11、禍々しい黒い何か
「ガオォオオオォォォォォッッッ」
ギョロリ、と血走った目がシャーリー達を睨みつけていた。
ビリビリとしびれる大きな咆哮が響き渡ると共に、一つ目ベアーから禍々しい黒い何かが溢れ出ていく。
「ふ、ふえー」
あまりの迫力に、レオンは泣きそうになった。
もしかしたらみんな一つ目ベアーに殺されてしまうかもしれない。そんな思いが過った瞬間に、シャーリーが「大丈夫っ」と大きな声で言い放った。
「お姉ちゃん達が絶対に倒すから! だからレオン君、フレイヤさんを頼んだよ!」
シャーリーにしては珍しくとても力強い言葉だった。
傍から見ていたドリーは、そんな勇ましい姿にクスクス笑ってしまう。
「笑っている暇はないよ、ドリーちゃん?」
「ごめんごめん。ちょっと似ているなって思ってね」
「似ている? 誰に?」
「私の親友によ。シャーリーみたいにできそうにないことをできるって言っちゃうダメなところが、とってもね」
「できるもん! ドリーちゃんと一緒ならあいつは倒せるもん!」
「はいはい、わかったわかった」
シャーリーは頬をぷくぅーっと膨らませる。ドリーはむくれているシャーリーの顔が面白いのか、クスクスと笑っていた。
張り詰めた緊張感の中、ほんの少しだけ和らぐ。いつしかレオンにも移り、ちょっとだけ顔に笑顔が浮かんだ。
しかし、一つ目ベアーはその雰囲気を許さない。大きな唸り声を上げ、シャーリーへと突撃した。
「シャーリー!」
フレイヤが思わず叫んだ。シャーリーはすぐに一つ目ベアーに目を向け、杖を強く握って身構える。
丸太かと思えるような腕が、躊躇いなく振り下ろされていく。
だが、シャーリーは逃げない。ドリーを信じ、大きく杖を振り上げて迎撃しようとしていた。
「遅いわよ、シャーリー!」
鋭く大きな爪がシャーリーの頭を弾き飛ばそうとした時、二つの銃声が鳴り響く。
一つはシャーリーの頭を飛ばそうとした腕を、もう一つは眼球を弾いた。
思いもしなかったのか、一つ目ベアーは僅かに怯む。シャーリーはその姿を確認することなく、杖で地面をコツンと叩いた。
「ガゴッ!」
ゴゴンッ、という大きな音と共に突起した地面が、一つ目ベアーの腹部に突撃した。
すさまじい勢いのまま後ろへと下がっていく。だがそれでも、一つ目ベアーは踏ん張りを効かせ、シャーリーの攻撃を止めようとした。
そんな中、一つの影が目に入る。
緋色に染まった髪と輝く美しい羽が一つ目ベアーの心を捕らえてしまう。溢れ出ていた禍々しい黒い何かが薄れ、踏ん張っていた足に力が入らなくなっていた。
「ぶっ飛べっ!」
下がっていく一つ目ベアーを鍛冶屋から追い出すように、ドリーは追撃をした。
連続で行われる銃撃が、一つ目ベアーの身体を押し出していく。
一つ目ベアーは必死に攻撃を耐えようとした。しかし、その攻撃の勢いに耐え切ることができず吹っ飛ばされてしまう。
転がっていく巨体は、向かい側にあった建物の壁に叩きつけられる。大きな衝撃と音によって砂埃が舞う中、外に出たシャーリーとドリーは勇ましい顔で頷いていた。
「すごーい……」
レオンにとって、それは想像もしなかった光景である。
正直、シャーリー達が一つ目ベアーに勝てるとは思っていなかった。もしかしたらという最悪の事態を考えてしまうほどだ。
だが、シャーリー達は簡単にその想像を覆してしまった。だからこそレオンの中で、ある思いが芽生える。
「迷宮探索者って、すごい!」
