怪老人の指紋と筆跡
筆跡の結果は、指紋の照合より早く報告された。それも当然だ。指紋の照合は、最終的には人間の目で確認されるからだ。機械だけで完結出来ないのが指紋の照合というものだ。
筆跡を調べた結果は、事件関係者の中に筆跡が同じ者がいた。二葉冬真だった。指紋は冬真とは一致しないものの、筆跡はピタリと一致したとのこと。
明智と一緒に、冬真に事情を聞きに行った。
「冬真さん。神田ですが、九時間ほど前に現れた怪老人の落としていった紙切れに書かれた文字の筆跡が、冬真さんの筆跡と一致したんです」
「何バカなことを言っているんだ!」
俺は紙切れの文面を、冬真が見える位置まで動かした。「この字に見覚えはありますか?」
紙切れの文字を見るやいなや、顔面蒼白となった冬真だったが、知らない、と言い張って部屋の奥へと姿を消していった。
「怪しいな、冬真の慌てっぷりと言い......怪老人の落とした紙切れに付着していた指紋は冬真の細工とも考えられるぞ」
「あの反応は、絶対に何かを隠しています」
「冬真にどんな動機があったのか、くわしく調べてみて損はないよな?」
「私が保証します」
調べるといっても、その大半を部下にやらせた。
けど、少し引っ掛かることがあった。俺の前に現れた老人は、冬真には似ても似つかなかった。でも、最近の技術はすごいから先入観は禁物。何事も調べてみるのが一番だ。
「よし、明智。冬真がかなり出資していた二葉村の神社に行ってみよう。何かわかるかも」
「運転手は、頼みました」
「へいへい」
いつもと同じく、俺は運転席に座って車を走らせた。ナビを見ながら進み、山内神社に着いた。山内という名称は、二葉村が属する市の名前だ。由来はお察しの通り、山の内にある市だからである。安直。
それはどうでもいい。冬真が怪しいから、尻尾を掴むんだ。
「神社は久しいですよ。警部はどうです?」
「お袋の墓参りに行って以来だ」
「ハァ」明智は挑発するような、ムカつくため息をした。「墓参りって、神社じゃなくてお寺ですよ?」
「あ、そうか」
「ちゃんとしてくださいよ。バカなんですか? いえ、バカはとっくり通り越していますね」
「テメェ、いい度胸してんな!」
「え? 読経? まったく、それもお寺です」
「完全に舐めてんじゃねえか、この野郎!」
ちなみに読経とは、お経を読むことらしい。明智に説明されるまで知らない言葉だった。また、『読経』とは『読経』とも『読経』とも読む。
タイミング良く通りかかった神主に、この神社の宮司を呼んでもらった。宮司は神社のトップ的な存在です、と明智が説明してくれた。
「どうも、一課の神田と言う者ですが、二葉冬真さんと仲が良かったんですよね?」
「はい、そうです」
「一郎太さんが殺されたのですが、冬真さんには動機とかありますか?」
「え、一郎太君が!?」
「殺されたことをまだ知らないんですか?」
「はい。あまり知り合いが多くないもので......」
宮司は顔を赤くして、頭を掻いた。
「もう一度お尋ねします。冬真さんには一郎太さんを殺す動機とか思い当たりますか?」
「冬真は、一郎太君の内気な性格を良くは思っていなかった。けど、酒の席では酔っ払いながら『一郎太にしか二葉家を継げない』と言ってました。何だかんだで、冬真はやっぱり一郎太君のことが好きなんでしょう。冬真が一郎太君を殺すなんて、あり得ません」
「そうですか、わかりました」
頭を下げてから、車に戻った。
「冬真は怪しいと思ったんだけどな」
「また振り出しという感じですか」
その時、俺のスマートフォンが鳴った。着メロは尾崎豊の『15の夜』だ。高校生だった頃の自分を思い出した。15の夜の歌詞の通りに行動していた。職員室のゴミ箱からシケモクを漁ってたな。ちなみに、バイクでは生ぬるいと思ったから他人の車を盗んで走り出してみたら、ラジコンほど簡単じゃなくてすぐに事故った。幸いにも厳重注意で済んで、車を盗まれた被害者は被害届を出さないでくれた。が、車は弁償だった。あの時ほど両親が怒ったことはなかった。
思考が現実に引き戻されたのは、明智が俺の頬を軽く叩いたからだ。「神田警部、電話ですよ」
「あ、そうだった」
スマートフォンの画面を操作してから、耳に近づけた。「もしもし」
「神田警部。老人が落とした紙切れに付着していた指紋の照合が終わりました」
「本当か?」
「はい」
「指紋の持ち主は誰だった?」
「データベースにはない指紋でした」
「わからなかったか......引き続き、指紋の持ち主を探してくれ」
「了解しました」
電話を切ると、明智も大体理解していた。
「指紋、誰のものかわからなかったんですね?」
「そうらしい」
「新たな手掛かりが手に入ったと思ったんですが、犯人もそこまで甘くはなかったですか」
「そのようだ。また一から捜査のやり直し。早く犯人をしょっ引いて家に帰りたい......」
「私の場合は、難事件ほどやる気が出るので望むところですよ」
「俺は望んでないんだ」
車を方向転換させて、二葉家に戻るために元来た道を引き返していった。