーリーは息を呑んだ。
その光景は、サナギが蝶へと変態するかのような光景である。
ガラスが弾け飛び、祈るように組まれていた手が大きく広げられた。
小さな身体を包んでいたドレスのスカートがふわりと揺れると、閉じられていた瞼がゆっくりと開かれていく。
砕け散ったはずのガラスが、少女の髪と背中に集まった。
二つに束ねられた緋色の髪が自然と結われていき、背中に集まったガラスもまた新しい形を作っていく。
骨組みと言い表せばいいだろうか。
大きな結晶が小さな翼を生むと同時に緋色の光が集まっていき、蝶に似た羽が出来上がる。
緋色の輝きが解き放たれると、産声を上げるかのように大きく広がった。
「きれい……」
それ以上に表現できる言葉が出てこない。
ゆっくりと舞い降りる少女の姿に、シャーリーは目的を忘れてただ見つめていた。