シャーリーは勝ち誇ったかのように笑う。その笑顔を見たドリーの脳裏には、再び親友の面影が重なった。
しかし、今は気にしない。この現象が何なのかなんてどうでもいい。
ただ今は、シャーリーと一緒にいることがとても楽しかった。
――笑うな。
唐突にざらついた声が、ドリーの頭に響いた。
反射的に一つ目ベアーへ顔を向けると、血走っていた目がどす黒いものへと変わっている。
――笑う権利なんてない。
唐突にドリーの頭に痛みが走った。あまりの痛さにドリーは屈み込んでしまう。
「ドリーちゃん!」
シャーリーが思わず駆け寄ったが、激しい痛みのためかドリーは悲鳴を上げてしまう。
ドリーを落ち着かせるためにも、シャーリーはポーチから鎮痛薬を手に取った。コルクのフタを抜き、苦しんでいるドリーの口へ注ぎ込んだ。
「いっ――あぁっ!」
だが、ドリーの様子は変わらない。ドリーちゃんっ、とシャーリーは何度も呼びかけた。
そんな中、一つ目ベアーに変化が起きる。茶色に染まっていた剛毛が、禍々しい黒へと変化し、ギョロリとした目は真っ赤に染まった。
口から垂れ流されるヨダレと瞳孔が開いた瞳から、もはや理性はない。それでも立ち上がった一つ目ベアーは、何かを解き放つかのように雄叫びを上げた。
「何、あれ……!」
見たこともない姿に、シャーリーは言葉を失う。
戸惑っている暇も、驚いている暇もない。わかっているのにあまりの恐怖で動けなかった。
ズシン、と重々しい足音が響く。近づいてくることがわかるのに、身体が震えていうことをきいてくれない。
逃げなきゃ。そう思うが、シャーリーの足は動かなかった。
「やめろー!」
恐怖で震えていると、レオンがシャーリー達の前に守るように立った。
大きく手を広げ、キッと一つ目ベアーを睨みつける。
「お姉ちゃんを、イジメるな!」
だが、一つ目ベアーは止まらない。
禍々しい黒い何かで包まれた右腕を振り上げ、レオンごと殴りつけようとした。
「ダメ――」
シャーリーは呟くように懇願した。
一つ目ベアーは当たり前のように動きを止めない。
「ダメ――」
それでもシャーリーは願った。
殺さないで、と。
一つ目ベアーはそんな願いを聞き入れることなく、頭を跳ね飛ばそうとしていた。
「ダメェーッ!」
だからシャーリーは叫んだ。
レオンを守るために、奇跡を願って。
直後、強烈な白い光が一つ目ベアーの身体を突き抜けていった。
身体を包み込んでいた禍々しい黒い何かもそれに伴い、吹き飛ばされていく。
一つ目ベアーの動きが止まる。直後、後ろから「よくやった、少年!」と勇ましい言葉が聞こえた。
気がつくと一つ目ベアーの胸に、一つの大剣が突き刺さっている。
巨体がよろめき崩れ落ちそうになると、鎧を着た男が躊躇うことなく突撃した。
「あとはこのグレアム団長に任せろ!」
剣の柄が強く握り締められる。
鍔に取り付けられていた深青の宝石が輝くと、一つ目ベアーの身体が一瞬で凍てついた。
「安らかに眠れ」
胸から剣を抜くと同時に、一つ目ベアーの身体が弾け飛んだ。
舞う氷の花びらは、事切れた一つ目ベアーへの手向けでもある。グレアムは大きな刃を振り、刃を鞘に収めると氷の花びらは空間の中へと消えていった。
「大丈夫、お姉ちゃん!?」
レオンに声をかけられ、シャーリーは身体から力が抜けた。
そのまま安心すると、目から涙が溢れていく。
「うえーん」
怖かった。とにかく怖くて堪らなかった。
だけど、何もかもが無事だったことに安心した。
だからなのか、レオンの目の前で情けなく泣いてしまうのだった。